まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

秘湯 西の大関 「新湯温泉」

2013-12-21 22:36:13 | 日常
平成25年12月17日
昨日夕方鹿児島に行く仕事があり、私しか暇で空いた人間がおりませんでしたので出かけました。目的地まで620キロ、約9時間、朝10時着の予定でしたで余裕をもって楽な気分で行くことができました。予てから鹿児島に行ったら是非とも行きたい温泉がありました。娘が「今まで言った温泉の中で一番よかった」という温泉が新湯温泉の「民営国民宿舎 霧島新燃荘」です。「室内の温泉は白濁しているのに、露天風呂の色は鮮やかなブルーで素晴らしい。ただし建物はあまりよくないけどね」と言っていました。温泉のある霧島は鹿児島市内から約60キロ、アチコチに温泉地があり、白い噴煙が立ち上っています。目的地の新湯温泉はさらに霧島温泉街から6キロもつづら折れの山道を登ってゆかねばなりません。宮崎県のえびの高原との中間点になります。峠を少し降りた地点標高920m。アカマツ林の先に古ぼけた木造の建物がありました。川に架かる小さな橋を渡ると左に風呂、右に宿泊施設がありました。正面には長屋の湯治客の宿舎のような建物が立っていますが今は使われていないようです。料金500円を支払いいざ風呂へ。壁に貼られた紙には15分から20分入浴して、30分以内には退出するよう指示がなされています。浴槽は2m×4mと小さ目です。正面の岩壁から熱いお湯が流れ込んできます。硫黄泉ですから流れるところが黄色に変色しています。湯元に近ければ熱く、離れれば温るくなります。雨が降っていたので露天風呂の色は鮮やかというわけにはいきません。入口の掲示板にいろいろと温泉の効用、新聞記事等の案内が貼ってありました。その中に「日本の秘湯番付」なるものが貼ってありこの温泉が「西の大関」と記してありました。秘湯の定義とはフリー百科辞典によれば、「主に山奥などの交通の便利の悪い場所に存在する温泉のことを指す。読んで字のごとく。秘=他人に知らせたくないような温泉のこと。」と記してある。今まで行った温泉の中で秘湯中の秘湯は黒部源流の高天原温泉です。そこは北アルプスの奥地にあり、標高2100mで、13時間も歩かねばなりませんでしたがこの新湯温泉は街から離れているとはいえ車で行くことができます。山の中の一軒家で野趣あふれる温泉ですが、ナンバー2の大関というにはちょっと物足りないように感じました。因みに西の横綱は屋久島の平内温泉。満潮になると海没するあの温泉でした。今年5月、屋久島に行ったとき行けばよかった。残念でした。私は車に入浴用具一式を乗せ、仕事で遠出したとき温泉があれば立ち寄り、疲れを癒しております。私に合った温泉に出合うとほんとに嬉しくなります。疲れも吹っ飛びます。正に「忙中閑あり」の心境です。またよい温泉があればご紹介いたします。お楽しみにしてください。
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道後温泉 「椿の湯」

2013-12-21 20:20:25 | 日常
平成25年12月15日
昨夜真夜中に急に松山に行く仕事が入り、ついでに朝風呂を楽しんできました。道後に来た時にはいつも本館の温泉に入るのですが今回は近くに「椿の湯」なるものがあるのを知り入浴しました。
場所は本館前の商店街を入り200m位の近いところにあります。外観は白壁の土蔵のような作りです。昭和28年に作られました。料金は本館より安く360円。営業時間は6:30分から23:00です。道後温泉本館の姉妹湯のような関係にあり、本館が観光客が主なら、こちらは地元の方のお風呂です。浴場の広さは横14m、幅10m位、高さは8m位と天井も高くゆったりとしています。湯船は横9m、幅3,5mくらいで花崗岩の石造りです。中央には高さ2m直径1mの石造りの湯釜が設けられ2か所よりお湯がこんこんと流れ出ています。そこには子規の句が彫られていました。「10年の汗を、道後の温泉と流し」。道後温泉、多くの温泉があるといえども「源泉かけ流し」の温泉はここ「椿の湯」と、本館だけだそうです。湯質はアルカリ性単純泉ですがお湯がねっとりと濃くて重い感じがします。温泉成分たっぷりです。このところ肌が乾燥していましたが今日のお湯ですっかりいい感じになりました。さすが道後温泉「あっぱれ」です。道後温泉は有馬温泉、白浜温泉とともに日本三古湯の一つに数えられています。聖徳太子も訪れて風光明媚な風土と温泉をたたえた石碑をたてられました。万葉集の中にも斉明天皇が朝鮮出兵の時にここを訪れ、額田王が詠んだ歌があります。「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎいでな」力強く、躍動感のある歌で私の好きな万葉歌の一つです。他にも名城の誉れ高い松山城、香具山と並び称される天山神社、お遍路さんの石山寺、最近では「坂の上の雲ミュージアム」と、松山は見所一杯の街ですね。今度来た時はどこに行こうか。来るのか楽しみな街です。
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 「雪崩遭難対策研修会」に参加して

2013-12-08 09:02:15 | 日常
平成25年12月7日
この研修会は山口県山岳連盟主催です。講師の方は東京都岳連の廣川健太郎氏、日本を代表するアルパインクライマーです。もう一人は認定NPO法人ACT(雪崩捜索犬組織)の元村幸時氏、いづれもこの分野な第一人者です。
先日の広島県岳連の会合の時、開催の案内があり雪崩防止には興味があり参加しました。
場所は山口市秋穂町の山口県セミナーパークです。広島から140キロあり旅費がかかるなと思っていたところ幸運にも夜中に福岡行の仕事が入り、帰路に立ち寄ることことが可能で旅費が節約できました。こんなラッキーなこともあるのですね。きっと神様が助けてくださったのでしょうね。
参加者は80人ばかり、山口県内だけでなく岡山、島根からも参加されました。そのうち広島からは10人ほど、この前一緒にチンネに登った0氏も来ておられ再会を喜びあいました。お連れのメンバーはJACのお仲間だそうです。せっかくの有益な勉強会なのにもったいないですね。多くの会にも参加してほしかったです。同日のサンフレッチェの優勝決定戦が影響したのかな。
講義の内容は白馬大雪渓で雪崩のため亡くなった宇部山岳会の会員2名の事故報告会のような研修会でした。事故の概要は白馬岳主稜を登攀する計画でしたが悪天候のため予定変更し大雪渓を登っているとき大規模な雪崩に巻き込まれ死亡したという内容です。雪崩にあったのが4月27日10時35分。警察の捜索は29日で打切り、各地で遭難事故がありやむを得なかったのでしょうか。以降山口県岳連が主体となり、延べ196名が捜索に当たり5月6日に1名、5月19日に最後の一人を収容した。この事故の時、東京のスキーグループ6名のうち4人が巻き込まれ1名がなくなられております。
その捜索状況の説明の中で知ったことは
1)雪崩捜索犬のこと
  犬は雪の隙間から漏れる臭気を察知して探す。ゆえに漏れてくる場所が真上というわけにはいかないのでその周辺になる。遺留品の発見に効果があった。
何匹も同時に投入するのでなく一匹づつやるほうがよい。犬を扱うパンドラもボランティアで日常は仕事を持っており人員確保が急務。ここは白馬蓮華鳥獣保護区のため捜索犬の投入には環境省の許可が必要とのこと。
2)ヘリコプターのこと。
通常警察のヘリコプターは救助のためであり死体は運ばないと聞いていた。そのため民間のヘリコプターや人力で下ろすものと考えていたが今回は23日たっていても「心肺停止状態」ということで運んでもらった。警察とのコミニケーションが大切ということですね。
3)へりコプターを呼ぶために準備すること(4点)
 1、正確な場所を知らせる(座標軸がベスト)、2、現地の気象、天候、風力、風向
 3、ヘリの誘導  4、ダウンウォシュ(猛烈な風)が発生するので30m以上人を避難させる。
4)ビーコン
  現在は2週間程度しか電池が持たない。
  安価で反射するだけの素材が開発され衣服に組み込まれているものもある。
  テットシステムでは5キロでも反応する。
  安価で使いやすい新機種も開発されているので注目する必要あり
5)スカッシュ&コール
  従来私たちも習ったが実際に、埋没者が大声を出すと周囲の酸素を消費し、肺の空気を吐き出すと吸い込めなくなり、肺のふくらみが戻らず呼吸停止になり死を早めることになる。
実際は「捜索をしている、救出すらから待て、1800まで数を数えて寝るよう」言っている(元村氏の談話)
6)捜索方法
掘削除雪・・・固いデブリでは市販のゾンデ棒では役に立たない。大山の警察で借用したステンレス製が役立った。
トレンチ施工・・・広い谷間を埋め尽くす雪崩現場の捜索。融雪を促進させるため
 チェンソーで塹壕を掘るごとく幾筋にも雪壁を堀り風にあたる融雪面積を広くする工法。
雪崩研究の専門家、元村さんにしても「雪崩のことはむつかしい。最後はわからない。
雪の降った直後には登らない、謙虚になる、人間の6感は馬鹿にならない。雪崩を知りその限界に挑戦するためではないので雪崩研究の講習会は開かない。自分の経験ではなく有名な人が書物の中で説明しているのだからそれが正しい方法として他人に話、広めているひとがおられるが間違いであると思う、自分の体験を語れ」と話さられた。

参加者の知りたい肝心なことが抜けている。なぜ遭難したのか
死者を鞭打つつもりは毛頭ありませんが真実は知らねばならない。人は誰でもミスをするから事故を起こす。誰でもやることです。事故は人間がおこし、その原因は人間の側にある。自然はその訓練の場所を提供するだけ。
詳しいことはわからずいうので間違いのあることはご勘弁願いたい。
あ)なぜ登ったのか。天候は考えたのか、この時期連休で大勢の人が登っているはずなのに
  広範な雪崩に巻き込まれ遭難したのは2パーティのみ。他の人はなぜ登らなかったの   か。情報は適時入手していたのか

い)主稜を登る能力があったのか
 このコース、トップは最後は垂直な雪壁を登るので大変ですが大勢が登り、ルートができれば簡単に登れますが・・・・
 ・テント設営場所 今回の雪崩のデブリの下方に幕営していた。もう少し大きければ、巻  き込まれることもありもっと安全な場所にすべきである。 
 ・雪山に入るにはビーコンは必携である
今回の教訓
私の登山に対する考えは正しいことを再確認しました・
「安全第一」さらに「安全はすべてに優先する」、安全は「いのち」と置き換えるべきです。
「命はすべてに優先する」、家を出てから、無事に帰宅してこそ楽しい登山といえる。
いのちの危険を犯してでも上る必要があろうか。天候が悪ければ山が歓迎してくれる条件の良い時に来ればよい。待っている人がいるから無事に帰らなければならない。遺族の悲しみを思うと絶対に事故を起こしてはならない。安全に山に登るための技術を学ぶのが講習会です。

会の審査の在り方。
先鋭的な山岳会においては各人の実力がはっきりと把握されどのランクの山には行ける、いけないということがあきらかに評価、査定されている。しかし、ほとんどの会、わが会でも同様ですが、審査は形骸化されているのでは。万一事故を起こせばこれだけいかに大変で多くの人に迷惑をかけ、遺族の悲しみは計り知れないものがあり絶対の事故は起こしてはならないと思います。大半の山岳会は大きな事故経験がないので審査の必要性を認識していない。本人の危険なことはしないだろうという善意と自覚に任せ届出すればよいように考えている方も多い。
今回の事故を教訓に、我が会でも厳密な審査をして事故を未然の防げことが大切と感じました。。
審査内容も本人、メンバーの技量の確認、持参装備、コース等計画全般にわたります。
ビーコン持参を指摘していればこのような長期間の捜索にはならなかった。
所属する会が認めた計画なら会の責任で事故後も対処する。しかし、勝手に行って起こした事故まで山岳会は責任は持てないとするべきでは・・・
今回もビーコンがあれば早期に発見できたことでしょう。その必要性も十分認識されたことでしょう。事故後では文字どうり後の祭りです。この教訓は各会においても生かしてゆくべきです。今回の遭難事故に際しては65名もの県外の山仲間方がボランティアで参加されたそうです。早く家族のもとに返してあげたいとの山仲間の友情に感謝するとともに安全登山に務めてゆきたい。
先の剣岳小窓尾根で遭難された人の中に川崎在住の娘の友人のお兄さんがおられました。今回の講師の廣川さんの友人であったと聞きました。山仲間のつながりを感じました。
心からの哀悼の意を表します。あなた方の死を決して無駄に致しません。

追記
どうして行ったのか
20年前、平成5年12月、わが会員3名及び岳友1名の計4人が大山天狗沢で亡くなりました。
登攀直前に写した写真イザ登ろうと意気盛んなはずなのに、悪魔に魅入られたような暗い表情はどうしてなのか。今は穏やかな天候も寒冷前線が南下し天候が崩れるのは予知できたのになぜ登ったのか。理解できない。なぜだ。なぜいかなければならなかったのか、
何が彼らの判断を狂わせたのか。いまだに謎である。

登山を始めて3年目の昭和41年正月、同期の会員と二人で十方山に雪中訓練登山に行った時、豪雪のため2日下山が遅れ会社の捜索隊が探しに来た事故がありました。屠所の羊のごとき打ちひしがれた心境で会社に帰りました。総務部長が言われた。「お前たちは誰にも体験したことのない死の恐怖という貴重な体験をした。このことは決して忘れるな。しっかりと精進し、今後に生かしなさい。」今私があるのはその一言のおかげです。色々な遭難騒ぎ、失態で会や岳連に迷惑をかけた人もいたが、彼らには私に言われたことを言っています。「貴重な体験をいかして精進し立派な指導者になることがあなたの責務である」と
でも死んでしまっては失地挽回もお灸をすえることが出来ません。絶対死んではいけないよ。
(写真の左が廣川健太郎氏、右が元村幸時氏です)
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「オール5」の本物の温泉です。温泉津温泉

2013-12-06 15:00:21 | 日常
平成25年12型3日
今日、太田市に行く仕事があり、帰路念願の「ゆのつ温泉」に行ってきました。
大昔に行ったことがありますが熱いお湯の温泉との印象がありました。
石見銀山が世界遺産に登録され、それに付属して銀の積み出し港として温泉津の町も良く取り上げられテレビでも放映され、機会があれば行ってみようと思っていました。温泉津は文字どうり温泉と津(港)の街です。奈良時代の初期、神亀3年(724年)に編纂された倭名抄にも登場しているからそのころから温泉があったのでしょう。特筆すべきはこの町に中四国唯一の日本温泉協会認定の「オール5」温泉があることです。日本には約2万か所の温泉がありますが「オール5」に認定されている温泉はわずか10数ヶ所のみ、その基準は源泉垂れ流しで加熱、加水なし、循環なしの温泉で「天然温泉」と呼ばれています。それが「薬師湯」です。大正8年築ですから既に94年を経ていますがレトロな洒落た洋風な3階建ての建物です。屋根には時計台のようにトンガつた塔もあります。3階のテラスからは谷間にくねくねと続く街並みが眺められます。肝心の浴槽は約3メートル×2メートルの小判形の小さなものです。泉質はナトリームー塩化物泉、PH6,5です。源泉の泉温は46度、浴槽口の温度は43度でちょっと熱いくらいです。有名な温泉ですから全国各地から入湯者があります。料金は350円。「オール5」に感激しありがたく入浴させていただきました。この向かい側にもう一軒の浴場があり、梯子して入浴しました。元湯温泉「泉薬湯」です。この温泉の発見には伝説があります。老狸が入浴して傷を癒していたのを旅の僧が発見し、それから利用され始めたと伝えられています。浴室に入ると湯槽は3つあります。左が座る湯,真中がぬるいお湯で43度、右が熱い湯でなんと46度もあります。私は熱い湯こそ本物の温泉と思っています。
草津温泉の48度のお湯に入る3分間入浴法こそ正しい温泉の入り方と信じているからです。入浴後に吹き出る体の不純物が汗となってふき出ます。そのさっぱり感がよい。体の細胞が熱さに驚いて目覚める感じです。温熱療法というのもあるくらいですから高熱により殺菌されるのでは。頭からお湯をかぶり、まずぬるいお湯に入る。体を温めた後、熱いお湯に入る「あっー」10秒も入っておれない。2回目、20秒我慢する。3回目30秒入る。草津温泉の時はお湯の温度は48度くらいでしたが気泡が体にまとわりつき和らげてくれるので3分間耐えられましたがここは体にもろですから大変熱く感じました。上半身は何とかなるが足が痛いほどでもうこれ以上我慢できない。体が真っ赤にほてる。気持ちいい―」温泉はこうでなくてはならない。私にとって温泉らしい雰囲気、ムードは「薬師湯」ですが、お湯加減は「オール5」の泉質よりも、熱い「泉薬湯」のほうが性に合っています。本当に良い温泉でした。今度来るときは一泊して温泉、料理、神楽を楽しみたいですね。
(上の写真はテレビの旅番組から引用した薬師湯の一コマです)
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以心伝心の「河岸ベンチ」

2013-12-03 20:46:06 | 日常
平成25年12月3日
今朝の中国新聞に「河岸ベンチ新たに10台設置」という記事が載っていました。先月11月27日開催された広島県山岳連盟の全員協議会において私は同様なことを発言していたから[わが意を得たり]という気分でした。この時期に同じようなことが起きるとは何か不思議な糸にむすばれているような気がし嬉しくなりました。会議では赤字解消の方法についた会員の意見を聞きたいということでした。加盟団体の会費収入は約100万円、事務局経費が約250万円。この差額が赤字となり年々手持ち資金が減少しています。加盟団体の会費も上げられず、事務局費も削減できず、行事の参加費も値上げできない。これでは経費の捻出の方法がありません。登山者のためにもなり、環境問題に理解あるとしてイメージアップを模索する企業にもメリットがあり、岳連にもお金が入るので登山道の整備やベンチを設ける事業をしてはどうですか、実際に遠見尾根ではアサヒビールが実施していますからという趣旨の発言をしたのですがまったく反応はありませんでした。今日のベンチ代金は1台40万円で企業や個人から寄付金が寄せられたそうです。さらに12台設置する予定とのこと。
会員も役員も高齢化は進んでいます。あと10年したらいったいどうなるのでしょうか。改革は今との気がしてなりません。
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アイゼン祭

2013-12-02 22:42:59 | 日常
平成25年12月1日
今年もまた恒例のアイゼン祭が蔵王山の岩場で開催されました。
アイゼン祭は会の繁栄と会員の安全登山を祈願して催されるものです。
ベテランの会員が神主になり、祝詞をあげお祓いをしました。
今日は午前中にキッズのクライミング教室が開催されました。生徒15人余りと付添いの父兄、山岳会員など50名余りが参加しにぎやかでした。
年齢構成も60代の中高年の山岳会員、20から0代の若夫婦、10代の生徒の子供達、親から子、孫へと引き継がれ後継者が育てられるような理想的で正に三世代同居のような年齢構成です。
事実このキッズ講習会のおかげか若年層の会員が増加しています。子供を通じて仲間の輪が広がり、友を誘って会の活動にも参加してくれます。若者の加入が増加している山岳会は稀有なことではないでしょうか。現在どこの山岳会でも若者の加入がなく会員の高齢化ばかりが目立ち、活動も停滞して10年後には消滅しているだろうと思われ、将来の展望が開けない山岳会は多い。会の将来を担う後継者の育成は急務です。来年の山行には若者たちに素晴らしい北アルプスの風景を見せてあげたいと思います。素晴らしい絶景と感動を味わえばきっと山が好きになってくれるでしょう。そして彼らがまた子や孫達を連れて行ってくれることでしょう。今日がそのトレーニングの第一歩。いざ高みを目指そう、わが友よ
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忘年会

2013-12-01 22:34:48 | 日常
平成25年11月29日
今日は会社の近所の居酒屋でわが社の忘年会をやりました。
例年12月になると忙しくなるので毎年この時期に行っています。
男ばかり9人で色気はありません、昨年は協力スタッフを含め7名でしたが今年は2名増員となりました。仲間が増えるのはいいことですね。仕事量はあまり増えていないのですが夜間の対応のため必要に迫られて増やしました。何とかお客様のご希望にこたえるべくみんなよく頑張ってくれました。お客様に喜ばれ、従業員も給料が増えて喜び、会社も儲かり三方すべて良しと行きたいものですね。わが社のモットーである「仕事はどんな小さな仕事でも断らない。お客様の役に立つ仕事をして喜んでいただく」この精神も大分浸透してきました。
今年一年安全運転を心掛け無事故で年の瀬を迎えられたことを感謝します。つくづくうちの社員はものが違うと思います。仕事もよくするし、制服きちんと着用、安全第一も守り車止めもちゃんとやっていますから申し分ありません。お得意様から社員のエバーフレンドに対する評判もよいとのお褒めの言葉も頂戴しました。ありがたいことです。それにしても最近の居酒屋女性グループが多いですね。元気なのですね。男グループは我々だけで6割は女子会ですから・・・負けてなるかと気炎を上げ、楽しい一時を過ごしました
明日もまた福山で山仲間の忘年会があります。頑張らなくっちゃね
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