二月は一年の中で最も好きな月だ。しかしその二月はあっという間に過ぎてしまう。それゆえ余計に惹かれるのである。二月は寒空を一月から借り、そして淡い空をときどき三月から借りてくると言う。借りを作る月なのである。そういうところもいい。
さて、そんな二月に村上春樹さんを読む。“春樹さん”とおこがましくも馴れなれしくもさん付けで呼ぶのは、私の最も好きな小説のベストスリーのひとつを書いた作家であるからであり、そしてもう一つ、母校の先輩ということもある。まあ、これは自慢だな。春樹さんとゆかりがあったということが自慢なのだ。実は私は自分の高校が高校時代嫌いだったのである。(ただしロケーションは好きだった。)今は全然そう思わないが、まあ若気の至りと言うやつかもしれない。
短編集である。タイトルの「一人称単数」はその短編の巻末の小説で、この短編だけは書きおろしである。その他はみな「文學界」に2018~2020年に掲載されたものの再録となっている。
1.石のまくらに 2.クリーム 3.チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ 4.ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles 5.「ヤクルト・スワローズ詩集」 6.謝肉祭 (Carnaval) 7.品川猿の告白 8.一人称単数
「ウィズ・ザ・ビートルズ」の中におそらく母校を記したと思われる一節があった。付箋を挟んだ。
“僕がその少女を目にしたのはそのときだけだった。そのあと高校を卒業するまで何年かのあいだ、彼女の姿を見かけることは二度となかった。それは考えてみれば不自然な話だ。僕の通っていたのは、神戸の山の上にあるかなり規模の大きな公立の高校で、一学年に六百五十人ほどの生徒がいた。…”
一学年、六百五十人もいたとは!いわゆる団塊の世代の頃だ。私のときは確か四百五十人だったがそれでも当時定員割れしてたと思う。ただ定員割れしていたからと言って、志願者全員が入れるという訳ではなかったが。少子化の今ならもっと少ないだろう。
「ウィズ・ザ・ビートルズ」の中に、教師が自死するというくだりが。ここにも付箋。
“僕とガールフレンドが、パーシー・フェイス楽団のロマンティックで流麗な音楽を背景に、夏の午後ソファの上で不器用に抱き合っていた最中にも、その社会科教師が致死的な思想の袋小路に向けて、言い換えれば沈黙する堅いロープの結び目に向けて、一歩一歩、歩を進めていたのかと思うと、なんだか不思議な気がする。…”
この付き合っていた少女は後年自殺していることが判明する。少女の死は春樹小説における重要なモチーフのようだ。
短編集の中で私が最も春樹小説らしいと思ったのは「謝肉祭」であった。ここにも付箋がある。
“二十歳の秋の終わりに僕は、一度だけその容姿の優れない女の子とデートし、二人で夕暮れの公園を散歩した。コーヒーを飲みながら、アート・ペッパーのアルトサックスの音が時折どんな風に素敵に軋むかについて、彼女にくわしく説明した。それはたまたま楽音の乱れではなく、彼にとっての心的状況の表現なのだと。そしてそのあと、彼女が別れ際にくれた電話番号のメモを、僕はどこかに永遠になくしてしまったのだ。言うまでもなく、永遠はとても長い時間だ。
それらは僕の些細な人生の中で起こった、一対のささやかな出来事に過ぎない。今となってみれば、ちょっとした寄り道のようなエピソードだ。略 しかしそれらの記憶はあるとき、おそらくは遠く長い通路を抜けて、僕のもとを訪れる。そして僕の心を不思議なほどの強さで揺さぶることになる。森の木の葉を巻き上げ、薄の野原を一様にひれ伏せさせ、家々の扉を激しく叩いてまわる。秋の終わりの夜の風のように。”
女の子のくれた電話メモをなくす、なんて今のLINEの時代には滑稽千万な話である。けれどどこかノスタルジックだ。確か織田作の「木の都」の最後の下りもこんな表現があったような気がする。
◇一人称単数 村上春樹 2023年2月初版 文春文庫