陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

季題 御祓

2022年06月30日 | slow haiku

六月尽、御祓(みそぎ)とは
陰暦六月晦日に諸社で行われる神事である。
名越(なごし)の祓、夏越の祓とも言う。
今は新暦の六月三十日にほとんど行われている。
茅の輪が設えられて、お参りに来た人は
病気、厄除の祓いとして八の字に茅の輪を潜る。

御祓は十二月にもあるが、夏祓をもって
季とすると歳時記にある。
昔の人は半年ごとに息災を祈ったのだ。

御祓のときに、白紙を人の形に切ったものに
自らの名を記して、身体に触れたり、息を
吹きかけたりする。それを神官が集めて
川などに流す。人形を形代(かたしろ)と言い
それに穢れを移すのだと言う。

茅の輪は菅貫(すがぬき)とも言う。
夏越の祓、形代、茅の輪もそれぞれ季題である。

草の戸や畳かへたる夏祓 太祇

(写真)保久良神社 2007年撮影
 茅の輪から灘の一つ灯を望む
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涼しく生きる

2022年06月29日 | tete a tete

各地で気温がぐんぐんと上昇中である。
テレビでは連日この暑さを報道している。
サーモグラフィーカメラの映像を示し
いかに赤い色が多いかをセンセーショナルに
写しだしてはこの暑さを連日を伝えている。
まるで猛暑を煽っているかのようだ。

“涼し”という季題(季語)がある。
実はこういう暑いときに使う季題である。
自然の涼しさもあるが感覚の涼しさも詠む。
幅広い展開ができる季題でもある。

日本では古来、いろんな景から
涼しさを感覚的に感じ取っていた。
物理的な涼より感覚的な涼を捉えては
夏を乗り切っていたのである。
先人の知恵や所作から学ぶことは多い。

閑話休題。
今週は嬉しいことがひとつありました。
私は朝日俳壇に投句をしているのですが
かねてよりひそかに目標設定していた
全選者の入選を達成したのです。
故稲畑汀子先生はもちろん、故金子兜太先生
現在の大串章先生、長谷川櫂先生、高山れおな先生
そして汀子先生の後任の小林貴子先生の選に
このたび入選することができ目標を達成できました。

実はこれもあまり目立っていないのですが
朝日歌壇にもときどき投句をしており
実はすでに三人の選者の先生の選を頂いており
後ひとりの選者の先生の選に入選すれば、
俳壇と歌壇、両部門での完全達成となるのです。
そんなにしゃかりきになっている訳ではないのですが
継続は力なりで、いつか達成できることを
ささやかかつひそかな楽しみにしているのです。
自分へのご褒美というか、自祝というのも
生きていく上での人生の潤滑油だと思っています。

朝日俳壇は投句を続けています。
それには私なりの理由があるのです。
それは伝統俳句の灯を朝日俳壇紙上で
絶やしてはいけないということなのです。
また、伝統俳句系の選者復活を期すためにも
署名活動ではないけれど、伝統系の投句は
必要です。伝統俳句系の投句が細れば
伝統俳句系選者の復活なんて到底望めません。
今は議席を失っている状況なのです。
復活を目指すには組織的なロビー活動も勿論
重要ですが、一人一人の投句実績も必要だと
思っているのです。

私なんかができることは微々たるものですが
どこかでそういう気持ちを絶やさないことが
故稲畑汀子先生の思いを未来へ継承すること
と強く信じているのです。
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近畿地方 梅雨明け

2022年06月28日 | slow life

6月28日、気象台より近畿地方の梅雨明けが
発表されました。北陸地方、中国地方、四国地方
そして九州北部地方もでした。
これで昨日の関東地方につづき、日本列島は
ほぼ梅雨が明けたとのことですね。

しかし早い、早過ぎる。待ちに待ったという
高ぶりなど微塵もない今年の梅雨明け宣言。
これでは暑さによる熱中症も、渇水も、そして
秋からの実りも色んな事が心配になります。

俳句の世界では、今年は梅雨も黴もあまり
詠まれずに終わるのでしょうか?
しっかりと梅雨があってこその日本の四季。
日本の夏…困ったものです。
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季題 山梔子の花

2022年06月26日 | nonoka

山梔子(くちなし)の花が、あちこち
街の植込みなどで咲いている。

この花はマンションの植込みなど
気を付けて見ていると、結構咲いているのだが
あまり気にかける人はいないようだし
この花の名を言える人も少ない。

少なくとも俳人なら誰でも知っているだろう
とは思うのだが。俳句の初心者教室で
この花の匂いを嗅いでもらって、そして
さて、咲くやこの花の名は何でしょう?
と尋ねたら、一人だけが応えてくれた。
必ずどこかで出会っているのだが、案外
知っているようで知らない花なのである。

私はちょっと朽ち初めて錆びが出たような
山梔子の花の香が案外好きである。

朽ちてなほ山梔子の香の離さざる
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昼呑みミニクラス会

2022年06月25日 | slow gourmet

コロナもだいぶんと落ち着いて
飲食店も緩和になって来たのを鑑みて
久しぶりにゼミ仲間有志とミニクラス会を開催。
時間も融通が利く年齢にもなったので、夜も
遅くなってはしんどいということもあってか
今回は昼呑みということになった。
男二人に女二人、ときどき集まっては
お酒を呑みながらダべリングする仲間だ。

場所はヒルトンウェストプラザにある店。
時間になって行って驚いてしまった。
昼の時間を少しずらした時間だったので
静かで空いているだろうと想像していたのだが
なんとほぼ満席、夜のような賑わいであった。
これには一同びっくり。
大阪はもうコロナ禍なんていつの時代?
といった雰囲気なのである。私たちは
さながら浦島太郎のような気分であった。
通された部屋は吹き抜けの二階にある個室。
個室とはいえ完全密封ではないので
階下のアリーナのような席からの喧噪が
ひっきりなしに届くのであった。思わず
昼日中であることを忘れてしまうほど。

この店はサントリー系列の店であるので
ビールはプレミアムモルツであったが
特にハイボールは柑橘系が何種類かあって
これが本家本元だけあって実に美味しかった。
とはいえ、へべれけになるような歳でも
時間でもないので、そこそこに嗜む。

気の置けない仲間との時間はあっという間に
過ぎてしまう。話は尽きないが次の予定を
ということで、次回は東京や名古屋の仲間にも
声をかけて同窓会をやろうということに。
仲間のひとりが経営している米子の皆生温泉に
また行こうかなんて案も出て、久々に楽しく
愉快に盛り上がったのでした。

■燦 SUN ヒルトンプラザウェスト店
大阪市北区梅田2-2-2 
ヒルトンプラザウエスト6F
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今朝の広告

2022年06月24日 | slow works

今朝の朝刊、センター見開きに
伊藤忠商事のカラー広告が掲載されていた。
リモートセミナーの広告ばかりが目立って
最近の新聞広告はつまらないなあと思っていただけに
今朝の二連版の広告は久々に見入ってしまった。
ビジュアルも心和むけれどコピーが良かった。

「朝、美味しいコーヒーを飲むこと。
頼んだ荷物が予定に間に合うこと。
決まった時刻に飛行機が飛んでいくこと。
一人で暮らす祖母の家の近くにコンビニがあること。
地球の裏側に新しい道ができること。
目の前のひとの喜ぶ顔が見られること。
誰かのために働けること。
当たり前のことが、ずっと当たり前であるように。

暮らす。
愛する。
商いする。

Dear LIFE 伊藤忠商事」

今、ウクライナでの戦争で、人々の日常が
当たり前でなくなっている現状にあって
さおさらこのコピーがぐぐっと心に刺さる。

広告は時代を映す鏡でもある。
時に時代に竿をさし、時に時代に抗う。
また広告は提案でもある。私はそう学んできた。
そういう意味でもこの広告は上質である。
久々に新聞広告の良さを感じる広告であった。
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梅雨の晴れ間

2022年06月22日 | slow life

沖縄はもう梅雨が明けました。
こちら関西は梅雨最中ですが今日は晴れ。
梅雨の晴れ間といったところですね。

湾岸のガントリークレーンの向こう
紀伊和泉辺りの頭上には雲の峰が出現。
夏らしい景を演出していました。
湿度もぐんぐんと上昇、いよいよ
熱帯夜となる日々となるのでしょうか?
今夏は電気がひっ迫するとのこと。
猛暑でも節電に努めなければということですが
熱中症が心配ですね。暑さに慣れてないと
すぐ熱中症になるみたいで気になります。

ガントリークレーン林立梅雨晴るる

(写真)摩耶埠頭・摩耶大橋
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梅雨の植田

2022年06月21日 | slow life

今日は梅雨らしい雨模様の日となった。
雨に烟る町。こんな景を見ていると
ついユーミンの雨の街をが脳裏に流れ出す。

作家もミュージシャンも俳人もそうだが
やはり若い時の作品は、いつ見ても
いつ聴いても才が溢れんばかりである。
瑞々しくて命が漲っている。もちろん
晩年の作は作なりに素晴らしいものだが
やはり若い時の作品はどこか違うのだ。

田植えも終わって植田である。
雨蛙も鳴いているだろうか?
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人と共に去った蝶

2022年06月20日 | slow value

6月20日、今朝の日経朝刊のコラム「風紋」に
標題のような文言が冒頭に掲載されていた。
標題の論文が今年三月に発表されたのだ。
全国34の廃村を調べた結果、有人の集落に比べて
蝶の生息が明らかに減っていたという内容で
特に草原に棲む蝶が減っていたという。
蝶然り、源五郎やタガメも然りだ。

つまり離村で里地、里山が失われると
生物たちも棲家を失ってしまうのである。
国土の四割を占める里地、里山には絶滅危惧種の
動植物が集中して生息しているという。

離村、棄農して里山が廃れると草原は
温暖化によって森林に変っていくのだという。
里地里山の保全が急がれるのである。
このことは人間の暮しも自然の一部であることを
はからずも表していると思う。つまり我々
人間の営みも自然界の輪廻を支えているのである。

このコロナ禍で都市への一極集中が
リモートワークの普及で見直されて
地方回帰の兆しが芽生えているので
この傾向がひょっとして、この里山問題を
解決する一助になるかもしれない。

伝統俳句のコンセプトである「花鳥諷詠」は
自然を諷詠には人間の暮しも含まれるとする。
以上のことからも、それはとても理に適っている。

生物多様性の保全と里山文化の継承は表裏一体。
記事はそういう呼びかけで終っている。
考えされられる非常に興味深い記事であった。
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父の日と桜桃忌

2022年06月19日 | slow value

今日は父の日。そして奇しくも桜桃忌だ。
太宰治が玉川上水に入水自殺して遺体が
発見された日。その日が奇しくも父の日と
重なった。太宰と父の日とはちょっと皮肉めく。

私は熱烈な太宰ファンではなかったが
それでも太宰治は好きな作家であった。
青春の一時期、デカダンスに憧憬を抱くのは
或る意味必然でもあったように思う。
一時期はよくあんな文学に傾倒したものだと
忌避していた時期もあったのだが、老いて又
読み返すとやはり太宰は惹き込まれてしまう。

昭和四十六年発刊の筑摩書房の太宰治全集と
筑摩書房創業三十周年記念出版の復刻版
「人間失格」は浪人時代に東京の古本屋で
買い求めたもの。これは私の蔵書の中でも
今でも決して処分できない宝物なのである。

トカトントン脳が呼んでる桜桃忌

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