まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

渡岸寺観音堂(向源寺)と「観音の里」のこと。

2023-03-26 21:47:41 | 日常


令和5年3月23日
ややこしいが渡岸寺は地名である。
そこにあるお寺の名前が向源寺です。
国宝の十一面観音菩薩、7像のあるうちの一つがある滋賀県長浜市高月町のお寺です。

滋賀県近江八幡市まで緊急の輸送依頼があり,夜を徹して走り、朝7時、無事納品しました。
一段落し、さて帰るかと思いましたが、確か滋賀県とくればあの国宝の十一面観音菩薩様のおられるところではないか。
早速調べればここから70キロ余、琵琶湖の湖北地方にある町だ。
行けば半日あまり時間を要するが朝までに帰ればよいので、せっけくのチャンスだ。行くしかない。北陸自動車道・木之本インターで下車。

(地元の人の気持ちのこもった参拝道。人々により、きれいによく手入れされていました。)

木之本町の古い街並みを抜けて参拝道の入り口に到着。
この参拝道につくと、何か雰囲気が、空気感が違う。
凛としている。
参拝道の両側に50本余りの松が植えれれている。
どれもがきれいに手入れされている。
地元の人に大事にされているのが伝わってくる。
境内はかっては七堂伽藍が立ち並ぶ壮大な寺院であったが、今は跡形なし。
建物といえば山門と観音堂と受付の社務所くらい。
受付には平日にも拘わらず男性の方が2名駐在しておられた。
1名の方が案内に付き添い、説明してくださいました。
現天皇陛下も若いころ来場された写真がありました。各国の有名人,名士も多数来場されていました。
今日は私一人ですが多い日には観光バスが何台も連ねて大勢の人々が訪れるとのことでした。
昔は天台宗のお寺でしたが現在は浄土真宗であり、本来、浄土真宗は阿弥陀如来以外はお祀りしません。
そのため,檀家の方が別に観音堂を設けて漢音様を祀っておられるのです。
私のところも浄土真宗ですが観音様の方が願いをかなえてくださるので最近は熱心に信仰しております。
観音堂の中は撮影禁止。観音様が左側に、阿弥陀如来像・大日如来像が右側に仏像のみ安置されていました。
観音様の高さは6尺5寸、195㎝、真ん中に立っておられますから周囲どこからでも眺められます。写真のイメージではほっそりとした感じでしたが本物はかなり豊満なようです。
かっては光背もあったのでしょうが今はその穴しか残っていません。
ガイドの人は7つの国宝中、ここの観音様が一番美しいといわれました。
自分のものが一番美しい。当然です。

(頭上の仏様が倍以上大きいです。耳の後ろにも仏さまがあります。鼓胴の耳飾りも珍しい。)

特徴としては①頭上面が二倍くらい大きい。だからそれぞれ表情が違いがわかります。
②通常は10体と頂上面を加え11体なのですがここは6体と裏の暴悪大笑面と耳のところに2面、頂上面が菩薩面が如来面となり10面しかなく本体のお顔お入れて11面となっています。
耳飾りにヒンズー教の像に見られるような鼓胴式の飾りがついています。 
③通常は直立した像ですがここのは「く」の字に曲がって濃艶な感じを与えます。

ガイドの方のお話では作家の井上靖氏が取材のためこのお寺を頻繁に訪れ、朝日新聞に昭和46年5月から333回にわたって連載された「星と祭」に登場させた。
「愛する者の弔い方、子を喪った親の悲しみ』を主題とした615ページの長編小説とのことです。
この観音様はそれまで秘仏とされていたが井上氏の助言により公開されるようになったといわれました。


湖北地方は「観音の里」といわれています。この地域に30余りの寺院がありますがそのうち25余りが十一面観音菩薩が祀られています。浅井長政と織田信長の戦いをはじめ幾多の戦乱により寺院はことごとく焼かれました。庶民は観音様を守るため川に沈めたり、土に埋めたりして守りぬきました。たび重なる戦乱で手や顔が取れ棒状に変形した「イモ観音」と呼ばれる仏像もあります。それでも観音様に違いありませんから大切にしています。
ここの向源寺の観音様の体が黒いのは土に埋めたとき金メッキがはがれたためです。庶民の力により守られたというのがよくわかります。それだけ観音様の恩恵を深く感じておられるのでしょう。
他の6体の国宝の観音様は京都、奈良、大阪の寺院にあります。辺鄙なこの地で守られたのはいかに人々の信仰心が深かったのかわかります。

(仏像の所在表の一部、32中23が観音様、そのうち12体が十一面観音でした。
いかに多くの観音様がおられるのか.観音の里といわれる所以です。)
ガイドさんの言われた言葉。「観音様を守っているのではなく、守らせていただいている。」
心に深く刻みたい言葉です。
またいつか多くの観音様にお会いしたいものです。

 
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「金剛山・葛城山 」例会山行の下見す。

2023-03-20 23:56:44 | 日常

(心休まる大和の風景です。バックは二上山。左が雌岳、右が雄岳)

令和5年3月18・19日
この日は4年前に広島から京都に引越された人の弟さんがまた京都に引越との予約が昨年12月にありました。その時はこのコースの下見に行くと決めていました。
昼過ぎには引越作業も完了、先ずは出発地の竹内峠に向かいます。
今回のコースは10数年前に実地、葛城山頂のホテルの鴨鍋が美味しかったのが一番の思い出です。
現在の募集状況は参加者22名であり人員が増えてもよいようにバス、宿舎とも対応を考えているところです。
下見の目的はコースの確認、コースタイムの通り歩けるのか、かくにんすることにあります。
一番の懸念は何時に現地に到着できるかわからない。連休中であり交通渋滞の件があり到着が遅れることです。遅い場合は竹内峠を出発地点にしなければならないでしょう。
そのまえの二上山の登り方をどうするか。
18日は16時ごろ竹内峠につきましたので、今日は頂上往復の場合の調査になりました。
広場を出発。馬の背経由で頂上まで30分,雌岳、岩屋峠を経て竹内峠までは1時間、合計で1時間30分要しました。
今宵の宿舎は道の駅「當麻」のホテル「あかぼう」、店舗は閉店し駐車場は真っ暗闇。
19日、6時30分出発。多くの車が駐車していますが大部分は二上山登山者のようです。
「施設利用者以外は駐車お断り」の看板がありますが格好の登山口にありますから効き目はないようです。

(珍しいおしゃもじのお宅がありました。長寿のお祝いに贈られたそうです。
宮島のしゃもじの販路拡大に役立つ風習にしませんか。)

近くに二上神社がありますからこの登山道が正式な登山道なのでしょう。
1400年の歴史を感じる道です。
標高差約400m、予定通り60分余りで登頂。



大津皇子の御陵がある。
辞世の句と大泊皇女の歌を朗詠す。その先に第26経塚なるものがあります。
経塚とな修験道に関するもので役小角が法華経の経典28品を埋没したものに由来し葛城28宿と呼ばれ由緒あり、最古のものです。
このコースでは竹内峠まで2時間コースとなります。
道の駅がバス停車場となり、トイレもあるから最適ではないかと思います。
当初の屯鶴峰コースの場合は見物時間を加えると3時間余りとなり、時間を要し難しいように思います。

次は金剛山の調査に向かいます。
登山口は高天彦神社です。
県道30号線から狭い道を約900m登った先に車両が30から40台置ける広場につきました。
この駐車場は地元の人の好意により設けられているようです。あとでお賽銭をお札に奮発しました。
高天彦神社がここがあの有名な「高天ヶ原」であるとの看板。
ぽっかりと開けて明るくよいところです。
ここから2時間で金剛山。




多彩な山頂探索は1時間で大丈夫です。
ここの気温は正午現在5度と低いです。
金剛桜は5月上旬が満開とのことです。
遅い桜が皆さんを温かく迎えてくれることでしょう。
お楽しみに。

高天ヶ原まで下りは70分。コースタイムより10分早い。
郵便道は一部道が崩壊し通行止めとかいてありますが、迂回路があり安全に通行できます。
中型バスなら高天原駐車場まで来れますが大型バスだと無理でしょう。
麓の広い道路までまだ900mあるかねばなりません。
8から9時間の乗車時間を考えれば、それだけ歩いても大型バスの方が体が楽で良いかもしれません。
大型バスにしましょうか。

下見の成果はコースのイメージができました。
コースタイム通り歩けそうです。
遅くとも18時までには葛城山のホテルにはつけそうです。
翌日の出発は6時にしていますが1時間早くすればそれだけ余裕のある行動がとれます。
懸念されたことはすべて了解できました。
天候にも恵まれ、充実した下見山行ができました。
あとは当日の天候だけです。
観音様にお任せしましょう。
 


 



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ついに念願の岩小屋完成す。

2023-03-13 23:24:32 | 日常

(完成した観音様の岩小屋です。多くの登山者のお役に立ちますように祈ります。)

令和5年3月12日
今日、念願の岩小屋が完成しました。
完成に必要資材を背負い登ります。
絨毯,置き傘入れ、段木、板等の木材、釘、鉄筋、ハンマー等の作業道具約30キロ
絨毯は長さが2m位あり肩に担ぐよりは横にして籠の上に乗せるほうが方が歩き易い。立木や岩にかからないよう慎重に歩きます。
足場の悪い所ではバランスがとりにくい。荷が重たいので復元が困難で支えきれずスローモーションで倒れてしまいます。
春山の斜面で雪の踏み跡を踏み抜き、重い荷物を担いだまま横に倒れ、ひざ関節が悲鳴を上げた痛い体験を思い出しました。
今日で最期、一歩一歩、両側を注意しながら慎重に登る。

(これくらいの横幅のものが自由に通行できる道幅にすれば歩き易い、快適な登山道ということですね。)
ついに到着。
これで安心、後は地ならしをしてじゅうたんを敷き詰め、左側に置き傘入れを設置。
入口に段木で階段を設置し完了だ。

(工事中でしたが御一行様に使用していただきました。快適とのお言葉を頂きました。)


(内部から見た所です。雨が吹き込むようなら垂れ幕でも設置するかな。様子を見て検討しましょう。)
未来永劫、末永く、多くの山者の方々に使ってもらえることでしょう。
特に雨の日や寒い時にはこの岩小屋の有効性を感じてもらえるのではないでしょうか。
私が亡くなってもこの岩小屋は存在し人々のお役に立ち続ける。
ひとつの仕事をなし終えた満足感に浸る。
良い仕事をさせていただき観音様ありがとうございました。
本当にご苦労様でした。
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岩谷観音に岩小屋完成。さらに良くなる追加工事

2023-03-12 00:51:04 | 日常

(土間に絨毯を敷き詰めるため、ブルーシートで型取りをしました。明日はこのサイズのカットしたものを持参します。)

令和5年3月11日
我会の会員において、山行中に多くの幸運に恵まれこれは観音さんのお陰であろうと何回も、十数人の会員がお礼参りに来られました。
かっては山頂近くに岩谷寺というお寺があり住職さんもおられましたが今は麓に移られて何もありません。
参拝に来られた時、中には雨や風が強く寒い時もあったので休憩所があればよいと考えていました。
そんな時、観音さんのすぐ下の岩場に空間を見つけ、何日もかけて土砂を搔き出し,間口約Ⅰ、4m、奥行き約1,3m程度のスペースができました。
そしてそこにコの字型にベンチを設けました。7から8人は入れます。
ベンチを製作、塗装して完成したものを山の上まで運ばねばなりません。
休日や、仕事が終えた後運び上げることもありました。
そのおかげでこの地が素晴らしい夜景の展望台であることを発見しました。
明るい間は作業して、暗くなればヘッドライトがあれば下山できますから・・
この一か月で何回観音様に登ったことでしょうか。お陰で元気と夜景をご褒美に頂きました。
それが完成したのが3月5日で。仲間に報告しました。
実際使用し、一晩泊ってみるのも良いのではと思ったが、ベンチは狭いので寝れない。足元の土間に寝れば土なので装備が汚れます。
コンクリートを打てばよいが大量の装備を運び上げるのも大変、
絨毯を敷くのならあまり手間もかからないので絨毯に決めました。
不思議なことで改めて言うのも我田引水でおかしなことですが、
一昨日、「父がなくなり、住んでいた家を売却したので仏壇のみ自分の家に運んでください」との依頼がありました。
早速、そのお宅の絨毯を頂いて帰りました。
絨毯あればよいと願ったことがすぐに実現する。
余りにもうまくいきすぎる。
観音様の恩恵としか考えられない。
最近の私は観音様の伝道者の様です。
山で会う人に次のように言っています。
「この山は観音様のパワースポットです。」
「頂上の観音様の前でご真言を三回唱えれば直ちに良いことがありますよ」
私が言うように実行した人で、直ちに幸運を得た人は観音様を信じられることでしょう。
このようなチャンスはめったにありません。
観音様は信者獲得のため、私に施されたように必ず幸運を授けられることでしょう。
信者獲得ではありませんね。人々の平安を祈っておられますから

今日は土曜日、直ちに作業に着手するつもりでしたが、今日すべきことは今月15日が期限の確定申告の書類を完成することが最優先。それがすんでから観音様の仕事にかかる。
必要な書類は準備できていたので意外に早く昼過ぎには完了しました。
それでは心置きなく午後3時過ぎから作業開始。


(初めは目立つ白色や蛍光色のテープを巻きましたが、反射テープの方が有効でした。)

先ずは、夜間の登山道を歩く時、目印とするため反射テープをつけながら登りました。
今回は100mから50mごとに付けました。

(夜間の登山道,街明かりの手前のぼんやりと光るものが見えます、写真ではよくわかりませんが実際はもっと鮮やかに見えます。)

できればヘッドライトの光が届く20mくらいの距離が理想です。
そうなれば常に目印の反射が見えて進路がわかりますから安心感が得られます
真っ暗い闇の中、白く光る目印があれば心強いです。
安全は心持ち、余裕が肝要です。

岩小屋ではブルーシートで寸法取りをしました。
それに合わせて絨毯をカットします。


(困ったときに助けてくださるのが観音様。天候急変。雨が降ったら傘が必要です。それなら困らないように準備しておきましょう。)

ついでに岩小屋を利用するのは悪天候の時でしょう。
登山者は当然雨具は持参されますが、一般の人は手ぶらで登る人が多くおられます。
万一天候が急変した時には傘が必要になります。
その為、この岩小屋に『観音様の置傘」を置くようにします。
あすにはいよいよ本当の完成の時です。
胸がうずきます。
観音様、こうご期待、明日はやります。

〈観音様は次々と仕事を与えてくださいます。次の仕事・目標は石段のへダリの修復でしょう。階段が雨水なので裏側の土砂が流失したためでしょう。修復するか、手すりを作れば有効ですがそれにはお金がかかります。果たしてよい方策は・・・)
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同期の千本桜の真道山と岩稜の陀峯山

2023-03-01 21:53:06 | 日常

(南側・大古か見た真道山)
令和5年3月1日
今朝江田島市能美町中町まで行く仕事があり」早く終わったので近くにある真道山に登りました。
この島の山はほとんど山頂近くまで林道が整備してあり簡単に頂上ませ登ることができます。
真道山の場合も中町港の左100mくらいに登山口の林道があります。
約3500mで山頂直下につきそこから急坂道を230段余り登ると山頂に到着。
この山は江田島・能美島の中心に位置しています。
頂上には木造の櫓があり、そこに方位盤が設置してあります。


(山頂の展望台です)
北方を見れば鷹が翼を広げたような古鷹山と術科学校、南方を見れば陀峯山、西方を見れば野登呂山、その先には砲台山があのですが山の陰で見えていません。
穏やかな海と優しい山、典型的なのんびりとした瀬戸の里山という感じです。
この山頂には「同期の千本桜」の石碑があります。
言われは昭和11年10月,昭和天皇の海軍兵学校僥倖の記念にこの山に各地の桜1000本を植樹しました。
その後、昭和45年(1974年)大山火事により焼失。旧海軍出身者は美しい真道山復活の思いが強くあり能美町と協力して平成2年ふたたび1000本の桜を植えました。
春になると再び美しい桜並木が復活しました。
文字通り「同期の桜」を見てみたいね。

「貴様と俺とは同期の桜、同じ兵学校の庭に咲く・・・」
山道を歌を歌いながら歩くのも歩調が合ってよいかと思います。かもしれない
私の年代なら良いかもしれませんが若い人には軍歌はそぐわないかもしれないですね。

(山頂、陀峯の石碑。陀の字には険しい、傾斜した様子、崩れる。との意味があるようですがどれがふさわしいのかな)
帰路大君町まで来ると「陀峯山登山口」の看板が目に入りました。
めったにこれませんからこちらにも行きました。
狭い道、くねくね道に迷いそうです。
神経を使う道を5キロあまり行くと展望の良いところに出ました。

「迫の浦渓谷/丈ノ内展望所」という看板が目に付きました。
こんな島の山の中に渓谷とは・・・不思議な気がします。

(この南斜面には大きな樹木はありません。たぶん山火事で焼失したのでしょう。斜面や稜線上には岩がむき出しになっています。)
南斜面は禿というか岩だらけの尾根や巨石の斜面でした。
眼下にすぐに美しい砂浜が望めます。
稜線には踏み跡がありそうです。
天応のアイゼン尾根のような感じです。
どのような光景が見れるのか挑戦する気が湧いてきました。
山頂はテレビ局の建物が占拠していました。
離れたところに「陀峯」と記された石碑が建っていました。
この言葉何を意味する言葉なのでしょうか。
先ほどの南斜面からは険しい峯という意味でしょうか。
帰路は「深江」の方に下りました。
ことらの方が道も広く、距離も少し短かく快適でした。


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