平成29年10月6日から9日
涸沢の紅葉といえば私にとっては11年前、平成18年10月9日の涸沢での強烈な思い出があります。厳しい自然とそれを克服した後の絶景は表裏一体であると痛感しました、出発直前の穂高岳山頂の気温からして積雪を予想し冬山装備の持参を指示しました。予想した通り雨が雪に変わり、冬装備の我々だけ降雪のなか北穂高岳に登りました。翌日は快晴で真っ青な碧空、白銀に輝く穂高の峰々、山裾は赤や黄色の紅葉、この三段締めの光景は今でもはっきりと脳裏に残っている。みんな声を上げて喜び至福の時を過ごしました。この時白馬岳ではガイドツアの一行が遭難、4名が亡くなりました。祖母谷温泉から清水岳を経て白馬岳の近くの平原で猛吹雪に襲われたのです。「妹を残してはいけない」と姉も殉じたとの悲しい姉妹の話もあり本当に胸を痛め、絶対に事故は起こしてはならないと胸に深く刻んでおります。この事故は後に裁判となり「天候悪化は予測できた。装備にも不備があった。」として引率したガイドに有罪判決が出されました。
かって見た絶景の涸沢の紅葉を仲間に見せたくて今回8名(男6名、女2名)が参加し例会山行を計画しました。山小屋は超満員なのでテント3張を持参しました。
今回もあの時同様稜線では気温が氷点下であり雪も予想され冬山装備を持参するよう指示したので荷物が多くなりました。
予報では前半の6日7日は雨で寒く、後半の8,9日は晴れで温かいとの予報でした。
しかし前線の通過が予報より早く、7日は晴れの好天でした。
6日、20時福山発、午前4時30分平湯からジャンボタクシーに乗り換え、釜トンネルの開通時間の午前5時を待つ。
5時半先発隊の男性2名がバスセンターを出発、涸沢のテントを張る場所を確保するためです。
他の6名はゆっくりと出発。まだ早い時間帯なのにバスターミナルは大勢の登山者で混雑しています。
今年から7月11日の海の日から来週までは、土曜日、日曜日、祝日、お盆の1週間は観光バスの上高地に乗り入れ規制がありシャトルバスに乗り換えねばなりません。
涸沢まで登山者の列が途切れることなく、いったい何万人の方が登られるのでしょうか。山小屋は1枚の布団に寝られるのでしょうか。
涸沢のテント村も例年なら千張くらいのテントが張られますが今年はいかがでしょうか。
道中の横尾を過ぎて岩小屋のあたりで雨も上がり楽に歩けましたが夕方にはまた激しい雨に見舞われましたがテントも張って在り事なきを得ました。
今夜はお肉と野菜たっぷりの鍋物。おいしくいただきました。たくさんの野菜、重かったでしょう、ありがとう。
8日、今日は自由行動。女性2名は北穂高岳に登ります。あと2名は涸沢散策、写真撮影隊、
我々4名は前穂高岳の北尾根に挑戦しました。
私は9年前に一度登っていますが他の3名は今回は初挑戦です。3年前に一度計画しましたが仲間の遭難事故のため中止になったこともあり雪辱に燃え、皆、意欲満々です。この日のため蔵王岩場や天応で練習を重ねてきましたから、いよいよその成果を試すときです。
3時起床、食事係の女性がわざわざ起きて食事を作ってくれました。ありがたいことです。4時過ぎ出発。
5.6のコルに向かうライトの列が見えます。沢筋には雪渓もなくガラ場を登ります。急な坂できついのぼりです。6時前にようやく到着、すでに2組が待機中、3組が5峰にとりついた居るのが眺められます。ここはフリーで登れますがハーネス等を着用して登ります。取り付いてすぐに落石がありました。ちょっとの加重でも浮いているので落石となり緊張感が高まります。主稜線に沿って登ればまもなく5峰登頂。まずは一安心。
次の4峰もザイルを使用せずフリーで登ります。ここはルート探しが難しく浮石だらけなので通常は3峰が核心部と言われていますがここの方が危険で核心部である言われるくらいです。
案の定「落石、落石」の声がして「ビューン、ビューン」と頭ほどの石が飛び跳ねて行く。ルートが違ったためか、初心者なためかひっきりなしに「落、落」の声が響く。
充分な間隔をとらないと巻き込まれる可能性があります。また人数が多くて長い列になれば仲間内でも落石に巻き込まれることも多いのでは・・・少人数、間隔をあけて登ることが肝要です。
前回の写真やアルパインのCDガイドを何回も見たりルートを頭に叩き込んでいたので迷うことなく正しい道を順調に登頂することができました。後から登ってくる人もなく我々が最後なパーティのようですから気楽に上れます。
いよいよ核心部の3峰です。なんと取り付き点に2組、下の3・4のコルに2組、7人が待機中。当分かかりそうです。下り斜面からそれぞれのパーティのルートファンティングを眺める。我々は4人でザイルが60mと40mに2本。1ピッチ目は約30mなのでスムーズに行けると思うが万一足らない場合のザイルワークを再度確認す。待つこと2時間超、とうやく順番がまわってきた。前のパーティは4人。なかなか進まない。苦労されているのでしょう。ビレーされている方の残置のザイルは束になったまま、しごいていないのでザイルがキンクした状態で出されている。買ったばかりの新品のザイルとのことで我々がザイルをしごいてキンク状態の解消に努める。装備はみな新品、買ったばかりで練習もほとんどしていないとのこと。ハーネスに環付カラビナにエイト結び、指導者が先頭で登り、残った3人はみな新人、指示もよく届かないので手伝ってあげて送り出す。登山靴なので時間もかかる。身一つで装備は何もなし。雨具等はリーダーが持って登られたのでしょうか。ガイドではないといっておられたがこんな初心者がよく登るものだと本当に驚きでした。仲間も我々はこんなに練習を重ねいろいろな岩場を登りその集大成のつもりで北尾根に挑戦しているのに、・・・靴も安全で早く登るためにクライミングシューズ着用なのに・・・言葉がありません。
でも別な見方をすれば大切なのはリーダーでついてくる人の実力がなくてもリーダーが引っ張り上げればよいのだから登れます。リーダーがミスしたり知識がないと対応できず事故になる。このように考えると遭難の原因はリーダーにある。個人のミスはそれを起こした本人が償うことになるがリーダーのミスは全員の死を招くことになり、遭難事故を防ぐ方はまずリーダーの養成することに尽きる。貴重な体験でした。
時間がかかっている間にもう1パーティが登って来られました、3人でしたがガイドのような人で連れている人は初心者だと言っておられました。ルートは先の登攀者のルートを実際に観察したり、事前のガイドCDから熟知していたので一番易く安全なルートを登ったので自信をもって上りました。
参加者には練習の時の方が厳しいルートだったので案外に拍子抜けしたかもしれませんが長年の夢を達成したのでみな満足のようでした。3峰の最後の壁ところでザイルを出しましたが後続者は涸沢側を巻いてザイルなしで行かれました。別ルートがあるようです。最後の1峰の登り(前穂高岳)は最年少者に花を持たせてリードしてもらいました。
このような事情で遅くなり暗くなったので穂高山荘に宿泊しました。事前に同行者に遅くなれば穂高山荘に泊まると伝えていましたが穂高山荘から涸沢の山小屋に連絡していただき今夜は下山しない旨放送されたはずですが仲間たちにはよくわからなかったようです。
穂高山荘はキャンセルが多いので予約は不要、宿泊者にはすべて食事は提供すると言っておられました。ここでは布団一枚に2人で楽に寝れました。
9日は4時過ぎに小屋を発ち、8時に朝食を済ませ、テントを撤収し下山しました。
今回の山行では年齢による体力低下を実感しました。私は共同装備はクライミングの共同のギア、コッフェル等を担当し約22キロ余りになりました。やっとこさで登りましたが若い時のようにはいきませんね。白内障の影響か夜間となれば見えにくくて岩の悪路ではよくつまずきました。平坦な道なら何とか歩けますが夜間悪路はもう無理ですね。これを理解したのも収穫でしょう。
それから10月9日は私の誕生日、皆に祝っていただきました。素晴らしい仲間と北尾根を登攀するという感激を共にし有意義な記念すべき誕生日となりました。ありがとうございました
天候に恵まれ充実した山行でした。来年もまたやりたいですね。年相応にゆったりと、緑の芝生の徳沢あたりにテントを張り奥又白か徳本峠に登るのもよいのでは・・・
(写真は北尾根の核心部と言われる3峰の岩稜の上部 中間部に人がいるのがわかりますか)