まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

第7回 絆コンサート

2011-11-06 08:12:55 | 日常
平成23年11月4日
今年も府中中学校吹奏楽部の定期演奏会「絆コンサート」に行きました。
吹奏楽コンクールでは今年もまた広島県大会、中国大会でも金賞を得て全国大会へ、全日本マーチングコンテストでは3年連続で金賞を獲得、京都で開催された国民文化祭にも出場、今や吹奏楽の常勝軍団、野球で言えば甲子園の常連高と言う感じです。まさに我が府中町の誇りであります。
なぜここまでになったのか。それは各人の技量の高さにあります。みんながソロで演奏できる実力、スターばかりなのです。中学生が大勢の観客の前で堂々のソロ演奏を行い、終わったら手を振って挨拶するパフォーマンス、なかなか出来ることではありません。まさにスターの振る舞いです。楽器を手にしたばかりの1年生の演奏と卒業する3年生の演奏も比較して聞くことができました。よくぞここまで進歩、上達したものだ。
そのためにはすごい練習があったのでしょう。やらなければこのような演奏は出来ません。一芸に秀でることにより人間的にも成長するという教育の意義がよく理解でしました。なによりすばらしいのは笑顔、楽しくて仕方がないというその笑顔。光り輝いていました。笑顔ってすばらしいですね。本当に感動しました。カラヤンの指揮ぶりは芸術品といわれます。古土井先生の指揮振りすばらしいですね。乗りに乗っていましたね・・踊るがごとく指揮しているのですが演奏に踊らされているかのごとく感じました。一番楽しんでいるのは指揮者の古土井先生かもしれませんね。
歌、踊り、最後は演奏しながら客席に消え出口で見送ってくれた演出。これまた感激。すばらしい生徒たちでした、
元気を一杯いただいた演奏会でした。
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金子みすず記念館

2011-11-03 12:34:50 | 日常
平成23年11月2日(水)
朝8時に荷物を届ける仕事が入り山口県長門市に出かけました。
長門市内に入ると「金子みすず記念館」の看板が目に入りました。そうかここは金子みすずのふるさとなのか。納品が終わってからその地を訪ねました。
そこは仙崎漁港のすぐ近くでした。
金子みすずの詩「こだまでしょうか」が東北大震災の画面に流され一躍脚光を浴びました。

こだまでしょうか

「遊ほう」っていうと
「遊ほう」っていう。

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう

「もう遊ばない」っていうと
「遊ば内」っていう

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか
いいえ、誰でも

金子みすずは本名はテル。「みすず」は青緑色の半透明の宝石から取った名前です。明治36年4月12日仙崎で生まれ昭和5年3月10日 26歳の若さで自殺しました。20歳のときから童話雑誌に投稿し、与謝野晶子と双璧をなすまでの人気を得ました。死亡するまでの6年間に512編もの多くの歌を残しています。
仙崎漁港の近くに育ったから、だから海や魚の歌が多いのですね。
苦悩とは裏腹にファンタスチックで温かい心にさせてくれる言葉、どこから生まれてくるのでしょうか。
帰りは、天然かけ流しの湯免温泉を楽しみ、萩にたちより初物の大きな夏みかんといつもの醤油を買い、紅葉のはじまった歴史街道「萩往還」や中国山地の紅葉を楽しむため
寂地峡、冠高原を経由して帰りました。久しぶりに秋を満喫したよい1日でした。
(昔の店舗が記念館の入口となっています。ここから入ります)
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船窪小屋

2011-11-03 11:22:48 | 日常
平成23年10月6日~9日
七倉から船窪岳・烏帽子岳を縦走 高瀬ダムに仲間6人で下りました。
鉢の木岳を含むこの山域は後立山と呼ばれ比較的登山者の少ない山です。このコースの高瀬ダムから烏帽子岳の登山道は「ブナ立尾根」とよばれ「日本三大急登」に数えられる難ルートです。七倉岳、船窪岳周辺の縦走路は地震の影響もあってか登山道も各所で崩壊しておりました。
この山行での一番の印象深いことは船窪小屋でした。発案者も船窪小屋がすばらしいのでみんなをつれて来たいとの思いもあり、今回の山行を計画されたようです。
船窪小屋は定員50人の比較的小さな山小屋ですがランプと囲炉裏のある家庭的な暖かい雰囲気のする小屋でした。建物も堅固で清潔な小屋です。水も1時間かけて汲んできているとのこと。我々が泊まったときは10人あまり。料理も山小屋とは思えない会席料理のような豪華な心のこもった料理でした.奥様が調理されたようですし、またネパール人の従業員が作られたネパール風のお汁も美味しかったです。料理も食べきれず満腹だったのですがせっかくの料理を残しては申し訳ない気もしたのでつめこんでしまいましたが動くことが出来ずその後に開かれた宿泊者との「お茶会」は欠席してしまいました。山小屋を立つときも鐘を鳴らして姿が見えなくなるまで見送っていただきました。小さな山小屋だから出来ることでしょうね。いやそうではなく登山者との心の絆を大事にされているから出来ることでしょう。翌日で小屋を閉めるとのこと多くの仲間が小屋閉鎖のお手伝いに集まってこられるとのこと。家庭的で多くの仲間に守られている山小屋。心に残る山小屋でした。
(写真の右側前列二人がご主人と奥様です)
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