陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

黄金比と白銀比

2009年09月30日 | slow culture

日経プラス1“裏読みWAVE”
というコラムに
黄金比と白銀比のことが書いてあった。

これは縦横の比率のことで
黄金比は1対1.1618…で西洋人が好み
白銀比は1対√2=1.414…で、これは
日本人がこの好む傾向があるとか。

黄金比の身近なものでは
名刺やクレジットカード
洋書のペーパーバックなど。
白銀比は、日本の文庫本や
A版、B版のコピー用紙などだそうだ。

日本人的感覚で言うと、黄金比は
やや横長すぎるように感じるのだとか。
(東京工芸大学牟田準教授)

ふうん。そうかなあ。
わたし的には、やはり
黄金比率の方が美しいし好きだなあ。

皆さんは如何でしょう?

ちなみに、牟田準教授によると
モナ・リザは黄金比率
キムタクは白銀比率なのだそうな。
どらえもん、アンパンマンや
ハローキティやミッキーマウスは
同じく白銀比なのだとか。
やはり日本人は白銀好きなのかな?

“感覚的に言うと、黄金比は
面長な大人びた印象で、白銀比は
丸みを帯びた幼い印象が強くなる”
と、書かれてあった。

(写真)仙山線 愛子駅
 駅名看板も白銀比に近そう…。
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そろそろ…牡蠣と酒

2009年09月27日 | slow life

暗くなるのが早くなった。
会社帰りのちょっと一杯の帰り道。
夜風が気持ちいい平和大橋を渡ると
かき舟の看板が誘うように燈っている。
橋から、座敷の客たちの
楽しそうな様子が垣間見える。
おやっ?この風景
して、どこかで見たことあったな?
つらつら考えていたら、そうそう
京都は祇園・花見小路新橋あたり
白川沿いに連なる料理屋の
二階の窓の向こうに見える風景と
とてもよく似ていたのだった。

「そろそろだなあ。」

これから牡蠣が美味しい季節。
酒も旨いし。西条の酒まつりも
行きたいなあ。10月1日には
酒造組合の飲み比べ会
第五回ひろしま酒まつりが
新天地であるみたいだ。
お世話になってる酒造会社もある。
だから、これもぜひ行ってみたい。
千円でオリジナルカップを買い求めると
当日用意された日本酒が売り切れまで
飲み放題とな。そうはいっても
そうそう飲めるものではないぞな。

でも楽しみ…。
10月1日は日本酒の日です。
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更新されないブログ

2009年09月26日 | slow value

しばし訪れては読むブログがあった。
そのブログが、5月27日から
更新されなくなり秋になっていた。

「どうしたのだろうか?」

ずっと気になっていた。

日々の日常を綴るそのブログは
とても素敵だった。何より
素直な気持ちやテイストに溢れていた。
慈しむような日々の暮らしが
どんなにかけがえなく大切かを
教えてくれるようなブログだった。
それに、わりとご近所さんだったし
親しみもあった。

その更新されないままだった
最後のエントリーに、九月になって
急にコメントが書き込まれていた。

私はここで多くは語るまい。
ただ…そのブログは
その方の生きた軌跡を
こうしてずっと描き残しながら
永遠に生き続けるのだ。

私は、貴女の存在を、そして
このブログを
決して忘れることはありません。

ありがとう。
そして…さようなら。
Make a Wish…。
貴女の願いがいつか実現しますように。

■Home,sweet home 玄米菜食な生活
http://blog.goo.ne.jp/kyondecember/
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わたしの酒呑録 白鴻ひやおろし

2009年09月22日 | eau de vie

ひやおろしの季節である。

“ひやおろしとは
寒さも厳しい真冬に仕込まれたお酒を
春先にしぼり寝かせたお酒で
外気の温度が蔵に貯蔵されたお酒の温度と
同じになる秋に出荷されるものです。”

“出来立ての荒々しさが無くなり
角のとれたまろやかなお酒である
ということから秋の旬のお酒として
江戸時代より楽しまれてきました。”
           (日本酒netより引用)

買い求めたのは、広島での
お気に入り銘柄のひとつ白鴻の
純米軟水仕込 ひやおろし 秋宵
あきのよいである。
広島・呉は仁方の酒だ。
賀茂鶴に代表される西条地区と並び
広島では知られている酒造りの地だ。
蔵元は安浦にある盛川酒造と言う。
ちなみにこの東には竹原市がある。
この地区にはあのニッカウヰスキーの父
竹鶴政孝の生家、竹鶴酒造がある。

さて、このひやおろし秋宵の仕様は
特別純米酒、精米歩合60%
広島県産の酒米100%使用。
純米酒だから原材料は米と米こうじのみ。
アルコール分 15~16度。
冷やでも燗でもお好みの温度でとある。
なんといっても仕込水が特徴だ。
ここの酒は軟水で仕込まれている。

“当蔵で使用する仕込水は、蔵内で
汲み上げる野呂山系の良質な地下水で
軟水地帯と言われる広島県においても
一、二を争うほどの超軟水です。
ミネラル分が少ない軟水は
旨味を引き出す効果があり…”とあった。
        (盛川酒造HPより抜粋)

飲んだ感じは、わりと
日本酒らしいしっかりとした味わい。
ひやおろしという名前から
軽いすっきりした飲み口と
想像してしまうが、わたし的には
どちらかというと重みがあるような
どっしり日本酒らしいお酒であった。
燗にした方がいいかもしれない。

■純米軟水仕込 ひやおろし
秋宵 あきのよい 1800ml 2835円
白鴻酒造
広島県呉市安浦町原畑44
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敬老の日も晴れたけれど

2009年09月21日 | tete a tete

“総務省推計によると
日本の総人口は1億2756万人。
前年より12万人減。うち
65歳以上の高齢者は2898万人。
前年より80万人増の過去最高を更新。
高齢者が総人口に占める比率は22.7%。
0.6ポイントの増加。
65歳以上の女性高齢者の数は
初めて25%を突破し、女性の
4人に1人が高齢者となった。また
独居老人の世帯は414万世帯を数える。”
■9/21付朝刊より要約

今日は敬老の日である。
天候は晴れ。
秋の穏やかな日差しが気持ちよい。
いい日和に恵まれ、この日
全国津々浦々の老人ホームでは
高齢者と家族と職員との交流会が
あちこちで開かれることだろう。
ただし、家族の来ない入所高齢者が
案外多いことを私は知っている。
その孤独の深さも…。

もう十年近く前になるだろうか。
私は毎週末になると
とある老人保健施設に通っていた。
それは対話メンタルケアの一環だった。
私の主なクライアントは、ほとんど
脳血管性またはアルツハイマー型認知症の
80歳前後の高齢者の方々だった。
概ね85歳位のお方が多かったように思う。
中にはレビー小体型認知症や
統合失調症を患っている方もいた。

それぞれの対話には、今でも
忘れられない数々の思い出がある。
(話になるのかという疑問もあろうか
とも思うが、対話は精神活動であり
ゆえにハートで紡がれるものである。)
そこには、元大学教授もいたし
医師や教師の方や会社役員、そして
鍛冶職人や農業の方と、それはそれは
いろいろな人が入所されて居られた。
ただ、I'm with you…つまり
その方の傍に寄り添って
さまざまな話を紡いで感じたこと。
それは、人間の魅力や価値は、決して
そんな略歴や地位とは全く関係ない。
生き方そのものにこそある!
と言うことだった。そしてそれは
未熟な私に対して、対話を通じて
先人たちが贈ってくれた学びであった。

百姓一途だといったお人は、生涯
その町から一歩も出たことが無い。
けれども、そのお話しには
とても豊かな人生観が満ち満ちていたし
その話はとても魅力的で、私は
多くのことを教えてもらう。反面
社会的に偉い地位を極めた人は
いつもいらついておられ孤独であった。

人生の黄昏期になると、人間は
総じてまた等しくなっていくのだと思う。
小学校時代までの幼少期が、皆
あまり差が無く等しく同じだったように。
ときどき、認知症というものは、人が
等しく胎生に帰っていき無になるための
遺伝子のスイッチなのかと思うことがある。

或るアルツハイマーの人は
ひとりごとを言いながら
廊下を何周もずっと回っていた。
ならばと私はその方と手をつないで
一緒に何周も共に回ってみた。
その方の片方の靴は脱げたままだった。
全く見当識が定かでなかったけれど
ここを病院の廊下だとみなして対話すると
その方は見違えるほどの表情で応えてくれた。
その方は元看護婦だったのだ。

別の女性は、いつも愚痴と
我儘を言っては職員を困らせていた。
施設の問題老人であった。また
パーキンソン病も患っており
ストレスもあってかせわしなく腕が震えていた。
一計を案じて、英語を教えて欲しい
とお願いしたら、とたんに
職業婦人の顔つきになり、親切に
英語の言い回しを教えてくれた。
この方は戦前、貿易事務所の秘書で
イギリス人のボスに仕えていたと言う。
いわば草創期の職業婦人の先駆者だ。

相手の世界に入ること。
それは正しいとか間違ってるとか
おかしいとか何回も同じことを言うとか
そういうことでは決してなくて、ただ
相手の世界の対岸へと川を渡ること。
そういうことを教えてくれた対話であった。
それは、日常生活や一般社会、または
企業社会でやりとりする会話とは
全く異質で、正反対の精神対話である。

ふと思うことがある。こうして
施設で暮らす高齢者たちの姿は
その現状は、やはり現代社会の
行き着く姿を写し出しているのだなと。
効率と利益を優先してきた社会が
さまざまな問題や困難を、弱者へ
しわ寄せした末の掃き溜めにしている
と言ったら叱られるだろうが…。
煮詰めていくと福祉とは何か?
と川を遡らねばならぬ気がする。

こんないい天気でも私は知っている。
老人ホームのホール。その窓際で昼下がり
車椅子に座って、誰と話すことも無く
いつまでもたたずむ高齢者がいることを。
その風景は、まるでそこだけ
時が止まったような陽だまりである。
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天高く…ほんとうの空

2009年09月20日 | cocoro

“智恵子は東京に空が無いといふ
 ほんとの空が見たいといふ。
 私は驚いて空を見る。”

 ■高村光太郎 智恵子抄
   あどけない話より

シルバーウィーク…。

青空が空一面に拡がる。
秋らしいしのぎやすい日の休日。
レースのカーテン越しに明るい日差し。
観葉植物を窓際に移してやった。

窓から見える高速道路は数珠繋ぎ。

昨日行ったスポーツクラブも
心なしか空いていた。プールでは
いつもの後期熟年者たちが
コースを行ったり来たり歩いていた。
ときどき世間話をしながら。

何処にも出かけない休日。
ただ窓に広がる秋の空を眺める。
私には、今、現実に、こうして
見ている空が本当の空なのか。

※写真は今治教会
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街の面白看板 ドンドビ交差点

2009年09月19日 | slow culture

久々に
街で見つけた面白看板シリーズ。
私は職業柄、サイン好きである。
街や田舎道で看板や標識、駅名など
面白いネーミングや
ユニークなビジュアルを見つけると
なんか楽しくなって撮ってしまう。

今回は前から気になっていた
今治市中心街にある交差点。
今治市常盤町四丁目にあたる
ドンドビ交差点の標識である。
角にはもう閉店した今治大丸店が。
ここは、中心部にある
商店街の入り口に位置している。

ドンドビは“呑吐樋”と書く。

その昔、港に近いこの地には
海水が川に逆流してくるために
今治藩がその治水をしたそうな。
堰の水量を調節する水門があり
それが水を呑んだり吐いたり
するように見えたことから
“呑吐樋”と名付けられた。
らしい。

「ユニークやなあ。」

今治に来て、この標識を見るたびに思う。
けれど、ここもやはり厳しい。
今治大丸は閉店したまま
その巨艦を持余すように鎮座。
交差点から今治桟橋方面へと続く
長い商店街もなんかうら寂しい。
今治桟橋から出航するフェリーの前途も
この所の政策では明日をも知れぬ航路だ。

地方に来て初めて解ることがある。
地方が自力で生きていくのは
今や相当厳しい世の中である。

ドンドビ交差点。
今はもう治水の名残は感じないが
ドンドビは水を呑むのではなくて
どんどん地方経済の活力を呑んでいる。
外へ吐き出すのは若者とため息ばかり。
そんな気がするのは私だけだろうか。
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九月の読書 田村はまだか

2009年09月18日 | slow culture

“加持千夏が手を伸ばし
エビスのはえぎわに、指で触れる。
なだめるように頭を撫でた。
エビスは眉間にしわを入れ
寝息を立てている。
何度かいいよどんで
加持千夏は口をひらいた。
「誰かに、こうしてもらいたい夜が
あたしにだってあるわけよ」
眠るエビスの頭を撫でている。
「誰か、とても暖かいひとの手で
こうして頭を撫でられながら
眠りにつきたい夜が
あたしにだってあったりするのよ」
大人になってもね、とかすかに笑った。”
         (田村はまだか)

四十半ばの小学校の同窓会である。
小さいスナック。クラス会の三次会。
男三人、女ふたりのグループだ。
マスターは客の言葉を書き留めるのが趣味。
みんな遅れている田村を待っている。
田村には皆忘れられない思い出があるらしい。
会いたい人物なのだ。
時刻はもう日が変わっている。
人気の田村はまだ来ない。

その間、そのメンバーたちの
いろいろな人生の軌跡が
織りなされていく構成。
独立した短編集のようになっているが
それぞれの物語が、すべて
オムニバスで繋がりながら、主題の
「田村はまだか」に収斂していくのが面白い。

クラス会のそれぞれ普通の人間たちにも
いろんなドラマがあるのだ。
しかし、それは波乱のドラマではない。
どこにでもある男女の物語でしかない。
けれどもやはりドラマなのだ。

午前三時…。
果たして田村は来たのか?
これもまた面白い結末。
この作家、最近はスーパーを
舞台にした小説を書いている。
これも凡庸な日常の世界。さて
どう生活を切ってくれているのだろう。
これも楽しみ。読書の秋である。

■田村はまだか 朝倉かすみ 光文社
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妖怪のつぶやき

2009年09月15日 | slow works

世の中に妖怪たちは
至るところにおるものじゃ。

例えば数字の妖怪。
毎週、本社から送られてくる数字。
これをじっと見ていると
妖怪たちがおる。おる。
馬鹿正直やはったり。
まやかしに虚栄。はては開き直り
各部署の数字は正直じゃが魔物じゃ。

「そんなもんばっかり見んと
ほうら、忘れて遊びなはれ。
ひゃっ!ひゃっ!ひゃ~。」

妖怪が数字が並ぶ紙の上に躍り出た。

「妖怪さん。いつになったら
 この景気ようなるんやろ?」
「アホぬかせ!もう
 そんな時代やあらへんで。」
「みんなが幸せになる時代は
 もう終わったんや。」
「世知辛いなあ。」
「知恵ださん奴は淘汰される。
 適者生存の世の中やで。」
「そやけどなあ。妖怪の世界は
 今も昔も変わらへん。皆一緒で不死身や。
 こっちへおいで。楽しいで。」
「ありがと。けれどやっぱり俺
 人間でおりたいねん。」

(写真)境港・妖怪ロードにて
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在りし日 少年野球 感慨

2009年09月12日 | slow life

神戸で過ごす休日の朝。
涼しい風を通そうと
窓を放つと、その風に乗って
少年野球の選手たちの掛け声と
応援の喚声が聞こえてきた。
直線で400メートル先の
小学校のグラウンドからである。

「少年野球の時がね、一番
子どもと触れ合えて楽しい。
親が子どもと一体となれるのは
少年野球の時代だけや。」

当時、わが子が入っていた
少年野球部の指導者の言葉…。

つまり、その時は短いから
精一杯応援してあげなさいよ。
後にきっといい思い出になるから。

と言うようなことを言った。
今、もう子どもも大きくなってみて
改めて、その意味を実感する。

ときどき、こうして通りすがりに
少年野球を眺めることがある。
ふと自転車を止めて
腰をおろし遠めで眺めていると
時を忘れそうだ。
風も頬に気持ちいい。

この少年たちもやがて成長し
そして、親離れしていくのだ。
だが、親にとってはいつまでも子。
あの少年野球時代のように
子どもと一体となって触れ合える接点は
だんだん薄くなっていくのは寂しいもの。

なんてことを述懐しつつ…。
秋、これからが野球日和である。

(写真)太田川放水路 河川敷にて
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