陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

わたしの酒呑録 北雪

2009年01月31日 | eau de vie

昨日の夕刊
厚労省研究班の調査結果
喫煙一日四十本以上
飲酒一日に二合以上
肥満度BMI30以上の
五十から五十四歳男性の場合で
今後十年間にがんになる確率は
最も健康な人の二倍超とか…。

飲酒毎日二合以上…?
平均するとそうだなあ。

こんな前置きを振りながら
今日のお薦めのお酒をアップ。
まあ人生
リスクはどうしたってある。
できれば避けて通りたいが…。

この北雪って酒
結構お気に入りの銘柄のひとつ。
佐渡の酒だ。
佐渡島は行ったことがない。
いつか行ってみたいなあ。
朱鷺も見てみたい。

この酒。わたし、燗です。

■北雪 本醸造酒 700ml
㈱北雪酒造 +7 1000円

特長
醸造アルコールを
最小限におさえた秘めた辛口酒。
冷やでよし燗でよしの淡麗辛口酒。
コメント

幸せ昼ごはん 蕎麦とカレー

2009年01月30日 | slow gourmet

今治で昼ごはん。
さて、何を食べようか?
と探していたら
お蕎麦屋さんがありました。

“石挽蕎麦 そば家”

なんやえらい
ストレートな名前やなあ。

「おいしいんやろか?」

今治で蕎麦もぴんと来んかったが
とにかく昼いちに
今治のベルサイユ宮殿と言われる
クライアントに入らねばならぬ。

丼と蕎麦のセットが色々あった。
蕎麦とカレーライスのセット?
ちょっと子供っぽい選択だが
これに決めた!
隣の部下がややあきれた視線を
ちらと投げかけたのを見過ごさなかった。

「たまにはこんなんも面白い。
我々の商売は意外性も大事なんやで。」

とうそぶいてやった。
屁理屈に口元に無理笑いを作る部下…。

ここの蕎麦屋、まさにそば家
ありふれた店名から
さして期待してなかったが
コシがあってなかなか旨い蕎麦。
カレーライスはレトルト風…。
(いやレトルトかもしれない。
待てよ、たぶんレトルトだろう。
もし違ってたら失礼!)

今治といえば焼き鳥。
“せんざんき”という
鳥の唐揚げが有名である。

今度はそれを喰いつつ
締めに蕎麦がいいなあ。
今治の夜も楽しみ…。

■石挽蕎麦 そば家
 愛媛県今治市東鳥生町3-1-51
コメント

エール・マネー

2009年01月29日 | tete a tete

“お金は欲しいものを
手に入れるだけでなく
応援したい企業や商店、作り手に
拍手を送るために使うものです。
スーパーで百八十円で売られていても
商店街のおばあちゃんの店で
二百円で買うこともある。(略)
あばあちゃんの店で買うと
幸せな気持ちになるといった
付加価値があればいい。”

■日経 インタビュー領空侵犯
「安さだけで買うな」小山薫堂氏

歳を取りお金の使い方を覚えると
自分が稼いだお金をどう使うか
考えるようになってくる。
食べ盛りの子を抱え
給料も安い若い時代は、とにかく
安いものを買うことに汲々としていた。
でも今はお金を使うことで
その対価を得るだけでなく
精神的にも幸せな気持ちになりたい。
そう思う。わたしはそれを即ち
“エール・マネー”と呼びたい。

今、お米をメール注文で購入している。
毎日口に入れるものは、安心・安全で
生産者の考えが見える所から買いたい。
そんな注文メールのやり取りからも
お互いの思いや息遣いが聞こえてくる。
それが嬉しい。そんな交流があれば
そういう所に大切な自分が稼いだ
お金を使ってよかったなと思う。
しかしそんな手作り農業は
とても労働集約型である。だから
そういう想いの消費者が支えていかないと
本当に滅んでしまうかもしれない。

だからエール・マネーなのである。

“異常に安い商品があったら
消費者には『なぜ安いのか』と
考える責任がある。
安さの理由を考えて『気がひける』なら
買うのをやめたほうがいい。
生産者に圧力をかけて
安く仕入れているのではないか。
不当にもけている人はいないか。
払うお金の行き先まで目配りしたい。”

消費者が賢明になることが
不正を正し社会を変える。
そのためにはもっと
日本全体が裕福にならないとなあ。
均等にね…。

(写真)いかりスーパー三ノ宮店にて
コメント

わたしの酒呑録 久保田千寿

2009年01月26日 | eau de vie

とある冬の或る日
飲み屋の女性と飯を食う。
八丁堀三越前で待ち合わせ。
三越前は結構好きである。
午後六時すぎ彼女はやってきた。
いつもの和服姿だ。
道行にショール姿のいでたち。
やはり和服の女性はいい。

歩き始めてすぐ時雨れてきた。
ついてないなあ。
着物姿に雨はつらい。
傘はさすほどではないが…。

「急げる?」

歩き慣れているのだろう。
彼女は案外すたすたとついてきた。
早足で薬研堀の瀬戸内割烹へ。

さて何を頼もうか。
お互い日本酒好きだから話がはやい。
彼女お気に入りの銘柄
賀茂鶴の熱燗で早速一献。
差しつ差されつ…。やはり
この歳になるとこういうのがいい。

酒を酌み交わしながら
いろいろな話をとりとめもなくする。
あれあれ。いけんなあ。
もう時間になってしもうた。
週末はなかなかやって来んのに
こういう楽しい時間って奴は
過ぎるのがあっと言う間じゃ。

出勤の時間だ。

「後で行くから。」

広島は案外狭い。
局の連中にでもあったら
格好のネタにされてしまう。
しばし大将と話をして時間差攻撃で。

「久保田は飲みますか?」

お店では渡せないからと
久保田を一本もらう。
気くばりができる女(ひと)だなあ。
もちろん久保田は好きだよ。
アリガト。遠慮なくいただくよ。

いただいた久保田千寿…。
呑めば思い出す。
あれから店を辞めた彼女は
どこでどうしているのやら。

この酒は、ともすると
すすっと呑み過ぎてしまう。
いい酒もいい女(ひと)も
過ぎると深みにはまるよ。
そして
いい酒も、いい女も、いい夢も
消えてなくなるのは速いなあ。
どうしてだろう?

■久保田 千寿 特別本醸造
 朝日酒造㈱ +6 2446円

吟醸規格の特別本醸造酒。
飲み口の良い
スッキリとした辛口のお酒です。
上品でやさしい香味は
やすらぎを誘います。(朝日酒造)
コメント

テレビが言ったこと…

2009年01月24日 | tete a tete

“「溜め」とは
貯金など金銭的な余剰分だけを
指すのではない。
頼れる家族や友人などがいるのも
人間関係の溜めであり
自尊心や自信などを持っていることも
精神的な溜めとなる。
貧困とは単に「お金に困っている」
だけでなくあらゆる溜めが
失われた状態…。”

■反貧困―「すべり台社会」からの脱出
 岩波新書 湯浅 誠

とても寒い日だった。
ひとり鍋をつつきながら
テレビを見ていたら
米国新大統領の演説分析から
米国はこれから環境問題を意識し
脱大量消費社会を目指すとあった。
米国輸出で飯を食ってきた日本や
中国などはこれから大変だと
評論家やMCたちが警告を発していた。
反してコメンテイターの某女優が
地球のためになるのはいいことと
脳天気に述べていたのが印象的だった。

冒頭の湯浅誠氏はこう続ける。

“様々なセーフティネットから
排除されていけば溜めは失われ
最後の砦である
自信や自尊心をも失うに至る。
溜めを失う過程は
さまざまな可能性から排除され
選択肢を失っていく過程でもある。”

自信や自尊心を失った日本は
これからどう生きていくのだろう。
最近は健康を害している人も多い。

売上と利益がいつも頭から離れない。
「いかんなあ。」と思いつつ…
生きていくためには稼がねば。
自信はまだしも、生きる糧である
最後の砦、自尊心を失えば
人はあらゆる意味で死んでしまう。

がんばれにっぽん!

(写真)いかりスーパー三宮店にて
コメント

食いしん忘備録 讃岐うどん

2009年01月21日 | slow gourmet

高松に寄れば
必ず買ってしまう讃岐うどん。
あの腰と食感がお気に入り。

あの長淵剛が立ち寄った店が
近くにあると友人が何気に言った。
こういうふとした話に興味がわく。
得意そうに言ってたら
たぶん聞き流しただろう。
その製麺所に立ち寄る。そして
お土産に半生の讃岐うどんを買った。

このうどん、家族が結構気に入り
以来高松に立ち寄ったときは
必ず買って帰る私の一品になり給ふ。

探せば、もっと他にも
美味しい品があるのだろうが
駅の土産もの屋に並んでいる銘柄は
ありきたりすぎてあまり買いたくない。
どこでも売っていない。
それにはうってつけの銘柄でした。
長淵剛の逸話という物語付きで
お土産にはなお良し。

「味よし」「コシよし」「つやよし」
「はだよし」と四拍子そろった
本場さぬきうどんの味と書いております。

只今、まあまあイケてます。

■松下製麺所
高松市中野町2-2
コメント

幸せ昼ごはん 貝柱定食

2009年01月20日 | slow gourmet

お昼ごはんっていいよね。

「今日は何食べようかなあ?」

なんて
その小さな幸せ感がいい。

晩ごはんだと、ちょっと
気合が入ってしまうし
一日の終わりだから
食べるぞと力も入ってしまう。

その点、お昼ごはんは
軽い意志で食べられる。
お昼ごはんが好きな所以である。

で、今回は
高松は北浜にある海鮮食堂へ。
ここは知人に教えられてから
出張に来たときよく利用する。
漁港の漁師婦人が切り盛りしている。
そのご婦人がまた美人ぞろいで
食もすすむ。なんちゃって。
でも、これ真実です。

で、ただいま
食べごろの貝柱がおすすめ!と
昔の蘭ちゃん似の美人がのたまう。
はいっ!迷うことなく
タイラギ貝の貝柱定食を注文。
串揚げと炒めの二種類を頼み
強引に部下と分け合って食べる。
なんともほほえましい?
というか強権的というか?
やはり両方味見したいからね。

ごちそうさまでした。
お代は八百円也。
普通の定食は六百五十円です。
すべて海鮮定食です。

美味い海の幸でにっこり。
美人の愛想でにっこり。
ロケーションも漁港でほっこり。

日常の小さな幸せを
感じましたでござりまする。
おすすめです。

「蘭ちゃん、また来るね。」

■高松市東部漁協 海鮮食堂
香川県高松市北浜町103-5
コメント

震災14年に記すこと

2009年01月17日 | cocoro

震災14年を迎えた今日は
眩いほどの陽光が射す日となった。

あの日は寒い冬の日だった。
最初は、びびっ・びびびっ…
普通の揺れだった。
ガラス窓が振動した。

「あ、地震…?」

経験値から、寝ぼけ頭の遠くで
感じて呼応しただけだった。
しかし揺れはそれで治まらなかった。
まるでコンクリートを破砕する
とてつもなく大きな工事ドリルを
建物底部から突っ込まれたような
激しい突き上げが襲ってきた。

「うわぁ~っ!!!」

思わず声が出ていた。
隣に寝る三歳のわが子を見た。
本棚が倒れ本が部屋に散乱し
眠る子の頭近くにあったテレビは
反対方向の角にころがっていた。
幸い子どもを直撃しなかったようだ。
ただ頬に傷を負い血が滲んでいた。
飛んだテレビがかすめたようだった。
別室のもうひとりの子は
倒れた箪笥群が向かいの
クローゼット側の壁にぶつかり
そのすき間にできた三角空間が
幸いにも寝ていた場所だった。
無傷ですんだようだった。
最後まで地震に気づかぬ
わが子ながら恐ろしい熟睡の主である。
妻はこれも別室の洋室から
叫びながら這い出してきた。
この部屋が一番家具がなかった。
だから彼女も無傷ではあったが
しかし一番動揺していた。
必死で子の名前を叫び安否を確認した。

こうして別々の部屋で寝ていた家族が
無事であるのを確認してから
ぐちゃぐちゃになった家の真っ暗な中
壊れた家具と割れたガラスの破片で
数箇所足裏を切りながら血を出しつつ
かろうじて戸外へ出ることができた。
しばしは呆然と六甲山を眺めていた。
あちこちで燃え上がっていく火を見た。
地震だと理解していたが、それでも
震源地はここら辺りとは思わなかった。
震源地近くは、もっと
悲惨なことになっているのだろうと
このときはまだそう思い込んでいた。

私たちはなんとか
自家用車が無事であるのを確認して
国道2号線を西へ実家に走った。

阪神電車新在家の高架駅が落ちていた。
国道沿いの家々が激しく燃えていた。
車の窓越しに熱風が吹き付けた。
冬だというのにとても熱かった。
目に飛び込んでくる光景は
かつて自分の親が経験した
あの戦争での惨状を彷彿とさせた。
地獄絵とはこういう光景を指すのだろう。
何故かそんなことを考えていた。

有事の時、人間って奴は
不思議と脈絡のないことを
延々と思っているものなんだな。
今にしてそう思うことがある。
そう、ひとごととして認識するのである。
これは人間の脳の危機管理かもしれない。
あえて客観的視点になることで
自己破滅を防御しているのだろうか。

その日以来
すべてのライフラインは消滅した。
夜は真っ暗な闇が覆った。
布引にある義理の叔母の家に
しばらくお世話になることにした。
神戸でもこの辺りから北は
地盤は硬い岩盤だから
叔母の家のような古民家でも
まったく倒壊を免れていたのだ。
川下の家々は堆積層の地盤である。
上流と下流で命が選択された。
私はその時にある意味で
格差社会を感じたのは事実である。
しかし、これは今日的な
暮らしの格差というものではなくて
生命の格差という根源的なものを
私に突きつけたのである。

そういう体験と認知を経て震災以後
確かに私の価値観は変わったと思う。
意識化でそうした訳ではない。
無意識化で変革していったのだと思う。
人生に対して、ある意味な部分で
私はどこか達観的になった。
いや正直に言えば、それは
厭世的になったのかもしれない。
かねてより持っていた諦念の
美意識がより補強されたかもしれない。

一瞬で全てが壊されることがある。
それも局地的にだ。
このことがもたらす不条理は
傷を負った人の心に
さまざまな変化と諦念をもたらす。
何故?という不条理への疑問。
これはいつまでも心の中を回廊する。
人生への敗北感、幸福への嫉妬
そして被災者という憐憫への屈辱…
なにより深いのは贖罪の意識である。
自分だけが助かったという贖罪感は
いつまでも心の中に沈殿、沈着し
決して無意識化で消えることはない。
この極めて人間的な良心の呵責…
これが案外、人の幸福への再生を
阻害するのだから因果である。

時は流れ、星は移り
震災以来十四年が経過した。
私は今広島に居る。
広島と神戸は地形的にとてもよく似ている。
広島には川が六本も流れているから
神戸より堆積層が多いかもしれない。
海と山が近く、山が北で海が南という
コンパス感覚は神戸と同じだ。
だらかわたし的には
とても心安らぐ落ち着く街である。
そして、何よりの共通点は
或る日突然一瞬に
身の回りの人が消えてしまうという
幾世代にも続く消えることのない
深い悲しみを共有していることだ。
そして、その悲しみは永遠に続く。

神戸も広島も
今日的な繁栄があるとすれば
その源泉はまぎれもなく悲しみにある。
悲しみというエネルギーを
生きていくために
プラスへ変化させてきた街
それが広島と神戸なのである。

今、わたしは
改めてその思いを強くしてる。
だから、震災十四年に
わたしが今ここに記すことである。
コメント

幸せ昼ごはん 鯛めし

2009年01月12日 | slow gourmet

今治から松山へ。
海沿いを車は走る。
まだ松の内だし
ここは贅沢に美味い昼飯にしよう。
磯の河へ寄る。
鯛釜飯を注文。
来島海峡と言えば鯛だ。

嗚呼!美味しかった…。

■お食事処 磯の河
松山市磯河内1-1
コメント

アナログ感動 WALL・E

2009年01月11日 | slow culture

映画を観にゆく。
久しぶりの映画だ。

六甲アイランドのシネコンへ。
五十を超えるといいこともある。
夫婦割引特典でひとり千円なのだ。
年齢証明を呈示すればいい。
ちなみに蛇足ながら
夫婦の証明は必要ないのが心憎い。
(もちろん!my blogは
不倫ブログではありませんからして…)

WALL・E(ウォーリー)を観る。
映画館は空いていた。
お子様連れとカップルが数組。

ディズニーのオープニング映像に
子供時代に一気にタイムスリップ。
それから映画は始まった。

西暦2700年
ゴミだらけの地球で暮らす?
旧式ごみ処理ロボットの恋と冒険物語。

CG映像のえもいわれぬデジタルな
地球や宇宙の美しさも必見だが
(ゴミの地球もある意味で美しい)
ストーリーの随所や底辺に見え隠れする
人間的な温かさや切なさ、そして
高度技術社会へのシニカルな風刺など
人間の宿命的な血が脈々と流れていて
それが人間の業的善悪を含めて
アナログ感動を心が呼んでしまうのだ。

ビジュアルとストーリー…
デジタルとアナログをこのように
融合させ昇華させる作品はさすが
一流のクリエイター陣だけが成せる
“創造と心と技”の結晶である。

久しぶりの映画。
ファンタジーの世界に
どっぷりと浸りながら
何故かうっとり切なく気持ちよく
そしてちょっぴり啓蒙的に教育され
あの子供心に憶えたいろんな感情が
心の奥底から“ちろちろ”と
また湧き出してまいりました。
さすがに、この歳になると
“こんこん”とはいかないまでも。
まだまだ清冽な感情の泉は
私の心の底では枯れてはいなかったのだ。

「いやあ、やっぱり
ディズニーっていいなあ。」
コメント