陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

液晶の昔日

2024年09月04日 | tete a tete

「日本勢の液晶パネル退場」

衝撃的な見出しが今朝の新聞の一面真ん中に。米アップルが2025年以降、iPhoneに有機ELパネルを採用すると決めたとあった。日本でのスマホ液晶を手掛けているのはジャパンディスプレイ(JDI)とシャープのみ。その供給がすべてゼロになるのである。液晶パネルの凋落を示すニュースであった。英国の調査会社によると、2024年にスマホの画面は液晶と有機ELのシェアが逆転したと言う。

液晶と言えばシャープであった。「20世紀に、置いてゆくもの。21世紀に、持ってゆくもの。」

2000年に着物の吉永小百合さんを起用した広告では、風呂敷に包んだブラウン管テレビと、吉永さんが抱えた液晶テレビの写真のビジュアルが記憶に新しい。それからのシャープは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。テレビで初めて自社デバイスを搭載することに強い高揚感があったと思う。

我が家のテレビは今でもAQUOSだ。左上にシールが貼ってある。「世界の亀山モデル」と…。液晶テレビは出だしは1インチ数十万円であったが、それが1インチ1万円になり、5千円と低減していった。私が買ったときはうる覚えだが1インチ1万円位だったかな?20インチだと20万円という想定である。今はどれくらいかは知らない。

しかし今の亀山工場ではテレビの液晶パネルは生産していない。今の亀山はスマホ向け液晶を生産しているのだとか。それも生産脳能力を三割減らしていると言う。堺工場は2024年8月に停止。データセンターとして売却話が大手通信キャリアと進んでいると言う。

iPhoneの有機ELパネルは韓国のサムスン電子と中国の京東方科技集団(BOE)が供給するらしい。

私が一線で働いていた頃、液晶とプラズマの競争がシャープとパナソニックで繰り広げられた。やがてプラズマは敗れ、松下は尼崎の工場を売却する。当時そこで季節労働員として働いていた、行きつけのバーの元マスターはそれで職を失った。勝ち組になった液晶だったが、今は有機ELにとってかわられようとしている。今の勝者は明日の敗者でもある。

オールオアナッシング(100か0か)の競争世界は厳しい。これがグローバルの世界なのか?かつて日本はそんな世界には居なかったと思う。100かゼロではなくて、50位でほぼほぼみんなが我慢して幸せになる。そんな世界だったと思う。言わば利他の心、それが日本の精神性だった。

それでは生き残れない世界。ただ老兵は老いゆくのみ。

写真は虫鬼灯(ほうずき)

コメント

令和のてんやわんや米騒動

2024年08月21日 | tete a tete

我が家の知人からSOSが入る。米櫃に米が無くなった。買いに入ったら行きつけのスーパーから米が消えている。他も探したが見事に棚は空。ということでそのSOSを受けスクランブル発進。お米を探しに行く。

幸い我が家はまだあるのだがこれも早晩底をつくのは明らか。「お米がなければお菓子を食べればいいじゃない?」なんてマリーアントワネットのような悠長なことは言ってられない。特に若者が居る家庭ではこれは有事である。

結局、その知人とあちこちのお店を探し廻ったが徒労に終わる。まあ新米が届く頃には在庫不足は解消するだろうとの見立てを信じて、慌てず、焦らずで行こうかと構えていたところ、別件で予約していた飲み物を受け取りに、少し遠方のやや小さ目のスーパーに行ったら、なんとお米が少し棚にあるではないか!これは幸運。天は自ら助くるものを助く。か?

しかしお米が無いというのは、昔一回あった。その記憶を調べたら1993年のことである。あの時は確か記録的な冷害が原因。タイ産のいわゆる外米を買った記憶がある。外米というのは全然別ものだったなあとその時痛感したものであった。あの出来事以来31年振りの米騒動である。

当たり前と思って気にもしていなかったことが突然当たり前でなくなる。南海トラフ地震が来たらどうするの?核戦争だってあり得ないとは言い切れないでしょ?そうなったらどうするの?不安を数えたらだんだんと気分が沈んでゆく。だから途中で思考を止める。これも生命体が何万年と培ってきた遺伝子のなせる術か?それとも単なる現実逃避?怠惰?

楽観主義と悲観主義。災害は忘れたころにやって来る。備えあれば憂いなし。人間万事塞翁が馬。色んなことわざや格言が浮かんでは消える。

都会では米がないと慌てる人が増えている。今朝来た新聞の片隅に書いていた。だけど問題は今日の雨、傘がない。行かなくちゃ。君に逢いに行かなくちゃ…。

コメント

ひと夏の計画

2024年07月21日 | tete a tete

毎日暑い日が続いています。関東・東海は梅雨明けらしい宣言が出ましたが、関西はまだ足踏み状態のようです。でも空や太陽の強さはもう梅雨明けという感じですね。

そろそろ夏の計画と行きたい処ですが、しかしこう暑いと、所用以外は何処かへ出掛けようという気力は中々湧いて来ない。それでもひと夏の経験は捨てがたい。それにずっと家に籠っているというのも何だかなあという感じです。

で、USJにも久しぶりに行ってみたいなあと…前回は2008年に行ったきりだし。でも今は人気で人込みに圧倒されそう。ということでやっぱりちょっと後ろ向き。前回のときは確かUSJ低迷期だったような。歳と共に人混みが苦手になっているのは事実です。でも行きたいな。

もうひとつ数年越しに実行できていない夏の計画。八月になったら超久しぶりに九州の里へ行ってみること。ただし親戚のおじさんおばさんはもうほとんど鬼籍に入りました。だから帰るという感じではもうないのですが、小さい頃に慣れ親しんだあの海と岬の風景また見てみたいのです。

さてルートをどうするか?フェリーに乗って大分まで行きそこから南下するか、または宮崎まで行って北上するか。それとも大橋を渡って四国を横断、松山辺りで一泊して宿毛からフェリーに乗るか?この三つのルートを描いてみました。乗り鉄なので私は車はあまり好きではないですが、この暑さを避けるにはゆったりしたそのルートが無難かなと。それにフェリーは青春の思い出.。当時は雑魚寝の二等船室しか経験ないので、一度でいいから風呂付のゆったりした個室に泊まってみたい。

さてこのひと夏のセンチメンタル・ジャーニーは実現するかな?これも運と気持ち任せとなりそうです。計画倒れに終わるかも?

コメント

老いる世界とにっぽん

2024年07月13日 | tete a tete

「老いる世界 人口減早まる」との見出しが新聞に掲載されていた。

国連が発表した2024年度版の「世界の人口推計」では、世界の人口が2080年代に約103億人のピークに達した後、減少に転じるのだという。2070年代の後半では高齢者の人口が子供を上回る見通しと。

日本の人口は2024年で1億2000万人であり、これは世界12位の水準である。今から76年後の2100年には7700万人、世界では32位に後退するそうだ。これは国連の推計だが、国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の推計では2100年には6300万人。国連の推計よりも1400万人も低い。ちなみに日本は2005年に戦後初めて人口が減少。2007年以降は出生より死亡が上回り自然減が定着しているのだそうだ。

世界で見ると、2100年の1位は今と同じインドで15億500万人。2024年14億5100万人より増えている。2位は2024年と同じ中国なのだが、驚くことに2024年、14億1900万人→2100年、6億3300万人と、中国は怖ろしいほどの人口減少である。アメリカはパキスタン、ナイジェリア、コンゴに抜かれて現状3位から6位に後退している。但し米国は人口が増えている。

こんな数字を見せられては、日本経済の衰退も年金や医療の問題も考えると恐ろしい。所属する俳句界も然りである。かつて若い人がいない国や社会、組織でも、栄えた例というのはあったのだろうか?2100年までは私は生きていないとは言え、後の世代のことを考えると何か暗澹たる気持ちになる。そんな記事であった。明るい未来図は描けるのか?

コメント

梅雨の今昔

2024年07月11日 | tete a tete

猛暑が続いています。もう梅雨が明けているのかなと思うほどでしたが、また梅雨空が戻ってきました。雷を伴った雨も。

出雲では豪雨による土砂崩れで道路が陥落。間一髪でタクシーが落ちずに助かったというニュースが。ニュース映像を見たとき、思わずあの阪神大震災の光景を思い出しました。陥落した阪神高速にかろうじて留まったあのバスの姿です。とにかく無事で良かった。

線状降水帯というものの仕業なのですが、なんか「線状降水帯」という気象用語ではあまりピンときませんね。やはり昔から言う「大出水」というような言葉の方が、感覚的には何か怖ろしさがしっかり伝わってくるような気がします。

今年はしとしとと降り続くといった梅雨ではありません。地球温暖化という気象の変化でそんな梅雨はもうないのかも。そういう意味では詩的に感じる梅雨の景というのは、もうひと昔前の光景になってしまったのでしょうか?今は梅雨イコール災害というような梅雨のイメージになってしまった。昔のように傘さして長靴履いて、雨蛙と遊ぶなんて云う光景はもう歳時記の中の世界になってしまうのかな?

詩や童謡になるような梅雨の景が見られなくなるのは何か寂しいですね。

コメント

タイガースのアレライス

2024年06月19日 | tete a tete

阪神ファンの子が買ってきました。ん?「アレライス」?

要はレトルトカレーですね。虎党の新定番。「岡田イチオシ、そらもう絶対食べなあかんよ、お~ん」とありました。いやはや商魂たくましいのはさすが関西の球団でんな。オリックスはもうちょっと垢抜けている感じはしますが笑

タイガースが勝てば関連グッズがどんどん売れていきます。それほど阪神ファンは熱い。マーケティング的に言えば極めてロイヤリティ(忠誠心)の高い顧客層を抱えているのが阪神タイガースなのですね。以前のジャニーズもそうです。ファンやファンクラブの収入が屋台骨を支えているという構造。そのためには勝たなくてはいけません。そのためにはアイドルでいなければなりません。そしてそこでメディア戦略が重要な鍵を握ります。

まあ、そんな理屈は別として、今年はちょっとタイガース苦戦してますね。投手が良くても打線が湿るとやはり苦しい。昨日は棚ぼたで日本ハムに勝ちました。この所、テレビに映る岡田監督の表情がちょっと気になります。愚痴も増えてきたのかな。それだけプレッシャーを感じているのでしょう。

まあそれもタイガースらしさですね。ずっと勝ってない時の方が多かったのですから。それでも阪神ファンは逃げません。やはロイヤリティの高い“推し”です。大山はん、復帰待ってますね!

網戸より今日も興奮猛虎ファン

コメント

令和六年 恭賀新年

2024年01月01日 | tete a tete

「明けましておめでとうございます」

令和六年が幕開けました。やや雲が多い日和ですが日射はあります。穏やかな日和ですね。皆さんもお健やかに新年をお迎えされていることと存じます。

年初にあたって大きな目標など立てることは、さすがにもうこの歳になるといたしませんが、一日一日を大切に、人との出会い、自然との出会い、機会との出会い…そんな出会いを大切にしながら成長していきたいと思っています。

さすがにこんな絵馬のようなことはもう望んではいけません。それが齢というものです。最後の文言は諾えますが笑

さあ、皆さん!昨日も今日も、去年も今年もありません。ただ生きている限り、食べて寝て生きてゆくこと。基本はそれです。その上で社会の中で自分探しをしながら歩んで参りましょう。そこがちょっと人間たる所以ですかね。

世の中には社会的プライドの高い人がいますが、大概それは相対的なもので砂上の楼閣に過ぎません。本当にプライドの高い人は自己に対しての基準値が高い。よってそれは対外的には謙虚な姿勢となって現れるものです。

私の尊敬する師は高齢になって尚超多忙な日々を送っておられましたが、決して「忙しい」なんて言葉はついぞ聞いたことはありません。ただ惜むらくは、もっと仕事がセーブできればもっと長生きされたと思うのですが、誰もそんな偉大な人から仕事を取り上げることはできませんでした。それ故真に尊敬できるお方でした。そして何より絶対的な自分はこうありたいという基準と使命感を持っていたのだと思います。

まあもとより私はそんな器ではないので、とにかく愚直に死ぬまでは生きて参ります笑 今年もよろしくお願い申し上げます。

生きてゐることは変わらず去年今年

(写真)出雲大社にて

コメント

蜂蜜で思ったこと

2023年08月17日 | tete a tete

蜂蜜を頂きました。我が家では蜂蜜は料理に使ったり、トーストやカナッペに、またヨーグルトにと結構幅広く使う食材です。使うのはアカシア蜂蜜が定番ですが、いろんな花の蜜を楽しもうと思います。

閑話休題

蜂蜜と言えば、某蜂蜜会社の不祥事が報道されました。この会社、昔ちょくちょく訪問していました。岡山駅からレンタカーで一時間位の所にあります。訪問した帰りにはそこの「bee house」で蜂蜜グッズや巣蜜などを買って、また近くの道の駅で野菜を買って帰るのが楽しみでした。そして岡山駅でレンタカーを返すと、居酒屋で一杯飲んで帰るのも楽しみでした。特に鰆の頃が懐かしい思い出です。岡山と言えば鰆です。

しかしここ最近、総理の息子、某中古車会社の息子と「息子」の事件がよくニュースに上がります。まあ、世の中で事件を起こす漢(おとこ)は必ずどこかの息子なのですが…。やはり社会的立場のある人の息子となると世間は厳しいです。

「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。社会的地位にはそれなりの義務が伴うというフランス語です。つまり社会的立場の高い人たちは「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という意味に用いられる言葉です。企業のメセナが話題になった頃に、よく提案の企画書などに使っていました。

人間は誰でも羽目を外すこともありますが、万能感を持ってしまうとどうしても裸の王様になってしまうのか?コンプライアンス(法令遵守)意識もなおざりになってしまうのかもしれません。でもこれは決して社会的立場のある人だけの問題ではないですね。他山の石にしなければなりません。つまり人の振りみて我が振り直せ…ですね。偉そうに書いてますが、こうして自分を戒めております。

ちなみに写真の蜂蜜はフィナベルです。悪しからず。

コメント

季題 終戦の日

2023年08月15日 | tete a tete

台風7号が近畿地方に上陸したこの日、78回目の終戦の日を迎えました。

戦没者追悼式の正午、私も黙祷を捧げました。私の世代くらいが出征した親を持つ最後の世代だと思います。それでも親が戦争のことを話すことはあまりありませんでした。私の親はそんな悲惨な体験をした訳ではなかったようですが、あまり思い出したくない記憶であったことは想像に難くありません。

あれから78年経っても大国が戦争を仕掛ける時代です。大国ではない日本がなぜあの当時戦争を仕掛けたのか?正直不思議に思うことのひとつです。後年になって気づくこともあるが、その時は暴走してしまうこともあるのが人間の性なのかもしれません。大企業の不祥事なんてのもそうですし、今話題になっている中古車販売の会社も構造は同じように感じます。

テレビで百歳の千玄室さんがインタビューに応えていました。「私は平和という言葉が好きではない。」そんなニュアンスの発言だったと思います。平和という言葉は戦争が無くならないから使うのだと。そう受け取りました。正に正鵠を射ています。特攻に出陣する仲間にお茶を点てる写真がありました。なんと悲しく辛かったことでしょう。

太平洋戦争における日本の死者数は戦死者230万人、民間人80万人の計310万人とあります。驚くべきことに戦没者数はソ連が合計で2450万人と断トツです。その次が中国で、しかも中国は民間人が1000万人と圧倒的です。この両国に今戦争の現実と懸念があるのが何とも…です。

戦没者310万人の御霊に誓って日本は不戦の誓いを立てました。このことを忘れずに平和を守り継ぎ、戦争の悲惨さを語り継いでいくこと。それは日本人というより全人類のミッションであらねばなりません。そのことを改めて忘れず、気づかせてくれるのが終戦の日だと思います。

悲しみは決して老いず終戦日

コメント

季題 霍乱

2023年07月19日 | tete a tete

熱中症の猛威が止まらない。今朝の日経の一面コラム「春秋」によると、熱中症による死者は2022年までの五年間の年間平均が1295人と言う。平成の初めまでは100人にも満たない年もあったというから、桁違いに熱中症の犠牲者が増えているのである。

政府は2030年までに熱中症による死者数を半減させる計画を立て、来年からは現在の「警戒アラート」からより上の「特別警戒アラート」を出すという。

学校でのクラブ活動での熱中症も増えている。年配の人間から見ると、昔のクラブ活動では水も飲ましてくれなかった。こんな程度でと思う人も多いかも知れないが、昔とはやはり気温が違うようだ。35度を超えるような暑さはほとんどなかった気がする。31~2度で今日はまた暑いなあと思ったように記憶している。それだけ地球温暖化が進んでいるのだ。もはや地球温暖化は重大な自然災害だと言う。まさに然り。

春秋によると、「鬼の霍乱(かくらん)」という言葉があるが、この「霍乱」とは、暑気あたりによるさまざまな症状を指したとある。元気な者が風邪をひいたときに「鬼の霍乱」などと言っていたが、本来、霍乱とは暑気あたりのことである。それだけ昔から酷い暑さに人々は注意してきたということなのである。

「春秋」にはこんな一句もしたためられてあった。コラム子も俳人なのであろう。

かくらんに町医ひた待つ草家かな 杉田久女

「霍乱」が晩夏七月の季題である。

コメント