陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

春の子嵐

2006年02月26日 | cocoro

“今は 二月 たつたそれだけ
あたりには もう春がきこえてゐる
だけれども たつたそれだけ”

“さう! 花は またひらくであろう
さうして鳥は かはらずに啼いて
人びとは春のなかに 笑みかはすであらう”

 ■立原道造詩集「浅き春に寄せて」より抜粋

昨夜遅く嵐になった。
低気圧が南岸を進んでいるらしい。
今年初の春の嵐だろうか?
ヴェランダに置きっぱなしの荷物の幌が
風に弄ばれてパタパタと鳴っている。
寝床で気になっていて起き出そうか思案していたら
2月の嵐はまだ子どもだったのだろう
いたずら程度に遊んで過ぎ去ったようである。

「次に親がやってくるのはいつだろうか。」
なんて本格的な春のそれを待ちわびながら
三寒四温。
これから春の到来を指折り数えていくのだろう。

そういえば、陽気に釣られて今日公園を散歩したら
桜の樹や猫柳たちは静かにひそみながらも
もうすっかりそしてしっかりと準備ができていた。

人間はこの時期体調を壊しやすいというのに…。

■写真はフェリーから望む明石海峡大橋
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2月の空 エネルギーのおっぱい

2006年02月25日 | cocoro

巨大なエネルギーのおっぱい。
2月の空にガスタンク。
いつも満タンなのだろうか。

一度空になったガスタンクの中に入ってみたいね。
タンクの底にクッションなんかをひいて
そこにドターンと寝そべって、天井に
プラネタリウムで満天の星を投影する。
きっとおっぱいの中に抱かれている気分だろうね。
ときどき男はこういう妄想をする。いや私だけか?

しかし
この巨大なガスタンクの中はきっと恐ろしいぞ。
漆黒のガスが渦巻くそこは死の世界だ。

でも我々の文明生活を支えてくれる。
ガスタンクは生活になくてはならない
エネルギーのおっぱいなのだ。

まかり間違っても爆発したりしないで
じっと私たちにエネルギーを供給しておくれ。
地上に突き出たこの巨大なおっぱいたちよ!
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ほっこり北の蔵

2006年02月21日 | slow gourmet

お連れがとても気に入ったようで
立て続けに2回行く。どことなく
ほっこりする隠れ家的な雰囲気の酒房。

表構えも店内も和風のしつらえ。
行灯など照明や盛り付けの器もグッドセンス。
客層も大人の二人連れが多いようだ。
落ち着いたこじんまりとした雰囲気の中で
美味しいお酒と料理を楽しみながら、
しっとりゆっくりとした時間を過ごしたい…
というのにはぴったりはまるお店である。
店のものが話しかけることは一切ない
カウンターは小気味よい空間。
隣もあまり気にならない。
ここはカウンター席が絶好である。

焼き鳥の串焼きおまかせ10串と、
今日は黒板のメニューからしまアジの造りを。

串焼きが売りだが、魚も天然だろう。うまいっ。
酒盗やなまこもある。

熱燗は灘の櫻正宗。2合徳利は取っ手付。
呑み応えがある。私は店では必ず熱燗を頼む。
それでだいたいのことが解るし何より値段が高くない。
これ、酒好きの先輩から教えてくれた定石。
今でもしっかり守ってますよ、先輩。

他にも地酒や焼酎の品揃えも豊富だ。

二人でまあまあ飲んでそこそこつまんで
私の場合一人あたり3500円といった塩梅が
このお店のイメージかな。

三ノ宮駅からも近いので帰りも楽だし次も行きやすい。
頭の中にブックマークしておきたいお店である。


■北の蔵 神戸市中央区加納町4丁目5-9
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楽天知命

2006年02月19日 | cocoro

楽天知命。
天を楽しみ命を知る。故に憂えず。(易経)

人知の遠く及ばない天の定めの運命に
ありのままに順応していく…。

故に憂えず…がいい。
そういうことなら「楽天家」もいいな。

市井の人々にも
人知の遠く及ばないことも結構あるから。

しかしこれ、「あるがまま」は
普通の人には結構できそうもない処世術。

だから
故に憂えずだけを呪文のように唱えて生きよう。

野村さんも故に憂えずで行くんだろうか?
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2月のテニス

2006年02月18日 | slow life

快晴。小春日和のような陽気で
思いのほか気温が上がった土曜日
今年始めてのテニスに出かけた。

今日のメンバーは小学生の子を連れた親子が3組と
30代の女性がひとり、熟年の男女ふたり
そして私である。サーブの練習から始まり
ストローク、ボレー、そしてラリーと練習メニューは続く。
温かい日差しで厚着をしていたら汗ばんできた。
最後はポロシャツ1枚になって体を動かす。

久しぶりに陽を浴びたこの日。ビギナーが多いので
市民講師の先生もゆっくりのんびり丁寧に教えてくれる。
どうも私のテニスは結構時代遅れらしい。今は
そんなフォームで打つ人は少ないですよと言われた。
私のはどうやらウッドラケット時代の振り方らしいのだ。
20数年前に習ったきりだからさもありなん。今は
ラケットの進化でフォームも変わっているだと知る。
そういえばみんな軽い最新のラケットを颯爽と振っている。
それに比べ私のラケットはといえば20数年前に買った
ロシニョール製の所謂デカラケという代物。当時
made in USAが自慢だったのだが…。いまやレトロ。
でも愛着や当時の想い出が一杯あって手放せない。

古い振り方で古いラケットでもテニスは楽し。
今日の試合ではサーブも結構決まって
うきうき気分で過ごせた週末。
こういうささやかなひと時こそ
日向香を感じる幸せというのだろうね。

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病院へ行った日

2006年02月17日 | slow life

「右の腎臓のこれですね。8ミリといっても縦長です。」
「これなら砕かずに自然排出を待ちましょう。」
「痛くないですか?」
「痛み止めの薬を出しておきますよ。」
「はあ。……。」

人間ドックで引っかかり病院へ行く。
勤務先に近いということで紹介されたこの病院。
数年前に建て替えて新しく立派になったようである。
ツインタワーのような外観。公務員共済指定とか。
初診の受付を済ませ、検尿とレントゲンを取って
泌尿器科の待合で待つこと1時間。
最後の方でやっと順番が回ってきた。
今日は医科部長先生の診察日である。
やはり威厳が溢れている。淡々と話す口調には
一見取り入る隙がないように感じられるが、
医者の先生とはだいたいこういう雰囲気なんだろう。

会計をカードで済ませ、院内の薬窓口で
どっさりと排出促進の薬と、それから
できれば飲む機会が来て欲しくない
痛み止めの頓服をもらう。1か月分…。

「出なければ、1ヵ月後にまたきてください。」と
先生は何ごともなく最後に言った。

う~ん、この1ヶ月はいやだなぁ。今までは
母の付き添いで病院にはなじみがあったが
今後は自分ごとの病院通いが増えていくのだろうなぁ
と、寄る年波を考えつつこの大病院を後にする。

ふと振り返り、病院の外観越しに見上げた空には、
冬の曇天が脅かすように垂れ込めていた。

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サルから学ぶこと

2006年02月12日 | slow culture

“資源が集中していて取り合いの状況が厳しいほど
周りの誰よりも上に立って多くの資源を自分のものに
しようとする傾向はどの世界でも同じである。つまり
「上昇志向」は資源をめぐる競争が厳しいほど強くなる。
逆にいえば自然界では、
通常、食物資源の集中が少ないから、
順位だの優劣だの強弱だのの
関係はあいまいなのである。”

        ■「進化しすぎた日本人」 杉山幸丸 
         第5講資源争奪の中でのリーダー論
         3.墜落につながる「上昇志向」より

サル研究の第一人者が生物学の視点から
人の在りようを示唆してくれるこの本は面白い。

先般、私の勤務する会社でも人事の発表があった。
昇格や昇進に密かに一喜一憂しているだろう人たち。
なるほど。
企業社会というシステムは餌付けザルの生態と
同じなのだと目からうろこであった。
でも序列や優劣のない自然界のサルならば、
もっともっと厳しい淘汰の世界で
生死を賭けて生きていかなければならない。

著者の杉山先生は現代の肥満についても触れている。
現代の肥満は
人類が499万年以上続けてきた貧乏生活の名残りで
遺伝子が使い切れなかった余剰エネルギーを
せっせと体内に溜め込むかららしい。
各器官の邪魔にならず一番溜めやすいところ。
保温効果を一番期待したいところ。
そんな最高の貯蔵場所がお腹なのだそうだ。

思わずじっと腹回りを見る。
「う~ん、何と言いましょうか…。」

どうやら私がサルから一番に学ぶべきことは
まず“反省”のようである。

少し恥かしい気持ちになった読後でありました。

草々。

■大阪・中の島バラ園よりビルを望む 6月の風景
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CHILDREN

2006年02月11日 | cocoro

“誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
 愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
 認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
 見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる”

   ■「子どもが育つ魔法の言葉」より
     ドロシー・ロー・ノルト

私は子どもが好きである。
子どもの青々しい匂い
じっと見つめる曇りのない眼差し
疑問を素直に表現する好奇心
したいことだけする独善さ。

彼らはこの世で自分が一番だと当然の如く
思って生まれてくるらしい。
母の乳房を吸う子は当然だとなんの疑問もないと言う。
そして成長するにつれて、その透明な自尊心を
親や社会という大人が奪っていくのだと言う。
社会性を身につけるという大儀のもとに。

人間として身につける常識を得るために失ったもの…。
そのことの方が惜しいなと思ってしまうのは
やはり年を重ねた証左なんだろうか。

今度生まれてきたら、私は教師になりたいな。
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春への一歩踏み出す

2006年02月07日 | slow life

“確かに貧困は成り上がるバネになるが、
子供のうちに十分な栄養を取れなかったことは、
後になって取り返せないことも多い。
我々が考えるハングリーとはミスをしても下を向かず
「もう一度」とボールを要求する
ガッツがあるかどうかということ。”

 ■ホルヘ・ブスティ氏 
  「情熱のアルゼンチン」日経記事より抜粋。

寒風の中、山麓のグラウンドで始まった
今シーズン初の練習試合。
相手チームは体格が大きい選手が揃っている。
かねがね思っていたことだが、
教育熱心な地区にある学校の生徒は
体格の良い子が多い。
教育への関心が高い家庭はきっと栄養にも
配慮するのだろう。毎日母親が料理をつくり
三度の食事をきっちり取らせているのがわかる。

強さの源泉であるハングリーさとは何だろう?
アルゼンチンをサッカー王国にした
ホルヘ・ブスティ氏のこの言葉は
啓示的で示唆に富んでいる。

さあ、春への始動である。
精神的にハングリーになって
今年も目標に向かって進んで欲しい。

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2月の読書 ベラ・チャスラフスカさんのこと

2006年02月03日 | slow culture

“だれにも歳月はめぐる。
若き日の輝きをそのまま見ようとするのは
無理というものだ。
が、その気品と意思的な視線は変わらない。
ただ近年の貌(かお)はどこか苦悩を
押し殺してあるように感じられるのであった”

■ベラ・チャスラフスカ 最も美しく 後藤正治著

「ベラは精神病院で小鳥のようにふるえていた」
という悲しい文言に衝撃を受ける。

ベラ・チャスラフスカ…。
東京オリンピックの記憶は正直あまり覚えてない。
チャスラフスカ選手の印象は、物心ついた
1968年の、あのメキシコ大会である。
今でも脳裏に鮮明に記憶している。
それほど美しい体操選手だった。
彼女ほど名花と呼ぶにふさわしい女(ひと)はいない。

“私は1968年のプラハの春を信じたまでで、
残りの人生をおカネに不自由なく暮らすために、
自分に背きたくなかったのです。”(抜粋)

素直な一女性の心情だと思わずにはいられない。

ただ、
祖国の政治体制に翻弄され続けた彼女が、
今の境遇にあることが正直とても悲しい。
こういう女性こそ幸せな人生を歩んで欲しいと思うのは、
当時を知っている日本人なら誰でも思うことだろう。

著者は最後にこう記している。
“ベラ・チャスラフスカによぎる言葉を列記すれば
<節義><信義><規範><倫理><献身>…
といった類の言葉である。
けれども時空を超えて不易なるものは
このような言葉に付随する精神の形である。
…ベラの回復を祈る。”と。

私も切に願わずにはいられない。
このようなひとがそんな寂しい人生の終焉を迎える
ことだけはなんとしてでも避けて欲しい。
神に願うことしかできないが…。

この作品では体操界で名をなした
ソ連・東欧の選手たちのインタビューも紹介されている。
いずれも厳しい境遇の中で咲いた名花たちである。
彼女たちの人生を支えたものは
決して豊かな待遇などではない。
メダリストとして
自らに対して課したその孤高なまでのプライドと、
祖国や家族など身近なものへの偽りのない愛こそが
彼女たちのその後の人生を支えてきたことがわかる。
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