まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

病気退陣のもたらすもの。

2020-08-31 22:44:26 | 日常
令和2年8月31日
今日、三菱自動車工業の元会長益子修氏が心不全のため今月27日に亡くなったと報道された。氏はリコール隠し問題等により深刻な経営危機に陥った会社を立て直されて15年。今月7日に「中期経営計画を発表し、将来へに道筋もつけられたので、病気の治療に専念したいと退任されたばかりでした。そのお方が20日後に亡くなろうとは・・・・。結果的には退陣の時期を逸したとかいいようがありませんが・・・・これも定めでしょうか。時を同じくして今月28日、安倍首相も持病の潰瘍性大腸炎のため首相の職務を継続することは困難として突然に退陣を表明されたばかりです。7年8か月にわたる長期政権、数々のトラブル、難題も乗り越え政権を維持してこられましたが病気には勝てなかった。おそらく安倍さんのことですから益子元会長の死亡を聞き決断されたのではないでしょうか。
もっと早く決断され病気の治療に当たられていれば助かったものか、いや最後の仕事として成果を上げるため、ぎりぎりまで粘り努力されたから大きな仕事となったのか凡人には判断できません。
私の知人にも入退院を繰り返しながらも病気と闘い、事業意欲満々で頑張っておられる経営者の方もおられます。いったいその元気の源はどこから来るのか。病気と闘うことが源なのでしょう,か。死への恐怖にあがなうためでしょうか。私には理解できません。
「生老病死」人生の苦しみは尽きない。悩みもまた尽きることはない。
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水分峡川遊び大盛況

2020-08-23 23:42:46 | 日常
令和2年8月23日(日)
昨日からちょっと天気が不安定になり、雷が鳴ったり、曇ったり、また晴れたりと不安定な変な天気です。
昼前、曇っていたので、作業ができると思い、予てより気になっていた岩谷観音さんの石段の整備の出掛けました。
水分峡管理棟前の大型駐車場。約200台程度は収容できるが今日は一杯では入れない。
こんなことは初めてです。すぐに事情は分かりました。大勢の皆さん川遊びに来られているのです。密集していますコロナ大丈夫でしょうか。川で遊ぶ人。ボール遊びをする人。川横の広場にはテントも20張程度所狭しと張られています。小さな川ですから芋の子を洗うようなありさまです。私は3階段分の段木資材と1,2m余りの長石材を利用して石段を設置するため、鉄棒やスコップ等いつもの道具を運び上げました。4時間余りの作業でしたが水も1L持参しましたが飲み干してしまいましたので作業も途中でしたが、打ち切って下山しました。午後からはカンカン照りの天気でしたが山陰の出雲市日南町では集中豪雨で大変なようでした。全国ニュ-スでも報じられていました。えらい違いだなと思っていました。帰つて植木にしっかりと水をまきましたがカープー巨人戦の開始が雨のため遅れるようでした。南区の我家のあたりは少しのお湿り程度でしたがやっと降りました。何日ぶりでしょう。先月30日の梅雨明け以来のように思いますかともかくようやく降りました。もう少し降ってほしいところですが又明日からは暑くなるようです。明日仕事では昼間屋外での作業が入っています。熱中症には注意しましょう。今日こんだけ汗をかいていますから訓練はできています。大丈夫でしょう。

この斜面に石段を設置しようと思います。下側の三角形の石と上の2個の長石、それと他の石を寄せ集めるか、段木で作ろうかと思います。
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山崎正和氏から教えられたこと。

2020-08-21 23:34:27 | 日常
令和2年8月21日
今日のニースで「山崎正和氏が8月19日悪性中皮腫のため逝去。86歳没」と報じられた。
先日は渡哲也氏が亡くなった。今回は山崎氏が亡くなった。つくづく人間に寿命がある。必ず死ぬことを思い知らされました。
氏は日本の劇作家、評論家、演劇研究者として知られ、戯曲、評論の分野で数々の著作により紫綬褒章、文化功労者賞、文化勲章等を受賞されています。
私は戯曲などは門外漢であり理解できませんが1978年(昭和53年)に出版された「劇的なる精神」を読んで感銘を受けたことがあります。その本の帯符に「戦前の間違った大アジア主義に陥ることなく。いかにアジアの人々と向き合うか」等、センセーショナルなタイトルにひかれて読みました。演劇論などの難しいことはよく理解できませんでしたが、これからの日本人は「劇的なる精神」を持つことが必要であると述べられていました。劇的という意味は「劇的な生涯」というような意味ではなく「演劇する人の心を持つべしということでした。演技する人の心とは、演技している自分をもう一人の自分が見ていることを意識して演技する。役になりきって演じている自分。それを少し離れたところで観察している自分を感じているから役に没頭できる。演技しているのは自分の延長ではない。全くの白紙の別人である。単純にのめりこむのでは無く、冷静に、客観的に判断することの大切さを教わりました。私も時々人前で話をしなければならないことがあります。その時あがらないようにするには・・・。この{劇的なる精神」が生かされる。演説している自分(役者)を見つめているもう一人の自分がいることを意識すれば冷静になり、あがることはない。舞台の前に立っている自分に演技させればよいのですから・・・・冷静に演技できる。難しい演技論や技術は理解できないが体験的にはその役の人物になりきる、そうすればその人物を演じることはできる。その人の性格等が理解できなければ感銘を与える演技はできない。だから良い役者は人生経験、観察力、奥の深い人間愛が必要になるのでしょう。
この機会に今一度読み返してみようと古本の山を探してみたが見当たらない。その代わり昔読んだ懐かしい書物が見つかった。宝物を見つけた気分です。今一度読みかえしてみるとまた違った感動が得られるような気がします。昔は3回読んで初めて理解できるといわれましたから・・・
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
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猛暑の中、柿の木の枝打ちする。

2020-08-14 19:41:14 | 日常
令和2年8月14日
山仲間の友人から頼まれ庭に植えられている柿の木の枝打ちをしました。美味しい自慢の西条柿の木です。多い時には500個余りの干し柿が採れたといわれました。現在は枝も伸びて大きくなりすぎて庭を被い、家屋の屋根にもかかり、生垣も越えて枝が伸びて危険な様子なので切断して小振りにしてほしいとのことでした。
この柿の木、生まれたときには既にあったといわれましたから90年から100年は経っているでしょう。胸高の幹周りも120㎝もある大木といえる実に堂々とした見たこともないような立派な柿の木です。
このような立派な樹木に手を入れることに思わず手を合わせて許しを請いました。
私は2階の屋根上までととく長梯子を所有しているので樹木の切断を頼まれることがあります。それに加えクライミング技術が役立ちます。高い樹木からの転落防止術と切断した枝木をザイル操作で軟着陸させ他の植木等を傷つけないようないように撤去しています。
自宅の棕櫚の木や、黒瀬の姉の家の杉の木も切断して短くした実績があります。
涼しいうちに済ませましょうと午前6時に集合して2人で作業しました。日が登るにつれ、気温もどんどん上昇し、暑いこと暑いこと、全空青い空にカンカン照り、肌が痛いほどの日差し。後で聞けば今年一番の暑さで広島市では34,6度を記録したとのこと。汗びっしょり、全身汗だらけ、仕事でもかかないほどの汗のかきようでした。10時過ぎにはようやく切断も終わり、後は念を入れ、切断面に塗料を塗り、更に銀紙で傷口を覆い保護しました。このようにすると傷口が樹皮で盛り上がり肉づけされ覆われるので、病害虫から守られるのです。以前、大三島のミカン農家さんから教わった秘伝の技です。それにしてもよく水分をとりました。2Lは飲んだのでは。体が塩分を求めるのでしょう昼食はラーメン、夜はお茶漬け、顔面もヒリヒリ、すっかり黒く日焼けしました。日焼け止めを塗っとけばよかった。後の祭りだ。明日は夏の太平洋高気圧がさらに強くなり広島も36度から38度の猛暑が予想されています。梅雨明けが10日余り遅れたことが季節のずれを呼んでいるのでしょうか。とても残暑という気温ではありません。季節感は半月遅れると考えた方がよいのでしょう。異常気象ですね。

(上の写真が作業後、下の写真が作業前の状況です。小振りになりました。再来年にはどのような干し柿が食べられますか。期待しましょう)
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お盆墓参り・・ながい階段

2020-08-11 22:21:15 | 日常
令和2年8月11日
「お盆墓参り、階段長くなりにけり」
今日、赤帽の事務所に行ったついでに川向うにある三滝の本家のお墓参りに行ってきました。この辺りは公園のような丘陵地、市営の墓地にたくさんのお墓が並んでいます。
暑いので近くまで車で行きました。この下の方に本家の墓所がありますが、そこに至る階段の長いこと。何十回と通いなれた階段なのにこんなに長い階段だったかなとびっくり。やねこいです。数日前には、穂高岳のながーい、ながーいガラ場を登ったのに・・・・
街に帰ると、これしきの階段がながーく感じます。歳のせいでしょうか。少少、お疲れなのでしょうか。
    立秋を過ぎればどこかに秋の気配を感じさせるものがありましたが今年は全くありません。ますます暑さが激しくなり、最高気温を更新し続けています。
    秋の気配などみじんもありません。異常気象を実感しています。終日、クーラーをかけまくっています。
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広島郵便局原爆殉職者慰霊祭

2020-08-06 22:33:50 | 日常
令和2年8月6日
今日、広島市南区の多聞院にて75回目の原爆殉職者慰霊祭が行われました。いつもこの日は暑いとのイメージがありますが今日は珍しく曇って涼しい天候でした。
蝉時雨の中、午前8時15分サイレンや梵鐘が鳴り、読経が始まりました。
広島では広島市主催の平和公園会場だけでなく町内会、学校関係、職場の関係等が慰霊碑のある市内各地で慰霊祭が開催され文字通り祈りに包まれた1日となります。
今年は新型コロナウイルスの影響でしょうかテントに用意された遺族者席は20席余りでした。年々参列者の高齢化が進行してきますので仕方ないのでしょうか。
人数が少ないのでたくさんの献花の花を頂いて帰り墓前にお供えしました。
夜、娘から電話があ「NHKのテレビに映っていたよ」と電話がありました。
いつまでも平和が続きますようにお祈りしましょう。
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焼岳から西穂高岳・奥穂高岳縦走

2020-08-05 22:57:17 | 日常
令和2年8月1日~4日
今回の計画は早くから計画されメンバーも決まっていたので余裕をもって準備できました。メンバーは同じ山岳会員で男女各3名の6名、年齢は70歳代2名、60歳代3名、50歳代1名の熟年グループです。笠岡・神島お遍路道一周(約24㌔)や瓶ヶ森登山(標高差約1650m)等の体力強化、天応・烏帽子岩山での岩登りの技術訓練をこなし、厳しいコースに対する訓練は十分にできており、参加者の実力も掌握しておりました。更にメンバーの中には先週、雨にもかかわらず裏銀座コースを縦走し高所順応も出来ており,今回の縦走計画成功を確信しました。
このコースは日本でも最も厳しいコースの一つといわれています。私は若い時から5から6回縦走しておりコースは熟知しておりますが初体験する人も2名おられます。長年の夢の実現、完遂した喜びはいかなるものか今から楽しみにしております。
私は何十回と槍、穂高に来ていますが、焼岳登山は初めて、眺める山と思っていましたがこの計画を聞いた時,焼岳を加えていただきました。どんな山なのか、どんな景色が見られるのか楽しみです。
今回の計画実行については新型コロナウイルス対策、集中豪雨による交通障害、更に、ご当地の群発地震対策の諸課題を乗り越えての登山となりました。
新型ロナウイルス対策では三密を避けること。手洗いの励行。山小屋等の室内においてマスク着用、寝具にインナーシートを使用、蛇口も自動化(西穂高山荘)食卓テーブルもアクリル板を設置。
自家用車、タクシー等を利用し、外部との接触を避ける行動を徹底しました。
豪雨の影響、この付近ではかってないほどの降水量を記録しました。高山・平湯間の国道、安房トンネルも一時閉鎖されましたが今は一部で交互通行。山越えする旧158号線は11号カーブ以降は通行止でしたが、手前の中の湯登山口までは通行できました。穂高山荘から白出沢への下山路は崩落が激しいため当分通行禁止。パノラマルートも未整備で通行禁止。横尾・上高地間の林道も沢からの土石流でいたるところで被害がありますが一応復旧しています。通行できるコースは限定されています。
群発地震が多発。あまり報道されませんが特に間ノ岳周辺は激しいようです。落石の危険のある岩にはいたるところ白ペンキで×印がつけられていますのでご用心。その分浮石に載らないように注意深く行動しましょう。
第1日目 福山から栃尾温泉『宝山荘」
若い時ならこの日は不要で、今までは、朝、平湯についてすぐに登山開始ですが、今回は高齢のためゆっくり寝させていただきました。
宝山荘はお値段も安く、源泉掛け流しの温泉、料理もよく満足しました。満室だった予約もすべてキャンセル。当日、宿泊したのは我々含め2組のみ。嘆いておられました。
第2日目 中の湯登山口~焼岳~西穂高山荘
午前2時起床、朝食をとり、平湯でタクシーとドッキング、登山口の駐車場には既に20台余りの車が駐車、山頂往復されるのでしょう。5時登山口発、100分余り歩き、樹林帯を抜けるとそこは「広場」、草付きの斜面の上の荒々しい岩峰が見える。触れると熱い岩もあります。午前8時北峰山頂着、天気は快晴、青空のもと360度の展望だ、皆声を上げて幸運を喜ぶ。登山禁止の南峰,その手前、緑濃い火口湖が神秘的にたたずむ。大自然の荒々しい光景、硫黄の噴煙が立ち上る生な生しい大地の躍動感の中にあり、かくも静かなさまは対照的だ。北方を眺めれば緑の尾根の先に赤い屋根の西穂高山荘が見える。ここから約5キロ先だ。
山頂から樹林帯に入るまでの下山路は本当の荒れていました。登りは大変です。焼岳小屋の近くの登山道を小屋の方が笹原を刈払って整備しておられました。感謝。10時焼岳小屋で水分補給をして出発。皆さん快調です。ここから西穂高山荘までの樹林帯はちょっと異質というか何の変哲もない自然のままの樹林帯でした。3時間余りの行程で、行き会っ
た登山者は僅か3名のみ。実に静かな森です。梓川遊歩道の川畔林のような華やかさ、変化のある林ではありません。スター軍団の「焼岳」と岩の殿堂、「穂高の峰々」の間をつなぐ平凡な林、何一つ人工の工作物はありません。石段一つない。倒木を乗り越え。ただ一筋の林間の道、鳥の声を聴き、尾根を越えるたびに風のささやきが変わる。ただ自然に抱かれて無心に歩く心地よさ、西穂高山荘下の合流点の石段が夢の終わりを告げる。予定より少し早く13時20分西穂山荘着。夜半に降雨あり。
第3日目 西穂山荘~西穂高岳~ジャンダルム~奥穂高岳~穂高山荘
いよいよ今日が核心部。今まで順調に来ましたが果たして今日はいかに。
予報では少し風があり天気は良くないとのことでしたがこれがよかった。灼熱の太陽、焼けた岩場を行くのはその暑さにまいり、水分も昨日よりは余分にかかり重量も増え、バランスをとりにくくなります。出発予定は4時でしたが30分早め、3時30分出発としました。我々が一番の早立ちでしょう。夜半の雨も止んでいましたが露に濡れても面倒なので雨具を着用。
先ずは丸山を目指す。無事独標を乗り越え西穂高岳まで11の峰々を着実に乗り越える。先に福岡県の6名のメンバーが行くのが見える。コース取りの参考になります。8峰目がピラミットピーク。4峰目がチャンピオンピークということでしたが立ち寄っても特別なものはありませんでした。
6時40分、西穂高岳{2908m)に到着、いよいよ核心部の縦走だ、行く先々の岩峰が連なる。気合を入れなおして出発。この先が縦走路の岩が落ちた鎖場だ。真新しいボルトとスリングが設置されている。落石の危険があり一人づつ、順番に下り、トラバースすする。激しい振動の為か岩が割れている。多くの壊れた岩くずが散乱している。浮石にも要注意だ。それにこの付近は岩が逆層でスリップ事故の多いところだ。午前8時33分、間ノ岳{2907m)に到着。半分は来た感じだ。ここから先を後輩の若いリーダーに先頭を譲る。
厳しい岩稜。滑りやすいガラ場を細心の注意を払いながら着いたのが「間天ノコル」、鋭い岩峰が眼前に広がる。また「天狗の頭」を目指しガラ場を登る。
9時40分、「天狗の頭」に到着。標柱はあるが看板板は外れている。かっては「西穂高岳―奥穂高岳」と記された看板の中央に「天狗岳」と記してあったが、今は消えかかり、判別できないがここが紛れもなくここが「天狗の頭」頂上だ。
私は体験的には、危険なところは安全のため鎖が十分に設置されている。だから、体力的にはここを下った「天狗のコル」から「コブ尾根の頭」が核心部と思っている。これを越えれば穂高縦走はなったも同じだ。体力、緊張感も頂点に達し、疲労感を感じる時、標高差350mのガラ場交じりの登攀です。きついです。登っても登っても次々にピークが現れる。「これを越えれば困難なところはない。あとは楽だ。」と励ます。
「畳岩尾根の頭」を乗り越え、12時「コブ尾根の頭」に到着。よく頑張りました。ことは成った。眼前に、台形の形をした「ジャンダルム」が見える。頂上に朝であった福岡県の登山グループの姿が見える。
彼らがおりてくるのを待って,空身で登る。複歩で96歩。前々回2008年の時にはここでお茶をたて、みんなを接待したことを思い出した。頂上で写真を撮り下山。右側に巻き、後ろを振り返ればガスの中に鋭くとがった姿が望める。すごい迫力だ。これこそ「ジャンダルム」の雄姿だ。、「ロバの耳」の細いバンドを通過する。最後の難所は「馬の背」だ。20mあまりの馬の背のような岩稜。幸か不幸か、ガスっていて周囲の風景が見られないので高度感はない。集中して乗り越えれば目の前の奥穂高岳山頂の丸いドームが見える。
15時10分、無事に奥穂高岳山頂到着。途中無駄な時間もあったが、ほぼ予定どうりのコースタイムでした。皆よく歩きました。本来なら感激の握手、ハグでもしたいところですが、新型コロナウイルス、「グー」こぶしを交わし喜びを分かち合いました。
穂高山荘では予約した個室が狭くて三密になるため8人部屋に変更していただきました。
ジャンダルムのロゴのはいったTシャツを購入しました。
ここでも宿泊者は少なく食堂に集った人は50人余りでした。(定員は350名となっています。)
第4日目 穂高岳山荘から上高地そして福山
午前4時、山荘出発、涸沢小屋。本谷橋、横尾、徳沢、明神で休憩をとりながら12時前上高地バスセンター到着。
河童橋も観光客の姿も少なくまばらでした。タクシーの運転手さんの話では来場者は例年の10%と嘆いておられました。
7人乗りのジャンボタクシーも三密を避けるため、4人の乗車人数。2台に分乗。
いつものとうり「平湯の森」に入浴し汗を流し、「茶々」で自然薯を食し、22時、全員無事に福山に帰りました。
お疲れにも拘らず長時間の運転をしていただきご苦労様でした。本当にありがとうございました。


(写真は間ノ岳手前の縦走路の岩が崩落したところです。この間ノ岳周辺が地震の為崩落が激しいとこです)
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