まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

第102回 草創記念登山とその後の訓練山行

2021-02-23 23:22:58 | 日常

令和3年2月23日
今日は我会の草創記念登山日です。
発祥の地、ホームグランドともいえる熊ヶ峰を中心とする沼南アルプスを草戸の明王院から鞆まで約18キロを縦走。.三密を守りマスク着用しての登山となりました。参加者は約60名。その後 北アルプス遠征組の我々4人は沼隈・千年まで足を延ばし歩きました。総距離29キロ、歩数44100歩でした。沼隈半島一周コースは平坦なバス道36キロですが例会山行で厳しいコースを実施するとき参加者の実力を確かめるため歩いています。今回は山道を含んでの29キロです。体力的には同じような感じがしています。久々の長距離、みんなよく歩きました。目標があるとやる気が違います。長距離歩行、スタミナは合格。あとは岩場のクライミング訓練を天応・アイゼン尾根で行い、クライミング力、集中力の訓練を予定しています。

当日は朝4時30分に目覚まし時計をセットしていたが緊張のためか少し早く目覚めてしまった。
5時、広島の自宅を出発、7時には法音寺橋東詰めの河川敷駐車場に到着。

健脚組のスタート地点、明王院駐車場で点呼。人数は26名。予定通り7時30分にスタート。国宝の五重塔を横目に見ながら山に入る。
この付近のコースは福山市民の散歩道です。明るい雑木林の道を上ったり下ったりして進むと市内を一望する妙見神社に到着。ここから眼前にそびえる彦山(430m)を目指す。落ち葉に埋もれた道を注意しながら歩いていると赤い椿の花が落下していたり黄色の水仙や菜の花、梅の香りも漂ってくる。健脚組だけにだれひとりとして遅れることなく快調なペースで登る。ほどなく1等三角点のある彦山山頂に到着。一度グリーンラインまで下り、葛城山(420m)を目指す。孟宗竹の美しい竹林を登る。かって、この登山道沿いにはお百度石や法界石や石灯篭が林立し、多くの参拝者を迎え繁栄を誇っていたが今は多くが崩壊し落葉に埋もれ跡形もない。年月が自然に帰したというべきであろう。山頂の広場には国旗掲揚台や皇居の遥拝所のようなものもあつたが今はその姿をとどめていない。自然な森林に帰りつつある。

再び下ってグリーンラインに至り駐車場から熊ヶ峰(438m)への土砂の露出した急な登山道を上る。このままではいずれ土砂が流失し荒れてくることでしょう。それを防ぐため段木を設置したいところです。午前11時、沼南アルプス最高峰 熊ヶ峰頂上に至り福山市街地に展望を楽しむ。かっては木製の展望台があったが今は跡形もない。我会が設置した銘木で作った熊ヶ峰の看板も支柱を失い投げ捨てられたままである。11時30分、予定より早く田尻組との集合地点のファミリーパークに到着。先発隊の役員さんが会場設営、準備を終え待っておられました。今回は新型コロナ感染防止のため屋外での開催となり恒例の豚汁もアマノフーズのレトルトのものに変更されました。参加人数は約60名、食事のあと式典があり一昨年の100周記念に植樹した桜に肥料を施し、全員で記念撮影し2班に分かれ13時出発。鞆に下るのは30名、

グリーンラインからは瀬戸の海や鞆の町、仙酔島がよく眺められます、写真の名所、菜の花の黄色に染まった十三仏も眼下にある。3キロ余り歩くと第一展望台に到着。訓練山行組は此処で別れグリーンラインを最終地まで歩き、バス道を出発地点まで歩くことになるがまだ半分。あと6時間も要する。夜間歩行となり危険なので3時間余り歩いて終了とする。

16時、千年まで来てバス便時間表を見れば福山行きの最終は16時27分、早い時間ですね。しかし、これに乗らないと明るいうちに帰れません。無乗員のバスに乗り17時 神島橋バス停で下車。17時20分、はじまりの河川敷駐車場に無事帰りました。最後までしっかりと余力を残しての歩き方で確信の持てる訓練山行となりました。私も皆さんにつられて無事完歩出来ました。ありがとうございました。

前回の沼隈半島半島一周のブログ(2015年4月19日)、本番の黒岳例会山行(2015年5月29日)をご参照ください。
訓練に参加されたが途中怪我のため完歩出来なかった方も本番の山行に連れて行きました。
本番でもスリップ事故を起こしコース変更を余儀なくされました。
体力に余裕がなかったから起きた事故でしょう。それを見抜けず、厳しい決断ができなかった私の弱さが原因で反省しています。
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飯野山(421m)に登る。

2021-02-16 23:06:43 | 日常

(写真は南側のまんのう町から見た飯野山、どこから見ても同じ姿です。)
令和3年3月15日
今日仕事で香川県のまんのう町に行ってきました。
そこで見た飯野山の美しさに魅了され登ってしまいました。
飯野山は別名讃岐富士と呼ばれ、讃岐平野のランドマークです。どちらから見ても富士山の様な山容は変わりません。ということは円形であるということ。
東西南北2キロ以内に山がすっぽりと納まるというのも珍しい。不思議な気がします。
田畑や住宅地の真ん中に突如として山ができたと錯覚しそうな感じです。
美しい姿に巨人の「おじょも」が作ったといわれるのもわかるような気がします。
初めは登るつもりはありませんでしたが仕事を済ませ、まじかに飯野山の雄大な山容に対峙した時、「登りたい」、「山が登っておいでといっている」のがわかりました。

登山口を探して山裾の道を走るとほどなく「飯山町登山口」の標識に出くわしました。ホームセンターの「ダイキ飯山店」のすぐ裏手でした。15台くらい置ける広い無料駐車場があります。現在公衆トイレの工事中、3月末には完成予定です。ここから頂上まで1700m、標高差390m、約1時間の行程。何一つ登山用品は持ち合わせていませんでしたから普段の革靴で登りました。
コンクリートの道を10mあがると右の方に山裾を巻く。

(写真は大きな「ウチワサボテン」寒さに順応しているのですね。霜も降りない温暖な場所なのでしょうか)
道端には大きなウチワサボテンが生えています。自生しているとは温かいのですね。黄色の菜の花も咲いています。これから春になれば桃の花も咲くとのこと、さぞ美しいことでしょう。300m歩くと「一王子神社」があり、そこから真っ直ぐに登山道が山頂に向かい伸びている。頂上まで1460mの標識あり。登山道は立派なものです。

階段の段木は直径10㎝、長さ120㎝のコンクリート製の擬木。これが延々と頂上まで設置してあります。こんなにお金のかかつた立派な登山道は初めてです。日本中探してもありません。丸亀市の飯野山に対する力の入れようが違います。途中3か所の休憩所がありましたがこれもコンクリート製の頑丈なものでした。途中で出会った登山者は下山中の2名のみ。登山道は樹林帯で展望はあまり効かない。ただ天候も悪くなり、黙々と登るのみ。そうなれば得意の歩測が生きます。8合目から近道の山道を登り200m短縮したので総距離1260m。歩測数1350歩で頂上に、45分で到着しました。空身ですからこんなものでしょう。山頂は樹木が茂っており展望が効かない。北側に30m下ったところに立派な展望台がありました。

(左の平らな山容は金毘羅さんのある象頭山でしょうか)
雨雲が近かづいているのでしょうか靄って展望がよくない。
頂上には巨岩の磐座や昭和天皇歌碑や「新日本百名山、飯野山」の石碑等や薬師堂がありますがカギがかかって入れません。
昭和天皇の詠まれた歌は、大正11年11月丸亀平野で行われた陸軍大演習の折、飯野山の美しい姿を愛でられ詠まれた歌です。
  暁に駒をとどめて見渡せば 讃岐の富士に雲ぞかかれる
天皇陛下はその感動を歌に詠まれ、私は感動して頂上を極めました。大満足です。遠くから雷の音が近づいてきましたので急いで下山しました。
念願のかなった飯野山初登山でした。
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第24回広島市立大学芸術学部卒業・修了作品展

2021-02-16 00:36:35 | 日常

令和3年2月14日
2月10日から今日まで安佐南区の構内において開催され見物してきました。
何故関心があつたのかというと以前東京で開催されたコンペに同大学生徒の作品を運搬したことがありました。
その方の作品が第1位に選ばれました。東京芸術大学、、武蔵野美術大学、多摩美術大学等有名な美術大学を打ち破り優勝されてのですから大金星と言わざるをえません。
このことは地元の新聞にも全く報道されませんでしたが知るもの、関心のある人には広島市立大学のレベルの高さをしらしめました。この時の内容は私のブログ、平成28年10月17日付け「名誉ある仕事、お客様がアートコンペで最優秀賞。」に掲載されています。ご参照ください。
どのような作品が見れるのかと興味があり出向きました。
この時期,各地の美術大学においては同様の卒業作品展は開催されています。
広島市立大学では24回目です。同じ県内の尾道市立大学は17回目、東京芸大ではなんと69回目、東京在住私学校の東京5美術大学合同展でも44回目といいますから歴史と伝統の差は歴然としています。新興の広島市立大学生が優勝するとはまさに快挙といわざるを得ません。このような高成績が学校のレベルアップにつながるのでしょう。
今回の展示内容も多種多様、デザイン工芸学科は立体造形、金属造形、漆造形、染織造形、視覚造形、映像メディア造形等、美術学科は日本画、油絵、彫刻、皆さんの学びの成果、心血を注いだ作品ばかりです。
門外漢の私は作品の善し悪しの評価はできません。自分が好きかどうかでしか判断できません。日本画では10作品展示してありました。気に入つた作品があり学生さんにこれなら展覧会に出してみれば入賞されるのではと聞いてみましたらそのような高いレベルではないといわれました。世間には大勢の作家がおられますから競争の激しいことがわかりました。でもそれに挑戦しレベルアップを図ることは必要なのではないでしょうか。有名美術大学はレベルが高く才能のあるかたが合格し、有名な先生に指導を受ける。だから上達するわけです。そして学生でありながら自分を主張し個展を開催する人もあります。実力の世界は厳しいですね。趣味の世界の話ではないようです。

(この作品が今回の最優秀と評価され大学に「買い上げ」された作品です。
蛇足ながら広島市立大学のレベルはどの程度か調べてみるとCクラス、一般の大学でいえば広島大学程度とのこと。
その他のランクはトップS級は東京芸術大学、(一般大学では東大並) A級上では多摩美術大学(慶應並)、武蔵野美術大学(早稲田並)、A級は金沢美術大学(一橋並)、愛知県立芸術大学(名古屋大学)、B級は沖縄県立芸術大学(九州並)、東京造形大学(上智並)、C級では広島市立大学のほか尾道市立大学(岡山大学並)との評判です。
これはあくまで個人的な判断ですからご参考までに
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落石防護策は

2021-02-13 21:17:13 | 日常

令和3年2月13日
岩屋観音さん登山道の庇状の大岩、今日か、明日か、遠からず何かの拍子に、今回落下したように落下するかもしれない。
今までは登山道の上の方にあり、前ばかり見て、上の方を見て歩かなかったのでその存在に気が付かなかったが、危険な状態を知ってしまうと気になって仕方ない。
今までよく無事に通行していたものだ。

根本的な対策は管轄する広島市役所東区役所の方にお願いするとして今できることは、登山者に「危険な状態の大岩存在」の知ってもらうこと。知っていれば迅速な避難行動をとることも可能であろう。
迂回路を作ることも考えねばならないが当面の対策としては注意して素早く通過してもらうことではないでしょうか。
危険な状態を知らせるため、周囲の木々を伐採し明確に見えるようにする。トラロープ、赤いカラーコーンを設置してよくわかるようにする。落石注意の標識を設置しました。今日は土曜日のためか作業をする1時間余りの間でも約50名くらいの登山者に出会いました。一日では何百人という人がこの危険な場所を通行されることでしょう。どうか落石事故に遭遇せず、無事に通行されるように祈らずにはおれません。
岩屋観音さんの頂上は多くの巨石が積み重なっおり、展望もよかったのですが、樹木が年ごとに大きくなり展望が悪くなっています。たちまちは広島市街地方面の展望をよくするため、水平目線までの妨げる木々10本余りを切断しました。次には目線を下にしたとき麓の市街地も見えるようにする為下方の木々10本余りを伐採します。ご年配の方の話では、「昔は下から観音様の像が眺められた」といわれましたから岩山にはほとんど樹木は生えていなかったのでしょう。お寺があるときには伐採し下からも拝礼できるようにしていたのでしょう。昔の復元は無理にしても周辺の景色が楽しめるよう妨げとなる木々は伐採しようと思います。

 もうひとつ。「歩測しませんか」との標識を設置しました。私は何回も登っていますので今どこにいるか、後何歩で頂上に着くかわかります。
歩数の数値も荷物の重さや、疲れ具合、体調の良しあしにより変わります。何歩で登頂できるかわかれば勇気づけられます。
いろんなことにより楽しく登山できればよいですね。
追記
近い将来発生するであろう落下事故に対して下記のようなことを行いました。
 1,2月15日 県庁自然環境課に現状を知らせる手紙を出しました。
 2、2月16日 広島東区役所維持管理課に行き実情を説明、対策を求めました。写真から早急な対策が必要であることは理解されたように思いました。
 3、2月19日、区役所にスマホで撮影した鮮明な写真を持参しました。
       また同じ写真を府中町の水分峡管理センターに持参し掲示板に掲示して登山者に危険なところがあることを知らせるようお願いしました。

「昔は下から観音様が見えた」とのお話がありました。府中町の市街地からは観音様の頂上の岩場は見えていたが観音様の像が刻まれた岩は見えなかったが今回、私がその前の立木を伐採したので麓からその岩が見えるようになりました。遠くなので観音様は見えなくてもその岩には観音様の像が彫られていることを知っているので岩そのものが観音様を連想させる。
下界に住む我々の行動をいつも見守ってくださるとの意識を持って生活することができる。実にありがたいことです。

2月20日
観音様造の前面の樹木を伐採したので明るくなりよく見えるようになりました。30本くらい伐採しましたがまだ不十分なので引き続き行います。  
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すご技、大岩を動かす。

2021-02-11 21:05:28 | 日常

(写真は石段を遮る大岩、ハンマーを打込み、壊しましたがこれ以上は小さくなりません)
令和3年2月11日
今日は暖かい日です。
やるべきことがあります。岩谷観音さんの上部、コブの峰のあたり、岩谷寺跡の広場から30m余り登った石段の上に大きな落石が登山道を遮つています。去年の夏ごろに落下したものです。大きさは長さ120㎝、横幅80㎝、高さ60㎝くらいあり、重たくて全く動きません。狭い石段の途中に鎮座していますからお年寄りや子供さんは乗り越えるに苦労されていました。砂岩のようで表面は柔らかい感じがしますからハンマーでたたいたり、割れ目にクライミングのハーケンを打ち込み少しは剥がれましたが表面がなくなり丸くなりそれ以上手掛かりがなくなるとハンマーでは進展しません。クライミングのボルトを打ち込むジャビングで穴をあけましたが穴の大きさも小さく、深さも2センチくらいですから2から3か所明けただけでは効果ありません。粉砕する方法はダメです。移動してなくなれば良いのですから横に動かす方法を考えました。

(写真は角材等でステージを構築しその上に滑らして乗せ、横に移動させます。)
先般の石段を作るときも竹材を下に敷き重い石を滑らして運びました。今回も同様です。石段に角材と板等で、滑り易いように勾配を付けたステージを作り、その上に竹を割り、板状にして滑らせる。さらに竹材や鉄パイプをコロにしてその上をコロがせば移動できる。長い鉄バール、重いけれど有効でした。それをテコにすれば重い岩も持ち上げることができ、その岩との狭い隙間に4か所余り竹板を差し込み、滑らしてステージの上に大岩を移動させることができました。

(写真は作業完了。大岩は左側に移動しました。以前の歩き易い状態に戻りました。)
登山者の方にも手伝っていただき2時間余りで登山道の横に移動することができ支障なく歩けるようにならました。思わず「やったぞ、万歳」と叫びたくなりました。登山者の皆さんにも「楽に歩けるようになった。ありがとう。ご苦労様」と喜んでいただきました。本当に一安心です。よくできました。お手伝いいただいた登山者の方から「頂上付近も松の木が大きく展望が悪くなったので伐採してほしい。」との宿題も頂きました。「この頂上に至る登山道も広島市の温品町とか中学校から登る道とかいろいろあるがどれも荒れており歩きにくい。府中町の水分峡から登る道は良く整備されており歩き易い、府中町は大したものだ。」とおほめのお言葉を頂きました。内心嬉しくなりました。

(写真は危険な庇状の岩、今にも落ちそうです。これを知ってこの下の道を歩けますか。)
一段落し、この大岩はいったいどこから落ちてきたのだろうか。はっきりと断言はできませんが2~3mくらい上に白く剥がれた所があります。岩がはがれて庇状になっています。横幅約2m、長さ1,5m、庇の厚さは80~90㎝の大岩です。下の道を通行するときには上の方を見ませんから気が付きませんでしたが、この状態はいつ落下してもおかしくないほど危険な状況です。知ってしまうとゾーとします。背筋が寒くなります。「屁のツッパリ」にもなりませんが手持ちの角材を支柱として打ち込みました。
下山後、水分峡公園センターの駐在員に状況を報告しました。頂上付近は広島市の管轄といわれましたが一応府中町役場には報告しますとのこと。危険なところを知らせるため赤いカラーコーンを頂けることになりました。次回に登山した時、危険現場を知らせ、注意してもらうように安全対策として設置をしたいと思います。
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例会山行 「朝日山(454m)」

2021-02-08 15:47:40 | 日常

令和3年2月7日
朝日山は竹原市の北方にそびえる標高454mの山です。瀬戸内海の多島美の展望が楽しめる山で山頂まで車で行くこともできます。
わが会のガイドブック「コースガイド100」に登場する山で私が執筆を担当しました。
例会山行を実施しその後の登山道の状況も確認、歩かれる登山者のためにも役立つようにと計画しました。
今回の計画段階では広島県は新型コロナウイルス感染の緊急事態宣言が発令されかねないような危険な状況であり、「万一警報が発令されたときは中止」として会報に掲載しました。その後、感染状況も改善し、今回三密を守り実施することができました。
今日は天気も良く絶好の登山日和となりました。参加者は20名、内訳はJR組は12名、車組は7名、自転車組1名、竹原中学校で合流しました。
私は車で行き竹原駅の近所に駐車し9:01着の仲間を待ちました。知らない人もあり、テープに名前を書いて前後に張り付けていただき即席の名札としました。
今回の山行の学習目標は歩測です。自分の歩いた歩数で距離を知ることです。街中を歩くとき50mの歩測を2回、それに橋の長さを歩測で測ってもらう体験もしました。
竹原中学校で合流後、先ず準備体操で体を温め、コースの説明、注意事項等を話しました。
安全登山のため道迷い、転倒防止をお願いしました。
毎日の訓練を継続するためには、目標を持つことが大切であると話しました。槍ヶ岳に登りたいという人が多くありました。
それでは「今日はその槍ヶ岳に登るためしっかりと訓練しようと気合を込め、歩き抜きましょう」と気合を入れました。
山に入るまでの舗装道路、平たん道と坂道で2回歩測テストを実施しました。
何回も歩測を実施したのは今日の重要ポイントが山行中に250mで方向転換する箇所があるためです。
谷川の両岸には段々畑の石垣が残っています。その畔道も多くが崩れ歩きにくい。山の上まで何十段も続いてます。大正時代かそれ以前から食料を得るため営々と築かれたものです。急斜面、石ころや落葉で足元がおぼつかないところもありましたが槍ヶ岳登山への道と思い、スリップしないよう慎重に注意深く登りました。

(写真はぬかるんだ登山道に川原石を敷き詰める仲間)
川沿いの泥で抜かるんだ登山道では後続者のため河原から石を運び上げて歩き易くしてくれた仲間がいました。私の気持ちを理解してくれた仲間に感謝。ありがとう。
標高270m付近に立派な溜池があります。かなり大きな池です。この段々畑を維持するため大変な努力があつたことを感じざるを得ない。
溜池の上部より右側の尾根道に変更する位置に標識を設置しました。竹藪の続く尾根道で坂道の歩測を行う。歩数が1,5倍くらい増えることを体感する。
車道に出て再び登山道を登りますが若い松の木等が生い茂り歩きにくくなっていたのでのこぎり隊3名が先頭に立ち切り開いてくれました。残りの隊員は「ファイト、ファイト」と順番に声を出し最後の急坂を乗り越え頂上に到着、絶景の展望を楽しみました。

(写真は頂上の休憩所と瀬戸の展望)
昼食の後ツェルトの利用法を学習しました。緊急のビバークだけてなく、寒い時に暖をとったり、着替え、トイレにも使用できます。
これから後半のコースが今回の核心部です。
どちらの方向に進むべきか。地図と磁石で進むべき方向の見つけ方を学習しました。これを取得すれば迷うことがない。途中においても磁石で方位を確認して、進むべき方向に自信を持たれたのではないでしょうか。ここからはサブリーダーに実際にリードしてもらいました。のこぎり隊も藪を切り開き、登山道としてくれました。歩測と地形から現在地を探り出し、250mを歩測、予定通りのコースを行くことができました。

(写真は急峻な尾根道に安心の標識を設置しました。)
正解の細い尾根道に「コースよし、スリップ注意」の白い標識を設置しました。コースが間違いないことを確信すれば安心して下ることができ気持にも余裕が持てます。あとは急坂で転倒しないように注意するのみ。最後の分岐点、標高170mからは100m進んで100m下る、勾配45度の急斜面。登るのはたやすいが下るのは技術がいります。4本爪の軽アイゼンを着装。

(写真は安全のため急斜面に150mロープを設置しました。安全で早く降りれました。)
下見の折、一般の登山者も通行されるので道に迷わないようピンクのテープでマーキングをしたり、安全のため100mのロープを設置していましたが今回さらに50mを足して設置。麓まで安全に降りれるようにしました。スリップした人もありました。アイゼンが有効だという人もありました。この斜面が一番勉強になったという人もおられました。思い出に残る記念すべき登山となったという人もありました。指示を忠実に守り、全員事故なく無事に終えたことに感謝したい。軽アイゼンは氷結した登山道だけでなくこのような急斜面でも有効であると体験した。荷物にならないのでツェルトと共に持参してほしいものです。
[困難を克服することが楽しい。」とは登山の本質であり、これほどうれしい言葉はありません。
ともあれ、みじかな里山の登山でしたが記憶に残る山行となりました。
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今年の立春は違うね?

2021-02-04 21:40:29 | 日常

令和3年2月4日
今年の立春はいつもより1日早い2月3日でした。これは124年振りとしてニュースにも取り上げられ話題になっていました。原因は詳しいことはよくわかりませんが1年365日の時間差を閏年で1日増やして調整していたが微調整が重なり1日前倒しとなったようです。そのためかどうかわかりませんが今日は北日本では気温も今年の最低気温であり積雪も今年一番の大雪となり、春らしくない天候となりましたました。東京では春一番が吹吹き荒れ最も早い記録となったとのこと。
今朝仕事で高松市まで行きました。朝は小雨交じりの冷たい雨が降り、風もかなりあり瀬戸大橋では真っ直ぐ走れない有様でした。仕事を終えた後の楽しみは食事。ご当地の名物は讃岐うどんです。

帰路の加茂町にあるセルフのうどん屋さん。いつものように多くのお客さんで賑わっています。注文するのはシンプルな「ぶっかけ温うどん」天かす。ネギ、大根おろしをたっぷり入れて食べます。うどんの触感が違います。美味しいのでお土産にうどんセットを購入して帰りました。この付近は三大怨霊の崇徳天皇の遺跡が多いところですが天気も悪いので今日はパス。それでは温泉に入って帰りましょう。予てより鷲羽山ハイランドホテルの屋上露天風呂の絶景が素晴らしいと聞いていましたのでそこに行きましょう。電話すると今日はお休み、屋号も「カサゴ」に変更になっていました。残念。どこか良い温泉がないかと気にかけて走っていると、すぐ近くの鴨川駅の近くに「天然温泉・城山温泉」の看板が目につき行ってみました。駅の裏山、住宅地をぬけた小高い位置に立っていました。送迎用のバスが4台並んでいました。外観はぱっとしませんのであまり期待していませんでしたが中に入ると小奇麗な様子でした。今日は午後から大衆演劇の上演もあるようです。入浴料は700円。演劇鑑賞は2000円。広島でも芝居の上演会は以前は各地にありましたが今ではするところもなくなりました。この小さな町でやっているとは珍しいですね。天然温泉とのこと。何の効能があるのか分かりませんが天然温泉と聞くだけでお湯はなめらかで気持良く入浴出来ました。高台にあるので展望がよい。食事もできます。右手には五色台、白峯神社のある山がそびえ、左手には坂出の町や瀬戸の海が望めます。

すっかり、リラックス出来ました。私のお気に入りになりました。
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