陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

六月の訃

2024年06月15日 | cocoro

西洋紫陽花があちこちで豊かな毬(まり)をつけています。でもまだ梅雨入りの報せはありません。紫陽花が雨を乞うているのかどうかは不明ですが、やはり紫陽花も雨を待っているのでしょうか。

今週は立て続けに訃報が三つ入ってきました。高校時代の恩師の訃がふたつ。お一人は英語の先生でした。当時はその(今思えばデジタルな)指導方法に反発を覚えた先生でありました。しかし後年、教えられた内容を一番よく覚えているのがその先生の教えでした。その先生は母校からその後有名な進学校に移られたと聞きましたが、確かにその指導方法は簡潔で、しっかり要点を押さえていたと今更ながら痛感してます。そういう意味ではさっぱりとした指導の先生で、今でもその指導方法を思い出しては参考にすることがあります。

もうおひと方の先生は担任の先生でした。穏やかな口調のどこか飄々とした感じのする先生でした。引退されてからは、丹波の実家のお寺の住職をお続けになられていたようです。享年八八歳ということなので、当時は三十代後半の先生だったのだなと改めて感じ入りました。

そしてもうおひと方も奇しくも前職は教師だったお方です。こちらは俳句界の大先輩です。私の所属する俳句団体の要職を務めておられました。体調を崩されて入退院を繰り返されていると風の便りには聞いておりましたが突然の訃報でした。俳句のこと等でコミュニケーションのあったお方なのでとても寂しい気持ちでいっぱいです。まだ春浅き頃、その方のご依頼でひとつ引き受けた件があるのですが、今はその意を継いでしっかり頑張らないといけないと思うばかりです。

こうして毎年、紫陽花は変わらずに美しい毬をつけてくれますが歳月は確実に流れていきます。紫陽花は咲けども去年とはやはり違うのだなと思うと、ふっと感じる寂寥の中に無常観を感じます。正に“ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず”です。

今はただ先生方のご冥福をお祈りするばかりです。

露の世は露の世ながらさりながら 一茶

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