陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

七月の空 夏と折り合う

2010年07月31日 | tete a tete

明日から八月。今年も暑い夏となった。

水の事故に加え熱中症の記事が目に付く。
それも高齢者が部屋で倒れる例が多い。
暑さも相当なストレスなのだ。
外は暑いから、家で体力の消耗を防ぐ。
それでも習い性となった質素生活。
だから冷房もつけずにじっと我慢。
これが熱中症という災いをもたらすなんて。
あまりにも不条理ではないか?

自然は弱いものを容赦なく襲う。
自然を制御したと思われる人間社会も
まだまだ自然の前では、否応なく
適者生存の世界にされされているのだ。
そのことを思い知らされたように感じた。

しかし今の時期、私も含めて周りでは
体調を崩してるものがかなり多い。
喉の痛みや咳の症状が続いている。
年々弱っていく自己免疫力。
今年の夏も何とか乗り切らなくては。
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友の追悼

2010年07月25日 | cocoro

学生時代の仲間が逝った。

学生時代からよく一緒に遊んだし
毎春に、ゼミ同窓会と称して
何処かで集まっては飲んでた友だった。
毎年顔を合わせている仲間の病死に
私を含めて仲間たちは、思ってた以上の
ショックを受けていることに気づく。

彼女は大阪はミナミの女性らしく
浪速の関西弁がはきはきと印象的で
一番明るくて元気があった人だった。
ワインが大好きで、飲み会では
いつも赤のワインが片手にあった。
聞けば2年前から闘病していたと言う。
なら闘病中も一緒に飲んでいたのだ。
勿論、そんな素振りは微塵も無い。
だから誰も気づきようがなかった。
心中を察するに、彼女は
その間とても孤独だったであろう。
その寂寥感は想像に余りある。

毎年集まっては、わいわいと
仲の良かった仲間が、突然に
居なくなるのはなんとも寂しい。
寂しいというより、ぽっかり穴が
あいて埋めようが無い寂しさだ。

この歳になると、永年の仲間(同志)が
やむなく職を辞して去っていったり
そして、今回の友のように
永遠に逢えない鬼籍に入ったり。
そういうことが否応なく出現する。
そして、頭ではわかっていても
その“別れ”という惜別の負の感情に
なかなか耐えうることができない。
適応に時間がかかるようになるし
克服できないものもいるだろう。
高齢者の心のケアをしていた私には
よく判ることなのだ。
だが自分ごととなると…。
これも歳というものが成せる業なのだ。

その声を残して友は星となり 拙私有

神戸・布引ハーブ園にて(写真)
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夏のゴルフ

2010年07月24日 | slow life

久しぶりのゴルフ。
阪神大震災に遭遇して以来
何故かクラブを折っていた。
だから久しぶりのゴルフだった。
その間、クラブは進化していた。
私の持っているクラブは
さすがにウッドではないものの
旧いメタルウッドだ。だからヘッドが
友の最新のクラブに比べてとても小さい。
スプーンとバッフィはウッドだから
さすがに恥ずかしくてバッグに入れず。
そんなゴルフであった。

ツーサムで1ラウンドした。
二人で回るゴルフは初めてだったが
これはとても快適だった。
気心の知れた学生時代の友である。
特に気を遣うこともしないが
それでもさりげない気遣いをしてくれる。
何を話すではないが話しをする。
そんな間合いがとても心地良いのだ。
私には学生時代の友が一番楽である。
価値観も境遇も教養もそんなに違わない。

帰りは新神戸まで送ってもらった。
お土産に広島のお気に入りの酒を渡す。
帰り着いた夜、友から、晩酌で早速
飲んだがとても旨かったとメールが。
夏のゴルフは厳しかったが
疲れもどこかへ消えたような気分。
友とはいいものである。

ティーショット万緑の中消え往けり
              拙私有
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はじめての句会 虹

2010年07月18日 | slow culture

六回目の句会。兼題は“虹”

“虹”の季題から連想するテーマは
夢、幼な心、思い出や面影…。
自然の描写では、勿論空の虹だが
それにとどまらずいろんな情景が詠まれた。
たとえば山の虹、海の虹、棚田の虹
また、水車小屋の虹、ダムの虹や
面白い視点では水滴の中の虹など。

今回も5句投句しました。
そのうち、嬉しいことに4句を皆さんに
取っていただきました。今回は
かなり産みの苦しみを味わいました。
自然と虹、それに心情をどう織り成すか。

・虹消えて未だ童心の残りたる(先生特選、互選)
・ビル群を借景として虹走る(先生入選、互選)
・夕虹に明日のことを願掛けつ(先生入選)
・夕虹や消えて酒場の木偶(でく)となり(互選)

4句目の酒場の句なんですが
あまりお品がよろしくないし
ホトトギスのテイストとは違うので
最初は投句からはずしていたのですが
やはりどうしても入れたいという思いに駆られ
例え選ばれなくてもいいやと思い投句。
だから、これはたぶん互選で選ばれないかなと
思っていましたが取っていただけました。
でもやはり、先生の選には入らずでした。
花鳥風月を詠むホトトギスでは邪道ですね。

お粗末です。


(写真)神戸・六甲を借景に虹
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しみじみと会食

2010年07月15日 | slow life

35年勤めてきた社員が退職を決意。
話を聞かないとと思い食事に誘う。

会社近くの店“獨楽”へ。
予約していたので個室に案内された。
四人掛けのテーブルの個室は
やや手狭だがゆっくり話ができる。
この店、もともとは流川にあったが
最近このあたりに移転した。
予約した方がいい評判の店である。
ゆっくり話を聞きたかったので
飲み物以外はノーケアにしたい。
注文の手間がないコース料理にする。

造りは、なかなかの素材だ。
椀物もいい。一品一品手をかけている。
そして供される料理に都度説明が付く。

「こちらは鯛です。」

ただ、見たら誰でも判るものも
マニュアルよろしく、紋切り型に
説明するからちょっと違和感を覚える。

「見たら判るのにねえ。」

同感。むしろ何処何処で取れた○○と
それがこちらの聞きたいことなのだが
それを聞いても応答はなかった。

ちょっと残念だったのは
きれいに盛り付けられた素材の中に
旬のアスパラが添えてあった。しかし
根元の茎の筋が処理し切れていない。
口の中に筋が残って食べきれず。
このレベルの店にしては、意外や
ディテールがややぞんざい!?
移転してまだ慣れていないのか
ちょっとがっかりしてしまった。

さて、話を戻そう。
彼女は案外さばさばとしていた。
女は一度こうと決めたら、男みたいに
いつまでもぐずぐずしないのだ。
本人はO型だからと笑っていた。
会社辞めたらまずは韓国に行きたいと。
彼女はヨン様の大ファンなのだ。

世の中所詮、人間万事塞翁が馬だ。
何が幸せで何が幸せでないのか?
それは判らない。ただ言える事は
そういうことは誰しも平等にあり
そしてそれは誰しも見通せない
という事なのだ。

勘定を済ませ店を出て
表で待っていた彼女と別れた。
普通に彼女は駅へと歩く。
あたりまえだが。
私の方がなんとも去り難い。

「ちょっと、行こうか?」

同席の部長と脚は二軒目へ。
この日、広島随一の盛り場流川には
驚くほど多くの人出で溢れていた。
ボーナスが出たからだろうか。
二軒目の店五つの銅貨も満席になった。
こんなことは最近では珍しい光景だ。
景気はやはり上向いているのだろうか?
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しあわせ昼ごはん 家庭寿司

2010年07月11日 | slow gourmet

週末、久しぶりに打ちっぱなしへ。
腰の状態を見ながら、ピッチング
7番、5番、ドライバーと小一時間ほど打つ。
学生時代の友人とラウンドするために。
祝日でもツーサムで回れるコースを
その友は取ってくれたのだ。
それも1万円を切る値段だ。
いやあ、ゴルフも安くなったんだなあ。

その帰り、舟入にある寿司屋へ。
通りすがりに屋号に惹かれていた店だ。
ちょうど昼を過ぎた時間だし、覗いたら
結構空いていたので入ってみた。
この寿司屋、名を家庭寿司と言う。

店内は昔の寿司屋の造りだ。
カウンターは昔ながらの分厚い木。
20席には満たないが長い。後ろには
これも長いスペースに座敷がずらっと。
名前の如く家族経営のお店のようだ。
跡継ぎの息子が握り、親父と母ちゃん。
給仕は可愛いくて上品な顔立ちの娘。
名前の通りのお店だなあ。
こういう店で食べるとなんだか
お味もほんわかしているように思う。

日替わり定食を注文した。
本日は寿司の盛り合わせ。
握りに、巻きといなりがついていた。
一品はあさりの酒蒸し。あさりの身も
ぷるるん。出汁の塩梅も仄かでいい。
これで御代は650円である。
テレビは龍馬の再放送をやっていた。
近所のおばちゃんが食べていた。
なんかこういう寿司屋は落ち着くなあ。
昔、小さい頃に親父に連れてもらった
そんな下町の寿司屋の雰囲気が漂う。

今の時代は家族揃って回転寿司だ。
名前を書いて順番並んで、席に着いたら
さっさとベルトコンベアから寿司を取り
デザートまで揃って、それをみんなが
もくもくと食っている工場のような光景。
何だか乏しくてとても寂しい気がして
私はもう回転寿司には行ってない。

家庭寿司…。
店の主人は意識したのではないだろうが
現代の大衆寿司文化へのアンチテーゼを
私はひしひしと感じるのだった。

ごちそうさま。

■家庭寿司
広島市中区舟入本町14-29
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はじめての水彩画 人形

2010年07月05日 | slow culture

はじめての水彩画。この日は人形を描く。
幾体かのフランス人形が机の上に並べられた。
その中で一番気に入ったフランス人形を選んで
すばやくイーゼルを構える。うまく陣取らないと
描きたい構図の場所が取れないのだ。

私の構図は、独創的で珍しいと先生が言う。
そう言えば他の人は、大概人形を中心に
大きく描いている。私はと言えば
テーブルクロスまで入る構図で描いている。
その分、人形は小さくなるのだが、不思議と
この構図では人形が小さく見えないと
先生は言ってくださった。でもちょっと今回は
息切れしたかな?後半はあまり集中力が
なくなってしまって適当に流してしまった。

男の人が描く人形は、先生いわく
総じて顔立ちが可愛いと言う。
男の願望が絵筆に出るのでしょうかと先生。
なるほど、そう言えば男性の絵は、みんな
人形が愛らしく可愛い。不思議だなあ。

家で描いた絵をかみさんに見せたら

「顔立ちが私の小さい時に似てる。」

とのたまふ。

先生の言葉とかみさんの言葉が重なり
いやはや、なんとも…言えんです(^_^;)
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はじめての句会 雲の峰

2010年07月04日 | slow culture

五回目の句会。兼題は“雲の峰”

“雲の峰”は情景が一般的で創り易い。
山や海の壮大な情景が浮かぶ。反面
その雄大さに中に見える儚さなんかも
季題にはあるようにも思う。

今回も5句投句しました。
そのうち4句を、皆さんの選に
取っていただきました。
いつも選に洩れるのは
少し前衛的な心情を表現した句です。
やはり写実的な句の方が通りが良い?

1句目は、黄昏の雲を詠んだ句。
どうしてもこのテーマを一番に詠みたく
難産の末に出来た句でしたが、なんと
先生の一番句に選出いただきました。
私にとっては初の快挙!
嬉しかったです。やはり神は細部に宿る!
互選でも多く取っていただいた。

2句目は、街頭演説の様子を詠んだ句。
すんなり出来た自信作だったのですが
本人の思いと違って1票しか取れず。

3句目は、海坂(水平線)の雲を詠んだ句。
海坂(うなさか)とは古事記に出てくる言葉で
“舟が水平線の彼方に見えなくなるのは
海に傾斜があって他界に至ると考えたから
という神話における海神の国と人の国との境界。”
のこと。沖の水平線に湧き立つ雲の峰の
雄大さ、孤高さを番人にして詠みましたが
ちょっとイメージが伝わらなかったかな?
作者の思い先行の句だったかな?と反省。
でも海坂は好きな言葉です。なんか
“補陀落渡海”のイメージもあります。
2票獲得。

4句目は、静かな無人駅の様子を。
これはわかり易い情景で、1句目と同様
複数の人に選んでいただきました。

しかし最近は、色々あって
少し創作がしんどくなっている。
ビギナーが最初に陥るスランプが
もうすぐそこに来ているのかなあ。

・残照に紅施され雲の峰
・群集に轟く一声雲の峰
・海坂の番人たるや雲の峰
・無人駅静もる軌道雲の峰

(写真)神戸・摩耶埠頭にて

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半夏生と蛸

2010年07月02日 | slow life

7月2日は暦では半夏生。
夏至から11日目にあたる日だ。
スーパーには蛸刺しが並ぶ。
瀬戸内の蛸とあった。買ってみる。         

半夏生の日には蛸。
稲の苗が蛸の足のように大地に
しっかり根付き、育つようにとの
願いを込めて、半夏生にたこを
食べる習慣があるのだと言う。

この蛸刺し、白っぽくてどうかなと
思ったが、案の定全然旨くなかった。
まるで味のないガムのような食感。
失敗だ。刺身はやはり、見た目に
どうかなと少しでも思うものは
買うと大概失敗するのだ。

広島名物の“がんす”が。
いつも見るが買った事はない。
今回は試しに買ってみた。
広島名物“がんす”とは
かまぼこ原料のすり身に
野菜や一味唐辛子などを混ぜ
それを長方形に成形し
パン粉を付けて揚げたものを言う。
おたふくソースをかけて食べた。
B級グルメの味。見た目は
昔懐かしい駄菓子屋に売っていた
あの薄いハムカツのような感じ。
味はかまぼこの柔らかいカツだ。

半夏生と蛸。
私はこの広島に、将来もずっと
根を張ることは多分ないだろうが
広島の農作物は大好きだから
今年も蛸足のようなしっかり
根を生やした豊作を祈りませう。
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単身食生活考

2010年07月01日 | tete a tete

単身赴任して3年4ヶ月。
My食生活の変遷を振り返る。

はじめはかなり神経質に意識。
食が偏るとかいろいろ聞かされていた。
だから意識先行でやたら食材に拘る。
だが、これは長続きせず。
料理を作るスキルもないし
ひとりでは同じ食事が続く。
不経済としんどさでまず挫折。
面倒くささもあって、次は
外食専門となるのだが
やがてこれも飽きてくる。

そして進化のプロセス第3段階
スーパーの惣菜を買い求める。
これは作るより経済的だし
一人分だから嵩にあってる。
だが、これもしばらくすると
その味付けに拒絶反応が出だす。
まず味付けが辛い。なんかやたら
塩辛い。ていうか駄辛いのだ。
いろんな添加物のせいだと気づく。
体質もあってその味が舌につき出す。
やはり家で作るものは優しい味。

また、揚げ物はキッチンが汚れるし
後始末が面倒なので家ではしない。
だから揚げ物だけはスーパーで買う。
しかしまたこれが大概、安モンの油で
揚げてるからあまりよろしくない。

こういうことを経て
第4段階ではまた自炊に回帰となった。
だがこの頃はうまく折り合っている。
ささっと作る技が身に着いたこともあるし
保存の仕方にも要領がわかってきた。

単身赴任のおかげで、例え
かみさんがいなくても料理、炊事
洗濯、洗濯物のたたみまで
何の苦もなくできるようになった。
これで、どうやら定年後の
濡れ落ち葉状態だけは回避できそうだ。
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