まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

最後の巻頭言

2008-02-26 15:39:39 | 日常
平成20年2月26日
今日は雨、三寒四温を繰り返しながら段々に春の足音がちかずいてきます。
草創記念行事も終わり会長としての役務もほぼ終え、退任のときが刻一刻とせまってきます。
心静かに来るべきときを迎えます。
最後の巻頭言を掲載します。

会報3月号 巻頭言
自己を磨き、個性を輝かせ、そして社会の為に生かせ

我会の会長職任期は2期4年が恒例となっています。しかし、広島と福山という地理的ハンディがあり1期ということでお引受けしましたが、4000回行事が進行中でありもう1年延長させていただきました。
そのお陰で、私が掲げた目標(テント山行の推進、市民登山大会の実施、ホームページの開設、はいまつ発行、4000回記念行事)も役員、会員の皆様のご協力によりすべて達成することが出来感謝しております。
会長は計画の指示だけで、後は担当したリーダーの皆様が全て立案、実施していただきました。
あるリーダーは「いろいろな役務をお願いしても誰一人として断る会員はいなかった。良く助けていただきました。」「当時は大変だったが、良い仕事をさせていただき、感謝している」と言われた。
これほど嬉しいことはない。 
今日の我会の活況を思うとき、キラ星のごとき人材の豊富さを誇らずにはおれない。
私の会長としての功績を尋ねられたら「如何に多くの会員に活躍の場を提供したか、新しき人材を発掘したこと」に尽きると思う。
そして、みんな期待に応えて遺憾なく実力を発揮してくれました。
各人それぞれの趣味を、人生の経験を、職場で培った特技を会の活動や山行の中に生かし貢献していただきました。会員も一致団結良く協力してくれました。
自らの山行の感動を仲間に伝え、仲間もその意気を感じ、感動を共有し、自らを高め感性を磨く、個人も生き生き、会も生き生き活性化する。個人と団体の程よい相乗関係というべきであろうか。
感動、感激は全身全霊を注入して初めて達成することが出来る。
事に当たっては夢中で全力を挙げてぶつかる。困難を克服し成果を得る。自らの成長の軌跡を省みて自信を持ち実力を付ける。更にその成果を社会の為に役立てる。
自らの行為が仲間や社会の人々の為に役立っていると感じることほど幸せなことは無い。
そのご褒美に元気をもらう。
その元気、喜びは若々しい生命力として体の細胞の隅々まで行き渡らせ、全身に情熱をみなぎらせる。
「ビバ、マウント」「ベルグ ハイル」「山よ万歳」「山よありがとう」「ヤッホー」「ブラボー」
声高らかに叫びたい。栄光ある福山山岳会万歳。永久に幸あれ。
これからも会の発展の為、自らを鍛錬、精進し、悔いなき人生、悔いなき山行、感激を求めて高みを目指せ。

あっという間の3年間でした。会員の皆様、本当に良く助けていただきありがとうございました。
心より感謝しております。


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草創記念日

2008-02-24 23:24:19 | 日常
平成20年2月24日(日)
今日は89回目の草創記念日です。昨日は家も揺るがす「春一番」の強風が吹き荒れ今日は雪も積もり寒い朝となりました。このような寒い朝にも拘らず多数の会員が参加してくれました。炊き出し担当の女性たちは朝早くから準備に余念がありません。
フタ汁、酒かす汁を準備してくれました。式典の後、テント設営、ザイルワーク。それに私が担当して搬送訓練の勉強会をやりました。きっといつかは役立つこともあるでしょう。
病気になって初めて健康の有難き差を知る。
死に臨んで始めて人生の意義を知る。
会長を辞めるにあたり、今なすべきことを知る。
89年の会の歴史の重さとは何か、伝統、ノウハウの蓄積の多さという違いはあると思うけれども実際に残るものは各人の山行の記録ではなかったか。一応14年ぶりに会報を発行し会の歴史の継承は果たしたが本当に役立つものは会員の山行記録ではないでしょうか。会の例会山行は年間60回程度、個人山行を加えればそれに数倍の山行を行っていることでしょう。幅広いわが会員の活動は日本全国、アルプス、バリエーションルート、近郊の里山と多岐に渡っています。それらを記録として残していればものすごく有益で貴重な記録となっていたことでしょう。会員にとっても実際に歩いた記録ですからきっと役立つことでしょう。これらの記録をホームページに載せ公開し、会員や他の山仲間にもいつでも検索できるようにすればきっと喜ばれ、役立つことでしょう。そうなればいいね・・・・・・
89年と悠久の時空の銀河鉄道を旅するわれら、これから先そう長く乗っていることもないでしょう。何時の乗客に過ぎないけれど何か会のために貢献したい、会の存続のために尽くしたい。山行記録だけでなく山の集いなどの講演記録、長年の研究成果、すばらしい知識の集大成を後輩のために書き残してほしい。残さずに死んだのではそれら貴重な財産も無に帰してしまう。このように考え行動した人間がいたことを後輩に知らせたい。名門の名門たるゆえんは大切なことは後輩、子孫のために残し伝えて過ちを繰り返さないことにある。宮家の名門、近衛家、長寿者が多い訳を藤原実資は記録、その日記に長寿のために守るべきことを記して子孫に伝えている。実務の要点も書き残し自ら一族の特技とし他の部族の追従を許さない。記録は後輩に贈る最高の贈り物です。
これからもまた仕事が増えそうです。
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話題の恐羅漢山(1346m)

2008-02-17 23:30:48 | 日常
平成20年2月17日(日)
今日は先ごろ遭難事故で世間を賑わした恐羅漢山に登ってきました。朝5時におきてゆく予定でしたが寝過ごしてしまいました。心の中ではあまり行きたくないのかもしれません。
あの山の前には苦手な内黒峠があります。いやな思い出もあります。狭くて急な山越えの雪道を思うと憂鬱なのです。でも雪山の魅力にはかないません。7時に家を出て高速、峠越えで9時にはスキー場の駐車場につきました。時間短縮のためリフトで頂上直下1284mまで一直線。山頂へはすぐです。でも雪は深くスノシューをはいても膝上までうまります。山頂で3人の山スキーヤーに合いましたがほかには誰もいません。雪も降り続いてみとうしがききません。地図と磁石で方向を確認し進むのみ。広く平らな樹林で目標はありません。蛍光色のテープをマーキングしながら進む。順調に1時間で旧羅漢山に到着。気温は低く風も冷たいが晴れ間も見え始めた。水越峠までくだり縦走すべきか、晴れ間も見え出した。今きた距離の2倍も歩けば林道に出れる。しかし、雪もさらに深くなった。道も複雑尾根も入り組んでいる。迷ったら登り返す時間はない。5時に出ていれば余裕があったのに・・・。無理だ引き換えそう。今来たトレースも所々消えている。再度こまめにマーキングをする。これなら迷うことはないだろう。山稜から下山するころには雪もさらに降り出し暗くなった。一時の晴れ間「魔女の微笑み」に乗らなくてよかった。行っていれば今頃はヘッドランプのお世話になっていたことでしょう。今ひとつ恐怖を思い出した。降雪の恐怖。ここ恐羅漢の地の降雪は半端ではない。大粒のボタン雪が滝のごとく音もなく舞い落ちる。一寸先も見えないただ真っ白いカーテンの如し。たちまちにふりつもる。いかなくてよかった。真っ白になり車にたどり着く。荷台に装備を投げ入れ逃げ帰る。帰路は30キロ、時間も55分と大回りだが峠越の道(12キロ)を避け時間はかかっても広い平坦な道にする。安全第一ですから。帰りにはいつもの銭湯に入りゆっくりくつろいで帰りました。
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レディオびんごに出演す

2008-02-07 02:50:10 | 日常
平成20年2月6日(水)
福山のFM放送の番組「おはようときめきタイム」に「はいまつ」宣伝のため出演しました。いろいろ資料も準備してきましたが時間はわずか5分とのことでした。今回の恐羅漢山スノーボーダー遭難事件のこともありそれから入りました。事前の打ち合わせのとき私が一番言いたいことは伝えておきましたが後は成り行きしだいで準備万端。大体スムーズに行きましたがタイミングがずれて言いそびれたことがあった。「大勢の方に救助駆けつけていただいた。今回の貴重な経験を生かし立派な指導者になれ、それが社会に対する恩返しである」これがいえなくて先に進んでしまった。すべて完璧とはいかないものですね。
女性2名との対談であった。私もいろんな資料を準備したが先方もよく勉強されていた。気持ちよく話が弾み8分間とオーバーしたようです。
聞いていた会員から「よかった」とメールをいただいた。
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市民雪原ウオーキング大会

2008-02-07 02:27:54 | 日常
平成20年2月3日(日)
今回は福山市の広報に掲載されなかったこともあり市民の参加は6人だけで寂しい大会でした。参加者は25名。福山発が6時30分のため、雪で高速が不通になることもあり3時に起床しました。
孫たち2名を連れて行きましたが、A隊は我々3人だけなので展望園地に計画変更して登りました。体重の軽い女の子は楽に登っていたが男の孫は体重があり今年はスピードが上がらずしんどそうでした、要注意です。頂上ではツェルトを張って暖を取り、帰路は雪の斜面の転がりまくって楽しそうでした。
下山後は風呂にも入らずカマクラ作りに熱中していました。
よい1日でした。
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世界遺産フォーラム瀬戸内Iin福山

2008-02-07 02:10:32 | 日常
平成20年2月1日(金)~2日(土)
第2回の会議が福山の県民文化センターで開催されました。
第1回は昨年高野山で開催されました。
鞆の浦の世界遺産指定を目指すものであるが各方面から450名もの人たちが参加してにぎやかな会合でした。
一番印象にのこつたものは藻谷浩介氏(日本政策投資銀行)の講演「地域活性化の3つ成功法則」でした。
私の認識は時代遅れでありそのようなものを基準に判断したのでは成功はおぼつかない。最新の情報を入手しそれから判断しないといけない。
ちなみに現在の旅行の現状「団体客と個人客の割合は・・・」わかりますか。
私は団体客の割合は70%で挙手しました。正解はなんと7%。3年前は20%でしたが今ではわずか7%。驚くべき数字です。このような古い知識を基にして判断したのでは誤るのは当然です。ちなみに一番多いのは熟年夫婦の旅行者、次は親子の旅行者とのこと。交流会のあと鞆の浦に泊まり、翌日は鞆の浦の散策、瀬戸内海をクルージングして尾道のお寺めぐりをして解散しました。
一癖も二癖もありそうな個性豊かというか目立ちがりや、よく言えばみな一騎当千の兵どもでした。
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広島は変貌する 「再開発事業」

2008-02-01 01:03:28 | 日常
平成20年1月31日(木)
広島駅新幹線口。駅前に広がる空き地の用途に関心が集まっている。バスセンターとの計画もあるが・・駅前の市営住宅が取壊されている。コンクリートの建物があっという間に平地に変わる。その跡地に33階、110m高層マンションが建つ
あと3年足らずに高層ビル街になる。信じがたいがすでに始まっている。この近所には市民球場も建設中。その対岸の段原では市街地再開発で何百軒もの家が立ち退きになり更地になっている。良くぞここまで住民を立ち退かせたものだと感心する。隣接地に生まれ変わった町がありそれで住民も納得したのでしょう。何十年も前から計画し明確なビジョンを持った先人の決断に敬意を表する。
植木市長と揶揄された市長も居られた。そのおかげで広島は街路樹の緑豊かな美しい町になった。3年先にはどのような町に生まれ変わっているのか楽しみです。
それにつけても何で鞆の浦は変わらないのか。トップの決断ですばらしい町に変貌するのに、なぜできないのか。埋め立てずとも900mあまりの道路を拡張すればすべて可能なのになぜ無用な埋め立て、世界遺産を夢をぶち壊すのか理解できない。
明日から福山で開かれる世界遺産会議に行きます。
後悔しないために、後に続く人たちのために力を尽くす。
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