陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

母が倒れた夏のひと日

2006年07月30日 | slow life

気温も30度を超えてぐんぐん上がった日。
ショートステイで入所している施設から
突然一本の電話がかかって来た。正直
私たちは昨晩のワインのせいでまだ寝ていた。

「お母様の意識がおかしく、これから
救急車で病院に搬送しますので
すぐ来れますか。よろしくお願いします。」

えっ!今日は退所日のはずなのに…。
きつねにつままれた気分のまま
月初に退院したあの岬の病院へ行く。
妻は車の中で化粧をしていた。たぶん
こういうどうってことない光景だけが
後々記憶に残るのだろうなと
運転の隅でちらっと思う。もうひとりの
遊離した自分が見ている不思議…。

救急当番の放射線担当医師から説明を受ける。

「今の状態からみて危険な状態です。」
「えっ!……。」

何と言うことだ。気持ちが錯乱してきた。
取り急ぎ脳出血が疑われるので
CTを撮り、血液検査も行うという。
血圧も低下。呼吸も弱い。
危機的バイタルサイン?
カーテンの隙間から遠目に見えた母の姿は
点滴の管。酸素マスクに心電図のあの光景。

その誠実そうだが若そうな先生はこうも言った。

「今の体の状態からみてチューブだらけの
延命的な処置はしないほうがよいと思われますが。」

ガツン!「もう、そういうレベルなのか…。」

いきなり地獄に落されたのだが、神も今回は
私たちを救い上げてくれたらしいと判る。
結果は低血糖という思わぬものであった。
ブドウ糖の輸液をしたら急速に回復した。

ばつが悪そうにその若い当直の先生は言った。

「今までのことが解らなかったものですから。」

その医師を責めるつもりは毛頭なかった。
幸いその日の午後から主治医が来院すると言う。

「はは、出戻り入院やな。」
安堵感からだろう。シニカルにひとりごちる。
でも、今年も母には堪える暑い夏だ。
このひと夏だけでも病院においてもらえないか。

七月二十九日は忘れられない一日となった。
そういえば九のつく日は
母がとても嫌っていたのであった。


コメント

夏色の風景Ⅰ ノウゼンカズラ

2006年07月28日 | cocoro

七月二十六日からにわかに夏らしくなった。
その日は東京出張だったが、東京は関西のように
蒸し暑い日であった。晴れたのは久しぶりだと
市ヶ谷で訪ねたクライアントは語っていた。
釣堀にちらほらいる釣り客もどことなく
だらしなさそうに糸を垂れているように見えた。

もう実質、梅雨は明けているのだろう。

早朝、駅へ向かって通り抜ける公園では
蝉時雨ががぜん勢いを増している。
クマゼミも現金なやつだなあ。鼓膜の奥で
鳴き声がしゃあしゃあとこだまのように響く。
この声を聴くと何故か脳が現実の世界から
遊離していくような感覚に包まれる。

蝉に釣られて年端の行かない子らも
きっといつもより早く起き出したのだろう
虫取りの網と籠をもって
もうすっかり夏木になって風情のなくなった
桜の木の下で蝉取りに夢中になっていた。

夏の景色と言えば向日葵が定番だが、この
ノウゼンカズラも夏陽にひときわ映えていた。
橙色の花はどこか郷愁的で、遠い夏のあの日に
ときどき私を引き戻してくれるのだ。
コメント

夏の応援とたこ焼き

2006年07月23日 | slow life

今年も全国高校野球選手権の予選が始まった。
息子が卒業した高校の応援に明石球場へ行く。
応援団はそれなりに揃っていた。

その声援が通じたか、ホームランも飛び出し
緒戦を難なく完封勝ちで突破した。
次は甲子園で優勝経験のある超有力校との
対戦である。次回も明石球場で試合らしい。
今度の戦いは厳しいが、高校最後の夏を
精一杯駆け抜けて欲しいと思う。

今度は試合が終わったら
「本家きむらや」の明石焼きを食べに行こう。
名物おでんの蛸の脚を肴にビールも飲もう。
祝杯になればなお良いけれど…。
コメント

街の面白看板たちⅠ

2006年07月22日 | slow culture

神戸中央卸売市場はなかなか面白い処だ。
けっこうレトロチックで
昔ながらの市場の風情があちこちに残っている。
ここのお肉屋さんで何気に買った豚串
昔懐かしい味でとても美味。
なにより1本確か63円だったか?
安くてうまいB級グルメのA級品でした。

「ビタランE」。

鶏卵の看板と並んであったこのサイン。
なかなかベタでストレート。
かなり真剣に考えてつけたのか
それとも深く考えずにつけたのか。
どっちでもいいけれど
思わず笑ってしまった。
でも一度見れば忘れられない。
これこそネーミングの王道である。

それに
この卵はきっと体に効きそうだ。
コメント

どしゃ降りの飛田百番

2006年07月21日 | slow gourmet

大阪は飛田新地にある“鯛よし百番”へ。
今宵は某メディアとの懇親会。思い切って
この飛田百番こと“鯛よし百番”を選定。
東京の人が多いので印象残る飲み会をと
考えたのだが狙いは当たったようである。
皆、今月今夜のこの日をいろいろ想像しながら
わくわく楽しみに待っていたらしい。

グルメ情報にはこう紹介されていた。
“大正時代初期に遊廓として建築された建物を
当時のまま今に伝える料理店です。
緋もうせんの敷かれた廊下や緻密な襖絵、
精巧な飾り付けなど
大正建築美術の粋を集めたお部屋の数々が
皆様を大正ロマンの世界へ誘います。”

「なるほど…。」

元遊郭は今風に言えば
さながらテーマパークだったのだろう。
いろいろな名跡が随所に配置されている。
この隔離された御殿でお酒と料理のおもてなし
そして女たちと戯れる…。
今も昔も楽しいことは変わらない。
きっと竜宮城の気分だったのだろうな。

ここ、全室個室の予約制となっている。
予算一人5000円までとの厳命を
上司より賜っていたので、一人3500円の
おまかせ料理を注文しておいた。この夜は
子持ち昆布の前付、刺身と続き
一口ステーキの陶板焼き野菜添え。
そして土佐風皿鉢料理のような大皿料理盛。
後付に蛸の酢の物、そして〆は茶蕎麦となった。
ここは鍋物が名物らしいが、
百番らしいこういう料理も手頃でよい。
生ビールに冷酒と皆かくかく楽しむ。

宴は仕事の話も取り混ぜながら
和気藹々と続いた。

しかし…。
気のせいと言ってしまえばそうだのだが
なにやらこの建物の随所から
何かがしんしんと伝わってくるような
そんな妖しい気を感じるのだ。
こう思ったのは自分だけではなかった。
楽しいながらもどこかに漂う雰囲気…。
飛田百番の圧倒的な存在感に気おされる。

夜も深まり宴も終えて鯛よし百番を出れば
外はどしゃ降りの雨だった。

顔見世の店が並ぶ通りをタクシーを求めて
私たちは小走りに抜ける。横目には
各店の玄関奥の座敷に、煌々と照らされた
ライトに浮かぶ若い女たちが留まった。
いづれの娘も濃い化粧で無表情に座っている。
土間には、この雨で今夜は商売上がったりだ
と言いたげに、退屈そうに煙草をふかす
やり手ばあさんたちの姿。

欲望に群がる影にどこか悲哀を感じてしまう。
馬鹿な中年だけが、そんな幻想に
取り付かれているだけなのだろうけれど。

“中年や遠くみのれる夜の桃”西東三鬼





コメント

7月の読書 二十歳の原点

2006年07月17日 | slow culture

JRの駅で待ち合わせの時間。
皆が揃うまで待っていると
改札前の広場で古本市が開かれていた。
時間待ちで何気なく文庫本を見ていると
懐かしいタイトルが目に留まる。
150円の値札が付いた「二十歳の原点」だった。
このタイトルとは三十年ぶりの再会となった。

二十歳前後の頃にむさぼるように読んだ本たち。
柴田翔「されどわれらが日々」、「贈る言葉」
奥浩平「青春の墓標」そして
高野悦子著「二十歳の原点」へと続いた。
母校から東大へ入り安保闘争の犠牲となった
樺美智子さんへの興味から辿った読書でもある。

高野悦子「二十歳の原点」は私にとっても
まさしくわが青春の墓標であった。
サークル活動の資金集めに映画会を開催しようと
配給元に紹介されたのが「二十歳の原点」だった。
学生会館で開催したカンパ百円のこの映画は
予想に反して当時大ヒットして大入満員。
サークル活動の貴重な資金となったのである。

今30年が経ち、読み返してみると
なんとアナログで純粋なんだろうと感じてしまう。
暗中模索の中で、
生きる意味としての存在の証を捜し
求め続けた青春の苦悩の様がそこにある。
当時私も好んで使った「止揚」という言葉。
今はもう死語と化した感のある響きが懐かしい。

“大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた
一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう
近代社会の臭いのする その煙を
古木よ おまえは何と感じるか”

六月二十二日の最後の日記に書かれた
この詩はこう終わっている。

“小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろう
そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう”

この二日後に彼女は鉄道自殺した。

今は立命館大学の広小路校舎もなく
あのシアンクレールもないだろう。
けれど、こうしてときどき
未熟であることの高野悦子が時々現れて
私の心にまた何かを問うてくるだろうな。

コメント

七月の空 夏の気配

2006年07月15日 | slow life

二〇〇六年七月十四日。快晴。

元気な太平洋高気圧が頑張って
梅雨前線を北へ押し上げる。

静岡県・天竜市で今年最高の38.2度を記録。
熱中症で三人死亡。落雷で二人怪我。
光化学スモッグで小中学生90人以上が病院に。

眼下の公園で今年初めて蝉が鳴いた。
去年の夏より少し遅い。あのクマゼミの
暑さを駆り立てるような喧騒な合唱も
まだ全然聞こえてこない。
そう言えば、蚊取り線香の匂いも
あまり、あたりに漂っていないような。

夏は男だろうか、それとも女だろうか。
高気圧ガールが印象的だからやはり女かな。

蝉の気配からして今年は少し控えめな
夏かなと思っていたのだけれど
梅雨明け前のこの時期に
いきなり38.2度の最高気温で
世間に鮮烈な印象を与えた今年の夏。

今話題の金利のように、いつのまにか
ぐんぐんと上りつめていくのだろうか。

  ■写真 鐘紡記念病院の庭園から
コメント

自然への畏敬

2006年07月12日 | cocoro

“人間と天の間に
太古の時代よりあった絆が失われた。
これを失ったことで西洋人は窒息状態にあるが、
日本の神道だけにはまだそれが生きている。
神道こそは日本の最も重要な文化財である。”
 
 ■国家の品格 藤原正彦氏より
  オリヴィエ・ジェルマントマ氏
 「日本待望論」(産経新聞ニュースサービス)引用

確かに
大樹に囲まれた神社に参詣したとき
なにか厳かな自然への畏敬を
肌感覚で全身に感じることがある。

そうか。これは絆だったのだ。

人と天(自然の神)との間に
通じている絆というものを
理屈ではなく感じるとき
私も日本人だなあと思う。

これが藤原氏が言うところの
“美しい日本の情緒と形”
というものなのだろうか。

コメント

なつばて花

2006年07月11日 | slow life

今日はとても蒸し暑い一日でした。
湿気が肌にまとわりつくような
「たまらんわい」の夏。
これが関西特有の夏です。

おやおや!
通りすがりの軒先の花も、この暑さで
ちょっとしおれてしまったかな?
なんか耳を垂れ、舌を出してへばる
夏の犬みたいだなあ。
コメント

心はメリーゴーラウンド

2006年07月09日 | slow life

“親としていちばん大切なことは
子どもに何を言うかでありません。また
心の中で何を思っているかでもありません。
子どもと一緒に何をするか、なのです。
親の価値観は、行動によって
子どもに伝わるのです。…”

 ■「子どもが育つ魔法の言葉」より
      ドロシー・ロー・ノルト
        レイチャル・ハリス

週末、六甲アイランドのシネコンへ
家族三人で映画を観に行った。
出渋る子どもを半ば強引に誘う。
ビデオでは体験できない臨場感と音響で
映像を共に体験したかったからだ。
そういうことも考えて、映画は
トム・クルーズ主演の「M:i:Ⅲ」を選定。

こういう場面は、小さい頃にわが子と
遊園地で一緒に遊んで以来かもしれない。

わが子はどうやら飼い猫のように
半径の小さな生活圏の範囲が、自分の
安住の世界だと思っているようだ。

映画を観終わって、特段話はしなかったが
後ろから前から襲うサラウンドの迫力や
はらはらどきどきする迫真の映像に
何らかのインパクトを受けただろうか。
家でみるレンタルビデオでは
決して体感できないスクリーンの醍醐味を
実感してくれただろうか。

子どもの成長と共に
メリーゴーラウンドは映画になったが
その時々のライフステージで
子どもと一緒に何かを共にすることは
まだまだいっぱいありそうな気がする。

心の中のメリーゴーラウンドは
永遠にずっと回り続けているのだ。

この夏
上の子がまた行くらしい屋久島へ
1週間ほど放り出そうかと企み中である。
山田洋次監督の名作「15歳 学校IV」
のような体験をしてくれると嬉しいな。

   (写真はディズニーシーにて)

コメント (2)