陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

地ビールレストラン

2012年09月27日 | slow gourmet

浜松の夜。
ホテル近くのドイツ地ビールレストランへ。
なかなか雰囲気のある建物。
ドイツ風のとても大きなビアホールだった。
ドイツの雰囲気がそのまま再現!?
と言ってもドイツに行ったことはないが…。
さてアラフォーならぬアラセブンの
ご婦人たち三人を引き連れ店内へ。

喧騒から少し離れた所のテーブル席へ。
ビールはまずヘレスの300mlを注文。
ヘレスとはドイツ語で明るいと言う意味で
すっきりとした喉ごしが特徴で、女性でも
飲みやすいビールとか。これで450円は安い。
確かに飲みやすいビールであった。
二杯目はヴァイツェンを。小麦麦芽を用いた
爽やかな香りとフルーティーな味わいが特徴。
生きた酵母が残されていて栄養価が高いらしい。

料理はドイツソーセージにザワークラウト
ジャーマンポテトなどエトセトラ。おまけに
富士宮焼きそばまで。しかし、この店
実にてきぱき注文が来るのが速い。
こんな大きな箱なのによく訓練されている。
これも人気の秘密かな。それにしても
アラセブンのご婦人たちは健啖家である。
おしゃべりに食事にとてもよく口が動く。
店内の騒音に負けず姦しい。やはり
この年代の方たちはまだまだ元気なのだ。
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浜松楽器博物館

2012年09月24日 | slow journey

浜松はウナギの町だけではなく
実は楽器の町、音楽の町である。
オペラのコンクールなども
日本で開催しているのは浜松。
とはこれ市長の弁。なるほど
いろんな音楽コンクールのポスターが
街中に張られていた。芸術の秋だ。

駅近のところに楽器博物館がある。
正式には浜町市楽器博物館という。
開館は1995年4月。
(といえば阪神淡路大震災の年だ。)
日本初の公立楽器博物館だそうだ。
世界中の楽器が所狭しと展示されている。
ほとんどは触れないが、ヘッドホンで
その音を聞くことができる。
楽器好きにはたまらない博物館ですね。
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砂丘と遠州灘

2012年09月23日 | slow journey

全国俳句大会に参加。この日は前日吟行の日。
バス数台を連ねてベテラン俳人たちと
中田島砂丘と浜名湖ガーデンパークを吟行。

中田島砂丘はやはり南海の台風の影響か
風がずっと唸っていた。初めて見る遠州灘。
兎が走るような白波が立ち、潮も速いような。
瀬戸内海を見慣れている者にとっては
とても雄大な景色。砂丘の砂を掬うと
さらさらと指の間から零れていった。
この感触をしたためた句が翌日入選する。

砂丘から一路浜名湖へ。
いつも新幹線から見える橋を渡り
また橋を渡って浜名湖ガーデンパークへ。
浜名湖では遠浅で漁る人影がちらほら。
浜名湖はやはり汽水湖だ。秋の潮が
ぐんぐんと満ちてくるのが判る。
ガーデンパークではしばし船遊び。
酔芙蓉の花と、パンパスグラス
そしてアメジストセージが満開だった。

砂掬ふ手より零るゝ秋暑かな
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幸せ昼ごはん 浜名湖うなぎ

2012年09月20日 | slow gourmet

浜松への旅。
新幹線ひかりで新神戸から1時間40分。
今までは浜松と言えば、新幹線で
浜名湖を眺めつつ通り過ぎる街だったが
今回は初めて訪れる町となった。
浜松と言えばうなぎ・オートバイ・浜名湖で
有名なのだが、楽器の町、音楽の町でもある。
駅前にはアクトタワーという巨大な建物が。
浜松市は案外財政の豊かなのだろうか。

浜松駅で下車すると同行の先生と共に
調べておいた駅前のうなぎ屋へ直行した。
ここは浜松養魚漁協直営の店。
正真正銘の浜名湖の鰻なのだ。
品書きからうな重を頼む。う~ん、2800円。
仕方ない。旅というハレの場でなければ
昼ごはんにこんな大金は使わんのだが。
それにニホンウナギは極度の不漁。
さらに悪いことに直近のニュースでは
「絶滅危惧種」に指定されるとか。もう
簡単には食べられなくなるかも知れんのだ。

しかし、何と柔らかいのだろう。
口に中でとろけるような食感。
皮も全然気にならないほどの柔らかさ。
先生も大いに満足されておられた。
まずはほっと一安心。帰りには
お土産用の蒲焼を数本頼むことに。
家族にも今回来られなかった人にも。
今回の鰻は正真正銘の幸せ昼ごはんでした。

■浜名湖うなぎ 丸浜
浜松市中区砂山町322-4
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君原選手が語ったこと

2012年09月09日 | cocoro

八月は日経“私の履歴書”
君原健二さんの履歴書が面白かった。
特に印象に残ったのが、やはり
円谷選手への思いを語るくだり。
折に触れて円谷選手に触れている。

東京五輪で、円谷選手は父親の教えである
決して後ろを振り向くなという言葉を充実に守り
トラックで英国の選手に抜かれて3位なる。
彼はそのことをずっと引きずっていたと言う。

かくして君原選手。メキシコ五輪では
後ろを振り返り抜かれずに銀メダルを獲得した。
ふと振り返ったと言う。そして何故
振り返ったのか自分でもわからないと言う。
きっと天国の円谷選手が導いてくれたのかもしれないと。

選手は極限まで自分を追い込む。
だから周りの支えが欠かせないと彼は言う。
選手としてのレベルでは、東京五輪の方が
はるかに上だったにもかかわらず
結果はメキシコ五輪で出た。それは結婚によって
精神的な安寧を得たことが大きいと述べている。

翻って円谷選手は、競技の妨げになるからと
自衛隊の上層部に結婚を反対されたと言う。
そしてその後その縁談は破談になる。もし
円谷選手が結婚していれば、また違った結果に
なったのではないか?そういう示唆的なことを
君原さんは言っている。

これは人間にとって、とても普遍的な
真実なのではないかと思う。職場でも家庭でも
人生にはそういう安寧な精神的な支えがあってこそ
人は力を大きく発揮することができるのだ。
君原さんが円谷選手のことを、こうまで
折に触れて書いているのを読むと、彼の
円谷選手への今でも変わらないリスペクトを感じる。
飾らず誇張のない等身大の履歴書だった。
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KATAGAMI Style 世界が恋した日本

2012年09月05日 | slow culture

そう言えばアップするの忘れてたが、この八月に
京都国立近代美術館へkatagami展を観に行った。

KATAGAMI Style…世界が恋した日本のデザイン。

19世紀後半に海外に紹介された、着物や
その他染織品の文様染に使われる日本古来の型紙。
その美しいデザインや高度な技術が高く評価されて
当時、西洋各地で起きた美術工芸改革運動に
大きな影響を与えた…と紹介されていた。

日本のkatagamiというデザインが
ガラスや陶磁器などの工芸品、家具や壁紙
タペストリーといたファブリック、そして
絵画、ポスターなどに上手に活用されている。
そしてそれらの作品が、商品として日本に逆輸入され
海外の商品はデザインが素敵だなんて人気を博す。
なんのことはない元は日本のデザインなんだ。
そう思うと、観ていて何か誇らしい気分になった。

精緻な日本のデザイン。これも意識を持って
伝承していかなければ滅んでいってしまう。
そういうことを感じた展覧会でもありました。
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