陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

あの大震災から二十五年

2020年01月17日 | cocoro

この日、阪神・淡路大震災から25年を迎えた。
仕事で市役所に寄ってから東遊園地へ。
今年も記帳をして一輪の寒菊を受取る。
モニュメントの水面に浮べ祈る。
それから地下に降りて、これも毎年のように
亡くなられた知人の名前の前に立ち合掌する。
息子が所属する少年野球部の監督だったMさん。
そして我が子の小学校の同級生だったT君。
T君はずっと小学校六年生のままだ。

震災の前日、新チームの初試合があった。
我が子は投手として先発。はらはら
そしてどきどきであったが初勝利をおさめた。
幸先よいスタートをお互い喜び合った。
その夜は家族みんなで鍋をつつきながら
試合を振り返りながら語り合った。
楽しい休日で終り明日を誰もが疑わなかった。

未明に襲った震度7強の大地震。
家の中はぐちゃぐちゃになった。
ガラス片で足を切りながら皆の安否を確認した。
子どもが寝ていた部屋は、倒れた箪笥が
向かい側の壁につっかえていた。
子はそのせいでできた三角の空間に寝ていて
辛うじて無傷であった。下の子は私と寝ていて
飛んできたテレビが顔をかすめていったのだろう。
頬に傷がついていたがそれ以外は大丈夫だった。

後日、M監督は家の下敷きとなり亡くなった
ということを知らされた。少年野球部は
勿論活動休止となった。練習していたグランドも
テントで埋め尽くされてしまった。

練習が再会できたのはやっと夏休みとなってから。
週末、郊外のグラウンドを借りては、車で分乗して
出かけるといったロードを繰り返した。
大変だったが今となってそれはそれで思い出深い。

Mさんはとても物静かな監督であった。
子どもを怒鳴ったりしない人だった。
たらればを言ってもせん無いことだが
もしMさんが生きていたなら、子どもたちは
きっと伸び伸びと野球をしていただろうと
今でも思う。震災で多くの人が人生を変えた。
四半世紀を経ても、その事実は重い。

鎮魂の広場祈りの燭冴ゆる




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