陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

隠微中華 紫微星の夜

2008年07月31日 | slow gourmet

暑い(-_-;)
あまりにも暑すぎる。

こういう日は中華だ!
それも辛いやつ。

という訳で
私のお気に入りのエリアへ。
地下鉄南森町駅を下車して
日本一長い天神橋商店街を
汗を吹き拭きたらたら北上。
歩くこと数分。
でやってきたのは
アジアンテイストな街
JR環状線天満駅前界隈。
ややこしそうで猥雑な小径。
その通りをやや入った所に
くだんの上海中華屋が…
その名は紫微星。シビセイと読む。
ようわからんが北極星のことらしい。
この界隈でこの名前の響き
隠微でやや怪しい感が
いやおうなく食欲をそそる。

一階奥のテーブル席へ案内された。
隠れスペースのような奥には
テーブルが二席設えてあった。
すでに一席には中年の男と女。
男は腹が出た白髪の中年。
女は場末のママさん風。
この死角のような奥まった席で
人生の深淵を感じる中年客。
ああ怪しくて下世話な感が出て
ますます隠微でたまらん雰囲気。
健全な生活を送る私だが
こういう場所は特に好きな方である。

品書きをつらつら眺めてから
数品注文する。

「カライヨ。」

中国弁の日本語が聞こえた。
牛肉の四川風辛子煮込み。

「カラカタデショ?」
「ダイジョブヨ。」

こちらも思わず中国語訛り…。

蒸し鶏の紹興酒かす漬。
これはなかなか…。
ピータンに北京ダック
そして写真の赤い汁の野菜。
なんという野菜か忘れたが
油で炒めてあってこれ結構美味し。
生ビールから紹興酒を瓶で1本。
熱いから瓶にタオルが巻かれて
輪ゴムで止めてあった。
こういう飲み方も
この界隈らしくてグ~ッ!

隠微中華 紫微星の夜でした。

あ~、暑いっ。

■紫微星
大阪市北区天神橋4-12-27
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blog通信簿

2008年07月26日 | slow works

知り合いの
コーヒールンバさんに教えてもらって
ブログ通信簿なるものをもらう。

4項目の通信簿で
2が二つ。そして
3が一つに、5が一つだった。
今までの人生でもらった中で
もっとも低い通信簿であった。
嗚呼、親が生きていたら
がっかりするぞよ(ーー;)

通信欄には

“あなたは図書委員タイプです。
マメ過ぎると損をしてしまう
こともあります。もっと自分の
意見を言ってもいいのでは。
よく話題にしている植物の
知識や経験をいかして
歌人を目指しましょう。”とあった。

小・中学校時代
確かに図書委員の経験は
結構あった。
よく見てるなあ。慧眼だ。

しかし何が損なのだろうか。
ブログの損得はアクセス数?
新聞で言えば発行部数
テレビで言えば視聴率かな。
自分の意見については、これは
あえて意見ブログとは
一線を画してきたからさもありなん。
で最後の部分。今さら
歌人を目指してどうよと思うが
背中を押してくれたのは嬉し…。

このところ、意識的に
毎日ブログを更新してきた。
毎日更新すると、どんだけ
アクセス数が変化するのか?

結果はやはり伸びた。
しかし、アクセス数アップだけに
汲々としていれば
それはまるで皿回しと同じだ。
ずっとやり続けなければならぬ。

アクセス解析で面白いのは
やはり検索からのひっかかり。
つまり検索からmy blogへ来た
キーワードがなかなか興味深い。
まさに時流の鏡である。
圧倒的に多いのはやはりグルメ記事。
なかでもダントツは
2006年3月24日にエントリーした
“旬魚で楽しむ春の宴”で紹介した
北新地の旬魚菜彩 海心のブログ。
この店、なかなかいい店だったが
今でも根強い人気があるのだろう。

この頃は、つい最近エントリーした
画家ハンマースホイも毎日あがる。
ひょっとしたこのハンマースホイ
秋にはブレークする予感がする。
あとタイトルのつけ方でも
アクセス数がかなり変化みたいだ。
私の場合アクセス稼ぎのために
意識的につけるようなことはしないが
コンセプト上の表現としては
熟考してつけているつもりである。

もちろん誰が見ているのかは
解析だけでは解らないが
アクセス解析は世の中の動向や
時流を知る手がかりが
沢山散りばめられていて
マーケ的にはとても興味深い。

そして、何より
夜中だろうと早朝だろうと
ネットは24時間なんだなあと
つくづく痛感するのである。

通信簿では
男性、52歳と書かれてあったが
これは文章の内容やタッチ
表現等から推察してつけるらしい。
う~ん、これには参ったなあ。
外見はわたくしめ
とても若く見られるのだけれど
文章は年相応ということらしい。
これは安堵するような…
つまらないような…やや複雑。

ようし!
こうなったら目くらましに
土佐日記風に
明日からは紀貫之になってみるか?

最後に本音。
会社でも成果の通信簿あるから
もうそれ以上は、この歳で
通信簿なんかもらいたくないよ。

(写真)嵐電 嵐山駅ホームにて
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七月の雲 嵐山の夏

2008年07月25日 | slow life

昇雲の夏。
湧き立つ雲のはるかには
どんな希望があるのだろう。 

処は京都 嵐山
渡月橋を望む夏景色。
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ダリアの追憶

2008年07月24日 | slow life

“前略 蔵王のダリア園から
ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で
まさかあなたと再会するなんて
本当に想像すら出来ないことでした”

ダリアと言えば
何と言っても私には
宮本輝「錦繍」なのである。
錦繍というタイトルなのに
花はダリアなのである。

このあまりにも唐突な
往復書簡小説の始まりが
蔵王のダリア園で見かけた
元夫の姿なのである。
やつれた風貌の元夫にダリア。
強烈なコントラストだった。

しかし、小説のテイストと違い
ダリアはメキシコ原産。
陽気な花。
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七月の読書 あの戦争から遠く離れて

2008年07月23日 | slow culture

“日本と中国の間で戦争があり
幼い父が一人中国に残され
その戦争相手の国の子供である父を
祖母が引き取り大切に育てた。
…戦争がめぐりあわせた父と祖母
そして父の娘である私、シュンカを
はじめとする親戚たちと父の友人たち
あの戦争がなければあり得なかった関係。
それが私たちの特別な「有縁分」
ヨウユエンフエン。(縁がある)だった。”
(本文より抜粋)

副題は
“私につながる歴史をたどる旅”

久々に骨太な書に出会う。
夜も忘れ、ぐいぐいと
引き込まれるようにして読んだ。

本書の完成まで十年近くの
歳月が費やされたという。
その十年の重みをずしりと感じる
珠玉のドキュメンタリー作品である。

著者の父 城戸 幹は
中国残留孤児が耳目を集める前に
五里霧中の境遇から
独力で帰国の道を切り開き
1970年に帰国を果たした方である。
中国名 孫玉福 28歳の時であり
1981年から本格的に始まった
中国残留孤児帰国の
十年以上前のことであった。

ゆえに、著者久枝さんは
中国残留孤児二世といっても
父は帰国後日本で結婚したので
言わば普通の日本人として育った。
このことも、本書において
彼女のアイデンティティ上の
鍵を握る重要なファクターである。

なんの変哲もない日本人であると
当たり前のようにそう思っていた
その私が、中国でのホームステイでの
ふとした経験をきっかけに
父の足跡をたどり始める。
その過程は必然的に、やがて
自己のアイデンティティの源泉に
たどり着いていく。
それを著者はエピローグで
こう述べている。

“長い時間をかけて
父の話を整理していくうちに-
次第に、中国の祖母の思いが
父の運命が、そして家族の歴史が
「私」につながっていくのを感じた。
不思議な、満ち足りた感覚だった”

本書は
きわめて重要な歴史証言である
と同時に、違う時代を持ちながらも
同じ時代を生きている、壮大な
親と子の絆の叙事詩でもある。

戦後世代によって
忘れ去られようとしているあの戦争を
自らの身近な境遇を通じての
視線から見つめ、探究し、そして
残留孤児裁判問題に見られる
現代においてもいまだ癒えぬ傷痕に
しかり向き合っていこうとする著者。
その姿に、戦後はるか世代の
新たな息吹を感じるし、かくいう私も
思いを新たにさせられたのだ。
私の父と父が従軍した戦争のことを
私は断片的にしか
知ってはいなかったし
知ろうと思ったこともなかった…
ということを。

第一部は我が父の足跡を
これほどまでと思う程丹念に調べ
物語風にまとめている。
山崎豊子「大地の子」にはない
ノンフィクションの真実性が
圧倒する事実で鬼気として胸に迫る。

そして第二部。私の時代と題して
私が遭遇した中国での出来事を軸に
自己を、中国を素直に見つめている。
最後には、その翻弄の端緒となった
祖父の軍人としての足跡までたどる。

自らの中国留学で体験した
中国人による追求と詰問に
耐えながらも、そこに
父の労苦を重ねていく娘。また
現在の中国残留孤児たちの日本での
苦闘と問題を丹念にルポしている。
まさに彼女でしか書き得ない物語が
しっかりとした骨組みと取材の上に
肉付けされ、そこに著者自身の
熱い血潮が脈々と流れているのだ。

父を知ること。
そして唯一それこそが
どこかこうもりみたいな存在だった
自分を知ることにつながり、さらに
それはすなわちあの戦争を知り
そして、日本と中国という国家と
民族を知ることへと繋がっていく。
これだけ果てしなく拡がり
泥沼のように深まっていくテーマを
真正面から逃げずに真摯に、忠実に
そして努力を惜しまず纏め上げた。
まさに感服である。

エピローグの副題に、著者は
“精神のリレー”とつけている。

親と子の絆。親子の在り方…。

いい学校に入れいい教育を受けさせ
いい環境の中で育てる。
それもいいが、しかし真の教育とは
この精神のリレーではないか?
精神のリレーすなわち伝承こそ
幾世代に渡っても続く。
普遍の連続性…。
それこそが真の教育であり
謂わば教育とは、精神活動の
サスティナビリティ(持続可能性)なのだ。
読後、私には確かな輪郭をもって
くっきりとそのように思えてきた。

著者は直截的にはそう語ってはいない。
しかし私は、そういうメッセージと
深く受け止めた。

最後にこの本、分厚さもあるが
電車の中ではおすすめしない。
特に中年以降の感情失禁気味のお方は
誰も居ない電気スタンドの下で
本の傍らに、必ず
タオルとティッシュを手にして読むべし。
あと必然だが水分補給にコップ一杯の水を。
老婆心ながら…これ肝要にておすすめ。

■あの戦争から遠く離れて
        城戸久枝 
   情報センター出版局

(写真)山口県柳井市
白壁保存地区 資料館にて
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都会の深夜スーパーにて

2008年07月22日 | slow life

24時間スーパーの深夜。
昼や夕方と違って
ステロタイプ的な主婦が消え
客層ががらりと変わる。
別種族が、まるで蟻のように
次から次へとレジに並ぶ。

「ひゃく。」
「きゅうじゅう、はちえ~ん。」

レジ係の平版なようで、しかし
少し変な抑揚のついた声が
感情の抑揚なく発せられる。
アイコンタクトのない視線。
ひたすら買われた品の
バーコードに収斂する眼と手先。
所定勤務が終わるまで、それは
きっと何百回と単調に続く。
いや千の単位かもしれない。

能面みたいな表情の美人レジ係。
色白で美しいが表情はない。
あえて、この単調な
レジ業務を遂行するための
自己防衛なのだろうか。

ファーストフードのレジとは
あまりに対照的だ。しかし
どちらも作為を感じるところは
同一象限に
属している気もしないではない。

それでも彼女のレジは人気だ。
私も必ず並んでしまう。

笑顔がこぼれないかな?
僕だけに。

単調な店内に妄想の期待がゆらぐ。
切り取られた時間の断片…。
時々出現する欲望の渦はつむじ風。
ただしそのつむじ風だけは
決して監視カメラには映らない。

都会の深夜スーパーである…。
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暑中お見舞い

2008年07月21日 | slow life

暑中 お見舞い 申し上げます

日頃、この私的ブログに
ご訪問いただいている希少な皆さま
ご愛顧賜りありがとうございます。

先の日曜日、愛媛県大洲で
38.2度を記録するなど
猛暑日が続いております。

陽だまりの旅路も、この
さまざまな恵みをもたらす
太陽の存在があってこそ。

暑い夏ですが
ご自愛のほど、切に…。

神戸・三宮センター街に出現した
氷柱のオブジェ(写真)
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京のれん いろは

2008年07月20日 | slow culture

「いろは」。
京都先斗町のすきやきや

ここのすき焼き。
たしか大学一年生になって
初めてのクラスのコンパだった。
先斗町も始めてだったし
そのすき焼きの食べ方も
初めての経験だったから
とても印象に残った店だった。

“油を焼込んである鉄ナベを使い
ザラメよりも粒の大きな
「ごあん」というお砂糖、
しょう油やだしをあわせた
秘伝の「割した」で味付けます。
まずは
お肉だけを食べていただきます”

「へえ~、こうして食べるのか。」

着物姿のベテランのおばさんが
確か作ってくれたように思う。
これが京都なんだなあと感じた。

暖簾を見たら
なんだか懐かしさがこみ上げてきた。
1976年、昭和51年の京都であった。

それにしても京都は
少しの年月では
昔とちっとも変わらない。
思い出が封印されている街だ。

いつかまた
ここのすき焼き食べにこよう。
僕の家族たちは
このすき焼きを美味しいと
言うだろうか?
美味しいと言って欲しいな。
コメント

京のれん 聖護院八ツ橋

2008年07月19日 | slow culture

広島のお土産といえば
もみじ饅頭。
松山のお土産といえば
坊っちゃん団子。
神戸のお土産といえば
瓦せんべい。
大阪のお土産といえば
粟おこし。

そして
京都のお土産といえば
八ツ橋。

わたくし、八ツ橋は
焼かずに蒸しあげた生が好きです。
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刺身のゆくえ

2008年07月18日 | slow life

「油は高いっ!魚は安いっ!」

テレビに映っていた
女性のシュプレヒコールが
今も耳奥に残響する…。

漁業の生産コストの内
燃料代は三~四割に達するという。

そして漁価は安い。

知らなかったが
漁師の獲ってきた魚は
だいたい売値の二割位だという。
水産物は多段階の流通を経て届く。
魚が安いということは、それだけ
少ない利益を皆がシェアしているのだ。

しかも日本人は、魚については
天然志向が強い。
牛や豚もそして野菜も
謂わば養殖モノだというのに。
その養殖も
飼料代が高騰していて大変らしい。

今、世界は健康ブームで
魚志向が強くなってきている。

旨い刺身はこれからも
食べられるのだろうか?
刺身のゆくえはどうなる?

あのシュプレヒコールがこだまする。
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