まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

忙中閑あり  「旗艦・三笠を見物す」

2018-03-29 21:38:40 | 日常

平成30年3月22日から29日

この時期は引越が集中、特に今年は「引越難民」と言われ引越したくてもできない異常な事態となっています。この1週間前半は横浜市へ、後半は千葉市へ、昨日は香川県三木町と引越に追われ多忙な時期を過ごしました。いずれも学生さんや大学関係者の単身引越でした。遠出した時の楽しみは観光や温泉に入ることですが横浜に行った時にはかねてより、日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を破った旗艦・三笠を見物することを念願としておりましたがようやくその希望が叶いました。海に係留されているのかと思いましたが、なんと横須賀の三笠公園の一画に鎮座していました。明治35年イギリスで建造され、当時は最先端の戦艦でした。今年で112年余りになりますがじつに堂々とした風格あふれる戦艦でした。いろいろな遍歴を経て昭和36年に現在の場所に復元展示されました。今では年間20数万人の人が訪れる観光スポットですが意外にも若い女性にも人気のある場所と紹介されていました。行ってみればきっと面白い発見がありますよ。道中は片道850㌔余り、12時間くらい要しますがは春休みのためか交通量も多く方々で事故や工事渋滞が続発して大変でした。そのためほかにもゆきたいところがありましたが次の予定もあり、残念ながら切り上げて帰りました。また今度ゆっくり行けるときがあるでしょう。4月上旬にはアメリカの親戚が来日されるので別府や、阿蘇、長湯温泉を案内する予定です。憧れの翡翠の庄にも宿泊します。それを楽しみに頑張りましょう。

(写真は三笠公園に立つ東郷平八郎像と戦艦・三笠)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥多摩の登山者、13名遭難事故の謎

2018-03-27 21:48:29 | 日常

平成30年3月22日

昨夜21日午後7時45分、東京都奥多摩町の三頭山(1531m)に登った登山者から雪のため下山できないとの119番通報がありました。警視庁と東京消防庁が救助に向かい22日午前1時20分ごろ全員を発見、救助したとの報道がありました。メンバーは19日に中国の通信アプリで参加者を募集した即席パーティで10名が中国人、3名が日本人で典型的な初心者の遭難事故でした。当局の迅速な対応に感心しました。通常夜間は救助に出動するなど聞いたことがありません。大抵は翌朝6時に救助に出動というのが当たり前でしたから。今回は動かないでその場にとどまるようにとのアドバイスが有効で早期発見につながり全員無事に救出されたのはよかった。翌朝であれば凍傷、低体温症で危なかったかもしれません。今までもすぐに救助に出動していれば多くの人の命が救われたことでしょう。記憶に新しい例ですが今年1月25日妙高市のスキー場で悪天候のためコースを外れた親子が携帯電話で救助要請したが、翌日捜索、心肺停止で発見された。119番に電話すればその発信場所は探知されます。登山者ならある程度の冬山装備は持参していますから何とか一晩くらいなしのげるでしょうがスキー客に装備は期待できず生命の危険は予想されるが出動しなかった。また2009年1月、北海道積丹岳で一旦救助した遭難者をストレッチャで搬送中、雪庇を踏み抜いて転落、再び急斜面を登り返し、木にくくって休憩中、その木が折れて再び谷底に滑り落ちた。翌日の捜索で凍死による死亡が確認された。自らのミスで転落させた責任を思うなら夜になろうとも直ちに救助に向かうべきだが夜間救助は危険と判断したのか救助活動はされなかった。厳冬期には立木も凍結して折れ易くならことを知らなかったのでしょうか。度重なるミスによりこの事故は裁判となり最高裁で警察の過失がが認定されました。直ちに救助努力していれば、たとえ死んでいても裁判になることはなかったでしょう。我会の大山遭難事故の時も直ちに行けば助けられるかと思いましたが捜索は翌朝からでした。民間の救助隊であればお金次第で出動してくれるのかもしれませんが警察や消防隊の公的な救助機関は夜間出動はしないものと思っていただけに今回の救出劇は遭難者の内10人が中国人だけに「特例措置」がとられたのでしょう、助かってよかったですね。今風に言えば「中国政府が救助要請したのか」はたまた「中国政府に対する忖度」が効いたのでしょう。

最近ではドローン技術の発達により危険な場所でも捜索が可能になりました。夜間でも体温を感知し見つけることもでき、将来は必要な物資を届けることができるのではと思います。新技術の開発により多くの命が救われることを望んでいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椿 咲く

2018-03-17 23:11:37 | 日常

平成30年3月17日

今日は美しい椿を見た。雨も上がり、暖かい春の陽気に連れられて岩谷観音さんの登山道整備に出掛けました。道に真っ赤な花弁が落ちており上を見上げれば真っ青な空に、濃い緑の葉に真っ赤な椿の花の鮮やかなこと、思わず見とれました。なんと気持ちの良いことか、この爽快感は何だ。自然の中に抱かれる心地よさ、多くの登山者の皆様からの「ありがとう、ご苦労様」の声が山の神様の感謝の言葉の如くにて元気をいただきました、これまた心地よい。今日7か所新方式の段木で修復し登山口から200mまで猪に掘り起されて傷んだ登山道もほぼ修復し完了した。そのあとにこの椿を発見したものだから尚更心地よい。椿といえば思い出すことがあります。大学の授業の時椿の講義があり始めから終わりまで毎日椿の講義をノートに書き写していたことがありました。毎日毎日先生の読まれる内容を延々と椿について書き写したことは今でも忘れられない。椿は学名がCamellia japonicaと言います。ヨーロッパに伝えられこの名がつき、そのまま英語の学名になった珍しい例です。日本書紀や万葉集にも登場します。古くから日本人に愛されています。品種改良が容易なためか多くに品種があります。東京の椿山荘、(篁山の五重塔が移築されたところ)にいつた時にも多くの珍しい品種の花々を種類を見物しました。何のご縁か、ちなみに府中町の町の花も椿です。午後からはついでに天応岩場への登山道を3か所整備しました。取り付き道路の石垣の階段が崩れて通行しにくいところを石段を再度構築、作り替えました。3段でしたがなかなか良い出来栄えでした。気になってストレスに感じていたところが修復でき、すっきりとし充実した1日となりました。それにしても今日は良い天気でクライミン日和なのには誰もクライミングに来ていないですね。ちょっと寂しいですね。どこに行かれたのかしら。次に来た時は登りましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この年令で介護が必要になるとは・・・

2018-03-15 21:08:20 | 日常

平成30年3月14日

私は今年73歳を迎えます。厚生労働省は介護などの必要がなく日常生活を支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」の2016年度の推計値を発表した。それによると男性は72,⒕歳、女性は74,79歳とのことでした。平均寿命が男性は80,98歳、女性は87,⒕歳だから介護や医療が必要になる不健康な期間が男性は8.84年、女性は12,35年もあります。今まさに私の年齢で、もうこのような年齢になったかと驚かされます。まだまだ元気と思っていてもそのような年齢になったことを受け入れないわけにはいかないでしょう。車両でいえばあまり故障することがなく走行できた品質保証期間が終了したと考えればよくわかる。後は何年乗れるかは今までの手入れ次第で決まることでしょう。オイルもきっちり交換し、定期点検も実施して大事に乗っていればもうしばらくは乗れることでしょう。定期点検を実地していても耐用年数がたてば部品は壊れてしまいます。この様な年令なったことを自覚して用心したいものです。これからはからだにあった年齢相応したトレーニンが大切です。この前に少し過激な筋トレと疲れから腰を痛めました。少し休むと怠け癖が付き、体がなまってしまいました。継続した訓練が自信を産み、積極的な気持ちにさせてくれる。私の目標は以前このブログで紹介した「私の街の三浦雄一郎」あの元気はつらつとした電気屋さんのような生き方がしたいですね。80歳まで現役を目標に頑張りましょう。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本大震災、7周年に思う

2018-03-12 13:53:36 | 日常

平成30年3月11日

今日はあの大震災から7年目です。岩谷観音さんの登山道を修復中、府中町の有線放送から「14時46分、被災者を悼み、1分間サイレンを鳴らすので黙とうをお願いします。」との放送が流されました。私も作業をやめ黙祷しました。今,大事なことは津波のことを語り継ぐことではないでしょうか、同じ過ちを繰り返さない。三陸は津波の常襲地域で何回もその被害にあってきました。今回の震災にあって一軒の建物被害もなかった町があります。それは宮古市姉吉地区です。明治三陸大津波(1896年、明治29年)、昭和三陸津波(1933年、昭和8年)の二度の大津波により地区は壊滅的な被害をこうむりました。先人たちは建物を高台移転して、「此処より下に家を建てるな」との碑を残しました。前回の津波より78年目、この警告を守ったおかげで被害がなかったのです。今生きている人はこの震災は忘れないでしょう。でも次の世代にはどのように伝えることができるでしょうか。記憶を忘れないため残り少ない震災遺構は残し、教訓とすべきではないでしょうか。私は相馬の若者たちの地元の商品を販売する「トゥリーズ」の運動に賛同しています。これは地元の産業、商店の品物を購入して経済的支援するものですが、原発反対、自然エネルギー推進の立場からすると、あまり福島の現状が語られることなくもっと地元の困っていることなどを多くの人に語り、いかに原発の被害状況が大きいかを訴えるべきではと思っていました。最近の報道番組を見てフクシマの原発被害、三陸の津波被害がいかに悲惨であるかがよく理解できました。津波の復興は出来ても人は元の街に帰ってこない.嵩上げされ整備された土地も空地だらけである。特に若者子供が少ない。年寄ばかりである。コミュニテイーが破壊され、孤独死が多発、原発事故の終焉は見通せない。その影響は100年かかるとも言われている。街に人が帰ってこれない。住めないのだからふるさとは消滅したに等しい。双葉町、大熊町は100%、浪江町、富岡町が97%の人が故郷を離れて避難生活をされています。この実情を見ると原発を誘致してそのお金で繁栄しようという考えがいかに空論であったかよく理解できた。これほどの甚大な被害があり多くの人々の生活を破壊しながらなぜ原発を推進しようとするのか全く理解できない。ある番組で帰還困難区域に太陽光パネルを設置して発電したらどうか。そうすると原発が無くても電力は十分に賄いきれる。そうすると原発が必要なくなるから原発を推進する企業、政府が困るので許可しないとの発言があった。すべては政府の判断次第。真意はともかく脱原発は時代の要請のように思います。ドイツでは22年に原発廃止が予定され、お隣の韓国でもその方向に向かっています。中国でも太陽光パネル産業が世界市場を席巻しつつあります。車も将来的にはガソリン車から電気自動車に変換しつつあります。ガソリン車に明日はない。自然再生エネルギーにかじを切らない日本の技術は世界から遅れるばかりで趨勢に逆行しています。近い将来、30年以内に70~80%の確立で発生する恐れがある「南海トラフ大地震」は東北大震災の数倍の被害と言われます。死者は東日本大震災の2万2千人に対し32万人と予想されています。その地域内の原発は大丈夫でしょうか。四国愛媛県の伊方原発は広島からも近い。静岡県御前岬にある浜岡原発は海岸近くにあります。今の防潮堤で大丈夫なのでしょうか。おそらく私の生存中に起こるであろう南海トラフ大地震。心配ですね。同じ過ちを繰り返さなければよいのですが・・・

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蔵王の岩場にベンチを設置

2018-03-04 23:06:41 | 日常

平成30年3月4日

今日、福山の蔵王山の岩場の練習場広場にベンチを設置し、階段を3か所修理しました。最近、会社と自宅の近所で建物の解体作業現場に出会い、それぞれ10本余りの柱の古材をもらいました。段木にすれば60本分になります。その中に大きな梁材があり短く切って階段材に使用するのはもったいない。大きさからその用途は何がよいかと考えるとベンチが最適ではと思い、作りました。高さは30センチ、幅は30センチ、長さは260㎝の大きさです。手順は柱についている釘や電線等を取り除く。泥や埃で汚れているのでよく洗い落とす。寸法に合わせ切断する。固定するための鉄筋用の穴を明ける。素材に防腐剤を3回塗る。あとは現場に据え付ける。これで完了です。岩場の広場に仲間の協力を得て無事に完成しました。あと10年は使用することが出来るでしょう。ご協力ありがとうございました。今日はこの時期には珍しく気温も20度を超え、4月上旬の暑さとなり、汗びっしょりとなり、帰路湯坂温泉に入浴しました。

 

追記、この頃の暑さ、寒さの繰り返す日々を三寒四温と言い、次第に暑さの日が増して春の盛りのお彼岸を迎える。先の比婆山雪中訓練の晴天の翌日、2月19日は24節気では「雨水」降る雪が雨へと変わり氷が溶けだすころのこと。今週3月6日は「啓蟄(けいちつ)」陽気に誘われ、土の中の虫が動き出すころのこと。一雨ごとに春になる。旧暦カレンダーに記された24節気の言葉をみると昔の人の生活の知恵、自然を見る観察力の確かさに驚かされる。暑さ寒さに一喜一憂する私にも、24節気の言葉は自然の普遍の真理であり、悠然として流れゆく悠久の大河のごとく心の平安と落ち着きをもたらしてくれる。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんなところで・・・まさかのドボン

2018-03-03 23:37:47 | 日常

平成30年3月2日

今日仕事で廿日市市吉和に行きました。廿日市市とありますから町の市街地かと思いきや昔の吉和村で中国山地のど真ん中でした。この村も廿日市市と合併したのですね。佐伯町までは全く雪はありませんでしたが冠高原のあたりからは道の両側や畑には雪が見え始めました。仕事を済ませ、国道488号線の峠越えをして湯来町に出た方が帰るには近いのではと思い「もみの木森林公園」まで約5キロきましたがそれより先は除雪がされていなくて通行止めとなっていました。12月15日から3月15日までは冬季通行止めと記した標識がありました。それなら入り口の分岐地点に記してほしいものです。ここまでの道路の両側は別荘地として「西の軽井沢」としてもてはやされていましたが今は廃屋のような建物が多く見られました。ブームの置き土産ですね。元来た道を引き返しました。春の風景を写真に撮ろうと川の岸辺に立つとネコヤナギの綿をかぶったような芽を見つけ雪と小川と一緒に撮れるアングルを探しました。木の芽の位置が遠いので雪のブロックに乗りました。踏み跡もあり、誰か同じように近くにより、写真をとったのでしょうね。2、3歩歩いた途端、足元が抜けて仰向けになり川の中にドボン。高さは1,5mくらいはあつたでしょうか腰をしたたかうち、ズブ濡れになり靴もびしょびしょ。木の枝を頼りにやっとのことで這い上がりました。筋トレ用に着替えを所持していたので着替えて事なきを得ました。雪庇を踏み抜いたようなものですね。河川の流れにより下部が削られ空洞になり、おまけに気温の上昇により雪が柔らかくなっていたため、踏み抜いたのでしょう。こんなことになろうとはまだまだ修業が足りませんですね・・・・体が冷えたので途中にある「元湯・小瀬川温泉」が初めてなので入浴して体を温めて帰りました。この名もなき小さな温泉は西日本屈指の放射能線、ラドンの含有量を誇るとのこと。ラドンは気体となり浴室内に漂っているとのこと。ぬるめのお湯に入り、深呼吸して体内に取り入れると効果抜群のこと。おもてにあった自噴している湧き水も名水として遠方からも汲みに来る方も多いとのこと。白銀に輝く十方山の山頂も見えたし、温泉もよかったし、ドボンはしたが気持ちの良い1日でした。

 

(写真のネコヤナギの足元の黒い部分が踏み抜いたところです。下部がえぐれていました。)

追記。放射能泉では三朝温泉、玉川温泉、山梨県の増富温泉が有名です。この小瀬川温泉の放射線量について162マッヘ、567キュリと表記してありました。計測する場所にもよりますが世界的に著名な三朝温泉のラドン測定値は温泉水で6~36マッヘとなっていますからここの数値は驚くべき内容です。真実なら、もっと大々的に宣伝されれば人も来るのではと思いましたが・・・・・。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする