陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

いさよふ月 十六夜

2024年09月18日 | slow value

十五夜の翌日は十六夜(いざよい)。陰暦八月十六日の月である。

月の出がやや遅れるので、これを「ためらう」つまり「いさよふ」と表現したのである。

十五夜の月もいいが、私は十六夜の月の方が好きである。十五夜は皆空を見上げるが、十六夜の空を見上げる人はほとんどいない。その静けさが好きな由縁である。

既望(きぼう)の月は十六夜→立待月(たちまちづき、十七夜)→居待月(いまちづき、十八夜)→臥待月(ふしまちづき、十九夜)→更待月(ふけまちづき、二十夜)→二十三夜(にじゅうさんや、下弦の月)とつづく。ちなみに十五夜の前日は待宵(まつよい、十四夜)という。さて、これらはみんな季語。つまりそれほど日本人は月が好きなのである。

十六夜やビルの隙間をいさよへる

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令和六年の名月

2024年09月17日 | slow value

今日も暑かった。所用で大阪まで出掛けたが、歩いているだけで呼吸も荒くなってくるしも体もだるい。何とか熱中症にならずに済んだが、もう九月も後半である。暑さ寒さも彼岸までというが、頼むからそうなって欲しいものだ。

澄んだ夜空にぽっかりと浮かぶ名月を涼しく眺めたいものだが、この気温では十五夜と言えど気分は夏の月である。

仲秋の名月は芋名月ともいう。これはこの十五夜の日が里芋の収穫祭であった由縁であるという。稲作以前は里芋が日本の主食だった時代、この十五夜(満月)の日に神様に感謝を捧げたのである。

ちなみに芋(いも)という漢字はさといも、藷(いも)はさつまいも、薯(いも)はやまいもを指す。

宵の口、ちょっと雲がかった名月の出となった。それでも無月(曇って月が見えないこと)や雨月(雨で月が見えないこと)でなくて良かった。それにしても無月や雨月などの表現は日本人の繊細さを感じさせる言葉だ。いにしえの人はたとえ月が見えなくても、その雲や雨の上に見えない月を見ていたのである。見えないものを見る。それが心というものだと言うことなのだろう。

さて、それでは番茶を入れて月見団子をば頂きませう。

厨ごと終へたる妻と今日の月

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五つの銅貨のこと

2024年08月29日 | slow value

ときどき思い出すお店「五つの銅貨」のこと。

広島は銀山町にあったお気に入りのお店。ウッディなレトロなインテリアに素敵なシャンデリア。そしてビクターの犬、ニッパー。

ご夫婦で経営されていた。マスターはいつも縦型に置いたプレーヤーでお気に入りのレコードを掛けてくれた。

店を畳まれてもう約十年になるだろうか?東広島の黒瀬に戻ったと聞いたがお元気に過ごされているだろうか?

四十年(よそとせ)を辿り来し道露涼し

四十年の歳月に敬意を表して、十年前、店にて詠んだ句である。そうするとマスターはその場でそれを墨文字でさらさらとしたためてくれた。忘れられない揮毫である。

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季題 夜の秋

2024年08月17日 | slow value

八月も中旬になって、やっと風も少し乾いてきたかなと思うことがあります。特に朝晩に。

俳句歳時記には“夜の秋”という季題があります。素敵な季題です。ホトトギス新歳時記にはこう記されています。

「夏も終わりのころになると、夜はどことなく秋めいた感じを覚えるようになる。それをいうのである。」

“夜の秋”はまさに日本人の季節への感性がよく現れている季題です。季節を少し先取りして感じる。これが四季に恵まれた日本の心、つまり感性なのですね。

しかしこの季題は実は夏・七月の季題なのであります。ところがここ最近の異常気象の所為で、夜の秋を感じることがなくなりました。立秋を過ぎて、今、やっと「夜の秋」を感じるようになったというのが実感です。

これからこの暑さは一過性ではなく来年もずっと続くのでしょう。だんだんと歳時記の季節感と実際の季節感のずれが大きくなっていくように感じます。近い将来は日本も亜熱帯の気候になってしまうのでしょうか?

繊細な日本人の感性から生まれた季題の数々がそのうち死語となり、もうレガシー(遺産)のようになってしまわないか?そんな不安を覚えてしまいます。

ふと違ふ風の横顔夜の秋

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有馬の炭酸泉

2024年06月12日 | slow value

宿泊のホテルからすぐ。磴を下ったところに有馬の炭酸泉源がありました。

木下闇にひっそりとある泉源です。手で掬って飲んでみました。口にふふむと「旨まっ!」

最近は炭酸水ブームなのか、街中では強炭酸水などシュワッとする炭酸水が売られていますが、これはそれらとは全然別物でした。炭酸がぐっとくる訳ではありません。後で爽やかに口中に広がる感じです。そして何より滋味がありました。

自然の中から湧き出す炭酸水というものはこういうものなんだと教えてもらったような感じです。これでハイボールにしたらどんなに旨いだろうかなんて想像しました。想像しただけで実際は飲んでません。悪しからず…笑

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六月の花嫁

2024年06月07日 | slow value

六月が来ました。おついたちは真っ青な晴で始まった六月。暦月はすべて俳句では季題になっているのですが、特に六月という季題はお題に出ることが多い気がします。

「六月の花嫁」とか「六月の結婚」。ジューンブライド(June Bride)とよく言われます。六月に結婚すると幸せになれる。という意味があるとか。謂れは結婚の女神ユノが6月を守護していることに由来しているとかと言われています。

ただし、これは欧州の話が主体ですね。日本ではやはり梅雨の時期になりますので、気候的には五月が似合っているでしょう。ということで写真は五月のとある神宮での婚の風景です。

やはりこういう景に遭遇するとこちらもなんだか幸せな気分になります。末永く幸せな家庭を築いて欲しいですね。今日本では三組に一組が離婚を経験すると言われています。婚姻生活を続けることはそれだけ至難の業なのでしょうか?継続は力なり…。老いてつくづくそう実感するこの頃です。

橋殿の薫風をゆく婚の列

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2024桜の風景 御影公会堂を望む

2024年04月09日 | slow value

神戸市東灘区にある御影公会堂は神戸市灘区と東灘区を隔つ石屋川の北東角に建っています。昭和八年に白鶴酒造の七代目嘉納治兵衛翁の寄付により建設されました。戦争でも焼け残り、あの「火垂るの墓」のアニメの舞台で有名になりました。数年前にリニューアルされて美しい姿を神戸市民に見せてくれています。

この御影公会堂と六甲山を借景に眺める桜が私の慣れ親しんだ桜の光景です。いつの年でもこの景に癒されてきました。

公園の川沿いには国道二号線を隔てて南北に桜並木が続きます。ベンチもあって、色んな方がしばしベンチに佇み、桜の樹の下でそれぞれの刻を過ごしておられます。この公園の桜は八日に時点ですがまだ満開にはなっていません。九分咲き位でしょうか?この所の雨模様でもまだしっかりと花をつけています。もうしばらく楽しめそうです。

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春めくや 都をどり近し

2024年03月12日 | slow value

京の町屋の玻璃戸に今春の「都をどり」のポスターが掲示されていました。このポスターを見ると嗚呼!春ももうすぐ闌(たけなわ)となるのだなと感じます。

令和六年からは諌山宝樹という日本画家がポスターの絵を手掛けるそうです。はんなりした色彩が素敵ですね。諌山画伯は今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の衣装人物画も担当しているそうです。

さてこの都をどり、今年は明治五年の創始から百五十回目の記念公演とか。都をどりは祇園甲部の踊りです。上七軒は北野をどり、宮川町は京おどり、先斗町が鴨川をどり。(宮川町だけが“お”の字を使ってます)以上が春のをどりで、秋のをどりは祇園東の祇園をどり。これで五花街の踊りとなります。

今は昔となった私の京都勤務時代、旧の祇園歌舞練場で開催されていた頃。当時の支社長は安い観覧料金の畳の席で、仕事をさぼって観覧してました。観覧というよりはうとうとする場として。平日なので人もほとんどいなくて、畳にごろんとなって観ていたと言います。

当時は外回りの人間は誰しも喫茶店や本屋なんかで時々さぼってました。豪の者は映画やパチンコに行ったりも。私は知らないのですが、土曜半ドンの時代は朝から場外馬券場に屯していたというツワモノもいたそうです。まあ私の働いていた業界は遊びも知らんようでは仕事できんという都合のいい格言?があった業界でした。

だから都をどり観覧もこれも仕事のうちの一部と言えないことはないのです。何しろ京都支社長というのは私も経験しましたが案外大変なのです、偉いさんやお客さんはとりわけ京都で遊びたがるので、そのセッティングやアテンドをしないといけない。そのためには普段からそういう場所を知っていないといけないし、またそういう場所と関係を作ってないといけないのです。京都はそういうことが大事な土地柄なのですね。

それができないとあいつは出来ない奴だと偉いさんから思われます。うまくこなせば出世の道が開けると言われてます。私のいたような小さい会社ではそんなことはあまりないのですが、東京に本社のある大企業なんかの京都支社長はそれはもう気苦労が多かったようです。京都の店と普段から関係を繋ぐといっても、再々接待費は使えないから自腹が多いのですね。まあ、それだけ散財してもそれで出世が叶えば十分お釣りがくるということなのでしょう。大企業でなくてつくづく良かった…。

それに京都支社長は一生懸命仕事をしていても遊んでいるだろうと思われるのです。まあ京都みたいないい所で仕事してお前はいいよなというやっかみです笑。

だから都をどりも勉強と言えば勉強なのですが、それにしても都をどりを観ながらというのは粋なさぼり方だと思ったものでした。今の時代ではそんなことは決してできません。思えばいい時代だったのですね。右肩上がりの経済の頃のことです。

何年か前、とある句会の吟行で都をどりを観覧したことがあります。その時は歌舞練場が新装工事中で別会場での公演でした。はんなり華やかそして粋。京都花街文化の晴舞台。裏ではいろいろ大変なこともあるでしょうが、ずっと未来永劫続いて欲しいですね。

今年も時間がぽっかり空いたら、ふらっと京都へ。都をどりを一番安い席で見ようかなと心の片隅で思ってます。思ったことはいつか必ず実現する。4月末まで開催しているので一番空いていそうなタイミングで行こうと思ってます。

逢ひにゆく都をどりと云ふ艶に

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タイガース アレンパへ始動

2024年02月13日 | slow value

阪神タイガースの沖縄・宜野座キャンプのニュースが飛び込んできました。紅白戦で佐藤輝明選手が、今季実戦1号の先頭打者本塁打を放ち、4打数4安打1本塁打だったのとのこと。アレンパに向けて主力選手の一人が順調な滑り出しをしたようです。まあ、これだけでは解らんけど…笑

我が家は両家の祖父時代からまあ熱心なタイガースファンです。シーズンに入り野球中継が始まると必ずタイガース戦のナイター中継をかけているほどです。特に母子が熱心で、子の方は休みの日には鳴尾の二軍の試合を観に行くほどです。家にはメガホンはじめ応援グッズが沢山あります。勿論優勝記念グッズも沢山あります。

私もタイガースファンですが彼らほど熱烈なファンという訳ではありません。ナイター中継のときは、勿論テレビ観戦で勝てば嬉しく、負ければ「あれはあかんわ」などと論評したりして、それもまた楽しい。しかしたまには他の番組も観たいと思うのですが、ナイターがある時はほぼ私にチャンネル権はありません笑。

しかしプロ野球の選手も育成にはある程度の眼で見守ることが大事だなと気づかされます。昨シーズン、四番を全うした大山選手などがよい例です。俳句も然り。いつブレイクするか解りません。長い目で見守ること。それはその人の可能性を信じることにほかなりません。

さて、今シーズンの開幕ももう来月末。阪神タイガースの開幕は甲子園は選抜の高校野球で使えず、京セラドームもオリックスで使えないのでビジター球場での開幕戦となります。開幕戦は3/29(金)、東京ドームでの巨人戦。阿部新監督率いる巨人戦が開幕戦とはこれ以上ない舞台と言えます。ここは3タテでスタートダッシュを決めて欲しいですね。ここ数年、監督未経験の新監督チームは苦戦している傾向があるのでチャンスは十分。ギャフンと言わせて欲しいですね。

今年こそ佐藤選手はブレイクして欲しいです。その他の選手もまだ若くて有望な選手も多いので楽しみ。アレンパへ期待です。夢中になれることがあるというのは幸せなことですね。

始動する近本選手日脚伸ぶ

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季題 成人の日

2024年01月08日 | slow value

令和六年一月八日は成人の日です。ホトトギス新歳時記ではこう解説されてます。

“一月第二月曜日。昭和二十三年新しく国民の祝日として制定された。その日までの一年間に満二十歳に達し、成人になった男女を祝福する日である”

こうありますが、昨年、2022年4月1日から成年年齢が20歳から18歳に変りました。また、2022年4月1日以降に18歳になる方(2004年4月2日以降に生まれた方)は、18歳の誕生日から成人となります。それでも多くの自治体は成人式を二十歳のままにしており、最近は十八歳にしたところも二十歳に戻す動きがあると書かれていました。やはりそうですよね。二十歳の方が区切りがいいと思います。

二十歳と言えば、私のベストテンに入る本に、高野悦子さんの「二十歳の原点」があります。学生の頃はのめり込むように読んだものでした。あの日記に出て来る店や場所を聖地巡りしたこともあります。当時は聖地巡りなんて言葉はありませんでしたが…。ジャズ喫茶のシアンクレールが一番有名になったと記憶してます。

三ノ宮に出掛けると成人式帰りの着物姿の女性たちがいっぱい、国際会館方面からサンチカに流れてきておりました。当たり前ですが皆若いし笑顔が素敵です。楽しそうに友達と歩いていました。その夜は皆で飲み会をするのでしょう。

私たちの世代の成人式はあんなもの絶対に行くかという一種のしらけ世代でしたので成人式には行かず、よって思い出は全くありません。あんなものは体制側が仕掛けるイベントだと思ってました笑 私の廻りの友人たちもみなそうだったと記憶してます。でも晴れ舞台として出掛けた者もいたでしょう。

ちょっと尖っていることがかっこいいと思うタイプの若者だったのです。いわゆる反骨精神というものですね。まあ、高野悦子「二十歳の原点」や奥浩平の「青春の墓標」などの本にかぶれていたから当然と言えば当然です。今思えば若気の至りというやつですか。ちなみにあの安保闘争当時の樺美智子さんは私の高校の同窓です。

そんな小生のセンチメンタルなことはどうでもいいけれど、こうして暦の行事を諾うことは大事なことなのだと今は思ってます。

大前に成人の日の晴れ着かな

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