まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

「院展」を見に行く

2018-01-30 23:40:51 | 日常

平成30年1月28日

今日も小雪交じりの寒い日が続いています。仕事で広島駅の近所に行ったついでに福屋駅前店で開催されている「院展」を見に行きました。「院展」は日本美術院が主催、運営している日本画の公募展覧会です。今回は102回目の院展です。写実的な絵画が多く私にもわかりやすい感じがします。今回は同人の作品32点と公募の入選作品等56点が福屋の駅前店と八丁堀店に分かれて展示されていました。同人で地元の尾道市立大学教授の小田野尚之氏が廃止されたローカル線を描いた「小さな駅」という作品が内閣総理大臣賞に選ばれました。その大きさも180㎝×322㎝という大作です。地元に関連する人だけに関心があります。又西田俊英氏の「瀕死の白鳥」という作品も多くの人の注目を浴びていました。私には山好きなためか同人の下田義寛氏の「早晨(そうしん)、氷結する湖」印象深い。あとがきには「2月の山中湖、急に雲の隙間より朝日が射し、淡い黄金色の富士山山頂と氷結する微妙な湖面の様子」が描かれていました。かって私も同じような場面に遭遇し感動を受けてことがあり感動を共有したような気持になり今でも印象深く感じています。作家の肩書に「同人」というのがありますがこれはいわば会社でいえば役員のような存在で日本美術院の運営の中心にいる人たちで約1300人余りいる会員の中で34名余りしかいません。その資格も院展で奨励賞15回受賞、または日本美術院賞2回受賞して「招待」という資格に推挙され、その中から人格、芸術を特に重視し、同人全員による投票で選考されるという極めて狭き門を勝ち取った実力者です。ですから入選者の作品と比べてみるとその奥深さは歴然としています。多くの優秀な作品を描き続け、賞をもらわなければ昇進しない厳しい世界であることを知りました。良い刺激になりました。

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宮島・弥山への登山道廃止に思う

2018-01-25 13:50:25 | 日常

平成30年1月24日

先日の中機山岳会OB会の時多宝塔コースの登山口にピンクのテープが張られ、通行できないようになっていたが何人もの登山者が下山してこられた。駒ヶ林に登れば引き返すのが面倒でそのまま下りてこられたのでしょう。弥山への登山道は現在認められている大元公園、大聖院、紅葉谷の3コースとロープウエイで獅子岩まで乗っていくコースがあります。いずれも階段と舗装された登山道路です。大勢の登山者があり登山道の維持のためには舗装も階段もやむを得ないと考えます。桟橋で配布されていた案内図にはこの登山道のみ記載されています。観光客が登るのですからこれも適切と考えます。かっては登山者が登る尾根筋の尾根道が3コースありました。博打尾尾根コース、四宮コース、多宝塔から駒ヶ林に登る多宝塔ルートがありましたが今はいずれも通行できなくなりました。なぜ通行禁止になったのでしょうか。通常、登山道が通行禁止になる理由と言えば、通行に支障がある危険が存在する。私有地であり所有者が禁止にする。この尾根道の登山道は長年使用されてきた登山道でそのような危険なところはない。この付近の山林は国有地である。最近新聞に遭難事故が多発との記事が掲載されましたがそれが原因でしょうか。一度その理由を聞いてみたいものです。平成28年度の統計では世界中の登山者数は700万人、そのうち高尾山が260万人で世界一、富士山の夏季の登山期間の登山者は24,8万人、弥山の登山者は27,5万人と多くの人が登り、人気のある山です。宮島の訪問者が400万人と言われますから7%の人が登山したことになります。歩いて登るのではなく、ロープウエイで登れる便利さが人気の一つでしょうか。登山道の維持には手間がかかりますがこれらの廃止された登山道は今までは一切何もなされていません。真砂土の地盤のため土砂が流され荒れております。土留がされればかなり改善されるのに・・このようなことに森林税は使われるべきではないでしょうか。遭難事故の防止には迷わないよう案内標識を設置するなり、安全施設がなく遭難の危険があり経験者以外は登らないように警告板を設けるべきで一律禁止というのは納得できません。登山の楽しみを奪わないでほしいものです。

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中機山岳会OB会に参加する

2018-01-23 15:51:28 | 日常

平成30年1月20日

今日、久しぶりに中機(中国電機製造)山岳会のOB会が宮島で開催されました。中国電機製造は昭和38年、中国電力から分離独立した変圧器や電気温水器を製造する会社で私はその第1期生です。山好きが集い山岳会を作り私の登山人生が始まったところです。今回は3年ぶりのOB会ですが急きょ開催のためか参加者は7名でした。それでも50年ぶりに再会した御年80歳の会員もおられました。50年の年月ですから初めはちょっと見分けがつきませんでしたが話しているうちになんとなく面影が浮かんできた次第です。最初は宮島の弥山(535m)に登山しました。現在では登山コースは大聖院コース、紅葉谷コース、大元コースの3コースに限定されています。いずれも石段の多いコースです。今までは頂上直通コースや駒ヶ林直通の尾根コース、博打岩からの東尾根コースがあり登山者には好評でしたが今では登山が禁止されています。これも厳島神社が世界遺産に登録されたのに伴いこの後背地の弥山原生林(天然記念物)の山域が一体として世界遺産に登録されたため入山規制が強化され立ち入りできなくなったのでしょう。我々は広島県山岳連盟に加盟していますので規則を無視するわけにもいきませんから大聖院コースから登り、紅葉谷コースを下りました。紅葉谷コースはほとんど全コースが石段であり、膝が悪い方はロープウエイで下山されました。午後からいつもの多宝塔に集合して鍋を囲み、旧交を温めました。昔を知り尽くしている仲間は気軽に打ち解けられます。若気の至りで遭難騒ぎを起こした仲間とも再開、今は山だけでなく町内会活動にも尽力しているとのこと。、当時から現在までの会社の変遷の様子、先輩、後輩等の仲間の変遷の様子、話題に事欠きません。苦労した昔の様子がよみがえってきます。元気をもらいました。苦労、困難を共にした仲間は本当に良いものです。また元気で再会することを約して散会しました。帰路はいつもの通りミヤトヨ本店で「チーズもみじ饅頭」をお土産に買って帰りました。

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冤罪のテレビドラマ「白日の鴉」に思う

2018-01-14 12:32:25 | 日常

平成30年1月11日

今日、冤罪事件をテーマにした「白日の鴉」というドラマを見ました。医療事故に起因し、その関係者を痴漢事件にからめ闇に葬り去ろうという内容でした。煙石さんの冤罪事件もあり興味深く見させていただきました。取り調べの様子、裁判の様子がきめ細かく描かれておりました。やっていないものは当然否認します。そうすると悪質である。反省の情がないと厳しく攻め立てられます。長期間警察に拘留され連日同じことを攻め立てられ自白を強制される。当然、事件として報道され世間に知れ渡り、社会的な地位も名誉も失墜します。自白すればすぐに返してやる、罰金刑の軽い処分ですむから早く罪を認めよと迫る。多くの人は連日の取り調べの厳しさに耐え兼ね、初犯だから軽い処罰で済ませてやるから罪を認めろ、自由になりたいとの誘惑に負けて、早くその場から逃れたいため偽りの自白をする。罪を認めれば、自白させれば警察の勝利である。起訴されれば99,9パーセントは有罪となる。この数字は異常である。世界で一番高い数字と言われ、2位のアメリカの4倍である。確実に有罪と言えるものしか起訴しないからだといわれているが・・・・果たしてそれだけでしょうか。煙石さんは30日に及ぶ取り調べにも無罪を主張され自己の名誉をつら抜きとうし、地裁、高裁の有罪判決にもくじけず戦い続け最高裁で希有な逆転無罪判決を勝ち取り名誉を回復された。実に4年半にもおよぶ長い戦いであった。検察側が有罪の証拠とした銀行内の監視カメラの映像もその決定的な画面はなく、最高裁の弁論では証拠として提出しなかったのだから有罪とする証拠は消滅した。これまでの裁判は何だったのか怒りさえ感じます。

ドラマでは最後に警察署長が「申し訳ありませんでした」と謝罪する場面がありました。30日間毎日自白を強要した捜査官、警察署長、誤った判決をされた裁判官は謝られたのでしょうか。煙石さんに聞いてみてたいところです。このドラマは今なら「白日の鴉(カラス)」をクリックすれば見ることができます。

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二科展を見に行く

2018-01-11 23:10:51 | 日常

平成30年1月9日

今日から14日まで広島県立美術館で二科展・広島巡回展が開かれ、市内に出かける機会があり見物してきました。二科展は日本の美術家団体のひとつである公益社団法人二科会の展覧会で絵画部、彫刻部、デザイン部、写真部からなり広島巡回展には地元の会員、会友及び一般の入選者を中心に、中央展受賞者の作品が展示されています。

我山岳会の岩室節子さんも二科会の会友で「窓」という題の写真を出展しておられます。入り口には絵画部の作品が展示されています。ほとんどの作品が50号(116㎝×91㎝)以上の大作ばかりでこんな絵画をよく書いたものだと感心すると同時にそのエネルギーを感じました。内閣総理大臣賞の「時空の女神」という作品は高さ200㎝あまりの巨大な作品でした。しかしながら展示された絵画の大部分は抽象画で素人の私には何を意図しているのかさっぱり理解ず、感動も何もありませんでした。写実的な絵画は松田朝旭氏の「アクロポリスの丘」ほか数点しかありません。日本画は一点もありません。この作風が二科会の特色なのでしょうか。それらの作品がはがきとして販売されていたが興味の湧くものではなかった。写真も何百点とありました。決定的なシャッタチャンスをとらえたもの。面白い構図の作品。自然や桜や行事をとらえた珍しい作品も多くありました。私が興味を持ったものは「激しい波濤」の写真や「竹林の風のそよぎ」をとらえた作品が記憶に残っています。私は山家ですね美しい山岳写真の方が感動がありますね。デザイン部はポスターの作品が力作ぞろいで見る人に興味を持たせ、訴えかける作品が多くありました。さすが目的意識の高さでしょうか。彫刻部は作品も10点余りと少なく興味のあるものはなかった。

いろいろな展示会がありますが見る人のき好きなもの、興味の持ち方、考え方によりその評価が分かれるのでしょう。まぁそれが個性というものでよいのでは・・・・

(写真は内閣総理大臣賞を受賞された評議員・塙珠世さんの作品「時空の女神」

 

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新年互礼会

2018-01-08 23:16:34 | 日常

平成30年1月6日

今年初めて新年互礼会に先立ち10時30分から備後護国神社において会員約40名が参列して安全祈願祭が執り行われ、今年一年の安全登山を祈願しました。神主さんが我会のための祝詞を奏上されると厳粛な気持にさせられました。いいものですね。

引き続き隣の参集殿で互礼会が行われました。今年は会長も変わり指向も変わりました。新会長からは今年で創立99年、来年の100周年記念行事のことや2020年に完成する新体育館に本格的はクライミングボードが完成されるがその内容にはわが会の要望も多く取り入れられていることなどが説明されました。今まではくじで席順を決めていましたか今年はクライミング、里山、総務等のグループ毎に座りました。乾杯は今年から醸造された会長の会社の「山野峡ワイン」で行いました。山野峡は我が会のご縁のある土地です。今回のワインだけでなく、子供キャンプをやっている土地であり我会の創立者、藤井興一右衛門さんが作られた水力発電所がある土地です。各部から報告と今年の抱負が話されました。クライミングの女子は若い人に引き継がれ、その新役員の紹介もされました。順調に世代交代が進行するのはおめでたいことです。ジャンケンゲームも盛り上がりました。景品のもらえなかった会員全員にサンタクロースとピエロが登場、景品を配ってもらいまた盛り上がりました。色々な準備、さぞ大変だったことでしょう。このような宴席では酒が入ると発言者の内容は誰も聞いておらず白けてしまいますが今回の司会者は誠に巧妙で飲むときと話を聞く時とははっきり区分され、発言者も、聞く方もよくコミュニケーションがとれ、発言者も楽しく話せました。多くの方に発言の機会もありみんな満足のようでした。これも司会者の力量と会長をはじめとする役員の方々の準備万端、企画力のお陰でしょう。88歳の会員から1歳の幼児までと幅広い年代の会員に来ていただきました。これも日ごろの活動の成果であり、今回の司会者同様、若い入会者達が自分の才能・特技を発揮して会を盛り上げてくれることを誇りとしたいものです。入会歴50年の元会長も古い当時の写真、資料等を会場に持参していただき皆さんに見ていただきました。私も最後に「雪山賛歌」と「会歌」の合唱の指揮をとらせていただき、楽しい互礼会を終えさせていただきました。今年も良いスタートがきれました。

明日は午後からここ福山で赤帽組合の理事会が開催されます。午前中に蔵王岩場の取付き道路の整備を完成させ、将来の蔵王山登山道整備のお手本としたいものです。

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正月を「グリンピアせとうち」で過ごす(その2)

2018-01-05 20:57:19 | 日常

平成30年1月4日

滞在して2日目、腹いっぱい食べて、朝湯、夕方と温泉に入る。運動しなければ体重も増えるし少しお腹をへさねばと周辺を探検しました。この施設は広大です。ホテルは丘の上にあり、東と西にはビーチや港の桟橋があります。かってはこの場所には遊戯施設などもあつたのですが今は歩けるのはホテル周辺だけでその他の周辺地域には立ち入り禁止となっています。グランドゴルフ場とかテニスコートは利用できるのかな。コートは12面もあります。駐車場も1000台という広大なものがあります。何かのイベントには最適だと思いませんか。ホテルの背後に当たる南側には水ヶ浦山(151m)という名前の山があり登ってみました。入口には立ち入り禁止のロープが張ってあり倒木も2か所ありましたが登山道はしっかり残っています。このハイキングコースは全長1300mとのこと。木製の階段480段余りで尾根に出ます。階段をこれだけ作るには1千万以上の大変な金額を要したことでしょう。周囲がぐるりと海で誠に絶景です。初日の出が見たかったですね。蒲刈島、大崎下,豊島等が目の前に見えます。縦走して東側に下ると静かな入り江に至る。「やすうら海の駅」なる立派な建物と桟橋やその駅前広場にはいろいろな木造船が展示してある。2012年の大河ドラマ「平家物語」のロケに使用されたものです。一見の価値があります。この辺りにはかって「子供の国」といわれ子供の遊戯施設があったが、今は廃墟のようになっています。維持管理にお金のかかる施設は無理にしてもゴーカート場やオートキャンプ場などはすぐに使えるのでは。ボート遊びもすぐににできるのでは。サッカー場やレインボーホールというバレーボールの施設もそのまま残っているが今はすべて立ち入り禁止のロープがあります。ハイキングや長い滑り台などはお金をかけなくてもすぐにでも利用できるのにもったいないことです。ホテルと温泉だけでなく利用できるものはまだまだたくさんあるように感じました。ハイキングコースも初心者用コースで歩行距離3キロ、時間2時間であとは食事と温泉を楽しむという山行もあってはよいのではと思いました。安浦駅からは無料の送迎バスも利用できますから来季の計画に加えましょうか。

 (写真のホテルのバックの山が水ヶ浦山です。)

 

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正月を「グリンピアせとうち」で過ごす(その1)

2018-01-05 20:16:53 | 日常

平成30年1月3日

今日から2泊3日の予定で「グリンピアせとうち」に行きました。昨年に続き祖母と姉、その友人の4人で行きました。祖母も今年で98歳になり先のことはわからないので行けるときに行って親孝行のつもりで参りました。「グリンピアせとうち」は一時経営扱悪化で閉鎖していましたが昨年9月より呉市から休暇村グループに委託され再開されました。そのためか料金も格安でした。3課は正月料金でも1万5千程度、4日は平日料金で9千円余りでした。大きな建物にしては売店も小規模で商品も少なくがらんとした様子ででもっと有効利用すればよいのにと感じました。目下の取柄は食事とお風呂です。バイキングですがボリュームもあり満足できるものでした。お風呂は「ドゴール湯」と言い新潟県の栃尾又温泉の近所で産出されるドコール・ウォームタイトという功績を溶かしたもので準天然温泉ということらしい。バイキングの食事と温泉がセットで大人1600円というのが人気のようで昼食タイムは満員の賑わいでした。祖母も車いすの生活ですが自分で好きなものを食べ満足の様子、自分で食べれるというのが元気のもとでしょう。ニコニコ顔でうれしそうに食べている姿を見ればこちらももうれしくなります。部屋に帰ればみんなと相手を変え飽きもせずにオセロゲームを楽しんでいました。天気も良く周辺を散歩しました。祖母は長生きしていますから周囲のみんなからも母親のように慕われかわいがられており本当に幸せな人生だと思います。この母親のDNAを引き継家おりますから私も同様に生きれるはずですが25年先にこのようにボケずに居れるか自信がありません。とにかく祖母は98歳でこの元気と明るさ、あっぱれです。

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木造船の漂着・漂流事故に思う

2018-01-02 23:46:48 | 日常

平成30年1月2日

昨年の後半から北朝鮮の漁船と思われる木造船の漂着, 漂流が新聞の紙面をにぎわしている。昨年度は100件以上が報告され平年を大幅に超えている。それまでは年間40から60件余りでしたが昨年11月には1ヵ月で28件も発生している。全長10mの粗末な木造船が冬の日本海の5mを超える荒波や強風に耐えるのは大変のことでしょう。この時は低気圧が停滞し荒天が続いたため遭難したのででしょう。能登半島沖合の好漁場の「大和堆」には多い時には800隻近い漁船が襲来し、違法な網で根こそぎさらってゆく。海上保安庁の巡視船が放水銃で追い払っている映像が放映されるのを見た。韓国などでは銃撃して追い払っているのに日本は手ぬるいというか人間的な扱いである。その一方漁船が遭難、漂流すれば救助している。公正な、人道的な対応には本当に頭がさがります。松前小島の事件での逮捕された船長以外は強制送還した。違法操業する人に対して人道的な扱いである。今の北朝鮮の人にとって漁業は有力な収入源であり生きていくためには荒れた海であろうと出ていかざるを得ないのです。海上で中国船に引き渡し必要な品物と物々交換したり、現金を得たり、富裕層な人の間では魚はヘルシーは食料としての人気もあるようです。漁船は軍の管理下に置かれており、荒海に乗り出すボロ船の漁民は特攻隊のような存在です。1隻の乗組員が10人としても千人以上が遭難し死亡している。この数字は日本に漂着した木造船の数字から推量したもので実際にはこの倍以上の死者、遭難数でしょう。安保理事会の石油輸出制限強化は北朝鮮にとっても死活問題となることでしょう。石油の禁輸は我が国の生命線の停止につながるとして戦争突入の大きな理由とされたことがある。北朝鮮にとつても存亡にかかわる厳しいものがあり戦争開始の理由とすることでしょう。先に原爆を使用した方が国際社会の非難を受けるでしょう。真っ先に攻撃されるのは我が国でしょう。アメリカでは確実に届かないし激しい反撃を受けて滅亡する危険がある。韓国は同じ血を引く同胞の気持ちがあり、互いの国民の行き来もあり攻撃しないし、韓国もこのような制裁を強化しようという国際社会情勢にあっても人道支援をしようという政策を模索して北に対し同情的な一面もある。わが国には多くの北朝鮮支持者が存在する。朝鮮総連や在日朝鮮人たちである。朝鮮学校では公然として北朝鮮の金正恩委員長の思想を信奉し忠誠を誓う思想教育がなされている。右翼に言わせればゲリラの育成をしているものと非難する声もある。実態はどのようなものでしょうか。先の大戦では日系人は強制収容所に隔離された。戦後40年を経てその政策は誤りであったと謝罪と補償がなされた。民主主義を標榜する我が国はいかに対処されるのでしょうか。同じ轍を踏まれるのでしょうか。その過ちをどのように生かされるのでしょうか。原子力発電所は一番の攻撃目標と言われている。核弾頭の攻撃だけでなくゲリラの特攻目標とされるでしょう。全世界を「アメリカ第一主義」を主張し混乱をまき散らしているアメリカ。孤立化を深め、信頼と尊敬を失墜するアメリカに追従する我が国はこれでよいのでしょうか。北朝鮮問題を追い風に再軍備・国民の締め付け策・統制策戦は着々と進展しています。

戦後73年、このような平和な時代が続いたことは稀なことです。先の戦争ではわが国だけで310万人が亡くなりました。私の家族でも一人がが中国で、一人が原爆で亡くなり大変な苦労をしました。戦争を知らない世代が多くなり、そろそろ民主主義の矛盾が現れる頃です。「災害は忘れたころにやってくる。」戦争をしないために、今一度身の周りを見回してみてはいかがですか

 

 

 

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初日の出を高尾山で見る

2018-01-01 23:36:32 | 日常

平成30年1月1日

今年もまた5時30分起床、6時出発、何時もの如く水分峡の登山口へ。例年では管理センターの駐車場は締まっていて、門の前に駐車していたが今年は開いています。10台余りが駐車しています。急いでザックを背負い暗い中ヘッドランプをつけて出発。例年なら行列で登るのに今年は4組程度しか出会わない。遅いのかな。7時過ぎに岩谷観音さんに到着。今年は岩峰に群がる人たちを撮影するつもりでいたので隣りの高尾山(427m)のピークにのぼる。こちらの方は登山者は20人余りと少ない、観音さんの岩峰より18m高いのでよく見えます。蟻が群がり落ちそうな風景を期待したが今年は100人余りと少ない。私は左側の岩棚の一等地を定位としているが今年はガラガラである。例年は寒くて防寒着を着込んで震えていたが今年は風もなく温かで穏やかな年明けです。上空は青空が広がっているが東側には大きな黒い雲がかかっている。いつもなら7時20分ごろには顔お出すのだがまだ見えない、7時29分に雲の切れ目から御光がさした。初日の出である。今年の平安無時を祈り合掌。コンロを持参しているのでお湯を沸かしぜんざいを食べる。30分も経てば皆下山して誰一人いなくなった。昨日工事した頂上の滑りやすいところも無事に皆様のお役に立ったようだ。登山道が崩れて壊れていたので、この機会に傷んだ5か所あまりは修理するつもりで車に準備してきていたので着手。今日は元旦、私が出動担当なのでいつ依頼があるかもしれないのであまり遠くまでは行けない。登山口から200mの範囲で修復する。午前中には終えて帰るつもりであったが「もう少し・・、ついでに・・」が高じて13か所すべて新しい防腐剤を塗った段木を設置した。これなら10年は大丈夫でしょう。15時まで要した。帰路はいつもの通りふもとにある「安芸の湯」で汗を流しさっぱりとして帰宅。今から正月。牡蠣の入ったお雑煮を作り、食べているとお得意さんから緊急輸送の依頼があり広島空港まで部品を輸送する。この仕事には私だけでなく、元請けの東京の運送会社、広島の倉庫担当、それに我社、当然ながら航空会社が正月にもかかわらず働いています。外国は正月関係なしに稼働しているようですから。帰宅しておせちを食し正月を味わう。この仕事の宿命でしょうか。仕事は断らない。必ず期待に応える。今年の仕事始めです。

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