陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

うまいもの選 LOSE PETALS JAM

2021年12月31日 | slow gourmet

レストラン キエフの「薔薇の花びらのジャム」
紅茶に入れると薔薇の香が立って甘い。
思わずお土産に買ってしまいました。

“「バラの谷」で朝摘みされたブルガリア産
ダマスクローズをたっぷり使用。ヨーグルト
紅茶、パンと共に豊かな香りをお楽しみ下さい。”

うん!確かに豊かな食卓となりました。
薔薇のある生活なんて、庶民にとっては
束の間の貴族のひとときです。でも
たまにはこんなハレの時間もいいもの。

それではみなさん、良いお年をお迎えください。
といっても来年も連続した明日に過ぎませんが笑

去年今年貫く棒の如きもの  虚子
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祇園のロシア料理

2021年12月30日 | slow life

南座を撥ねて今年最後のグルメは
創業五十年の京都のロシア料理店へ。

1972年の創業である。
私が大学に入学した年が1976年。
ということは、大学生時代から
この店は存在しているのだ。
大学時代は木屋町や先斗町まで。
祇園界隈はとんと無縁であった。
唯一、祇園で夜通しやってる麻雀屋があって
そこに通った位しか祇園の記憶がない。

店内はゆったりした空間だ。
夕刻割と早い時間だったのでお客も
カップルが一組に一人客がふたりほど。
ビルの最上階にあって鴨川を眼下に
四条通りを眺めながらの食事である。

この日はペチカコースを。
・前菜 ザクスカ(前菜盛合)、ケタ(サーモン)
    セリョートカ(ニシン)
・鱈(タラ)のムニエルのとかちマッシュルームソース
・ボルシチ(ウクライナ風スープ)
・牛フィレ肉のカツレツ トマトソース
・カプスタ(キャベツ)サラダ
・自家製ロシアパン
・本日のデザート
・ロシアンティー バラの花びらのジャム添

こういう閑かなレストランは高齢の者にはありがたい。
ゆったりとした刻を過せるからだ。
ときどきご主人が席に来て話しかけてくれる。
落ち着いた物腰のご主人は、この店の由来を
いろいろと語ってくれた。

あえて確かめなかったが
あの加藤登紀子さんのお兄さんの筈である。
加藤登紀子さんのライブも毎年ここで行われている。
蛇足だが、加藤登紀子さんの夫は藤本敏夫氏だった。
2002年に死去されているが、登紀子さんとは
獄中結婚で結ばれたのは知る人ぞ知るところ。
学生運動の旗手であった。ちなみに彼は
中退しているが私の大学の専攻出身である。

京都には文化の薫りがするお店が多い。
そして京都の店のすばらしさは、何より
こうして50年近く経っても、ちゃんと
昔のままに存在してくれることである。
だからいつでもあの頃に戻れるのである。

ボルシチの温つたかさにロシア料理の数々
マトリョーシカがじっとこちらを見つめておりました。

■レストラン キエフ
京都市東山区廿一軒町236縄手通四条上ル
鴨東ビル6F
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歳晩の先斗町

2021年12月29日 | slow life

南座を撥ねてから先斗町を歩く。

この狭い路地は今でも変わらない。
店の移り変りはあれども
路地の狭さは全然変わらない。

四条寄りにあるすき焼きのいろは。
この店は1970年代のあの頃と同じだ。
初めてのゼミのコンパで使った店。
京都のすき焼きはこうして食べるのか?
と教えてもらった店である。

ところでやっぱり先斗町は冬がよく似合う。
富士の高嶺に降る雪も京都先斗町に降る雪も
雪に変りはないけれど…私はやっぱり
先斗町の雪が好きである。なんちゃって。

顔見世を撥ねてふたりの先斗町
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南座 顔見世へ

2021年12月28日 | slow culture

師走某日、超久しぶりに南座の
『京の年中行事 當る寅歳 吉例顔見世興行
東西合同大歌舞伎』観劇へ京へ行く。

ふと思いついて「そうだ顔見世でも観るか」と
松竹チケットホンへ電話したら、一日だけ
目当ての三等席があったのである。

負け惜しみ?ではないが、私は三等席が好きだ。
あの一番てっぺんの狭い席から鳥瞰して眺める
歌舞伎が大好きなのだ。それにここは所謂
「大向こう」と呼ばれる席である。だからあの
「成田屋」とかの声が間近に聞けるのである。
但し今回はコロナ禍もありと声は飛ばないが。

さて、観劇したのは午後の第二部。
この二部が一番都合がいい。終幕時間が
夕方になるので、ちょうどそれから夕食を
取れるからである。今回は開演が午後二時半
終幕が午後四時半頃だったから、神戸まで
帰ることを考えればベストなタイミングである。

それにしても三部制になって、一部が二時間強
というのは有り難い。昔は確か全部の演目を観たら
およそ四時間近くかかったと記憶している。
あの狭い三等席で四時間は辛い。まあそれでも
エコノミー席でヨーロッパに飛行するのに比べたら
はるかに極楽であるが、それでも腰の悪い者には
この歌舞伎の約四時間は大変辛かったものである。

今回は最上階三階の一番左隅の最上段であった。
ここは後ろに席がなく、又後ろに空間があるので
腰が痛くなったら後ろの隙間に移動して立ち見できる。
そういう意味では私にはこれ以上ない最高の席であった。

第二部の演目は、第一幕
三人吉三巴白波 大川端庚塚の場
 ・お嬢吉三  片岡孝太郎
 ・お坊吉三  中村隼人
 ・夜鷹おとせ 片岡りき彌
 ・和尚吉三  中村芝翫
 
第二幕
新古演劇十種の内 身替座禅
 ・山蔭右京  片岡仁左衛門
 ・太郎冠者  中村隼人
 ・侍女千枝  片岡千之助
 ・侍女小枝  中村莟玉
 ・奥方玉の井 中村芝翫  

やはり歌舞伎は役者の所作も舞台美術も美しい。
特に女形の所作は、やはり大衆演劇のそれとは
品も格も姿(しな)も全く違う。
見惚れてしまうとはこのことであった。

後の報道で、中村芝翫の三度目の不倫がキャッチされて
第二幕の嫉妬深い奥方“玉の井”を演じた芝翫が
皮肉たつぷりに週刊誌にオチをつけられていた。
まあ顔見世が終わってからのスクープだったから
良かったかも?それにしても歌舞伎役者は
よくもてるものである。羨ましい。

さて、久しぶりの顔見世に心も豊かになった気分で
南座を後にする。火照る心で近くの村上重本店へ。
千枚漬と酢茎を買ってから、食事にとある店へと向かう。
この店もなかなかいい店なのである。つづく…。

顔見世の火照りを解く賀茂の風
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クリスマス吟行

2021年12月25日 | slow haiku

クリスマスの日、浪速の街を吟行しました。
「クリスマスを詠んでみましょう!」

靭公園界隈には結構お洒落な店があります。
みんなでそんなお店を探して通りを歩きました。
ケーキ屋さんを見つけました。
クリスマスケーキが沢山並んでいましたが
本日は予約客のみ販売と。
もう聖菓は予約販売が主流なのですね。
だから25日夜の売れ残りセールはもう
ほとんどクリスマスの風景から姿を消しました。
これも風物詩だったのにちょっと寂しい。

公園のすぐ脇に可愛らしい店を見つけました。
クリスマスリースもツリーも飾られていました。
手造り感があって、何の店だろうと大きな
ショーウィンドウをじっと覗いていたら
お店の方らしい若い女性が顔を出して
「木のおもちゃの店です。よろしければ
ぜひ覗いてみて下さい。」と。
ほんならと何人かで入ってみました。
優しそうな木のぬくもりのおもちゃが
綺麗にレイアウトされて陳列されていました。
「うわ~、素敵!」
とある俳人が思わず孫に買ってしまうのでした。
「そういえば僕たちの頃は木かブリキだったよなあ。」
しばし郷愁に浸る俳人たち。
さてさてここから名句は生まれるのでしょうか?

お洒落な店の前にミニクーパーが停まっていて
かっこ良く決まっている。その景を何とか
俳句に詠みたいと思った俳人がいました。
皆もその光景に目を惹かれたみたいです。
結果的に詠まれたのですが、ミニクーパーが
外車という言葉になって詠まれていました。
「外車じゃあドラマは感じないなあ。ここはやはり
ミニクーパーを詠まなきゃ絵にならんでしょ?」
ちょっときついコメントだったかな?
文字数が多くてまとまらなかったみたいです。

クリスマスのこの日、冬帝がお見えになっており
結構寒かったけれど楽しい吟行となりました。
皆も心がとても温ったまったようでした。
かしこ。

句に集ふこころ一つにクリスマス
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聖夜の回想

2021年12月24日 | cocoro

今宵は聖夜ですね。

私はミッション系の幼稚園で初めて
イエスキリスト様に出会いました。
お昼には必ず神さまにお祈りしてから
お弁当を食べた記憶があります。
クリスマスが近づくと、みんなで
聖夜劇の練習をしました。
勿論日曜学校は欠かさず参拝。
そこでカードを貰うのが楽しみでした。
今思えば初めてのカード収集歴でした。
つまり私が初めて神の存在を知ったのが
この幼稚園時代なのです。

以来気が付けば、何か不安なことがあると
両手を組んで神さまに祈る習慣がついていました。

小中学校と公立だったので物心ついてからは
キリストの世界からは縁遠くなりましたが
それでもクリスマスになると、小さい頃のことを
思い出しておりました。
そんな時代が高校まで続きました。
ところが入った大学がミッション系だったので
また神さま、イエスキリストが身近になりました。
キャンパス内にある教会のミサに参列すると
何故かとても心が落ち着く自分を発見しました。
懐かしいような安息の感情に支配されました。
まさに三つ子の魂百までを実感したのです。

やがて大学を卒業し会社に入ってからは
また神さまから遠く離れる生活が続きました。
触れる機会と言えば、会社の人間の結婚式で
教会に行ったときくらいだったような気がします。
それでも讃美歌を歌うと、心が一気に
幼に戻るようなそんな気がしました。ところが
五十を過ぎて俳句に出逢ってから、また神さまが
身近になりました。師がクリスチャンだったからです。

閑話休題。さて、私はサンタクロースの存在を
いつまで信じていたのだろうか?
定かではないですが、小学校の低学年までは
確かに信じていたように思います。
小さい頃は両親が毎年、イブになると
枕元にプレゼントを置いてくれていました。
勿論、尋ねると親は決まって
「サンタさんが来たんや。」と言っていました。
今となって考えると、そういう風に信じていたことは
実はとても幸せなことだったのだと痛感します。
そういう経験のない子どもたちは、今の世でも
世界にいっぱい存在しています。
夢を信じることができる環境は、その後の
その子の人生に大きな影響を与えます。

そんなこんなを色々と回想しながら
ふと今宵は神さまに祈ってみようと思いました。
勿論誰にも気づかれずに。

教会の黙にカロルを聴く聖夜
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季題 数へ日

2021年12月21日 | slow haiku

今年も後十日あまりとなった。
俳句には“数へ日”という季題(季語)がある。
この季題を見るとなかなか昔の人は
ネーミングがうまいなあと思う。

“年末も押し迫り、残すところあと数日
というところ。切迫感がある一方
新年が近づいた実感に、ふと静かな気持ちに
なることがある”(ホトトギス新歳時記)

歳時記のこの解説は言い得ているが
昔に比べて年末感をあまり感じなくなって
しまったように思う。数十年前までは
親戚一同が実家のばあさんの家に集り
餅をついて、海老餅、草餅、豆餅にして
丸めたものだが、それももうずいぶんと
遠い昔の光景になってしまった。

正月にしてもともすれば元旦から百貨店や
スーパーなども開店して、静謐な正月感も
いつの間にか乏しくなってしまっている。
それでも来年あたりは三日まで休むという流れに
流通業界もなっているらしい。いいことだ。
どこかが抜け駆けで開店すると、他社も
商機を逃すまいと追従する。もうこんな
ことは止めにした方がいいと思っていた。
別に旧き良き時代に戻れとは言わないが
そんなことをしても日本が豊かになったという
実感はおそらくほとんどの人は持ってないだろう。
みんなが疲れるようなことは結局無益だ。

おせちに飽きてボンカレーが食べたくなる。
そんな時代がなんだか懐かしい。
数へ日なんて季題も、実感が伴わないまま
歳時記でしか知らないという時代が
いつか来るのではないだろうか?

数へ日の刻を閑かに古時計

(写真)御手洗の新光時計店
2015年秋NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」
に取り上げられた有名な時計店です。
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うまいもの選 棒鱈

2021年12月20日 | slow gourmet

正月用のものを買いに百貨店へ。
毎年のことですが棒鱈を買いました。
一匹売りだったのですが、交渉して
半身にしてもらいました。そして
それをのこぎりで四等分してもらいました。

これを年末に水につけて水を替えて
徐々に戻していって炊きます。一度
結構面倒くさいので出来合いのものを
買いましたが、味が濃くて口に合わず。
やはり自前で調理した方が口に合います。
柔らかすぎると美味しくありません。
ちょっと歯応えのある方が好みです。
日が経ってあの煮凝りのようになるのも
結構好みです。

ついでにごまめも買いました。
宮津産の良い出物がありました。
今年は量り売りでたっぷり買いました。

数の子は北海道産はやはり値が張りますね。
これも買いたいけれど、もう少し
年末になってから買うことにしました。
いつもなら年の市の雰囲気を味わいたくて
明石の魚の棚なんかに行ったりするのですが、
今年はデパ地下で済ませました。それでも
だいぶんと歳末感が出てきました。

あれこれと目移りもして年の市
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わたしの酒呑録 華姫桜にごり酒

2021年12月19日 | eau de vie

華姫桜は四国は新居浜の酒である。
創業明治十一年の新居浜で唯一の蔵元。
全国新酒鑑評会で金賞も取った実績が。

にごり酒を買ってみました。
“昔ながらのどぶろくをイメージして
糖類を使わずお米の甘さを引き出した
原酒らしいすっきりした甘さのにごり酒です。”

たまにはこういう野趣に富んだ酒も
いいものです。冷酒でいただきました。

■近藤酒造
愛媛県新居浜市新須賀町1丁目11番46号
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久しぶりの忘年会

2021年12月18日 | slow gourmet

久しぶりに忘年会でもということなって
師走の大阪へ出る。「せいふ会」と称して
毎年、忘年会か新年会を細々と続けて来たが
やっとコロナも落ち着いて来たし、気になる
オミクロン株もまだ世間に広まってはいないので
今年は実施することにしたのだ。会の名称は
それぞれの名前の頭文字から名付けた。

場所は旧き良きなにわ情緒の残る旧老松町。
大阪キタでもお気に入りの界隈である。
今は西天満という無粋な町名になってしまったが。
頭文字「せ」のお方が取ってくれた店。
鴨鍋屋さんである。何でも息子さんの
少年野球友だちがやっている店だそうだ。
信州に住む息子さんに使ってやってくれと
以前から頼まれていたらしい。

この日は四ツ橋側の曾根崎新地で
多くの人が犠牲になった痛ましい火事が起きた。
寒波もやって来て、そしてクリスマス前の
最後の週末とあって人出も多かった日であった。
南森町からタクシーを拾おうとしたのだが
全然空車が無い。タクシーが全然捕まらないなんて
思い起こせばバブル以来のような気がする。
何年振りかで見る師走の忘年会シーズンの光景だった。
しかしこの光景もまだ徒花かもしれない。
コロナも終息にはまだまだ予断は許さない状況だ。
何組かのサラリーマンたちが同じようにタクシーを
捕まえようとしていた。
ふと自分も去年まではこの中の一員だったのだ。

さて老松町のこの店は“鴨と日本酒”の店とあった。
河内鴨を食べさせてくれる店らしい。
掘りごたつ形式の個室へ。鴨しゃぶコースを。
・先付
・鴨造
ロース、ササミ、肝にズリなど四種類。
生肉はやや苦手であったが完食。
・肴盛合せ 色々な肴が一皿に
・サラダ アボガド入
・鴨しゃぶ
白髪ねぎとクレソンと豆腐だけの鍋。
このシンプルさがとても美味。
・蕎麦
占めはお蕎麦を入れて

ビールはサッポロの赤星を。
日本酒は湖北は木之本の七本槍を。
日本酒にこだわっているだけあって
錫器の徳利とおちょこで。

あまりにも話に夢中になってしまって
肝心の鴨鍋の写真を撮りそこなってしまった。

帰りは酔い覚ましに寒風の中、老松町から
お初天神通りを抜けて梅田へ。このお初天神の
呑屋路地も立ち入り禁止で火事の傷痕が痛々しい。
曾根崎商店街には若いサラリーマンやOLたちが
楽しそうに歩いていた。ときどき客引きに
声をかけられながら…懐かしい師走の
忘年会シーズンの一景であった。若ければ
私たちももう一軒寄ったのだろうけれど
風邪をひいてもいけないし、駅へと向かうのであった。
梅田の地下街でひとりは地下鉄へ、一人は阪急へ
そして私は阪神の乗り場に向かって別れる。
それぞれの息災を願いつつ。ごちそうさまでした。

歳晩の邂逅に酌む一と夜かな

■鴨と日本酒 五角
大阪市北区西天満4-5-5
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