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まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

石鎚山北壁を登攀す。その後のクライミングについて考え方

2013-10-30 18:23:50 | 日常
平成25年10月28日(月)
今日は平日ですが土曜、日曜の両日勤務したので代休を取り出かけました。
前々日までは台風27号の影響で暴風雨に見舞われて行けるかどうか心配でしたが台風一過、天候も急速に回復し無事登ってきました。
石鎚山は私が昭和38年に登山を始めて一番最初に登った県外の山で思い出も多く感激した山です。ここからわたくしの登山人生が始まりました。山頂の岩壁は圧倒的なハングした岩場でとても人間が登れるとは思えないほどです。壮大でアルペン的なすごく怖い印象を持っていました。今年の最後に登攀の機会を得て大満足しております。
岡山経由なので広島を朝2時に出発しました。瀬戸大橋、新居浜、国道194号、いの町を経由て瓶が森林道に入るのですが通行止めのため長沢からよさこい峠に出て土小屋に行く予定でした。しかし直前の26日の大雨のため途中の路肩が崩落してよさこい峠で通行止め、復旧の見込みなしとのこと、迂回するにも時間がかかり歩くしか方法がありません。ためにここから40分ほど余分に歩いて土小屋に行きました。平日ですがさすが石鎚山、登山者もちらほらおられます。北壁の下を通り、工事中の三の鎖より登山道を離れ、踏跡をたどり北壁の取り付き点に向かう。目標は遭難碑のプレート。今日登るルートはダイレクトルート(Ⅳ、A1, 70m)です。頭上に覆いかぶる岩壁に圧倒される。おまけに北壁ですから陽が当たらず寒いです。先日の大雨で染み出た水が氷結して白く光っています。あちこちに,氷柱がぶら下がっています。11時40分登攀開始。1ピッチ目は手掛かりはあるが見た目より難しい。慎重にルートを確認しながら登りハングを乗り越えたところのフェースの途中で確保する。足場が狭いので足がかりとするため「あぶみ」を出す。40m位登ったところでビレーしています。直下に紅葉の樹海が広がる。修験者一団の掛け声やホラ貝の音がよく聞こえてきます。2ピッチ目、ここからが核心部。凹角の垂直の壁、苔むしたうえに染み出た水でぬれている。靴底が濡れ、僅かな手がかりしかなく足が滑り利かない。スリップ、落下する。壁から離れて落ちれば宙吊りです。ザイルで確保されているとはいえこの高所、あまり良い気分でない。時折風にあおられて氷が落ちてくる。フリーでは困難のようなので奥の手の「あぶみ」で突破する。フリーに拘れば撤退の選択肢もあるがここまできて再挑戦はむつかしい。この濡れた壁では致し方ない。小さなハングを乗り越え稜線に飛び出したところは天狗岳の祠の横。明るい日差しがまぶしく温かい。岩壁とはえらい違いである。13時45分完了。まずまずのタイムです。ほっとして一息つく。目標を達成した喜びと、完了して目標がなくなったことへの脱力感か一抹の寂しさもある。帰路は初めて岩稜を縦走して土小屋に帰る。ちょっとした岩場と笹の急坂に足を滑らしながら下りました。17時前によさこい峠に帰りました。広島に帰ったのが24時。今日の行動時間22時間。石鎚は遠いです。よく頑張りました。ご苦労様でした。
(昭和38年、石鎚ではじまり今年石鎚で締めくくる。何かの因縁ですね)

後日のクライミングの考え方
クライミングにはアルパインとフリークライミングの2スタイルがあるといわれています。
両者の違いは道具を使用することの可否にあると考えていました。
今回の場合、岩壁が濡れたり一部には凍結していた時、滑ってのぼれなかったのでヌンチャクやアブミを使用しました。このやり方はフリーなら登ったことにはならないですね。なら中止するかという判断はできにくい。近場の岩場やジムなら再挑戦できるが一日掛けて遠方まできて撤退はできない。でも何とかAOで登り、頂に立てばそれなりの感動はありました。
私の中ではフリーは自力で道具を使用しないで岩場を登ること、その困難を乗り越えることに楽しみにある。アルパインではクライミンは登山の一過程で岩場を登り、最終的には頂に立つことに意義があると理解しています。先の屏風岩クライミングでも同じようなことが言えます。屏風岩に登った人の多くはその完了地点から直ぐに懸垂下降で降りて山頂にはいかないそうです。フリーの人からすれば屏風岩に登ることが目的ですから登ったら終わりということになるのでしょう。そのほうが時間的にも体力的にも楽で効率的です。私たちは頂上の屏風の頭をめざし1時間余りのやぶ漕ぎをして山頂を極め完了です。そこで穂高連峰の絶景を愛で、困難なクライミングを振り返る。ここから涸沢まで2時間、横尾まではさらに3時間要します。それでも山頂を極める。それが山を楽しむ私のやり方です。アルパインは登山とクライミングの両方を楽しむことができるのです。このほうが長く登山を楽しめると思いました。もちろん、クライミング技術を磨くためジムで訓練もするし外岩にも出かけます。さらに登山をする体力をつけるためにもボッカ訓練も続けるつもりです。今回の石鎚でも良い体験をしました。さすが私を育ててくれた石鎚ですね。ありがとう。
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ダイエットに挑戦中

2013-10-20 21:11:19 | 日常
平成25年10月20日
今わたくしはダイエットに挑戦中です。そのきっかけはクライミングです。片手で岩をつかみ、さばっていても体重が重くて体が持ち上げられない。維持できず落下する。腕力がないのか体重が重いためか、両方だろうが登れないことには違いない。クライミングが上達するためにはまず体重を減らさなければだめだと気づかされました。体重を減少させるためには栄養の取りすぎをやめることと運動してカロリーを消費することです。そのため1日2食を目標に夕食の食べる量を大幅に削減しました。間食もやめました。はじめはお腹が空いて苦痛でストレスも溜まりました。ですが1週間くらいたつと胃袋が小さくなったせいか空腹になれ、あまり食欲もわかなくなり食べなくても苦痛でなくなりました。
そうするとますます体重計に乗るのが楽しくなりました。朝と晩に体重計で測定します。数字は正直です。食べるのを我慢すれば数字は確実に減ります。体重計に乗るのが楽しみになります。食べるのを我慢する。続ければメタポリックなウエストが細くなりズボンもダブダブになり手が入るほどになりました。お腹の脂肪が減ったのです。体系もスリムになりました。決定的だったのは健康診断の数字でした。糖尿病予備軍の数字が大幅に改善し先生もビックリされるほどよい数値になりました。中性脂肪は半減、血糖値もHBA!Cもほぼ正常値でした。体重を減らす効果がこれほどとは驚きました。運動の方は毎朝のテレビ体操ではじまり、寝る前にはクライマーの安間さん推薦の体幹トレーニング、腰痛予防体操、柔軟体操、ダンベルでの筋トレ、梁にぶら下がっての指先強化訓練等、そして週1回は岩谷の観音さんへの登山と登山道整備等、さらに週末には岩場でクライミングと、規則正しくまじめに続けております。まるで修験者のごとき修行生活振りです。昼食の弁当は長女が作ってくれますから自分で料理するのは朝食だけ。多く買っては腐らせていたので今は必要なものしか購入しません。まとめ買いはやめました。冷蔵庫もがら空きです。今までいかに飽食であったか、無駄な食材を購入していたかよくわかります。美味しいものを少し食べればよいのです。野菜中心の食生活ですが栄養バランスを考え魚も肉をとるようにしています。ダイエットとは美食、飽食との戦いですね。目の前には美味しい果物、ケーキ、チョコレート、揚げ物,中華料理等美味しいものだらけです。そのおいしい誘惑に負けないこと。それらを少し我慢することが出来るか否かにつきます。
現在1割程度体重も減少し、良い結果ですが油断し誘惑に負けて食べるとすぐに元に戻ることでしょう。
クライミングが上達するため、健康になるため体重計に乗り続け体重をセーブします。
ビレヤーが私が落ちても前ほど衝撃を感じなくなったといってくれました。効果ありです。
(おもうに、ダイエットのことはその人の人生観、生き方のように思います。たとえ食べ過ぎて糖尿病になろうとも美味しいグルメを腹いっぱい食べて堪能し、太く短い人生を楽しく生きるか、健康に気を使いながら質素な食事でつつましく細く長く生きるか、何のためにダイエットをするのか、人生の意義、目的を問われているように思います。)
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再び親指岳・赤いクラックに挑戦

2013-10-19 10:39:47 | 日常
平成25年10月12日
前回の4月の時は終始セカンドで登攀したので何となく心残りでしたので練習を重ね、再び挑戦しました。今回も前回どうりのスケジュールで行いました。取りついて登り始めたころ顔見知りのkガイドがお客さんと2人で登ってこられました。今日は頑張って3ルートを上る予定とのこと。後から大阪のパーティも来るとのこと。連休中はここで仕事をされるようです。商売繁盛のようですね。しかし、週末にもかかわらず3パーティのみとはさみしい限りです。高いフェリー代金がネックですかね。我々はこのルートだけですので丁寧な登攀を心掛け、トップを交互にする釣瓶方式で岩の感触を楽しみながら登攀しました。前回は既存のボルトなどの支点を使わずギアをセットして登攀したが今回は既存のボルトを使いました。古いものや潮風で錆びたものも多くちょっと心配です。2ピッチ目セカンドを確保しているとき摑んだ岩がはがれ1mあまり落下し落石もありヒヤリとする場面もありました。よく登られているルートなのにこんなこともあるのですね。半年前に登っているので概ねルート通りに登れました。核心部の4ピッチ目は何とかフリーで登ろうと頑張りましたが実力不足やはりAOでの登攀となりました。最後は強風のなかでの登攀となりましたが何とか無事に事故もなく完登いたしました。ともかく無事故が一番、自力で登攀した喜びを味わいつつ、夕日に染まる美しい海を眺めながら島を後にしました。
ダイエットして軽くなったためか以前より楽に登れた気がします。

(上の写真は麓の橘より見た親指の岩壁、下の写真は4ピッチ目を登るところで、この先を越えたところが核心部です。、)
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中国放送 元アナウンサー、煙石博さんに懲役1年6月の求刑。

2013-10-18 16:17:00 | 日常
平成25年10月11日
驚きました。「あの煙石さんが窃盗事件なんて、嘘だろう、他人だろう」と思いました。
今日の中国新聞の朝刊にこの記事が掲載されていました。
事件は昨年9月24日広島市内の銀行支店で、別の客が記帳台に置き忘れた66,000円入りの封筒からお金を盗んだとされ、広島南警察署に逮捕された事件である。
昨日10月10日、広島地裁で論告求刑公判が開かれ検察から懲役1年6月を求刑された。少額の窃盗にしてはこの求刑はかなりの重罪である。
求刑理由として「防犯カメラに犯行状況は映っていないが、記帳台にいたのは被告のみ、封筒を持ち出して現金を取り出して元に戻したと推察される。反省の態度もみられない。」と主張。これに対し弁護側は「防犯カメラには被告が封筒を手にしたり、現金を取り出した場面も映っていない。犯行がなかったことは明白、」と無罪を主張した。公判のなかで問題の封筒からは被告の指紋は検出されなかったことが明らかになりました。
確証がないのによく起訴したものです。別の意図があるのではと疑わざるを得ません。煙石さんは中国放送のアナウンサーとして2007年3月まで37年6か月勤務し定年退職された。おだやかな老後を過ごされていると思っていたのに久しぶりに聞いた名前がこの事件ですから本当にびっくりしました。煙石さんには人気のラジオ番組「なんでもジョッキー」のパーソナリティを務めておられた時、我会の大山遭難事件についての私の投書を取り上げていただき、放送のなかで読んでいただいたことがありました。その人柄あふれる優しい話しぶりは今でも耳に残っています。
「出来ごごろ、魔が差した出来事」とはあの煙石さんに限って・・・社会的にも多くの人々から尊敬されている「えんちゃん」がこのような事件を起こ人々の信頼を裏切るとは・・・信じたくありません。信じません。
防犯カメラにも映っていない。目撃者がいたのでしょうか。封筒にも指紋がない。本当にその封筒にお金が入っていたのでしょうか。誰かが罪を着せた可能性はないのでしょうか。
犯行を認め陳謝すればこのような大きな事件とならなかったのでしょうが、自らの犯行でなければ否認するのは当然のこと。反省がないことになるのでしょうか。状況証拠だけで犯行を裏付けられるのでしょうか。冤罪である。無罪であることを信じています。判決は11月27日。公正な判決を信じてその日を待ちましょう。
 冤罪といえばつい数日前、私の周辺でもありました。
「見た目が悪い。いろいろと悪い風評があります。疑わしい。退職しなさい。」確かな証拠もないのに噂で処分するとは前時代的な出来事です。それぞれの指摘事項に対し一つ一つ事実を示し反論し、納得して頂き何とか処分を撤回していただきました。冤罪とはかくして起きるのかということを実感したばかりです。今回の煙石さんの事件も斯くあってほしいと思います。
「李下に冠を正さず」、身辺を清潔にし、清廉潔白、疑わしい行いをとらない。冤罪を避けるには、この心構えも必要ですね。
コメント (1)
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立山三山から剣岳縦走

2013-10-05 18:12:39 | 日常
平成25年9月20日から9月23日
かねてからの仲間の要望により立山から剣岳を縦走しました。
  第1日目 室堂ーー立山三山ーー剣沢(剣山荘泊)
  第2日目 剣沢ーー剣岳ーー馬場島(テント泊)
  第3日目 馬場島ーー池ノ谷出合ーー馬場島ーー福山
剣岳から早月尾根を下山するのであらかじめ馬場島に車を置き、タクシーで立山駅に向かう。
立山駅は晴天の連休とあって登山者でにぎわっています。7時10分立山駅発、8時20分室堂着。
室堂から一の越まで登山者の列は途切れることはない。ここから雄山頂上まで標高差300m100歩歩行なら10回転、これならすぐに達成できる距離です。道は急坂で石ころだらけで歩きにくい。すばらしい展望を楽しみながらゆっくり登る。雄山神社でお祓いを受け縦走開始。大汝山が三山の最高峰で3015m、富士の折立から大きく下り、真砂岳、別山を経由して剣沢へ下る。別山の下りは悪路でした。剣沢は300余りの色とりどりのテントが立ち並びにぎやかです。今夜の宿は剣山荘。まず生ビルで乾杯。あとはしばし気持ちよく仮眠する。今夜は1フトンに2名。連休にしては極楽です。登山者の朝は早く4時には出発するグループも多い。今日は余裕のある行程なのでゆっくり朝食をとり6時30分出発。天気もよく風も心地よい。8時、前剣を下る頃から早くも渋滞が始まる。「カニのたてばい」まで2時間30分要した。昨夜遅く小屋に到着した方がおられたがこの渋滞では予定が立たない。下りの難所「カニのよこばい」でも同じように渋滞が出来ています。上り下りで5時間待ちの渋滞ですから大変です。週末の登山は考えものです。剣岳山頂で360度の展望を楽しみ昼食をとり12時15分少し下った分岐点から早月尾根を下る。難所の「カニのはさみ」も真新しい鎖がつけられ安心して通過する。別山尾根に比べると登山者の数は格段に少ない。遅い登山者に話を聞くと早月小屋は予約者以外は宿泊できないとのこと。剣沢まで行って宿泊するとの事これから剣岳まで上り、渋滞の中を下るとあっては何時につけるかわかりません。岩場の下降等難所が続きます。どうぞ無事につけますようにと祈らずにはおれません。この山域の山小屋は剣山荘以外は予約しなければ泊めてもらえないとのこと。ご注意ください。14時20分、700m下ってようやく早月小屋へ。腹ごしらえにうどんでもと思いましたが飲み物しかありません。まだあと1500mも下らなければなりません。気合を込め、靴紐を結びなおしてイザ出発。以前来た時には重たい荷物と段差の大きい悪路に膝をいためましたが今回はよく整備されていました。
土嚢で階段が作られ土砂の流失が防止されていました。その数、何千と言う数になるでしょう。
多くの手間とお金を掛けてよくぞ整備してくださいました。お陰さまで膝を痛めることなく下山することが出来ました。「あと1000m」の標識で勇気づけられましたがその長いこと。私も歩測で距離を測りましたが階段が多いためか1割くらいは誤差が生じました。18時10分、無事に2200mの長い尾根を下りきりました。ちょっと時間オーバーしましたが馬場島荘の方のご好意により入浴させていただき、さっぱりとし疲れも取れました。
今夜はテント泊ですがゆったりと寝れそうです。
翌日は三の窓へのルートである池ノ谷の下調べのため白萩川をさかのぼり小窓尾根の取りつきまでゆきました。もうひとつの目的は川崎市に住む次女の友人の兄がこの正月に小窓尾根で雪崩のため遭難されたのでその慰霊のためでした。行動予定時間は帰宅時間の都合もあり往復4時間。堰堤まで立派な道が付けれれていましたが一般車輌は通行禁止のため歩きました。
ここまで1時間。コンクリート壁の裏側から赤谷尾根の支尾根を乗り越えますが、この登山道もロープが張りめぐされ急坂でした。この急坂を重い荷物を背負い、ラッセルするのかと思うだけでも気がめいります。急坂をロープにぶら下がり下りたところが池ノ谷の出合でした。
対岸の狭いゴルジュが不気味に見えます。ここが通行できないため小窓尾根の末端を越えるのですがこの尾根越えの道が急勾配で45度はあろうかと思われる急坂です。ここからそのシルエットが見える。この途中で雪崩に遭遇されたのでしょう。帰還時間も迫っていたので河原で線香を手向けご冥福を祈りました。今度来たときはせめて池に谷の二俣くらいまでは行こうと思います。馬場島荘に帰り、風呂の入浴時間までは大分待ち時間がありましたが、シャワーを使わせていただきました。
タクシーの運転手さんといい、馬場島荘の人たちといい、土嚢を設置し登山道を整備された人たち、上市駅前の観光窓口の人たち、上市町は「おもてなし」の心あふれる町でした。
帰路途中、徳光SAでいつものごとく海鮮丼を食べ大満足で帰りました。
今回もまた心に残る山旅が出来ました。

{写真は「カニのたてばえ」の渋滞。ここまで1時間、これから1時間30分待つ)
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