陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

幸せ昼ごはん 菜食自然食

2024年01月31日 | slow gourmet

近鉄・宇治山田駅にお昼半ば頃に到着。今回のお昼ごはんは伊勢のお祓い通り辺りではなく駅チカ界隈で取ることに。駅を出て駅の裏に廻り駅の反対側にでる。JRの単線の高架を越えてすぐお目当ての店はありました。普通の民家です。

暖簾を潜ると、「只今満席です。」の表示が。予約しておいて良かった。窓際のカウンター席を空けておいてくれていた。店内は確かに満員。そんなに席数はない。しかもお客は全員女性である。

定食を頼む。他の料理にすると時間がかかる場合がありますと品書きにあった。ほとんどの客が定食を頼むようだ。ビーガン御用達といった菜食のお店である。ご飯は玄米か二分搗き、もしくはそれらの半々から選べる。両方味見したいのでハーフ&ハーフを。

サラダ大根、キャベツなど生野菜のサラダ、おからの和え物、コーンと人参のかき揚げ、ブロッコリー、ひじき、さつまいも、菊芋、和風パスタ、漬物など八品と味噌汁。

どれも体に優しい味である。揚げ物がNGならば別のものにも代えられるという。しゃきしゃきとした所感の野菜?があった。後で店の人に聞けば菊芋という。この食感は最初はザーサイかなと思ったほど。これが初めて食すこともあって一番印象に残った味だった。

これで熱燗でもあれば最高なのであるが、ここはちょっと辛抱。(ていうかこういうコンセプトの店にお酒なんかはある訳ない?)しかしこういう店はやはり女性向なのかな。男性ではちょっと物足らないかもしれない。小生くらいの年齢になると男性でも行けるのであるが…。それでもやはり消化が良いのか夕方にはお腹が空いてきたが。

もうそろそろ、こういう料理を食べるようにならないといけないなと思いつつ、でもたまにはイタリアンもフレンチも居酒屋料理も、ジャンクフードも食べたいな。でもたまにはこういう料理もいいぞなもし。ごちそうさま。

◇菜食自然食 喜心 三重県伊勢市吹上2丁目12-5

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電車のある風景 近鉄特急しまかぜ

2024年01月30日 | slow journey

今年もお伊勢参りの旅へ。

近鉄・大阪難波駅から特急しまかぜに乗車しました。近鉄の特急は色んなタイプがありますが、やはりしまかぜは人気です。すぐに申込をしないとなかなか切符は取れません。

プレミアムシートはレザー張りでちょっとラグジャリーな気分を味わえます。車高も一段と高くなっており車窓からの景色も良い。乗り鉄の私にとってはうれしい設計です。

私は車での旅はあまり好きではありません。小さい頃はよく車酔いしていたこともあったのでそれもありますが、やはり旅情は鉄道からという気持ちが強いのです。それに帰路は車窓を眺めながらお酒を嗜むのも一番の楽しみなのです。これが大きいかな笑

乗車してしばらくすると客室乗務員の方がおしぼりとしまかぜの記念乗車券を配ってくれます。この記念乗車券、旅の思い出としては捨てるには忍びなくもう何枚も持っています。

10時40分に難波を経って、鶴橋を出るとそこからは大和八木まで止まりません。そして大和八木からは伊勢市まで又ノンストップ。久しぶりの近鉄・大阪線の景をたっぷりと楽しめました。目的地の宇治山田駅に定刻12時18分着。2時間もかからない旅なのであっという間です。少々名残惜しいほど。しかしこの日は厳寒の候とはいえよく晴れて、それに風もなく寒さも緩みました。神様の思し召しかな?絶好のお伊勢参りとなりそうです。

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季題 冬桜

2024年01月28日 | nonoka

冬桜を見つけました。厳寒のこの時期の吟行でこういう花を見つけると、なんか嬉しさが倍増します。

幸い名札がついておりました。「十月桜」とありました。晩秋から初冬にかけて咲く珍しい品種らしいですね。広く「冬桜」と言われるとありました。小ぶりな花をつけています。そこがまた心を打ちます。白と薄紅。蕾は濃い紅。このコントラストに見惚れていまいました。みんなもじっと見ておりました。

この冬桜の姿が心に映されて、そして心がそれに動かされると脳のシナプスに言葉が走り出します。言語にならぬ言葉がぐるぐるぐるぐると脳内を駈け廻り始めます。でも全然言葉というかたちにはなりません。焦ります。でも心は感動している。そしてやがて言葉が脳内からアウトプットされてくるのです。アウトプットされるには締切という期限が大きな役割を果たします。

まとまった言葉になるには、その精度には言葉の知識もいるでしょう。言葉の技術もいるでしょう。過去の経験知もいるでしょう。でも出来不出来はともかくとしてそのプロセスが楽しいのです。それもかなり苦しいから楽しいのです。苦しいときがあってこそ、それを潜り抜けた時に得る楽しさは何ものにも代えられません。私の経験で言えば、それはスキーもそうでしたし、乗馬もゴルフもそうでした笑(おいおい、そんなレベルの話か?笑)

その体験は或いはマラソンと同じかもしれません。俳句においても脳内ホルモンの「エンドルフィン」が放出されていると思います。

その後の句会ではいろんな佳句が生まれました。やはり心囚われてしたためる句は人の心を捉える力があります。推敲する時間もない吟行句ですがそれ故、言葉が活き活きと力を宿しています。粗削りだけれども躍動しているのです。

魚の刺身は熟成した方が本当はもっと美味しいけれど、取れたてを捌いた刺身の新鮮さは何ものにも代えがたい。それと同じですね。

この日は冬桜に感動した吟行句会となりました。水仙もあったけれど冬桜の存在感は圧倒的でした。日々新た、日々感動…。それこそが生きている証です。

寒桜空のまさをへ紅(こう)を解く

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厳寒の候

2024年01月24日 | slow life

今年は1月20日が二十四節気の大寒でした。この頃がもっとも寒さが厳しい候です。その暦通り今冬一番の寒さとなりました。丹波地方など北では大雪警報も発令されておりました。皆さま如何でしょうか?

寒中お見舞い申し上げます。

昨晩温度計を外に出してみました。デジタル温度計は1.4℃を表示していました。氷点下まではいかず。少し安心しました。0℃を下回ると水道管が凍らないか心配だからです。朝起きたら今冬一番の結露が窓にびっしりでした。

これから立春までが一番寒さが厳しいときです。さすがにこの寒さは腰に来ますね。古傷が痛んでいる人もきっと多いことでしょう。心して立春を待ちましょう。くれぐれもご自愛のほど専一にお過ごし下さい。

厳寒や腰の筋肉こはばれる

(写真)丹後・宮津にて

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散り敷く山茶花

2024年01月22日 | nonoka

植込みや生垣、公園などそこら中で山茶花が咲いています。町を歩いていて山茶花を見かけない日はない位です。ホトトギス新歳時記では山茶花は冬・十一月の候に載っている季題です。

十一月に咲き始めて冬中咲き続けます。それだけ花期が長い花なのです。散っては咲いてを繰り返してますね。そういう意味では、身近にありがながらあまり有難みがないというか、損な役回りの花かもしれません。それでも樹下に散り敷いている山茶花のさまはちょっと目を惹きますね。

よく似ている花に椿があります。山茶花は花びらが散りますが、椿は花一輪ごとぽろっと落ちます。そこが一つの見分け所です。花のイメージとしては椿の方がやや格上の扱いを受けているようですが、花に格上も格下もなし。

♬世界に一つだけの花 一人一人違う種をもつ その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい♬       とSMAPは歌ってます。

散り敷いて山茶花の朝始まれる

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幸せ昼ごはん ご近所寿司

2024年01月21日 | slow gourmet

久しぶりにご近所寿司でお昼ごはんを食べました。

寿司屋というのは日本人にとって身近であり特別な食べものでもあります。昭和の時代、祝い事などハレの日には父が「寿司でも取ろうか」なんて言いました。そういうときは「やったぁ!」と子ども心に喜んだものです。

概ね寿司には三つの類型があるように思います。一つは格式の高い寿司屋、二番目はサラリーマンなんかがアフターで行けるような寿司屋、そして三番目はご近所の寿司屋。一番目はミシュランクラスなどを筆頭に、接待で使ったりするような数万円クラスの高級寿司屋ですね。

二番目は手頃な予算で仲間とわいわい酒でも飲みながらつまめる寿司屋ですね。まあ数千円クラス、高くても1万円は超えない所かな。大阪なら天神橋筋五丁目界隈の寿司屋なんかよく利用したものです。

三番目のご近所寿司は幼い頃から馴染んできた寿司屋です。出前で取ったり、食べに行ったり。家族御用達といったそんなお寿司屋さんですね。

今回訪れたご近所寿司屋さんはもう半世紀前から知っている店です。半世紀前は六甲の二号線沿いに店を構えておられました。確か隣にアヒルがいる釣餌屋さんがあったと思います。小学校の頃はここで釣餌を買って摩耶埠頭なんかに自転車で釣りに行った思い出があります。特に晩秋だったか、埠頭で釣ったきらきらとした太刀魚の感触を今でも鮮明に覚えています。

ご近所の寿司はやはり最初に舌が覚えた寿司の味ですね。この寿司で寿司を覚えたと言っても過言ではありません。ほっとする寿司といった感じでしょうか?

昭和人間の私にとっては、こんな寿司はやはりあの志賀直哉の「小僧の神様」の仙吉と同じようなものかもしれません。勿論神様のような存在は、当時の小さい私には父でしたが笑

さて今の時代、庶民の子どもたちにとっての寿司の味は、家族で行くスシローやくら寿司さんのような回転寿司屋の味でしょうか?(あ、忘れてました。この回転寿司屋さんが四番目の類型ですね。)

握りと鉄火巻のボリュームある鉄火巻定食。お腹いっぱいになりました。ごちそうさまです。大将も以前見た時より少し良く見えました。ご自愛ください。

◇六五寿司 御影店 神戸市東灘区御影1-4-21

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季題 水仙

2024年01月20日 | nonoka

あちこちで水仙が咲いています。民家の植込み、学校の校庭、公園など簡単に見つけることができます。早い所では12月から咲いていたという報告もありました。ホトトギス新歳時記では冬、一月の候に載っている季題です。

“厳しい寒さの中に咲く水仙は気品があり、香気が漂う”とあります。あの寒さに凛と咲いている風情はやはり心惹かれるものがありますね。それ故、人気がある花です。そして根には毒があることもなかなか意外です。

あの香気は何と表現したらいいのでしょう。上品、気品、清楚、楚々…ありきたりな言葉ですがそんな形容詞が浮かびますね。決して弱い香気ではないですがどぎつい香でもありません。

水仙と言えば私は何と言っても淡路島の灘黒岩水仙郷が浮かびます。淡路島南淡、紀淡海峡を望む斜面(なぞへ)に、厳しい潮風にも倒れず凛と咲き満ちて、香気を放っている群落は感動ものです。決して風に負けない香が辺りに漂ってます。

今頃はちょうど見頃でしょうか?ぜひお薦めします。

潮風とマリンブルーと野水仙

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季題 枯木立

2024年01月19日 | slow life

東遊園地の枯木立です。これぞ枯木立という感じがしました。こういう都会の中の枯木立も良い景だなあとしばし眺めておりました。

ホトトギス新歳時記によると“落葉し尽くした落葉樹の木立をいう”とあります。傍題は“寒林”です。寒林という言葉の響きもいいですね。

歳時記の例句にこんな虚子の句がありました。

三井寺や狂女もあらず枯木立

このような句のように、背景が解らないと鑑賞できない句が俳句にはままあります。芭蕉の句なんかにも多いですね。例えば“象潟や雨に西施がねぶの花”なんて句もその一種と言えるでしょう。俳句も一種の教養だったのですね。和歌という貴族のたしなみへの意趣返しだったのが庶民社会の俳句だったはずなのですが、やはり貴族的教養遊びに憧れていた面もあったのかなと推察します。

でもこういう句は読者の教養的レベルを試すような所もあります。つまり読者を選別するような所もあるので、そこをどうわきまえるかが肝要です。でも小生はこういう句の否定論者ではありません。時々私も作ることがあります。だから天に唾するようなことは言えません笑。

ただ扱いは注意を要します。ちなみに師事した先生がこういう句を採ったという記憶はありません。むしろ排除されていたのではないかと思うほどでした。こういう句はある種の作者のデリカシーと洗練さ、そしてTPOが必要になってくると思います。

で、この虚子の句ですが、これは「三井寺」という能の演目を下地にしています。能楽に精通した虚子ならではの句です。ちょっと長いですが抜粋すると

“秋の頃、京都・清水寺にて、駿河国の清見が関から来た女が観音様に向かい熱心に祈りを捧げていました。彼女はわが子の千満(せんみつ)が行方不明になったため、再び逢いたい一心で都までお参りに来ていたのです。

祈りの間にしばしまどろんだ女は霊夢を見ます。そこに清水寺門前の者が来て夢を占い、わが子に会いたいなら近江国の三井寺へ急いでいきなさいというお告げだと判定します。女は喜び早速三井寺へ向かいます。

三井寺ではちょうど八月十五日(旧暦)を迎え、僧たちが月見をしようと待ち構えています。そこには三井寺の住僧に弟子入りした千満の姿もありました。人々が中秋の名月を鑑賞しているところに、物狂いとなった千満の母が現われます。以下略”

この演目の狂女もいなくなり今は枯木立の景が広がるばかり…と虚子は感じたのでしょう。こういうバックグラウンドを知れば、なんかじんと来る句ですね。枯木立がとてもよく効いていると思います。

虚子の句というのはこのようになかなか味わいがあります。客観写生を一般大衆的俳人には説きながら、実はこういう句も好きなのだなあと思って、そこはなんか嬉しくなります。そこが虚子の魅力でもあります。

寒林や記憶は錆びず阪神忌

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阪神忌 29年の祈り

2024年01月17日 | cocoro

毎年、1月17日には神戸三宮の東遊園地に行きます。今年はあの阪神・淡路大震災からまる29年となりました。元旦に能登半島を襲った大地震。その発生時刻の午後4時6分には、ここ東遊園地でも犠牲者の方を悼み皆で黙祷を捧げました。

あの元旦の揺れは神戸でも感じました。意外と長い揺れに1月ということもあって、神戸の人間はほとんどの人が、記憶がフラッシュバックしたのではないでしょうか?私もどきどきして心拍数が上がっていました。

能登の被災地では神戸市役所や兵庫県庁関係の方もボランティアに駆けつけておられる報道を拝見しました。いろいろ十分な活動が行えずもどかしいこともあることでしょうが、現状できることを精一杯行って頂いているようです。神戸の地からは今はただ祈るばかりです。石川県は私の母一族の地でもあり、何回か親戚を訪れたことがあります。能登の方ではありませんが、私のとってもゆかりの地なので、時機が来たら私としてもできることを考えたいと思ってます。

今年は阪神忌を修し終えるとルミナリエが始まるようです。東遊園地や元町にかけての通りにはもうルミナリエの設えが整っておりました。このルミナリエ、以前は12月に開催されてましたが会場近隣の商店のかき入れ時と重なって商売に影響があったことや、企業の寄付金が細ったこともあり休止となっておりました。それが再開となったことは喜ばしいです。

阪神忌の後に開催する方が本来の意味での鎮魂のイルミネーションらしく、追悼の気持ちがより深まっていいと思います。勿論資金捻出という大きな課題があるので、有料の観覧もあるというのは仕方ないことでしょうが、あまり商業主義に走らるのは感心しません。私は追悼の心をもって、静かにこのルミナリエを訪れるつもりです。

黙とうの朝の静けさ阪神忌

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街の面白看板 団栗通り

2024年01月16日 | slow culture

京都、祇園四条から一本下がった所に団栗通りがあります。鴨川に架かってる橋は団栗橋です。川端通りにこの看板が架かってます。別に面白看板ではないですが笑。さてこの団栗橋から花見小路通りまでを団栗通りと言います。名前の由来は江戸時代、この鴨川沿いに大きな団栗の木があったためとか。

この通り、昔は“団栗図子”と呼ばれていたそうです。図子とは通りを繋ぐ細い道という意味だそうです。図子に路地、小路に切通し…など道にはいろんな名前がついてます。道も路があり、径がありますね。それぞれ意味があって、京都は道の勉強にもなります。

団栗図子の名を一躍有名にしたのが京都のほとんどを焼き尽くした大火、天明の大火(1788年1月)です。その火元が団栗図子の町屋だったとか。応仁の乱以上に京都のほとんどを焼き尽くしたそうです。

そんな歴史的は出来事のあった通りではありますが、わたし的にはこの界隈にはなかなかこじんまりした良い店が多いという印象があります。おばちゃんのやっているおばんざい屋さんとかおでん屋さんとか。市井のサラリーマンたちが通えそうな店が結構ありました。

おや?こんな会館を見つけました。“どんぐり会館”とあります。ちょっとそそられますね。京都には“四富会館”とかそんな飲食店が入っている会館が所々にあります。そこもサラリーマンたちが通いそうな飲み処が入っています。

京都は観光客用の顔と地元の客用の顔が混在してます。そこが魅力です。そんなところはフランス・パリに似ていると思います。ちょっと行けば田舎というところもそっくり。それ故この両都市は相性がいいのでしょう。確か京都とパリは友好都市として提携してます。以前、この鴨川に新しい橋を作るのに、フランス風の橋をという構想が持ち上がったのですが、確か反対でその話は立ち消えになったという記憶があります。まあ私もそれは行き過ぎではないかとは思いましたが。

団栗橋から鴨川をしばし眺めました。飯田龍太の名句に“一月の川一月の谷の中”という句がありますが。この鴨川の景は、一月の川一月の街の中、です。名句をもじったら叱られますが。やはり京都っていいなあと思います。どきどきは訪ねたくなる街ですね。まあ、用があるので時々は京都に行けるのが嬉しいです。

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