まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

春山の大山

2012-04-15 13:29:49 | 日常
平成24年4月14日
仕事で米子に行った帰り、5月連休の山行トレーニングのため大山に登りました。
大山寺への道路には雪もなく、駐車場もスキーシーズン終了で無料、半分以上空いていました。余り訪れる人もが無い様で静かでした。登山者とスキーやボードを背負った人が半々くらいでした。ボードを背負った人が多いのに驚きました。皆さん八合目まで登られました。急峻な斜面を滑り降りるなんてすごいですね。私も下山には八合尾根を下ろうかと思いましたが岩やブッシュが露出し亀裂も入っていたので取りやめました。考えてみれば雪もくさり登りが危う所を下れませんよね。いつもなら2月末には雪壁登攀は終了ですから1ヶ月以上もまだこんな状態とは今年は雪が多いのですね。この前天狗沢の取り付きに登った時には天狗沢下部は雪にうもり、取り付き地点から上部まで一直線に凍結していたのに1週間ですっかり雪がとけ、緩んできました。まだ雪崩の痕跡は見えず静かでしたがもうまもなく崩落が始まることでしょう。今年3回大山に来ましたが初めて晴天となり北壁全貌が眺められました。冬山の店じまいです。お礼に6合避難小屋の入口の雪かきをして入りやすくして下山しました。
(写真は6合避難小屋から北壁をのぞむ)
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さくら、さくらのこと

2012-04-13 00:09:38 | 日常
平成24年4月12日
今日仕事のついでにお花見しました。ある会社のお花見のお酒や弁当等を平和公園まで運搬する仕事があったからです。そのついでにお花見をしてきました。今年は花の開花時期も1週間以上遅れましたし花の咲いている時期も長いように感じました。満開の花の下でみんな写真を撮ったり、食事をしたり、よい笑顔でした。見ているほうも楽しくなり心が和みます。
桜といえば西行法師のこの歌ですね。「願はくは花の下にて春死なむその如月の
望月の頃」如月の望月とは2月15日のことで釈迦の命日です。花とはもちろん桜のことで「2月15日の頃、満開の桜の下で春逝きたい」と願っていたのですが翌日の16日になくなったそうですから万事予定通りだったのですね。
日米親善の証としてアメリカの首都ワシントンDCのポトマック河畔の桜並木が有名ですが桜を見て多くの人々が感動する様が友好の絆を深めるのでしょう。本当によい桜でした。
もうひとつ、本居宣長の桜の歌
「しき嶋のやまとごころを人とはば朝日ににほふや山ざくら花」
この歌は戦時中は戦意高揚のため大和魂を讃える歌としてまた特攻隊の歌として取り上げられ歌中の敷島、大和、朝日、山桜が部隊のネーミングに使われました。
実際は彼の自画像に添えられた歌で歌の主旨とはかけ離れたもののようです。
本居宣長記念館の資料には次のように記されています。
「この歌は宣長の62歳自画自賛像に賛として書かれています。
(途中省略)歌は画像でお前の姿形はわかったが、では心について尋ねたい、という質問があったと想定しています。
宣長は答えます。「日本人である私の心とは朝日に照り輝く山桜の美しさを知る。その麗しさに感動する、そのような心です。」
つまり一般論としての「大和心」を述べたものではなくどこまでも宣長自身の心なのです。だからこの歌は家集「鈴屋集」にも載せられなかった。この歌は宣長の心の歌だったのです。
さらに今年はもうひとつの桜が加わりました。
東北大震災の津波の到達点に桜が植えられました。ここまで逃げれば津波から逃げられるという目印にするためです。津波の恐ろしさを忘れないため桜の美しい並木が犠牲者の鎮魂となることを祈らずにはおれません。
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NHK古典講読「万葉集・魂のやどる言葉」 終了す。

2012-04-05 21:42:34 | 日常
平成24年3月31日
今回の講義をもって最終回。
「ご機嫌いかがでしょうか上野誠です。今日も万葉集を読み続けて参りましょう。
ーー第52回は万葉集最後の歌、大伴宿禰家持の雪の因幡国庁の歌について講義がありました。---
ではまた来週お会いしましょうとなるところですが今回で最終回、またいつかどこかでお会いしましょう」との言葉で締めくくられました。
上野誠先生、本当に長い間の講義ありがとうございました。
加賀美幸子アナウンサー、すばらしい朗詠ありがとうございました。
今思う、本当に本当に一年もよくつづいたものだ。
平成23年4月から今日まで1年間、52回、毎週土曜日午後5時から45分間、この講座はテキストがないので放送を録音しながらノートに書きとめ、後でそれをパソコンでおこし、再度テープを聞きながらもれたところを加筆し、細かい表現を入れて完成です。何度もテープを聴き直すので1回の講義の整理に6から7時間かかります。それも仕事を終えて寝る前や山に行く時間を割いて行いますので4,5日かかり、終わるとすぐ次の講義が始まり万葉尽くしの1年でした。1回の講義でA4版で3枚程度の枚数になりますから全部では160ページ余りになります。本当に1年間よく続いたものだと感心し「自分を褒めてやりたい」心境です。これも家族の支援のおかげ、特に孫には山や仕事で不在の時には講義を録音してくれました。
この講座はテキストがないため本当によく勉強しました。テキストがあれば読んだらおしまい。後は本棚に飾られ「積読」になつたでしょう。「日めくり万葉集」が良い例で本棚に飾られ余り記憶に残っていません。講義で読まれた万葉集の歌も漢字が不明なので万葉集の単行本から書き写し、注釈を読み、不明な語句は古語辞典や年表、インターネットで検索し調べる。「八色の姓」などはインターネットに詳しく説明してあり役立ちました。
今までは犬養孝先生の読まれた歌を中心に勉強してきましたが今回はいろいろな万葉集の歌を読みました。農村の生活、役人の日常生活など当時の社会情勢も勉強し万葉集の理解に役立ちました。「道の隈」、「形見」など言葉の原点に接し深い意味があることを知りました。
この講義録は私の宝物になりました。
科学技術や知識は蓄積され進歩していきますが、人間は一代限り、進歩がありません。
1300年前にもかかわらず今以上にすばらしい人のなんと多いことか、柿本朝臣人麻呂、家持、山上憶良偉大な業績は燦然と光り輝いております。人間死ねば学んだ知識、経験も何も残りません。だから蓄積が無く進歩がないのです。歌人たちは自分の歌が後世に伝わり、自分の名前が残ることを知っていたのでしょうか。
もうひとつわかったこと。いろいろな場麺でつぎつぎに立派な歌が読まれることに感心していましたが「家持の歌日記」でその訳がわかりました。役人、貴族は歌を詠むのが仕事のようなもの、いつ「歌いなさい」といわれてもすぐ歌えるようにあらかじめ準備をしていたのです。出されそうな歌題を予想して歌を準備していた様が書かれていました。
家持が「防人歌」を集めたとされていますがどのように集めたのかも理解できました。
万葉集にはあらゆる場面の歌やあらゆるか階層の人々の歌が掲載されています。
4516首、余り読んでいませんがすばらしい歌がまだまだたくさんあることを知りました。これからも感動を求めて読み続けます。
上野誠先生 本当にありがとうございました。
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