京の町屋の玻璃戸に今春の「都をどり」のポスターが掲示されていました。このポスターを見ると嗚呼!春ももうすぐ闌(たけなわ)となるのだなと感じます。
令和六年からは諌山宝樹という日本画家がポスターの絵を手掛けるそうです。はんなりした色彩が素敵ですね。諌山画伯は今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の衣装人物画も担当しているそうです。
さてこの都をどり、今年は明治五年の創始から百五十回目の記念公演とか。都をどりは祇園甲部の踊りです。上七軒は北野をどり、宮川町は京おどり、先斗町が鴨川をどり。(宮川町だけが“お”の字を使ってます)以上が春のをどりで、秋のをどりは祇園東の祇園をどり。これで五花街の踊りとなります。
今は昔となった私の京都勤務時代、旧の祇園歌舞練場で開催されていた頃。当時の支社長は安い観覧料金の畳の席で、仕事をさぼって観覧してました。観覧というよりはうとうとする場として。平日なので人もほとんどいなくて、畳にごろんとなって観ていたと言います。
当時は外回りの人間は誰しも喫茶店や本屋なんかで時々さぼってました。豪の者は映画やパチンコに行ったりも。私は知らないのですが、土曜半ドンの時代は朝から場外馬券場に屯していたというツワモノもいたそうです。まあ私の働いていた業界は遊びも知らんようでは仕事できんという都合のいい格言?があった業界でした。
だから都をどり観覧もこれも仕事のうちの一部と言えないことはないのです。何しろ京都支社長というのは私も経験しましたが案外大変なのです、偉いさんやお客さんはとりわけ京都で遊びたがるので、そのセッティングやアテンドをしないといけない。そのためには普段からそういう場所を知っていないといけないし、またそういう場所と関係を作ってないといけないのです。京都はそういうことが大事な土地柄なのですね。
それができないとあいつは出来ない奴だと偉いさんから思われます。うまくこなせば出世の道が開けると言われてます。私のいたような小さい会社ではそんなことはあまりないのですが、東京に本社のある大企業なんかの京都支社長はそれはもう気苦労が多かったようです。京都の店と普段から関係を繋ぐといっても、再々接待費は使えないから自腹が多いのですね。まあ、それだけ散財してもそれで出世が叶えば十分お釣りがくるということなのでしょう。大企業でなくてつくづく良かった…。
それに京都支社長は一生懸命仕事をしていても遊んでいるだろうと思われるのです。まあ京都みたいないい所で仕事してお前はいいよなというやっかみです笑。
だから都をどりも勉強と言えば勉強なのですが、それにしても都をどりを観ながらというのは粋なさぼり方だと思ったものでした。今の時代ではそんなことは決してできません。思えばいい時代だったのですね。右肩上がりの経済の頃のことです。
何年か前、とある句会の吟行で都をどりを観覧したことがあります。その時は歌舞練場が新装工事中で別会場での公演でした。はんなり華やかそして粋。京都花街文化の晴舞台。裏ではいろいろ大変なこともあるでしょうが、ずっと未来永劫続いて欲しいですね。
今年も時間がぽっかり空いたら、ふらっと京都へ。都をどりを一番安い席で見ようかなと心の片隅で思ってます。思ったことはいつか必ず実現する。4月末まで開催しているので一番空いていそうなタイミングで行こうと思ってます。
逢ひにゆく都をどりと云ふ艶に