まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

タカキベーカリーという会社は・・・

2014-12-29 22:37:27 | 日常
平成26年12月29日
我社の主要な取引先にタカキベーカリーという製パン会社があります。
広島では有名なアンデルセングループの一会社です。
1948年8月、創業者の高木俊介夫妻と従業員の2名で広島市南区比治山本町で開業したのが始まりです。
一般には「タカキのパン」でしられ、今ではアンデルセン、リトルマーメイドの名前で全国展開をしています。
我社はそのパンの運送を請け負っているのですが大部分は自社の大型トラックで運ばれますからその業務のわずかな隙間を担って運送しています。例えば、重量オーバーで積み残しが出た場合とか、生産が遅れ定期便に間に合わないとか、何かトラブルが発生した時、我社にお呼びがかかるのです。ですからたいてい真夜中か、午前様の呼び出しになります。我社の夜間勤務体制はこのために作られたようなものです。
時折昼間でも緊急運送の依頼がありますがそれは数量不足とか、パンがつぶれていて形状に問題がある等のクレームが発生したときなどです。パン1個、食パン1斤を中四国、遠近を問わず運搬しています。単価数百円のものを数万円をかけて運ぶのです。何と無駄なことと思いますが信用には代えられないというので即刻運搬します。今年はクリスマスケーキの輸送にも関係しました。12月22日から25日まで我社の総力を挙げて取り組みました。早朝3時から、山陰から市内まで要求されるところはすべてやり遂げました。ミスはありませんでした。先日担当の部長さんから「ご協力ありがとうございました。」とお礼のお言葉を頂きました。こちらとすればお金を頂いていることで当然なことですからお礼の言葉など期待してもいませんし、お礼の言葉などあまり例のないことです。早速に従業員に伝えその労をねぎらいました。今日は我社の仕事納めで挨拶に行ったとき「アンデルセン芸北100年農場」なるものがあることを知りました。県境の北広島町にあるパン屋さんの農場なのです。600haと言いますから広島市民球場の50倍の広い原野を自らの手と足で開墾しデンマークの教育理念である「一人ひとりが自立し、能力や才能を社会のために使う」という理念に共鳴して「高木俊介製パン学校」を作り、麦を育て、粉を挽き、生地を捏ねて、石窯で焼く。そしてそのパンを楽しむ食卓を整える「土づくりから食卓づくりまで」を実践し、よきパン職人としての心と技術を学んでいるようです。ここでは若い人たちが2年間研修しているとのこと。2004年8月から始まったといいますからもう10年になりますから多くの人材が育ち会社の中心となり活躍されていることでしょう。最近ではパンに合うリンゴの木を育てているともいわれました。遠大な計画で実現にはまだまだ幾年月を要することでしょう。莫大な費用を惜しまず理想に向かって万進している姿勢に感銘を受けました.
播いた種はいつかは実を結ぶ。全国的にはまだまだ無名の会社かもしれませんが必ず日の目を見る時が来ると信じています。
パン1個でも届ける。信用を大事にする会社の原点を見た思いです。我社もこのような会社の一端を担っていることを誇りに思い真面目に、誠心誠意の仕事に努めていきたいと思います。私もタカキの大フアンになりました。パンを買うならタカキベーカリー。ご贔屓にしてください。よろしくお願いします。中国山地のど真ん中の農場ですから今は雪に埋もれていることでしょう。春になれば是非とも訪れてみたいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

墓碑銘2014・死期はわかるのか?

2014-12-27 23:07:05 | 日常
平成26年12月27日
今年も多くの著名人がなくなりました。どの様な有名人でも、どのような権力者であっても遅かれ早かれ人間は必ず死ぬという厳粛な事実を改めて思い知らされました。
最近では高倉健さん、それに続いて菅原文太さんの両巨星、山口俶子さん、宇津井健さん、淡路恵子さん、米倉斉加年さん私と同世代では蟹江敬三さん、林隆三さん、東京五輪の最終走者、坂井義則さん等々第一人者の個性的な俳優がなくなると次の控えの俳優に出番が回ってくる。その人に適した役が巡って来て出世のチャンス到来。杠葉が落ち、次の若い葉に受け継がれるがごとく新陳代謝が進行する。我会も知識、経験豊富な先輩たちもそれらを持ったまま亡くなっては本当にもったいない話です。是非とも次の世代に素晴らしい知識、経験を引き継いでもらいたい。書き残してほしいものです。その一環として私の山行経験を引き継いでもらうため企画しました。今年は冬の十方山縦走、久住山、北方稜線、親指岳。来年度には冬の上高地ハイキング、宮島一周、できれば四国の石鎚山、極印本谷沢登り、くらいか、最後は八つ峰までは引き継ぎたいと思っています。
そして最後の終焉の時を考えるに人間はその時がわかるのだろうか。高倉健も亡くなる前に手記を書き残しています。死が近いことを予期していたのでしょうか。西行法師は「願わくは花のもとにて 春死なんそのきさらぎの望月の頃」と歌に願い1日遅れの2月16日亡くなっています。このことについてある人は仏道修行者は断食によりどのような方法をとれば死ぬるかということを知っているので、絶命するときを調整できるという人もあるからそうかもしれません。私の家の本棚の中に山の本や万葉集に交じって異色の書籍があります。その名前は「人間臨終図巻」(著者は山田風太郎)上下2巻です。国内外の著名人923名の臨終の様子が書かれています。妻が買い求めた書籍です。陽気で明るい性格、いつも松田聖子の曲をかけていた妻の性格からは思いもつきません。体調の不調から何かおかしいと予感し死も意識していたからでしょう。人はどのような最期を迎えたのか知りたかったのでしょうか。さらに瀬戸内寂聴の法話集のカセットも購入してひそかに聞き、京都に旅行した時には嵯峨野のお寺を訪れたこともありました。
死の不安との戦い。明るく振舞っていましたがその心境を想う時・・・・察するに余りある思いです。
死を考えて、今を力一杯生き切る。妻の遺訓と思っています。今年亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。合掌
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「競り市」を初体験

2014-12-27 12:30:46 | 日常
平成26年12月26日
早朝の仕事で山口県長門市に行った帰り,近くにある漁港の魚市場で「セリ」を初体験し魚を買って帰りました。
場所は長門市の西方10キロにある黄波戸港の魚市場です。ここには温泉がありますが大きな建物のホテルは閉鎖されています。小さな温泉の入浴する建物と民宿があるだけのひなびた漁村です。
港にある魚市場の建物には50から60人の黒山の人だかり、コンクリートの床の上に板が並べられその上に魚が並べられています、皆さんビニール袋やバケツを持って買う予定の魚の下見をしています。8時ベルが鳴りセリの開始です。この競り市は週3回、月、水、金に開催されます。入札に参加するには鑑札をもらうため年間5000円必要とのことですが今回は初めてですから市場で知り合った資格のある人の名前を使わせていただき入札しました。私は魚の名前は知りませんが1m余りのぶりのようなすらっとした魚から、サバやイカ、生きて元気な蛸、サザエ、大きな禿のような魚や一つ目の怪物のような怪魚、いろいろありましたがカニはいませんでした。参加者はこの町内の人ばかりのようでセリもいたって簡単です。入札者は皆顔見知りで鑑札の木札を提示する人は数人だけです。普通は値段がセリで上がるのですがここの場合は初めにセリをする人が値段をつけてそれを人々が買うかどうか声をかけ、声がなければ値段を下げて、買い手が決まるまでだんだん下がっていくます。大きな魚は初値は4000円でしたがきまつたのは3000円、小さいものは500円でした。スーパーで買う要領で今晩のおかずを買うような感じでした。私は大きな魚の調理法は知りませんので自分で調理できて美味しそうなものを買いました。一番目につけてのは煮つけや唐揚げに良い赤いメバル、中程度5匹1000円、小さいもの10匹700円をゲットしました。大きいものは民宿の方が3匹1500円で買われました。次に赤いナマコ50匹くらいセリに出されました。なかなか値が下がらず800円から半分になり、400円に8人くらい応募がありましたので私が500円で4匹落としました。4匹で2000円。最後にイカ、小さな箱に入ったものが20箱くらいしかありません。今日は品数がないので高いかもしれないといわ結局最後に私が2000円でとりました。5700円に消費税プラスそれに謝礼を含めて支払いました。初体験面白かった。病み付きになりそうです。今度から長門に納品に来る楽しみが出来ました。
帰路途中に温泉に入浴して帰る準備をしていましたが魚が傷んでもいけないので直帰。会社の同僚や近所の人におすそ分けをしました。新鮮なお魚美味しいと大好評でした。
私はナマコは大根をすり、酢で食べました。本当にコロコロで切るのに苦労するくらい。硬いのは最高です。イカは刺身とオリーブとニンニクをからめて炒めました。ニンニクの香が最高。赤いメバルの大きいもには牛蒡と一緒に煮付に、小さいものは味噌汁に入れて食べました。どれも逸品でした。心から「ごちそうさまでした」と手を合わせました。味付け、調理法のいかんにかかわらず新鮮が一番のごちそうだと思いました。
(写真は魚市場でゲットした品々 左から赤いメバル、イカ、赤いナマコです)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親指岳(小豆島)正面壁・赤いクラックルート登攀

2014-12-21 23:31:38 | 日常
平成26年12月21日
前日まで雨のため今日のクライミングは出来るかどうか懸念されたが雨は夕方にはやみ、翌日は晴れの予報であり予定どうり実施いたしました。
この寒い時期ですから雨なら無理ですが晴れならアルパインですから多少岩が濡れていても実施する予定でした。登攀条件は制限されますが雨でも登れる方法を理解すれば登れると考えるからです。
メンバーは6人。このルートの経験者は私を含め2人。あとの4人は初めてですが日ごろからよく練習を共にいており実力は折り紙付きですから心配いりません。小豆島行きのフェリーの始発は6時20分。2時30分に起床し、4時40分、福山の仲間と合流して新岡山港に予定より早く到着しました。船内でこのコースを最初にガイドいただいたガイドの先生に会いました。島の東部で仲間5人とクライミングルートを開拓中とのこと。また佐川さんというクライマーが正面壁を取材に来られるので会ったら道案内してくださいと言われました。船中でコースの概要を説明しました。3パーティは各人が自分の実力に合ったコースを選んで上ること。支点のボルトは古くてさびているので転落してテンションをかけると折れる可能性もあり信用しないこと。確実な支点はギアでとることをお願いしました。先月ここで転落事故がありヘリコプターで収容されたことも付け加えました。予定どうり橘の旭幼稚園下のグランドに駐車させていただきました。神社でお賽銭をさしあげ、無事な帰還をお祈りしました。この神社の板の間でも寝られるとのこと。神社上の道路にも数台なら車は駐車できます。30分余りで登攀地点に到着。我々がトップ。1P目は湿っていて不安がありました。2Pからは岩も乾いていて快適に登れました。我々は「つるべ方式」で登りました。後続パーティは熟練者なので渋滞させては気の毒なのでやさしいコースを登りました。休憩タイムを含め4時間余りの13時には登頂完了。程なく著名なクライマーの今井さんたちが到着されました。挨拶をかわし記念撮影をさせていただきました。午後より寒波到来との予報どうり寒風が吹き荒れました。急激に気温も下がり体感気温はマイナスの感じです。持っている衣類は全て来てもまだ寒い。登っている仲間たちは大変だろう。低体温症にならなければよいのですが。セカンド組も後続をサポートしながら登られたのか結局すべてが完登したのは15時でした。寒くて、強風にあおられながらのクライミングでしたがともかく無事の登れて一安心。仲間達からは厳しいコースとの感想も聞かれましたが事故もなく無事に登れたのだから大満足です。良かった。よかった。
持参装備は厳選し最小限の装備でしたが強風、低温を考えれば小さな一人用のツェルトがあれば待機時間も楽に過ごせたでしょう。緊急事態の発生を考えれば持参すべきですね。我々はつるべ方式で交互にリードしたが「トップはよくこんなところを登った」と感心しました。相手からも「こんな難しいところをよく登ったね」と褒められました。思うにこれはリードするものとセカンドとの気力の違いからくるのではないのでしょうか。リードするときは細心の注意力でよく観察して、必ず乗り越えるとの高いテンションで挑みます。セカンドはそのような意識を持たないので難しく感じるのでしょう。だからセカンドに甘んじている人はこの意識が薄いのでいつまでも現状どまりで進歩がないのでしょう。易しいコースからでもリードして慣れるべきでしょう。リードの達成感を知ればリードが楽しくなります。充実した1日でした。いろいろなところを登りましたからルート図もこれでより充実したものになるでしょう。
後記 我々は岩壁を登ることに気をとられ無我夢中でAOや核心部はアブミを使用して登った人もありました。困難だからと言って中止したり、下降は出来ないので登らねばなりませんが・・・あとで考えるに本来は楽しんで登るべきで岩と対峙して岩壁の弱点であるクラックや手がかり、足の置き場を探し出しそれに有効なムーブを考えて困難を克服して登攀できればどんなにか楽しかっただろうと思いました。そのためには練習を重ねて上手になければならないことをきずかされました。
(写真は登山口の旭幼稚園前から正面壁を望む)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マニュアル

2014-12-18 23:20:48 | 日常
平成26年12月17日
今日は予報どうりかってない大荒れの天気となり各地で被害が続出しました。冬型の気圧配置、寒波の南下に加え北海道東方では低気圧が1日に58ヘクトパスカルも低下するといういまだかって例がないほど異常発達し、猛烈な暴風雪に見舞われました。初めて知ったのですが気圧が1ヘクトパスカル下がると潮位が1センチ上がるとのことで台風並みの低気圧と強風のため根室では潮位が1メートルも上昇して浸水被害もおこりました。
広島では12月としては9年ぶり積雪8センチを記録しました。そのため鉄道や高速道路は通行止めとなり交通機関は大混乱しました。この様な日の今朝の仕事は機械の搬入作業です。予定時刻とうり9時に大阪発の機械を積んだトラックも到着。しかしもう1台東京発の機械を積んだトラックが来ません。原因は小谷パ―キングで仮眠したため、いざ行こうとしても大雪のため高速道路も通行止めとなり2号線も大渋滞で走れません。作業が大幅に遅れお客様に大変なご迷惑をおかけすることになりました。会社からは大目玉の厳しい叱責を受けることでしょう。
運送業者は途中で渋滞、交通事故等なにがおきるか分かりませんので現地について休憩、仮眠するのが決まりです。恐らく会社のマニュアルもそのようになっていたことでしょう。
大阪組は規則を守り、東京組は予定どうりしなかったのでこの様な遅延事故となった。マニュアルとうりにしなかったためこのように明暗を分けることになりました。
因みにこの日の夕方福山を出た従業員、アイスバンの雪道、高速道路閉鎖の大渋滞で広島に帰ってきたのは翌朝6時30分でした。こんな渋滞聞いたことがありません。
マニュアルとは手引書と言えます。行動や方法論を記したもので各個人の行動を明文化して全体に一貫性のある行動をとらせるものです。目的を達成するための最も効率的合理的な方法が取り決められています。
山でも安全のための守るべきことはあります。その基本的な事項はマニュアルとして取り決められております。
手引書と置き換えればよく理解できます。お茶の作法など個々の典型ではないでしょうか。無駄な動作はすべて削り取られ究極の作法のみ残されています。無駄がなく洗練された動作は美しい。
マニュアルと聞くと何か融通の利かない杓子定規なことと受け止められがちです。「仏作って魂入れず」になりがちですが相手を思いやる愛の心をもって接すれば生き生きとしたものになるでしょう。
わたくしが赤帽をはじめて一番うれしかった言葉は「所作が美しい」と褒め言葉を頂いたことです。
スムーズで無駄にない動作は合理的で見ていても美しい。またそのことがが安全な行動にもつながっていると感じました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古希に思う。

2014-12-15 23:00:29 | 日常
平成26年12月15日
今年私も古稀を迎えました。
古稀は杜甫の「曲江の詩」に出てくる「人生70古来稀なり」に由来し70歳の長壽の祝いとされています。
この詩は杜甫47歳の時の詩であり、59歳で病死しています。当時は70歳まで生きる人は長壽で稀だったのでしょう。中国史上古稀を迎えた天子は数人しかおりません。
しかし現在では日本男性の平均寿命も80歳を超えました。杜甫の時代、8世紀の当時の平均寿命は40歳くらいでしょうから今なら百歳くらいの感覚ではないでしょうか。70歳ならまだまだ若造です。老け込む年ではありません。
最近高齢社会を反映してか老人保健施設への入居に伴い家財や荷物の運搬の仕事もよくあります。先日は11階建てのホテルのようなきれいで設備の整ったホームに家具等を運搬したことがありました。その方は92歳の老女でしたがまだ卓球をしたいと体を動かされ、気持ちもしっかりとした方でしたが運ばれた家財を見て「もう帰ってくるなということですね」と一言寂しそうに言われました。ボケたり認知症で介護が必要な状態なら仕方ないかもしれませんが健康で一人で生活できる状態なのにいくら設備が充実していても家族と離れた一人の生活は寂しいのではないでしょうか。家庭内の人間関係でも問題があったのでしょうか。昔の三世代同居の時代は良かったですね。年寄りもそれなりに尊敬され、存在感はありましたから。私の母は95歳ですが友人も次々と亡くなり一人残されてさみしいといっていました。私も働きに出て誰もおらず日中は母一人なので昨年より姉のところで一緒に暮らしています。そして時々病院や私の食事を作ることを楽しみに広島に帰ってきます。血のつながった母と娘の間柄ですから気兼ねなく生活しています。人間究極は女系家族が円満なのでしょう。ボケない間は一緒に暮らせるがボケて介護が必要になったら姉一人ではとても世話はできないだろうから施設に入れないといけないかも・・・・・・・といっています。ボケないためには会話が必要だともいっています。友人や客人があるときには母もその中に入れてコミニケーションをとるようにしている。一人で家にいて誰とも話をせず、テレビの子守ばかりしていると脳が休んで働かなくなりボケるとのこと。よく動物を飼うことにより癒されるといわれます。最近は介護ロボットなるものが登場してきました。人間のような頭脳を持ち会話もできるそうです。そうなれば言葉を発しない動物よりは有効なように思います。人間の気持ちが理解でき、コミュニケーションが取れればボケ防止になるでしょう。年を取ることによりボケることの恐怖、私は仕事をしていて体も動かし、脳も働かしているようにみえるけれど時々名前が浮かんでこないボケの始まりかなと感じ「脳トレ」に精を出し始めました。しばらく忙しさに紛れてこのブログをお休みしていましたが脳の活性化、老化防止のためには頻繁に書かねばと思っています。頑張って書きます。よろしくお願いいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする