まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

堂床山(860m)から可部冠山(736m)縦走する。

2020-10-27 21:58:43 | 

(写真は可部冠山頂上から広島・可部方面を見たところです)
令和2年10月25日
このところ急に寒くなり秋が進行中、昨日は石油ストーブを出しました。恒例の干し柿も作りました。出来が悪いのでしょうか今年は小振りです。また、インフルエンザ予防接種も打ちました。新型コロナの影響もあり万全の態勢です。
先日、可部に行った折『南原峡」の標識を見て懐かしくなり折あらば行ってみようと思っていました。両方の山とも「広島百名山」に掲載された山です。可部冠山は736m、烏帽子の形をした山で、若いころには何回も登っていました。堂床山は860m、三角形の頂を持つ山で見るからに厳しそうな山で行ったことはありません。よく訓練に使われる白木山にも匹敵する高さがあります。
今日は天気が良いのにつられて出かけました。
8時10分、南原峡・竜頭ヶ原園地の駐車場発、10分ばかり歩いた美しい加賀津の滝から頂上まで標高差約650mの急登が始まります。初めは岩稜でそれを過ぎれば樹林帯の急登が頂上まで80分続きます。頂上も全く展望はありません。ここから可部冠山までの尾根道を歩きますが最初は急坂で滑らないように慎重に下ります。単独行ですから怪我の無いよう、より慎重に下ります。この尾根道は「可部連山トレイルラン」のコースの一部であり、草も刈られ、わかりやすく整備されていました。頂上を出発して50分はじめて明神ダムの堰堤が見えました。それまでズート森の中で全く展望はありません。これから先も展望があったのは冠山の頂上のみ、下りは谷道となり杉林の道であり展望はありません。こんなに展望がない山は初めてです。森が深いというか静かな山で、無口な私のような山でした。堂床山でも出会った人はトレイルランの2人、冠山の頂上でも1パーティ5人、下山中に1家族4人に出会ったのみ、本当に静かな山行でした。下山道の可部峠を下る道はかっては岩見街道として利用されていたようですがそれらしき痕跡もなく、現在はかなり傷んでいました。登山道の両側の森林はマッタケでも取れるのでしょうか留山の印のピンクのテープが張られて入山禁止となっています。

(川沿いの道でキャンプ・バーべキュウをするファミリー)
下界は多くのキャンパーがおられにぎやかでした。登山道が舗装道路になり快適な川沿いの道のかたわらには2キロ余りの間に14か所余りテントを張り、テーブルや椅子を並べた家族連れとおぼしき人々がバーべキュウ等をしておられました。どれも立派な料理道具で今や登山道具店ではファミリーキャンプ用品がよく販売されているのを見ますがこれだけ需要があれば当然でしょうね。今はキャンプがブームを実感しました。家族そろって自然と親しむのは良いことですね。13時23分、駐車場に帰還しました。歩いた距離約7キロ。歩数21,000歩、所要時間5時間15分、正味時間4時間30分でした。私はアナログ人間で高度計、磁石、地図で歩いていますがスマホに熟達して正確なの記録を残せればよいですね。勉強します。もうひとつ私の娘はスマホで私の行動はすべてお見通し、子供の現在地を知るためのシェアリングの位置情報で把握しているようです。
良いのか、悪いのか、」お釈迦様の手のひらの上で転がされているようで複雑な心境です。
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古鷹山(394m)とクマン岳(399m)に登る。

2019-03-01 23:35:33 | 

平成31年2月26日

今日は平日ですがクマン岳と古鷹山に登りました。古鷹山は鷹が羽を広げたような形をした見目麗しく凛々しき山です。かって「あぁ江田島」という映画に描かれたごとく、海軍兵学校の時代から、今も術科学校の若者たちが鍛錬に汗を流した歴史ある山です。私も何回も古鷹山に登りましたがこの山だけでは2から3時間余りしか要しないので、術科学校を見学して旧海軍兵学校時代の資料見物を付け加えていました。隣のクマン岳を加えればちょうどよい1日コースになると思っていましたが1日かけて行くには時間がもったいないと考え、いつかその周辺に行き折があればその時に調査しようとチャンスを心待にしていました。今日11時に海上自衛隊術科学校に納品に行く仕事がありました。9時前に到着したので、学校近くの奥小路登山口から古鷹山に登り、納品を済ませた後、北側の切串港(西沖)に車を駐車して、クマン岳を目指しました。はじめは急坂でしたが約1時間余りで登頂、尾根道は展望もよく快調に歩けます。古鷹山周辺は41年前に山火事により全山まる焼けとなりましたが今は回復し痕跡は見当たりません。その火事対策に古鷹林道が作られ階段等も整備され山頂直下140mくらいの岩場には立派な鎖が設置されています。山頂には東郷元帥の遺訓「五省の書」の碑や方位盤が設置されていました。今回は切串側に下山しましたが林道から下部のあたりは昨年7月の豪雨により河川が氾濫、登山道も崩壊し、一部道のないところがありますからご注意ください。市街地に下りましても災害復旧の護岸工事が盛んにおこなわれていました。来年度、例会山行を計画したいと思います.切串港からクマン岳・古鷹山を経て奥小路登山口に降りるコース、所要時間は4から5時間で行います。私の親戚がこの江田島湾の奥にある飛渡瀬というところにおります。その高台から眺めた古鷹山と桜に埋もれた海軍兵学校の風景は今も目に焼き付いています。やはり春、桜の頃がいいですね。

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大菩薩嶺(2057m)に登る。

2017-05-12 22:09:33 | 
平成29年5月7日
この山も日本百名山の山です。
連休登山3番目の山です。
中里介山の小説「大菩薩峠」で有名な山です。
山梨県の北西部、富士山の北側にあります。富士山の北側を眺めます。
江戸時代には甲州から大菩薩峠を越えて多摩郡の青梅を経由して江戸に行っていましたが、峠に関所がないため渡世人、犯罪者などにとっては都合がよく甲州裏街道として利用されていましたが現在では柳沢峠越えの国道ができ廃れてしまいました。
我々は車で入れる上日川峠バス停前にある「ロッジ長兵衛」に宿泊しました。ここはすでに標高1586m地点です。
あと500mで山頂です。高いところまできたものです。
コースは福ちゃん山荘を経て標高1898mの大菩薩峠に登り稜線上を歩いて山頂に行き、雷岩から唐松尾根を下り登山口に戻る5時間のコースです。傾斜も緩やかで気持ちの良い快適な道です。
稜線上に出ると富士山はもちろん白雪を抱いた南アルプスの山々嶺々が連なってすべて見れます。
小高い所に登れば八ヶ岳連峰も見えます。
素晴らしいパノラマの絶景に歓声を上げる。
この連休中はずーと天気が良くラッキーでした。このような晴天は何年ぶりかな。
山頂は樹林帯で景色は見れませんが少し早い昼食をとり下山しました。
この山なら年をとってもまた登れそうですね。
この山で気付いたことは、ここは山梨県ですが全く登山道の整備がなされていなくて荒れ放題、泥だらけの道を避け周辺の林の中を歩くので木々の根が傷み、むき出しとなっていました。木道を設置し自然保護に努めていた神奈川県とはえらい違いです。森林税は徴収していないので財源がないのですかね。
下山後は麓の裂石温泉郷にある「大菩薩の湯」に入浴しました。PHが10以上という素晴らしい温泉でした。
毎日毎日美しい富士山が眺められ本当に幸せでした。
富士山の端正な姿は日本人の性格、文化そのものであると感動しました。

(写真は稜線の雷岩から見た富士山、北側です。右側には南アルプスが見え最高でした)
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火打山、(2461m)、妙高山(2445m)

2010-10-14 22:22:25 | 
平成22年10月8日(金)~11日(月)
百名山の火打山、妙高山に仲間5人で登ってきました。
今年5月、上高地の明神岳を登った帰路、上信越自動車道を走ったとき広々とした高原と形のよい妙高山に惚れて今回の山行になりました。コースは笹ヶ峰登山口から火打山に登り黒沢ヒュッテに泊まり、翌日は妙高山にのぼり燕温泉に降りるコースですが越後富士の名前のとうりの美しい山容と紅葉、温泉等見どころの多い山行でした。火打山への登山道は木道のつづくすばらしい道でした。大変な金額を要したことでしょう。天候はよくなくて雨が降ったり止んだりのあいにくの天気でした。「天狗の庭」の湿原まできましたが、初めてのコースであり天気も悪く時間も遅くなったので登頂は中止し明日の天候しだいで再挑戦することに決め予約していた黒沢ヒュッテに向かった。黒沢ヒュッテは建物も青色の円形状の建物と変わっていましたが朝食もクレープとスープという珍しいものでした。これなら食べ残しはありませんね5時30分に出発。火打山の上りにかかる頃には晴れ間も見え出しすばらしい紅葉も楽しめ皆幸運に歓声を上げました。幸運に感謝し板や丸太で登山道を手直ししました。いよいよ本命の妙高山に向かいます。外輪山の大倉越えをスギトラバースみちにはいると眼前に天を圧する巨大な妙高山が目に飛び込んできます。いよいよこの急騰を上ると思うと身震いがします。」さすが百名山簡単には登らせてくれません。でも女性陣は元気です。たいした休みも取らずコースタイムより早く上りました。岩峰より360度の展望を楽しみました。下山路は鎖場のある修験者コース、鎖場だけでなく岸壁が階段状に切り込んであるのには驚きました。悪路のガラ場を下り3時間余りを要しようやく燕温泉に帰着しました。
なにもない林の中の自然のままの露天風呂「黄金の湯」何回も風呂を堪能しました。
良い山、良い温泉、満杯のご馳走、良い山行でした。
写真は火打山の中腹から見た妙高山です。
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福山市民登山大会「吾妻山」

2006-02-20 23:20:01 | 
2月19日[日)
第2回福山市民登山大会「雪山ウォーキング吾妻山」を開催しました。
前泊組8名、日帰り組37名計45名うち一般市民参加8名でした。
組み分けは山スキー隊、山歩き隊、スノーシュー初心者隊に分かれました。
初心者隊は吾妻山山頂を往復しました。
いつもは風が強い山頂も穏やかで360度の展望が楽しめ皆大感激でした。
雪をかぶった大山が眺められるとはラッキーでした
行きは急斜面を汗だくだくでがんばって乗越え、帰路は楽しく滑った下りました。
来年もぜひやってくださいとの声もありましたから成功というべきでしょう。
孫も連れて行きました。
雪の斜面を転がりまわり元気いっぱいで喜んでおりました。
前泊組が4時間かけて雪洞やイーグルを作ってくれていました。
大変でしたね、ありがとうございました。
来年はこの教訓を生かしいい大会にしたいものです
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甲川遭難報道に思う

2005-09-06 23:04:50 | 
今朝の中国新聞に甲川に沢登りにいき孤立したメンバーが救助を要請、翌日無事下山したとの報道がありました。
甲川は中国地方で一番難しい沢登りのコース遡行するのに2日は要する。
そのような難コースに20人もの大勢では倍以上の時間を要したでしょう。
甲ヶ山、矢筈ヶ山、川床に囲まれた狭い山域に、1時間に52ミリという豪雨が降れば、漏斗に水を注ぐが如く一気に増水し鉄砲水となって渓谷に流れ込んだことでしょう。
無事だったのはリーダーの的確な判断によるものでしょう。
驚かされたのはこのような難コースに20人もの参加者があるということ。
会の実力の高さが表れている。
また会の高い目標、意欲と熱気が感じられえます。
装備も万全、自力で下山できてよかった。
我会に甲川沢登りが出来る実力者が何人いるでしょうか
台風から遠くはなれた地域でこのような猛烈な豪雨があるとは驚きであるが秋雨前線の存在を考えれば判断に誤りがあったのかも。
おそらく私も判断を誤っただろう。
他山の石としたい。
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滑床渓谷に行きました

2005-08-29 18:56:38 | 
8月26日から28日宇和島市の東にある滑床渓谷に沢登りに行きました。
文字どうりナメの美しい沢でしたが経験者の話では3年前の豪雨のため土石流で沢がずいぶん埋もれたと嘆いておられました。
難しいところもなく初心者向きの沢でした。
三本杭山にのぼり登山口に帰りました。
成川温泉にキャンプ、あくる日は内子町の古い町並みを見物して帰りました。
一番の出来事は、沢登りのときスリングで仲間を引き上げているとき転落したこと。幸い仲間に支えられてお尻をしたたか打っただけですみました。
なぜあんな不安全な行動を取ったのか自分でも信じられません。
事故が起きるとはこういうことでしょうね
ベテラン、新人を問わず基本を守らなければ事故は起きるというよい例です。
勉強になりました。
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