陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

石見美術館の湖畔 黒田清輝展

2009年08月30日 | slow culture

益田の石見美術館に行く。
驚いた。
とにかく立派な建物だったから。
失礼だが、こんな町になんであるの?
と思ってしまうほどに。

外観に地元名産の石州瓦を用いていた。
その瓦が醸し出す波線が美しく
また、なんとも心地よいゆらぎを感じた。
ここ正式には、島根県芸術文化センター
“グラントワ”と称すらしい。
美術館と劇場が一体となった複合施設だ。
地方行政のハード優先ウワモノ主義という
やぶにらみも感じずにはいられないが
とにかく立派で現代的意匠の美術館だ。

この夏休み期間に、ここで
近代日本洋画の巨匠である
黒田清輝展が開催されているのだ。
黒田清輝画伯が
ここ石見出身である森鴎外と
交流があった縁で
この展覧会が開催されたらしい。

館内は平日とあって空いていた。
ゆっくり鑑賞することができた。

湖畔に腰掛けながら
うちわを持って夕涼みする
浴衣姿の美人で有名な
あの絵画“湖畔”を観たかった。
この絵は、照子夫人がモデルである。
明治三十年、芦ノ湖のほとりで
約1ヶ月かけて制作されたとあった。
夫人が二十三歳の頃の作品だとか。
子どもの頃、切手で親しんだ絵だ。
パステル調の美しい絵だが、実物は
意外と霞がかったような作品だった。

「昔語り」という作品がある。
この作品は辻で、舞妓と仲居
そしていなせな男と舞妓のカップルに
行きずりの草刈娘が、僧侶から
“小督(こごう)”という女性の
悲恋物語を聞いている図なのだが
この下絵が実に30点も展示されていた。
これが実に見事で綿密で驚いてしまった。
このモチーフに対する画家の思い入れを
感じずにはいられなかった。
この完成作品が焼失したのがとても残念。

湖畔以外で私が気に入った絵

・雲(6枚組)
 きれいな雲の絵が六枚。哀愁感じる空だ。
 こんな絵を家に飾っておきたいな。
・鎌倉にて(小壺にて、菜種、初更の田舎)
 これも小品。どことなくペーソス溢れる絵。
・案山子 
 まるでミレーのような絵。何故か
 不思議と惹きつけられる絵。
 こういう絵に私は弱い。
・森の夕日
・其の日のはて
・少女
・野原の立木
・赤髪の少女 
 少女の後姿と森の木の光りが美しい
 印象派的作品。
・田園の夏
・智・感・情
 裸女三連作。これは圧巻。

画家自らの感興にゆだねた描写に
作家の揺らぎが…と解説。
確かに。そこが
観る側の心の琴線に触れてくる。
どこか懐かしくて、どこか
哀愁的な絵が私は好きである。

※小督(こごう)は、平安時代末期
類稀な美貌の箏の名手であった。
高倉天皇に愛されながら
平清盛の怒りに触れ出家させられた
悲しい女性の物語である。
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今年の夏のふりかえり

2009年08月29日 | cocoro

“ゆく夏に名残る暑さは
 夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭
 秋風の心細さはコスモス”
  (荒井由実 晩夏より)

今年もわたしの夏はゆきました。
ふりかえってみましょう。

七月に仙台に旅行に行きました。
北海道を除き、私の旅の北限が
今まで福島までだったのですが
これが初めて仙台まで延びました。

夏休みをお盆の土日を挟んで
連続で9日間も取りましたが
特に何もしませんでした。
高速道路でちょっと出かけようかな
とも思いましたが、テレビを観て
あの渋滞に怖気づきました。

両親の墓参りだけは
今夏も欠かさず行いました。
黄色い百合を供えました。
碧い夏の空と眩しい日差しに
黄色い百合はとても似合っており
それがとても気に入って
しばし眺めておりました。
なぜかその黄色が、今年の夏の
象徴として私には印象に残っています。

久しぶりの友人に会い
はしご酒で痛飲しました。
工員をやっているその友の話は
私にとってとても興味深いものでした。

でも飲んだ翌日、体がしんどくて
それからそれが数日続きました。
免疫が落ちて、久しぶりに
口唇ヘルペスを患い難儀しました。
その日から特に何もしていないのに
暑さで結構体力を消耗し始めました。
そして、体が冷たいにも拘らず
発汗してのぼせたり、また
膝の裏に痛みを感じ続けました。
かみさんが、それは
更年期だよと言いました。

そんな体だから、特に
インフルエンザにかからないよう
養生に努め、人ごみは避けて
家の近所界隈だけを生活範囲としました。
それに、こういうご時世だから
お金も節約しようと思いましたし。

だから休日は特にすることもなくて
食っちゃあ寝えの毎日。朝も
ゆっくり寝ていようと思うのですが
どうしても早く目が覚めてしまいます。
かといって起き出すのも面倒で
布団から出ずに腹ばいになって
新聞をゆっくり隅から隅まで
くまなく読み通しておりました。

それでも昼前に起き出して
かみさんが作ってくれた昼ご飯を食べて
なんとなくテレビを見たり、写真の
アルバムを整理したりしながら
漫然と昼下がりを過ごしたりしました。
そうこうしていると、ありゃりゃと
もう夕方になってしまいます。
すると、またお腹が空いてきて
人間何もせんでも性懲りもなく
腹は空くもんなんじゃなあと思いつつ
御影のスーパーまで買物へ行きます。

「定年したらこんな生活かなあ?」

なんてかみさんと話しました。
そう思うと、ふと定年後ってのは
まだ先のことだと思っていたのですが
これは恐ろしい日常だと思いを馳せたら
ましてや、会社も未だ未曾有の厳しさで
もしや定年は、はや来年にも
やって来るかもしれぬ身と思えば
仕事ができるということは、とても
幸せなことなんだと…
今更ながら気づいたのでした。

もうひとつ、今年の夏は
忘れられないことがありました。
それは大原麗子さんの死でした。
普段は、芸能人の訃報というものは
客観的に感慨に耽るだけなのですが
この死はとてもショックでした。
たとえて言うなら、彼女の死は
三人称の死として捉えることができず
私的には二人称の死に近いものでした。
私の青春のアイデンティティの死
という符号だったのだと思います。
そしてこれから、こうしてひとつづつ
何かを喪失していくんだという怖れが
精神的に打撃を与えたのかもしれません。
老いていく過程の疼きなんでしょう。

そして、浅岡ルリ子さんの弔辞…。
とても深く心の琴線に触れました。
愛も憎しみも、悔恨も惜情も
恩讐の彼方に昇華していくには
時間がかかるものなんだなと
思ってしまいました。
仲が良ければ良いほどに。それが
人間の業というものなんだ…な。と。

“何もかも捨てたい恋があったのに
 不安な夢があったのに
 いつかしら時のどこかへ置き去り”(同上)

選挙が済めば、今年の夏は終わります。
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ZUMBA!

2009年08月28日 | slow life

最近はもっぱらZUMBAだ。
ラテンでたっぷり汗を流す。
気持ちいい…。

ZUMBAとは、ラテン系の
音楽とダンスが組み合わさった
ダンスフィットネスエクササイズ。
曲毎に組み合わされたプログラムを
1セッション毎インターバルで行う。
心肺機能向上や脂肪燃焼にいいのだ。

レゲエにサンバ
サルサにメレンゲ、そして
アルゼンチンタンゴ系と
さすがラテンはノリがいい。
だからか、結構人気だ。
ほとんどが女性たちだが
中には嵌った中年男もちらほら。
みんなそれなりに楽しそう。

我が社の女子社員に勧められて
以来、しばらく嵌ってます。
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旧暦 七夕 星祭り

2009年08月26日 | slow culture

今日は旧暦の七夕である。
今年は八月二十日が新月なので
二十六日が旧暦の七月七日とある。

やはり七夕は旧暦に限ると思う。
星が綺麗なのは
うっとうしい梅雨時の空ではない。
やはり、大火が西に流れる頃
天馬座の四つの輝星が東に現れる
秋の気配が漂う八月の空が七夕だ。

七夕伝説…。

“天帝の娘である織女は
機を織るのが仕事。しかし
仕事ばかりする織女を心配した天帝は
娘を天の川の向かい岸にいる
牽牛と引き合わせました。すると
二人は恋に夢中になって仕事を
全くしなくなってしまいました。
それをみた天帝は怒り、二人を
天の川の両岸に引き離してしまいました。
二人の様子を哀れに思った天帝は
一年に一度、7月7日の夜にだけ
会うことを許しました。しかし
7月7日に雨が降ると天の川の水が
増水してわたることができないので
カササギが二人の橋渡しをします。”

 ■なにわの科学史のページ
  七夕の話より 引用

いつの世でも
愛し合う男女は、その愛において
純粋で無垢で切ないものです。

さて、心の短冊に
どんな願い事をしましょうぞや?
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真夏の夜の夢 はしご酒

2009年08月23日 | slow life

久しぶりに元マスターと会う。
マスターは店を閉めてから
とあるTV工場で派遣で働いていたのだが
このたび社員登用試験に見事合格。
永らく会ってもいなかったので
お盆休みだしお祝いも兼ねて一緒に飲む。

「よかったねえ。おめでとう!」

祝いを述べ、飲みに繰り出す。
マスターは店を閉めてから
某自動車メーカーに派遣が決まっていた。
昔で言う期間工である。
ところが最終健康診断ではねられた。
長年の店での洗い物の手荒れが
採用可否に引っかかってしまったのだ。
これは予期せぬ事だった。
出発前に皆から祝福してもらった身だ。
傷心に加え恥ずかしい気持ちで
名古屋から戻ったマスター。
さぞ悔しくて辛かったことだろう。

ところが人生と言うものは面白い。
つくづく人間万事塞翁が馬だなあと思う。
あの時、めでたく
その自動車メーカーに行っていれば
その後にやってきた未曾有の経済危機で
おそらく、遠からずマスターも
派遣切りに遭遇していたことだろう。
あの時、健康診断ではねられたから
今、こうして、TV工場での
正社員の道が拓けたのだ…。

三ノ宮は東門筋東側にある焼き鳥とり裕へ。
焼き鳥コースで久しぶりに酒を酌み交わす。
ここの焼き鳥はなかなか美味い。
久しぶりの鳥刺しも新鮮で堪能した。

マスターはまだ店を再興する夢を持つ。
いや夢ではなく目標である。
そういうことなら、はしご酒は
もちろん勉強と視察と挨拶を兼ねて
ショットバー。ということで
二軒目は北長狭のBar Codeへ行く。
壁紙は全てバーコードのNY的barだ。
ここのバーテンの某君は、阪急六甲の
老舗Bar Top Six繋がりである。
マスターはお馴染のグランダッド。
私はEZURAをロックで。ここで
某君からTop Six繋がりのもう一人が
阪急六甲でbarをやってると聞く。

ならば三軒目は阪急六甲へと…。
もちろん阪急電車で。ひと昔なら
ここはタクシーを使ったものだが。
タクシー業界も辛いがすまぬ。
でやって来たのはBAR gravity。
三軒目だ。ここは阪急六甲らしい
なかなか雰囲気のあるbarだった。
ここなら落ち着いて飲めるだろう。
何より午後四時から開いている。
これはいい。実にいい。
わたしは、黄昏前から飲む酒ほど
退廃的でうまい酒はないと思ってる男だ。

ここでマスターは旧交を点火させ
その勢いで、最後ははやり
マスターにとっては忘れられない
アンカー的な店Fへ。私の方は
ここでいったん別れてbar crisへと流れる。
crisではいつもタンカレーのジンリッキーだ。
しかし、Fにcrisの両マダム…
今はもうある意味阪急六甲界の重鎮である。
このお二人が、今でも現役で店に立ち
働いている姿は美しいし素晴らしい!
どれだけ勇気をもらうことだろう。
きっとマスターもFのマダムに
「あんた、頑張ってるの?」
なんて言われながら、さらに
大きな勇気をもらったことだろう。

最後は私もFへ合流した。
もう日が変わる頃だ。
そろそろ手仕舞いしないと
明日の体力が危うくなる。
カンパリをソーダで割ってもらい
そしてマダムFに一杯おごる。
こうして、真夏の夜の夢と共に
邂逅を重ねることができるのは
酒があるからこそ…。
久々のはしご酒であった。
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スロー&エレガンスなやき肉

2009年08月22日 | slow gourmet

このお店、ごくまれに利用する。
年に一度か二度くらいか
家族が神戸から来広した時だ。
子供のリクエストである。
家から近いということもある。
暖簾に大きく“やき肉と中華そば“

「やき肉と中華そば?」

面白い取り合わせである。
が、その取り合せから連想する
大衆的な焼肉屋のイメージとは
違う雰囲気がこのお店にはある。
不思議なミスマッチ感覚とでも言うか。

“やき肉と中華そば“のこの店
御年を召された夫婦の経営である。
夫婦だと確認したわけではないが
たぶんそうだと思う。
この御年を召されたと敢えて言う
我が表現に注目されたし。

まずは、ご主人。
まるでシェフのようないでたち。
背丈もある。品格もある。
市井の焼き肉屋の親父の風情ではない。
ダブルの真っ白なコック服は
どこかの一流料理長かと見まがう。
そしてお肉。あの寿司屋のような
冷蔵ケースにきれいに並んでいる。
これは見た目がいい。
新鮮さをアピールしている。
まずこの風景からしてどこか違うのだ。

そして奥ちゃま。
別に化粧気があるわけではない。
白髪の髪を束ねているだけだが
この方もどことなく気品を感じさせる。
丁寧な物腰、落ち着いた所作。

こういうコンビだからか?
満席になりたとえ忙しくなっても
すべてはスローなのである。
注文してから待つことしばし。

「注文は本当に通っているのか?」と
何回か不安になるがあせりはご法度。
さっと注文して、「はいよっ!」と
ぱっと出てくる店ではないのだ。
せっかちな人には決してお薦めしない。
とにかくゆっくり味わいながら
焼肉を楽しむ時間を過ごす。
そんな雰囲気の店なのだ。

して、肝心のお肉。
肉質は素晴らしい。
特にタンは驚くほど分厚くびっくり。
きっと、昔からの
よい仕入先を持っているのだろう。
そして、最後に〆る中華そば。
これがまたいいのだ。
焼肉をお腹一杯食べた後でも
ちゃんと別腹で入るものだ。
特段驚くような味ではないが
昔ながらの普通の中華そば。

とにかくスローでエレガントな
やき肉&中華そば屋さんだ。
ほんに不思議なお店。
電停土橋駅近く。
広島の焼肉も奥が深いのだ。

■やき肉 西三代
 広島市中区堺町2-6-11
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わたしの酒呑録 豊の秋

2009年08月17日 | eau de vie

出雲は松江の酒である。
以前、松江で飲んだとき
わりと地元で飲まれている酒だと聞く。
だからお土産に豊の秋を買った。
雀と稲穂の図柄が印象的なラベル。


日本酒度+2 酸度1.6
山田錦65:改良雄町35
出雲杜氏 上濱智信氏とある。

ふくよかでなかなかしっかり
日本酒らしい味わいの
所謂、コクのある酒だ。

■特別純米酒 豊の秋 雀と稲穂 720ml
 米田酒造 松江市南田町41

“平成20年広島国税局清酒鑑評会の
純米酒(燗酒の部)で金賞受賞。
「ふっくら旨く、心地よく」の
豊の秋の酒造りのモットーを
最も忠実に表現しています。
ご飯を噛みしめた時のような
やわらかな旨味を
芳醇で落ち着いた香りが引き立てます。”
とな…(HPより)
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盆の墓参り 蝉しぐれ

2009年08月14日 | slow life

盆の墓参に出かける。
山間にあるこの暮園は案外涼しかった。
山を抜ける風が気温を下げるのだろう。
都会のよどんだ暑い空気に慣れてたから
おやっと、意外に感じてしまった。
毎年の手順で墓を掃除する。
水をくべ、雑草を払い
墓石をごしごしこする。
そして持って来た花を供えた。
薄黄色の百合がひときわ美しい。

全てが整ってから、最後に
父が好きだったお酒、そして
母が好きだった珈琲を供える。
蝋燭を左右の蜀台に灯し線香を立て
墓石に向き合って手を合わせた。
気持ちがあらたまる瞬間。
心の中で、あの世で元気かと声を掛け
最近の我が家の暮らしを報告し
まだ成就していない事をお願いし
末永く見守って欲しいとまた願う。
なんとも一方的でわがままな懇請だ。

「やれやれ、鬼籍の親にまだ無心?」

小さい頃は答えてくれた親も
今はもう、何も言ってはくれぬ。
そういう時に、やはり
親がいない寂しさを実感するものだ。

もうすぐ夕暮れ。静かな山。
都会では見かけないミンミン蝉が一匹
あたりに響くように鳴いていた。

墓参り 親に頼むや 蝉時雨  拙私有
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お知らせ

2009年08月13日 | slow life

いつもご愛顧賜りありがとうございます。

さて、永らくご覧いただいております
拙私blogですが、どうやら期限までに
レイアウトを
変更しなければならなくなりました。
本日より新しいレイアウトになります。
長年なじんできたフォーマットなので
文字の大きさや書体など、わたしも
ちょっと違和感があるのですが
どうぞご容赦くださいませ。

右の欄上段に
文字サイズ変更モジュールがあります。
希望の文字サイズにてご覧いただけます。
また、お知らせとかgooおすすめとか
一切のPRを排除したいのですが
どうやらそれはままならないようです。
あしからずご了承くださいませ。

やっと、夏将軍が
おでましになるのでしょうか。
ご自愛のほど、切に。
お祈り申し上げます。
今年もそれぞれの
夏の思い出を
お積み重ねくださいませ。

                 店主敬白
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あの日の浪漫デカダンス

2009年08月12日 | cocoro

“こうして手短かに語ると
さしたる大きな難儀も無く
割りに運がよく
暮らして来た人間のように
お思いになるかも知れませんが
人間の一生は地獄でございまして
寸善尺魔とは
まったく本当の事でございますね。
一寸の仕合せには一尺の魔物が
必ずくっついてまいります。
人間三百六十五日
何の心配も無い日が
一日、いや半日あったら
それは仕合せな人間です。”
(ヴィヨンの妻より)

この夏、久しぶりに太宰を読む。
生誕百年で書店に並ぶ彼の本。
浪漫デカダンスという概念に
憧憬し続けたあの十代後半の日々。
人間失格。
当時の装丁本の復刻版がある。
浪人時代に東京に滞在した時
吉祥寺のとある書店で見つけた。
当時、吉祥寺にある大学を受けた。
ただ、武蔵野に住んでみたい。
そう思って受験した大学。
幸い合格したが結局京都に決めた。
太宰的下降指向に憧れた武蔵野だった。
しかし、受けたその大学は
下降指向には似つかない。ある経済界に
人材を送り込む定評の大学だったのだ。
自己矛盾というか日和見というか。
所詮プチブル気取りだったのだ。

トカトントン…。
時々当時を思い出すと私の頭にも
そのような残響がこだまする。

生誕の彼の地では
娘婿が政治家を引退し、その子
つまり太宰の孫が立候補すると言う。
世襲の批判を受けながらも。
でも、私的には
その政界ニュースと太宰が
僕の中ではどうしても結びつかない。
寸善尺魔とは
いったいどういう意味なのだろうか。

そういうことなら
小説家も政治家も同じかも知れないなあ。
そういう私も同じ穴のむじなだ。

(写真)高速バスから大山を望む
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