陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

とうふとあなご料理

2023年01月31日 | slow gourmet

芹さんに紹介してもらった店へ。
五十鈴川河畔にある古民家風の店であった。



小上がりの二階の座敷へ。ここからは五十鈴川の
見晴らしがいい。ただ内宮の五十鈴川とは違って
眼前は参詣のための駐車場になっているため
あまり風情のある景とはいかなかったが…。

ここは伊勢とうふ料理と国産あなごの
創作料理が名物の店である。
吾は寄せ豆腐膳に穴子の天ぷらを所望。
お連れはあなご叩き寿し膳を所望し申す。
とうふはまずはそのまま生で。次は天然塩で。
最後は薬味でいただく。さすが自家製。
濃厚な作り立ての味わいであった。



五十鈴川けぶらせてゐる寒の雨

■五十鈴川河畔 とうふや
伊勢市宇治浦田町1-4-1
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おはらい町通りからおかげ横丁へ

2023年01月27日 | slow journey

“伊勢神宮への参詣は、お蔭まいり、お伊勢参り
抜け参りなどと呼ばれ、日本人の旅行文化の
始まりと言われている。”とあった。
なるほど。さもありなん。江戸時代には
数百万人が伊勢を目指したという。
当時、お蔭まいりは庶民の憧れであり
一生に一度の夢の実現であったのである。
今で言うインバウンドのようなものだな。

さて、お伊勢参りの楽しみは何と言っても
やはりおいしいものを食べてお土産を買うこと。
この通りもウィズコロナのフェイズになって
やっと活気が出てきたような感じである。
伊勢うどんあり。てこね寿司あり。赤福あり。
太閤出世餅あり。そして松坂牛あり。コロッケあり。

 

おかげ横丁をぶらりと周回する。

 

おかげ横丁に来たときは、山口誓子俳句館に寄って
一句投句して帰ることにしている。
今回も即吟の句を一句投句箱に入れました。
さて、入選するかな?これも楽しみのひとつ。



ぶらぶらしていたらやはりお腹が空いてくる。
今回は芹さんから紹介してもらった店へ。
これもまたまた楽しみである。つづく。
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伊勢神宮 内宮へ参詣

2023年01月26日 | slow journey

数年ぶりの伊勢神宮。
鳥居を抜ける度に一礼をしつつ
五十鈴川に掛かる宇治橋を渡る。
神苑を抜けて手水舎へ。手を浄める。
しかし樹齢千年かと思うほどの
立派な杉木立がいつ来ても素晴らしい。
やはり粛とした気分になる。やはり
伊勢神宮は名にし負うパワースポットだ。
磴を登りいよいよ淑気満つ御正宮へ。



二礼二拍手一礼。
敬虔な気持ちで参詣をする。
ここは石段の下では撮影ができるが
上では撮影は不可なのをうっかり失念していた。
やんわりと止められてしまった。失礼。

お参りを済ますと何処か安寧とした気持ち。
古来、日本人にとってお伊勢参りというのは
一生の内でいつかは参詣したい。
言わば念願であった。解かるなあ。
私もやはり日本人なのだと実感する瞬間だ。

さて、今年はどんな年になるだろう。
禍福は糾える縄の如し。ではあるが
例えどんなことがあっても人間万事塞翁が馬。
ひとつひとつ真摯に対応しながら前を向いて
進んでいこうと思う。

淑気満つ伊勢千年の杉木立
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駅の風景 宇治山田駅

2023年01月25日 | slow culture

特急「しまかぜ」は定刻に宇治山田駅に着く。
伊勢市駅を出てすぐである。
伊勢神宮の内宮へは五十鈴川駅が近いのだが
特急は止まらないのでここで下車。

宇治山田駅は近鉄の駅のなかでも格上の駅とか。
それは天皇陛下がご利用される御幸列車が止まる駅
だからと聞いた。なるほど。天皇陛下も
伊勢神宮にお参りの節はこの駅で降車されるのだ。
そういえば駅舎もどことなく風格があって
レトロっぽくて素敵な佇まいである。

門司港駅も私の大好きな駅だが、やはり
駅舎というのはこういうレトロっぽい感じがいい。
旅はノスタルジーなのだから駅もテーマパークだ
と私は思っているのである。だからどうも最近は
ショッピング街併設のどこもおんなじ金太郎飴みたいな
再開発の駅が増えてがっかりしているのだ。



さてここから三重交通のバスに乗って内宮へ。
およそ20分くらいで到着だ。この日は
雨催いの空であったが何とかもってくれそうである。
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しんしんと雪

2023年01月24日 | slow life

十年に一度の寒波襲来とテレビのニュースは
しきりに繰り返した。だいたいひつこく言えば
やはり事故とか災害は少なくなるから当然だ。

暮れてくると私の住んでいる処も
雪空になったかと思うと、あっという間に
雪が降り出した。粉雪というほどの雪では
なかったけれど積もりそうな雪であった。
車のデジタル表示の温度計は3℃から
1℃になり、ときに0℃を示していた。

夜、すこし降り止むと、数人の若者がどこかから
現れて、うっすらと積もった公園にしきりに
足跡をつけていた。この気持ち解かるなあ。
家人がバルコニーの手摺に積もった雪を丸めて
ミニ雪だるまを作った。オンザロックにしたら
と勧めたら、さすがにそれは厭だと言う。
まあ登山で雪で割るウィスキーはうまいが
都会に降る雪ではちょっと逡巡してしまう。
このミニ雪だるま、翌朝の午前中にはもう消えて
しまっているのだろうか?

降る雪や幼なに戻る吾がこころ
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お伊勢参り しまかぜに乗る

2023年01月23日 | slow journey
初詣ではないけれどお伊勢参りへ。
近鉄の大阪難波駅から特急「しまかぜ」に乗る。



このしまかぜはやはり人気の特急である。
前方が見える一号車はやはり満席であった。

名張、松坂を定刻に通過して
一時間四十分ほどで宇治山田駅に着いた。
やはり列車の旅はいいものだ。

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早梅に出逢う

2023年01月22日 | nonoka

今年初めての梅を見つけました。
早梅です。
梅は古来より日本人に愛されてきた花。
万葉集では二番目に多く詠まれています。
では、一番は何でしょう?答えは萩です。
ちなみに桜は五番目なのであります。

別に探梅をした訳ではないのですが
偶然見つけました。
梅は基本、春の季題なのですが
早梅は冬、一月の季題になります。
探梅も寒梅、臘梅も冬の季題となります。

早梅はホトトギス新歳時記によると、
“暖かな地方や南面の日溜まりなどで
まだ春にならぬうちに咲き始める梅をいう。
冬至のころから咲き出す特別な種類の梅もある”
とあります。

早梅の枷を解きたる日のぬくみ

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大寒の京都へ

2023年01月20日 | slow journey

ふと、京都に行きたくなったので
一路阪急電車に乗って京都河原町へ。
とりたてて寺社めぐりをする訳ではなく
河原町の三条四条、鴨川辺りを独りぶらぶら。

京都は学生時代に四年間、そして会社員時代に
八年間を過ごした地だ。京都の良い所は
何より街があまり変貌しないところだ。
もちろん所々は変貌しているのだが、
四十数年前とは街の風貌もお店もほとんど変わらない。
だから安心してこうして時々過去を探しに戻れるのだ。

久しぶりに鴨川を歩く。

 

学生時代のことだが、この三条の川縁で
コンパの酔いを醒ました。そして興に任せて
ていうか酔いに任せて、この川の中を
向こう岸までふざけて渡ったこともあった。
もう半世紀近く前のことである。

この日は欧米系の観光客が目についた。
インバウンドは戻りつつあるのを実感。

三条先斗町近くの京都王将で遅めのランチを。
ここは学生時代によくお世話になった店だ。
学生にはありがたい店だった。あと天下一品も。

鳩居堂に寄ったあと、南下して四条を渡り
フランソワを見ながら村上重本店へ。
お土産に漬物を少し買った。

 

大寒の一と日、そんなに底冷えのする日ではなかった。
ときどきこうして四十数年前の足跡を探しに訪ねる。
そんなとき京都は変わらず迎えてくれる。そこが
とても癒される街なのである。そういえば
京都は学生にはとても優しい街であった。
たぶん今でもそうなのだろうと思う。ただ
商売するのは案外難しい街だ。でも懐に入って
認めてくれれば(これがなかなか難儀だが)
長く付き合ってくれるのである。

 
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さらば遊園地

2023年01月19日 | slow value

神戸市役所北側の壁面パネルに
「七十年ありがとう これからもよろしくね。」
というキャッチコピーで
王子動物園の動物たちや遊園地での数々の
市民の思い出写真が並んでいる。

王子動物園は1951年開園。
今年2023年で開園72年を迎える。
市の計画によると再整備の方針が決まっており
遊園地は廃止となり都市型の動物園になると言う。
遊園地跡地は立体駐車場に整備されて。
王子公園には大学も誘致されると言う。

動物園は子どもたちの楽園である。
いや、大人になってもやはり楽園である。
俳句の吟行などで行ってもみんな楽しそうだ。

廃止になる遊園地。
王子動物園の遊園地は、今となっては
その規模もアトラクションの全然ちゃちいと思う。
けれども、あの観覧車もジェットコースターも
飛行船もたいしたことはないけれど、それでも
我々子ども時代にはとてもお世話になった遊具たち。
いっぱい思い出の詰まったセンチメンタルバリューだ。

それにしても遊園地がなくなるなんて残念だなあ。
遊園地も残してもらえないのだろうか?
あの回転木馬が、もう記憶の中でしか
楽しめないのはやはりとても寂しい。
そんな思い出だけで残せるほど財政は
豊かではないのは解かっているけれど…。

今年も動物園吟行をして、みんなでまた
あの観覧車に乗りに行こうと思う。
無くなると聞けば行きたくなるのが人情である。

春を待つ心回転木馬にも

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阪神忌 二十八年目の祈り

2023年01月17日 | cocoro

今年も東遊園地に行きました。
神戸っ子にとってこの日は一年の内で
もっとも忘れてはならない日です。

東遊園地は整備の工事をしているのか
例年とは様子が違っていました。
今年も記帳と献花はありませんでした。
ちょっと残念な気持ちになりました。

希望の灯りに祈りを捧げました。



あの日、三歳だった二番目の我が子も
今年は三十一歳になります。聞けば
あの震災のことを三歳でも記憶があると
言います。忘れはしません。あの日の前日
長子は先輩の六年生が引退して、新チームの
デビュー戦の日でした。ピッチャーとして
デビューして、その日の夜は今年は頑張ろうと
家族みんなでお祝いをしたのでした。
そして就寝して未明、あの地震に襲われたのです。

どんと突き上げがあって、それからは想像を
絶する破壊でした。その破壊が終わってそれぞれ
別の部屋で寝ていた家族の名を呼びました。
声が返ってきたので安心しました。

家具という家具はすべて倒れて食器はこなごな。
冷蔵庫も倒れて、液体や卵が割れて散乱してました。
その時は気づきませんでしたが、硝子で足を切って
血を流しながら家族の安否を確かめました。

当初、近所の人もみんな、震源地は淡路神戸だとは
まったく思いませんでした。
どこか和歌山か大阪なんだろうと話して合ってました。
ここでこんなにひどいのだから、きっと震源地は
想像を絶するのではないかと語り合ってました。

しばらくすると南の民家からちょろちょろと
炎が上がってきました。それがやがて
燎原の火のごとく広がっていきました。

余震が何回も続きました。それから親が心配になって
無事だった車で国道二号線を走りました。
新在家辺りに来ると、阪神電車の高架は落ちてました。
火事の炎で車の窓が熱かったのを覚えています。
まるで戦時下の空襲とはこんなんだったんだな
といやに冷静に思ったことが鮮明に記憶に残ってます。

昨日まで元気でいた我が子の同級生が数人
亡くなってました。あの時の少年野球の
監督も家の下敷きになって亡くなりました。
昨日まで普通に居た人が突然この世から消える。
このことは少なからず私の死生観に影響を与えた
ように思います。

あれから二十八年。この日になると
あの日あの時の記憶が鮮明に甦ります。

そして亡くなられた人のことを忘れずに
精一杯思い浮かべるのです。



鎮魂のトランペットや星冴ゆる
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