“だが、33年7月(緑石は)不慮の事故に襲われる。
海で農学校の水泳訓練があり、沖でおぼれた同僚を
救助しようとして心臓まひで亡くなったのだ。
緑石の死去2ヵ月後、賢治は37歳で亡くなった。
枕元に残されていたのが「銀河鉄道の夜」だった。”
(日経10/24付文化面記事より)
これは鳥取・倉吉の俳人・詩人であった
河本緑石氏の研究を行っている波田野氏の
寄稿文からの抜粋である。
河本緑石と宮沢賢治は盛岡高等農林学校で出逢う。
寄宿舎で1級上が宮沢賢治だったらしい。
学校では同人誌を発行する仲でもあった。
波田野氏は確証は何もないが
「銀河鉄道の夜」のカンパネルラと緑石氏が
奇妙なほど一致していると指摘している。
きっとジョバンニとカンパネルラは
死を予感した賢治が互いを投影させたんだと思う。
銀河鉄道に乗って二人はあの世で邂逅したのだ。
種田山頭火は
緑石の死を悼み以下の追悼句を残している。
“波のうねりを影が泳ぐよ”
“夜蝉がぢいと暗い空”
(写真)呉線・瀬戸内マリンビュー車内の調度品