国立文楽劇場へ4月公演を観にゆく。
久しぶりの文楽観劇である。
さすがに観客の年齢層は高かった。
演目は、絵本大功記(えほんたいこうき)
夕顔棚の段、そして尼ケ崎の段の二幕。
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)は
紙屋内の段、そして最後の伊達娘恋緋鹿子(だてむすめ
こいのひがのこ)はお七の火の見櫓の段であった。
借りた解説のイヤホンと字幕で筋立はよく解る。
繊細な人形遣いに今更ながら感嘆してしまう。
しかし後方の列での観劇だったので、人形の仕種は
いまいちよく見えなかった。やはり人形浄瑠璃は
前列でみるのがいちばんである。
春の京のをどりとは。
祇園甲部は都をどり。宮川町は京おどり。
先斗町は鴨川をどり。上七軒は北野をどり。
それぞれ3月後半から5月にかけて開催される。
ただし五花街の内、祇園東の祇園をどりだけは
唯一秋の開催となっているという。
宮川町の京をどりはまだ見ていないので
一度見てみたい。ちょっと聞いた話では
若くてなかなか美人揃いらしいとの噂。
春の京都が一番好きだ。
秋の京都はあまりにも観光客が多すぎる。
花見小路の雪洞がなんとも言えぬ。
まさに朧夜である。
(写真は2014年都をどり)
駅前俳句講座が4月から始まる。
本日の兼題は“チューリップ”
誰もが知っている花。だから
誰もがイメージしやすい。
さてさて、この花、どう詠みましょう?
類句が多そうで、案外難しい。
季題の本意という。
その季題(季語)が本来
持っているイメージ、コンセプトを
本意という。と、私は解釈している。
ではチューリップという季題の本意は?
う~ん、これは難しい。となれば
素直に詠めばいいのだ。
翳を置く色には非ずチューリップ
淡路島へ。春光が眩しい。
島の某所にきみまろのポスターが。
きみまろ、淡路島に来る!
ショーを観てみたいなあ。
自虐の笑いで、自分をあざけり
もやもやを一気に吹き飛ばしてみたい。
「ユーモアの源泉は悲しみにある。」
私の好きな言葉だ。
中高年になれば、この言葉の意味することが
よく解る。そう、小生も立派な中高年なのだ。
2015年、今年も造幣局の通り抜けへ。
会期は4月9日から4月15日までの一週間。
この日は天気が良く青空に種々の桜たちが
競うように咲き揃っていた。
今年、印象的だっ光景は
警備の人が声高に自撮り棒はダメと
声を飛ばしていたこと。そして
前も後ろも外国人ばかりという
その外国人観光客の圧倒的な数。
日本人より多かったのではないか?
と思うほど。ひっきりなしにかかる
呼び出しのアナウンスは、すべて
たどたどしい日本語の次に中国語が…。
桜の真下で、何回もモデルになったみたいに
さまざまなポーズをとって、嬉しそうに
写真に納まる外国の若き女性たち。
そんな喧噪をよそに、私は
この日の桜の情景を一句に。
出来た句を投句箱に投句して、帰路は
大川の河畔をソメイヨシノの花吹雪の中
居並ぶ露店の食べ物の匂いを嗅ぎながら
歩く。西行が愛した桜は何処へ。
時代の流れを感じさせた今年の通り抜けだった。
外国語飛び交ふ花の通り抜け
※写真の女性は本文とは関係ありません。
最近、ここのナッツを会社帰りに
よく買って帰ります。
アーモンドにピスタチオ。いろんな
ナッツにビーンズがあって
見ているだけでも楽しい気分。
ジャイアントコーンもありました。
これは好物。バーボンによく合うのだ。
■Nuts DOM (ナッツダム)
大阪市中央区淡路町4-2-16
3月のとある某日、上京する。
この日は私にとって特別な日である。
その私を祝福するかのように、一穢(いちえ)
なき快晴の空に、残雪の冨士がくっきりと
聳えていた。これから霞がかる春にあって
新幹線の車窓から、このような姿の富士山が
見えるというのは珍しい。
一穢なき空に峠(そばだ)つ春の冨士
公園の小流れに寄り添うように
花韮(ハナニラ)が咲いていた。
薄紫がかった白い六花弁。
花韮はアルゼンチン原産とか。
葉を傷つけると、ニラのような匂いが
あるのでその名がついたという。
割と何処でも見かける花だ。
花韮や小さき風に小さく揺れ
ラッパスイセンが満開だった。
淡路島、淡路市多賀の「水仙の丘」」では
100,000本が満開とになるという。
写真は小学校の外壁の植え込みに
咲くラッパスイセン。この花を見ていると
何故かいつもスイセンたちがおしゃべりを
しているように見えるのだ。
放課後の尽きぬおしゃべり黄水仙