美味い板前料理が食べたくなった。
神戸でなかなか評判がよさそうな
中山手通りの和懐食の店かなやまへ
予約なく訪れる。週末なので
たぶん一杯だろうと思っていたのだが
意に反して今宵はこの店空いていた。
瓶ビールを注文して待つことしばし。
どうやらここは、夜は
一種類のコースのみらしかった。
料理が出る前に、女将さんが
最後に出てくる五種類の
炊き込みご飯(釜飯)について説明した。
「二~三分のお時間ですから…。」
と断わって説明するその口調に
正直やや異質な違和感を覚える。
この日の料理は、さすが評判通り
有名料亭で腕を磨いた店主だけに
自然で丁寧に出汁を取って作った料理で
優しい食味の申し分なく美味いものだった。
先付けは
いいだこ、こごみのおひたし
ほたるいか酢のゼリー寄せいくら添
うすい豆と大豆のかき揚げ
吸い物はれんこん饅頭。
向付の刺身は
よこわとひらめにとり貝。
後は骨切りしたでんすけ穴子に
鳴門金時の甘煮、みょうがの酢漬。
じゃがいもと鳥そぼろの饅頭
豆乳のソースかけネギ添え。
刺身はよこわもひらめも
すこぶるうまい上等ものであった。
饅頭ものは手の込んだ素晴らしい作品。
しめのご飯は
タイとふきのとうの二種類を頼んでいた。
鯛も丁寧に身をほぐし炊かれている。
量も十分過ぎるほどである。
大将は寡黙でひたすら作っていた。
別に愛想をするでもなく
ただひたすら…以外に
形容がないほど料理に専心していた。
きっと典型的な料理職人で
接辞っぽいことは
どちらかと言うと不器用なんだろう。
そう思わせるような感じを受けた。
奥さんかもしれない女将は
呼べば出てくるが、たぶん
レジ周りで腰を掛けているのだろう。
今宵は客が二組だけ。
それに私たちは所謂いちげんさんだし
だからゆっくりしていたのかもしれない。
この女将さんが、料理の給仕の都度
料理の説明をしてくれるのだが
その口調がどうも紋きり型というか
学校の先生口調というか
この業界特有のしなやかで謙譲な
テイストが感じられないのである。
早い話武骨なのだ。
えてして上から目線のような
ニュアンスを感じるのである。
きっと自店が供す料理に
並々ならぬ自信を持っているのだろう。
しかし、この店
出す料理の質と量という価値に比して
値段はとても良心的である。
価値と値段のバランスからいえば
間違いなく、株式で言えば買いである。
もっと高く値付けできるのにとさえ思う。
熱燗は久保田の千寿だといった。
これも850円だ。
それも湯せんの容器で供される。
安いではないか?
冷静になってみても
料理が抜群に良ければ満足か?
と問われれば、難しいところである。
判断が難しい店だ。
私はそう感じたが、来る客によっては
また全然接辞が違うかもしれない。
そうとしたらなおさら…?となってしまう。
人はいいものを気持ちよく
誇りを持たせてくれた上で
買い求めたいし、また味わいたい。
心の満足もやはり大切だ。
むしろ心の満足度の方が
年齢を重ねるに従って
勝ってくるのかもしれないと思う。
そう考えさせられる和懐食の店に
遭遇してしまったのである。
二度三度と通えば
また違ってくるのかもしれない。
こういうお店は…。