椿があちこちで満開になってます。
俳句では結構人気があって詠まれる花ですが、どうも今、世間は桜の話題で持ち切り。あまり注目されることはないようです。
どのテレビでも桜の話題一色。視聴者の思いを代弁するというのがメディアの役割でもあります。とは言え地上波のどのチャンネルを廻しても、ワイドショーなんかでレポーターが嬉々として中継している様(これも大概上野恩賜公園)は、やはりオールドメディア感を感じないでもありません。
マスコミ(=オールドメディア)が第四の権力と言われた時代は、もう過去のものとなりつつあるのかなとふと思うときがあります。とは言え小生もジャーナリズム論やマクルーハンのメディア論などを学び、オールドメディアの世界を生業としてきた人間のひとり。偉そうには言えまい。
小生はSNSも一切やらないので、そういう意味では私のアイデンティティの立ち位置は、今も立派にオールドメディア側。つまりそう。取り残されてゆく側なのです。でもしかし。取り残されていく側だからこそ、風雅の道は見えると思っている人間でもあります。
私の好きな詩の一節をここに…
九龍のホテルのバーで ツアー仲間の日本人とスコッチを飲みながら 経済大国日本の黄昏 中国の夜明けなどを夜更けまで論じあった。もう暮れてしまったアメリカの パスポートを持つぼくの主張はただ「黄昏の方がきれいだ」というもの(アーサー・ビナード「香港 一九九五年より」)
椿は山で、藪で、寺社の境内、そして民家の庭先で閑かに咲いています。