まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

山に行く者に悪人はいない?

2016-08-31 17:50:17 | 日常
平成28年8月31日
かっては長期間の山行の場合は山小屋やキャンプ地に食料や燃料等の装備をデポしていました。
山仲間を信頼し誰も盗むとは思いませんでしたから。
最近の事例をみると「山屋に悪人はいない」という言葉は死語になったようです。
先月、五竜岳の山荘に泊まった仲間が登山靴を間違えられました。
最後に残った靴に名前が書いてあったので山小屋の人に連絡を取って頂き、間違いに気づかれ取り戻すことが出来ました。本人の名前を書いておられるのに間違うとは。認知症でしょうか、どうしたものでしょう。
先週、裏銀座山行にいった仲間も間違われました。前の話を聞いていたので靴ひもに間違われないようにリボンを付け目印にしておきました。しかし、新しい靴が持ち去られ古い靴が残っていました。
目印があり故意に間違ったとは思いたくないのですが・・・・。
その話を仲間にすると、その人もデポしたザックの中から寝袋が抜き取られてそうです。明らかに窃盗です。山の道徳も地に落ちたものです。
ちょっと寄り道してすぐ戻るからといって安易にデポすることはもうできませんね。
街中と同様、盗難にあわないように対策をとらなければなりませんね。
スポーツ店でそのことを話されたら「盗難防止用の鍵付ネット」が商品化され販売されているとのこと。
知りませんでしたが盗難は山でも日常化しているようです。油断禁物です。
困るのは乾燥室でぬれた衣類や雨合羽を乾かす時、いつも見張っているわけにはいかないしどのようにしましょうか。登山靴は水分をふきとって袋等に入れ、部屋に持っていくしか対策はないようですね。
昔は袋に入れ、寝袋に入れて体温で乾かしていました。それが今は盗難防止が目的とは時代が変わってきたのですね。
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親ばか

2016-08-30 21:53:14 | 日常
平成28年8月30日
このところ、お昼のワイド番組で俳優の高畑祐太容疑者の事件が頻繁に取り上げられます。母親がNHKの大河ドラマに出演したり、今度は故森光子の代表作のお芝居に出演されるなど今売り出し中の高畑淳子さんだからでしょう。
遅咲きながらようやく脚光を浴びる地位を獲得されわが世の春を実感されていたことでしょう。それが一転謝罪会見をする羽目になろうとは・・・・高畑容疑者はその親の七光りで、母親の強力な後ろ盾があり苦労することなく俳優の座を射止めたのでしょう。俳優の座は厳しい試練の果てにようやく獲得する地位です。
彼のような未熟で人間的にも未成熟な人間がなれる地位ではありません。なったのが不幸の始まりです。むかしよく「天然バカ」という言葉がはやりましたが年齢と言行が一致しない。そのアンバランスさがバライティ番組に受けたのでしょうが実際がそのとおりなのですから救いようがありません。彼は発達障害で周りの空気が読めず、コミュニケーション能力に欠けるとありました。思考能力にも欠けますから事件のすべてがその事実により理解できます。よくそのような息子を俳優にしたものです。親ばかとか言いようがありません。役者の才能があると思われたのでしょうか。彼は22歳の成人ですが親に責任がないといえるのでしょうか。彼女の尽力により俳優の座を射止めたとなればその責任は重大です。強姦事件を起こしたビジネスホテルにそのまま居座るなんて考えられません。普通の人であれば重大な出来事ですから何らかの手段、対策は講じていたはずです。今までは有名人だからそれで済んでいたのでしょうか。誰かが発覚を抑えていたのでしょうか。発達障害だから何も考えられないとなればその行動は理解できます。
性欲の処理を誤りこのような重大な事件を引き起こす。たまたま身体障碍者の支援の当たられているNPO法人の方からセックス処理のむつかしさということを聞いたばかりでした。このことは家族でも処理できない。切実な問題ですし、身体障碍者を含め人間はすべて性欲を持っている。警官も、先生も、僧侶でさえ淫行で新聞に載ることがあります。しかし性欲は子孫繁栄のためには人間には必要なものであります。愛とは表裏一体をなすものです。なんとなく在原の業平の歌が浮かんできた。
「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」
業平の心を惑わす桜、男の心を乱す性欲、なかったなら心を惑わすことはなく平穏であるけれど、愛が、感動がないなんて無味乾燥で味気ない人生ですね
コメント (1)
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熱中症で入院す

2016-08-16 17:41:35 | 日常
平成28年8月16日
この夏の暑さは異常で連日、熱中症による緊急搬送のニュースが報じられています。今月に入り12000件余りが緊急配送したと報道もあります。その半数以上は65歳の高齢者とのこと。広島でも昼間は真夏日の高温が、夜も17日間連続して25度以上の熱帯夜が続いたそうです。
私も毎晩クーラーのお世話になっています。
実は私も8月3日、熱中症と診断され3日間緊急入院しました。
時期は先の八つ峰縦走の時に体調を崩し、山行3日目、4日目は吐き気がして食事ができないことがありました。そのため体重も3キロ余り減量となりました。
症状はポカリなどを連日飲用していると気分が悪くなり、食欲がなくなるということがありますがそれと同じ状態で熱中症とは思いませんでした。
同行した方からは顔色も悪く黄疸のような症状が出ている。肝臓等に異常があるのでは言われました。
帰宅後翌日病院を受診したところひどい脱水症状であり即入院を命じられました。治療予定期間は7日間程度と言われました。以後3日間昼夜通してずーと点滴を受けました。4日目には病状も緩和したので仕事多忙のため,事務所で寝ていても電話番は出来るので退院させてもらいました。
熱中症という言葉はよく聞きますがその脱水症の症状は意外と知られていません。
初期症状は気分が悪くなる。めまいがする。立ちくらみがする。お腹がけいれんする。嘔吐を繰り返すが何も食べてないので胃液を吐く。食べれないので体力がなくなり症状が悪化する。これが熱中症とは一般人には判断が出来ません。
日射病や水分ばかり飲用すると股関節が動かなくなる熱痙攣は理解していましたが熱中症の症状がこのようなものとは理解していませんでした。
ただ原因は心当たりがあります。体調が悪いと罹り易くなります。前日徹夜で作業し睡眠不足でした。山行2日目藪漕ぎで全身びしょなりになりお腹を冷やし下痢したこと。水分補給は1,5リットルを予定していたが進行に気をとられ0,5リットルしか飲用せず、夏の稜線上のビバークには水は貴重であり、特にのどの渇きは感じなかったのでそのまま水分補給をしなかった。これが間違いでした。喉が渇かなくとも常時水分は補給すべきでした。自己管理を誤り仲間に迷惑を掛け反省することばかりです。お盆に予定されていた裏銀座山行は体調が悪いので欠席させていただきました。誠に申し訳ありません。年齢を感じさせる出来事でした。
今日夕方から久しぶりに雨が降りました。それも時間40ミリあまりの激しい雷雨です、広島市、府中町には大雨・洪水警報が出されました。植物には恵みの雨となりました。空気が入れ替わり涼しくなればよいですが・・・
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中国新聞 「広場」に「山の日」投稿する

2016-08-11 22:24:53 | 日常
平成28年8月11日
今日は初めての「山の日」です。
新聞なども山関係の記事が多く掲載されています。
私も山の日にちなんだ内容の投稿を中国新聞投稿サイトの「広場」に行いました。
山の日賛美の内容ではなかったので掲載されるとは思いませんでしたがあまり山の日の関する投稿がなかったのでしょう。ここにその内容転載いたします。
450字という制限がありまとめるのに苦心しました。

登山道の整備に力を
         福原不二雄

今年から8月11日が「山の日」として国民の休日となりました。
山好きな私としては国民の関心が深まり自然を愛する増えることを喜んでいる。
近郊の山に出かけると各県の山への取り組み方の違いを痛感する。
広島県と島根県の県境にある比婆山。広島側の出雲峠にある山小屋は粗末で狭い。トイレは汲み取り式。
登山道も土砂が流失し荒れている。同所の「県民の森」のあずまやも倒壊の危険がるとして立ち入り禁止だ。
島根県側の大膳原にある休憩所は綺麗で、トイレも水洗で快適。
大山(鳥取県)の夏山登山道はかっては荒れて歩きにくかったが、いま山頂から登山口では丸太の段木が設置され歩きやすい。
広島県では県民から年間500円の森林税を県民税に上乗せして徴収している。
森林整備に使用するのだろうが、自然を楽しむ県民のためにもっと登山道や休憩施設などの整備にも力を入れてほしい。
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広島郵便局原爆殉職者慰霊祭

2016-08-08 10:19:31 | 日常
平成28年8月6日
今日は広島原爆の日です。
私の父親も爆心地の近くにある郵便局に勤務していたため、殉職しました。
直下ですから、遺骨も何も残っていません。
慰霊碑のある比治山町の多聞院で8時15分から慰霊祭が挙行されました。
例年は母親が参加していましたが高齢の為私と娘、孫の3人が参加しました。いつもは大勢の遺族の方が出席されていましたが今回は60名くらいの遺族の方が参加されました。亡くなった職員は288名なのですが高齢化のためだんだん少なくなります。この先どのようになるのでしょうか。平和公園では広島市主催で開催されますが市内各地には学校、職場、地域とそれぞれの地域に慰霊碑が設けられ独自に慰霊祭を行っています。今年はオバマアメリカ大統領の来広の影響でしょうか多くの人々が参加され交通規制が厳しく渋滞の為、例年参加している母校の前身である市女の慰霊祭には間に合いませんでした。
来広の時は謝罪の言葉を陳べるべきだとのことが言われましたがその条件を緩和してきやすくしたために来広が実現したのですが色々な方面に良い影響を及ぼしているように思います。
平和な市民の生活が一発の原爆によりすべてが失わせる理不尽さ、広島に来なければ理解できないことです。多くの政治家に広島に来てそれらを実感してもらえれば・・・・・きっと良い方向に向かうことでしょう。
核兵器不使用の機運が高まればよいですね。
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八ッ峰(剣岳)から池ノ谷・馬場島まで

2016-08-06 15:44:55 | 日常
平成28年7月29日から8月2日
このコースはクライマーでない一般登山者にとっては最難関のコースであり、先の大山縦走と併せればどこえでも行ける力があると言えます。
私も二度と八つ峰には行くことはないと考えていましたが後輩たちの為私の経験、ルートを継承してもらうためと、彼らが将来行くであろう小窓尾根。池ノ谷ん状況を知ってもらうため実施しました。八つ峰の岩峰縦走、厳しい池ノ谷の下降、雪渓、クレバスの下降、突破、鉄砲水、土石流、増水して白萩川の渡渉、連日の雨天下におけるビバーク等かってない困難を乗り越えたことは大きな自信となったことでしょう。後輩に対する最高の贈り物になりました。
29日20時福山に集合、6人で出発。途中仮眠して立山駅8時発、お昼ごろ剣沢、雨になる。以降この昼過ぎになるといつも雨でした。今年は雪渓が本当に小さくなっていました。万一に備え雪渓はザイルで各人を確保して下降しました。真砂沢ロッジには予定より早く着き、かけ湯で汗を流しました。
建物は雪の重みの為の地盤沈下で立てつけが大きく傾いていました。もう数年しか持たないような有様です。
30日、4時前に朝食をとり出発。雪渓のところで装備をつけ取り付き点の岩小屋へ。沢登りのようなルンゼを1・2のコルを目指す。左という意識が強すぎて迷ってしまった。下降も困難なのでザイルを出し草付の岩壁を登る。大きく左にそれ到着地点は2・3コル。大幅に時間超過。かなり体力を消耗した。3峰、4峰の大懸垂を過ぎここで雪渓を壊し今夜の水を仕入れて5峰に。ここで3回懸垂するが、20mの懸垂のところ30mあり、ザイルが足らないところがあり空中停止となり時間を要した。6人なので何をするにも時間を要します。この先適当なテント場はないのでここ5・6のコルでテントする。
31日、トラバース部分はザイルを使い、登りはフリーで登攀する。A,B,C,Dフエィスの頭を越え6峰にまで来ると絶景が広がる。7峰はまき、8峰へ、8峰の頭への快適な岩峰を楽しく登り超えると頂上、日本離れした絶景が広がる。眼下をみれば2パーティが見える。エールを交わし励ます。一気に下る予定なので、そうそうに懸垂下降する。池ノ谷乗り越しでおおきなザックの2人のクライマーに会う。情報を尋ねると,三の窓までは厳しい、渡渉も厳しいかもとのこと。
三の窓までは何度も経験済みであり下降する。池ノ谷ガリはいつも以上に厳しい。適地を探して下る。2350m位から雪渓になった。いたるところに大きなクレバスがある。左に右に下山路を探す。左岸側のシュルンドは10m以上あり困難。困難としていた右岸以外下山路はない。支点となるものはアイアイハーケンは2本、アイスバイル2本、最悪はテントのポールしかない。持参していたアイスハーケンが少ないので1本で深く打ち込み、もう1本はバックアップとして残すことにする。ザイルで下降し、雪渓をバイルで乗り越え、何とか下降のめどをつける。2俣まではまだ距離がある。ザイルで繋ぎ下降をつづける。この調子では今日中下山は困難。適当うなビバークを探しながら下降するが両岸は切り立った絶壁,下部の河原は急なごろ石の原、はるか先に草地が見える。
右岸の下部に平らなところが見える。その手前の斜面は砂の斜面。自然の雨でもずり落ちる。
まして足を踏み入れればさらに激しく崩れる。しかしここを越えなければそこに行けない。
雨が激しくなり崩落も続く。ここには長くとどまれない。ザイルで確保しながら点在する岩を頼りにザイルで確保してもらいながら泥だらけの中這いつくばりながらなんとかわたることが出来ました。足場となるような大きな岩がもろくも崩れ落ちるさまは想像できないでしょう。大きな岩の岩小屋でほっとしていると、突然ゴーという轟音が響く。ちょろちょろと流れ落ちていた滝の水が突然濁流となって落ちる。背筋が凍るとはこのことでしょう。万一川底にいるとき発生していれば巻き込まれて命はなかったでしょう。途中にダムらしきものはなかったので数日に降った雨がせき止められていたため池の堰堤がこの雨のためあふれ崩壊し一気に鉄砲水となって流れ落ちたのでしょう。初めての経験でした。この先は不明なのでこの斜面にテントを張り濡れたままの状態に寝袋をかぶり朝まで過ごす。1日の予備日は設けていたが、携帯電話で留守宅に帰宅は明日になるとの遅延を連絡出来ひと安心す。幸いにも夏の為かあまり寒さは感じなかった。
1日、曇り、小窓尾根の取り付き地点はかってキャンプ地で平らであるとのこと。
右岸の草付の踏み跡有。しばらく水平に歩き1510m付近の大岩のところより急坂を上る.崖地の手前である。1600mの岩のピークを越え下りにかかる。急坂である。冬期、大きな荷物を持ち乗り越えるとは本当に感心する。私にはとてもできない。
案の定、白萩川は増水し水量も多い。岩を噛む白波、激流方々探すが岸の足場も悪く適切なところがない。降り立った地点が幅は広いが浅いのでここしかない。横断するザイルと上流より渡渉者を確保するための流れどめのザイル2本をはり全員無事に渡渉できた。これで一安心。ここから先はかってきたことがあるからもう大丈夫。タカノスワリの高巻路を80m余り登れば後は下りが大半、取入口のコンクリートの擁壁に降り立ち完了。本当にご苦労様でした。全員無事に帰れたことを天に感謝した。
充実した意義のある山行でした。後輩たちにとっても記憶に残る山行となったことでしょう。
(写真は突然の土石流,岩石や雪渓の塊が轟音とともに流れ落ちる珍しい写真です)
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八ッ峰(剣岳)から池ノ谷・馬場島まで

2016-08-06 13:11:20 | 日常
平成28年7月29日から8月2日
このコースは一般登山者にとっては最難関のコースであり、先の大山縦走と併せればどこえでも行ける力があると言えます。
私も二度と八つ峰には行くことはないと考えていましたが後輩たちの為私の経験、ルートを継承してもらうためと、彼らが将来行くであろう小窓尾根。池ノ谷ん状況を知ってもらうため実施しました。八つ峰の岩峰縦走、厳しい池ノ谷の下降、雪渓、クレバスの下降、突破、鉄砲水、土石流、増水して白萩川の渡渉、連日の雨天下におけるビバーク等かってない困難を乗り越えたことは大きな自信となったことでしょう。後輩に対する最高の贈り物になりました。
29日20時福山に集合、6人で出発。途中仮眠して立山駅8時発、お昼ごろ剣沢、雨になる。以降この昼過ぎになるといつも雨でした。雪渓がj本当に小さくなっていました。万一に備えザイルを使って下降しました。真砂沢ロッジには予定より早く着き、かけ湯で汗を流しました。
建物は雪の重みの為地盤沈下の為か立てつけが大きく傾いていました。もう数年しか持たないような有様です。
30日、4時前に朝食をとり出発。雪渓のところで装備をつけ取り付き点の岩小屋へ。沢登りのようなルンゼを1・2のコルを目指す。左という意識が強すぎて迷ってしまった。下降も困難なのでザイルを出し草付の岩壁を登る。大きく左にそれ到着地点は2・3コル。大幅に時間超過。かなり体力を消耗した。3峰、4峰の大懸垂を過ぎここで雪渓を壊し今夜の水を仕入れて5峰に。ここで3回懸垂するが、20mの懸垂のところ30mあり、ザイルが足らないところがあり空中停止となり時間を要した。6人なので何をするにも時間を要します。この先適当なテント場はないのでここ5・6のコルでテントする。
31日、トラバース部分はザイルを使い、登りはフリーで登攀する。A,B,C,Dフエィスの頭を越え6峰にまで来ると絶景が広がる。7峰はまき、8峰へ、8峰の頭への快適な岩峰を楽しく登り超えると頂上、日本離れした絶景が広がる。眼下をみれば2パーティが見える。エールを交わし励ます。一気に下る予定なので、そうそうに懸垂下降する。池ノ谷乗り越しでおおきなザックの2人のクライマーに会に会う。情報を尋ねると,三の窓までは厳しい、渡渉も厳しいかもとのこと。
三の窓までは何度も経験済みであり下降する。池ノ谷ガリはいつも以上に厳しい。適地を探して下る。2350m位から雪渓になった。いたるところに大きなクレバスがある。左に右に下山路を探す。左岸側のシュルンドは10m以上あり困難。困難といていた右岸以外下山路はない。支点となるものはアイアイハーケンは2本、アイスバイル2本、最悪はテントのポールしかない。持参していたバイルが少ないので1本で深く打ち込みもう1本はバックアップとして残すことにする。ザイルで下降し、雪渓にバイルで乗り越え、何とか下降のめどをつける。2俣まではまだ距離がある。ザイルで繋下降をつづける。この調子では今日中下山は困難。適当うなビバークを探しながら下降するが両岸は切り立った絶壁,下部の河原は急なごろ石の原、はるか先に草地が見える。
右岸の下部に平らなところが見える。その手前の斜面は砂の斜面。自然の雨でもずり落ちる。
まして足を踏み入れればさらに激しく崩れる。しかしここを越えなければそこに行けない。
雨が激しくなり崩落も続く。ここには長くとどまれない。ザイルで確保しながら点在すり岩を頼りにザイルで確保してもらいながら泥だらけの中這いつくばりながらなんとかわたることが出来ました。足場地なるような大きな岩がもろくも崩れ落ちるさまは想像できないでしょう。大きな岩の岩小屋でほっとしていると、突然ゴーという轟音が響く。ちょろちょろと流れ落ちていた滝の水が濁流となって落ちる。背筋が凍るとはこのことでしょう。万一川底にいるとき発生していれば巻き込まれて命はなかったでしょう。途中にダムらしきものはなかったので数日に降った雨がせき止められていたため池の堰堤がこの雨のためあふれ崩壊し一気に鉄砲水となって流れ落ちたのでしょう。初めての経験でした。この先は不明なのでこの斜面にテントを張り濡れたままの状態に寝袋をかぶり朝まで過ごす。1日の予備日は設けていたが、携帯電話で留守宅に帰宅は明日になるとの遅延を連絡出来ひと安心す。幸いにも夏の為かあまり寒さは感じなかった。
1日、曇り、小窓尾根の取り付き地点はかってキャンプ地で平らであるとのこと。
右岸の草付の踏み跡有。しばらく水平に歩き1510m付近の大岩のところより急坂を上る.崖地の手前である。1600mの岩のピークを越え下りにかかる。急坂である。冬期、大きな荷物を持ち乗り越えるとは本当に感心する。私にはとてもできない。
案の定、白萩川は増水し水量も多い。岩を噛む白波、激流方々探すが岸の足場も悪く適切なところがない。降り立った地点が幅は広いが浅いのでここしかない。横断するザイルと上流より流れどめのザイル2本をはり全員無事に渡渉できた。これで一安心。ここから先はかってきたことがあるからもう大丈夫。タカノスワリの高巻路を80m余り登れば後は下りが大半、取入口の擁壁に降り立ち完了。本当にご苦労様でした。全員無事に帰れたことを天に感謝した。
充実した意義のある山行でした。後輩たちにとっても記憶に残る山行となったことでしょう。
(写真は頂上の八ッ峰の頭から稜線を望む、手前から七峰、六峰一番下が一峰)
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