陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

8月31日 わたしの夏決算

2007年08月31日 | cocoro

今日で八月が終わる。
暦の上でも、ブログの上でも
ここで一応
夏にお別れすることにしよう。

今朝の中国新聞によれば
“中国地方では
観測史上最高の更新が各地で相次ぎ
猛暑日は広島市内で七回を数え
八月中旬の最高気温の平均は
平年を2.8度上回る35.1度だった”という。

わたしのクロニクル…。

亡き母の一周忌と納骨を無事終える。
変わらないものに気付く。
8・6原爆の日に初めて参加。
その日の厳粛さや聖なる雰囲気に圧倒される。
摩耶山と屋島に登る。
自然の壮大さに畏敬を感じる。
この暑さで体調を崩しヘルペスに悩む。
さして何もしていないのに
暑さに衰えていく体を痛感する。

事情でBarを閉め、今は工員をしながら
再チャレンジを目指しているマスター
そして今は不動産管理と家賃収入で
悠々自適な高校時代の友人
対照的なふたりとそれぞれ飲む。
持てる者と持たざる者との格差に
暗澹たる気持ちを抱く。
しかし前者とは、また会いたいな
飲みたいなと強く思う。これは
認知的不協和の理論?…と自己分析。

高校野球の佐賀北に興奮し感動しながらも
地元広陵に同情する自分。大衆の贔屓が
大きな運気となって審判をも味方に?
その目には見えない気の力を実感する。

そんな夏だった。

■屋島にて(写真)
お土産屋さんのウィンドウを覗く
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たそがれの願かけ提灯

2007年08月30日 | slow life

夏の夕暮れ
暮れなずむ空の藍。

街路樹に飾り付けられた提灯の数々
ゆらりゆらりと揺れていた。
よく見ると提灯には、それぞれ
願いを書いた短冊がつけられている。

願い事は人の数だけある。
この夏、願いが叶った人
叶わなかった人…。
提灯は等しく平等に揺れている。
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07夏の記憶Ⅲ モネの世界

2007年08月29日 | slow life

山頂を走る道路から斜面伝いに下る。
谷の底の静かな池。
まるでモネの絵画のよう。
蜻蛉が水面を這うように飛ぶ。
静かな清涼感が体を包む。

すでに秋の気配が漂っていた。
これも
忘れられないこの夏の風景…。
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07夏の記憶Ⅱ お母さんと一緒

2007年08月28日 | slow life

屋島の展望台でのこと。

「ほらほら、川口先生が見えるよ。」
「え~、どこどこ?」
「ほら、見えるでしょう?」

男の子は半信半疑…。
ちっちゃな女の子は疑う風もない。
お母さんの言葉に釣られて
一生懸命望遠鏡を覗く。

これも
今夏の忘れらない風景だった。
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07夏の記憶Ⅰ 氷とかざぐるま

2007年08月27日 | cocoro

今年の夏はとても暑かった。
あまりの暑さにたまらず
四国での営業中かき氷を食べた。
高校生に混じってさくさく食べた。
熱をもったからだが
すーっと冷えていくのがわかった。

今年の夏はよく風が吹いた。
かざぐるまは忙しく
そして涼しげによく回っていた。
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同行二人

2007年08月26日 | slow culture

四国八十八ヵ所を徳島から時計回りに回る
巡礼の旅…四国遍路。
ここ屋島寺でも見かけた。
ほとんど熟年の女性たちであった。

“同行二人”とは
弘法大師さまと一緒という意味だそうだ。
観音様と一緒とかご先祖様と一緒と
書かれていた解説もあった。要は
自分ひとりではないということだ。

昔はそれなりのわけがあって巡礼をする
というのが四国遍路だったらしいが
今は、自分探しとか癒しを求めて
そしてウォーキング・健康のため
という理由で参加する人が増えたと言う。
団塊の世代の定年退職者たちが
さらにブームに拍車をかけると
期待する向きもある。仕事的に言えば
そういう私も期待する向きに入るのだが。

同行二人。
まさしく夫婦でお遍路するというのも
お互いを見つめ直すいい機会かもしれない。
相手をいたわり、気遣いながら
時に休憩し、時に横道にもそれながらの巡礼。
今四国では、お寺に限らず誰でも参加できる
四国美術館遍路なる企画も登場している。
これは宗教的にフリーだからいいかも。

定年退職して
同行二人ができる年齢になったとき
お互い旅ができる関係にあるか?
そして、そのときのための準備は
実はすでにもう始まっているのである。

そういう夫婦でありたいなあ。
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晩夏の屋島

2007年08月25日 | slow journey

夏も終わり頃というのに
衰えを感じない残暑が続いていた。
高松での仕事も終えたがまだ日は高い。
少し足を伸ばして屋島へ向かうことにした。

屋島はやはりかつては島だったらしい。
名にし負う歴史の名所である。
海抜293メートル。
世界最大級の半島形溶岩台地だ。
屋根みたいな形から屋島と名づけられたという。

無人の琴電屋島駅で降りバスに乗り換える。
10分くらいで頂上へ着いた。
途中の見晴らし台で源平の古戦場が見下ろせた。
晩夏の屋島は人影も少なく静かであった。
残暑厳しいこの日は、かげろうのように
眼下の瀬戸内海や高松市街は霞んでいた。

弘法太子空海の84番札所・屋島寺から
土産屋が並ぶ商店街を抜けて獅子の霊厳へ。
途中で小さな素焼きの皿を投げる
“カワラケ投げ”をおばさんたちがやっていた。
釣られて私も200円を置いて小皿を投げてみた。
戦に勝った源氏が陣笠を投げて勝鬨をあげた
という言い伝えにならうカワラケ投げ。
8枚のうち何枚かはうまく風に乗って
一瞬空に向かい、そして大きくを描いて
眼下の雄大な景色に消えていった。
川原の石投げのような爽快感を感じ
年甲斐もなく夢中になってしまった。

「さすが!若い人はよく飛ぶねえ。
わたしらあないに飛ばへんわぁ。」

隣のおばさんのひとりが感心したように言った。
彼女たちもこのカワラケ投げに熱中していたのだ。

「歳とともに、やっぱり
願いが重くなっているのとちゃいますか?」

軽口を返したら、ケラケラとえらい受ける。

「ほんまや、ほんまや!」

と嬉しそうにはしゃぐおばちゃんたち。
旅はひょんなことで袖触れ合うものだ。

この人たち、そして今日お寺で
出くわしたお遍路さんのご一行といい
熟年の元気おばちゃんたちが目に付いた。
時間があってお金があって友がいる。
私もあと十数年したらこういう旅を
楽しめるのかな?とふと思う。

“屋島より見る瀬戸の島ほのぼのと
みな青雲に浮く景色かな” 与謝野寛

「青雲かあ。」

懐かしい響きの言葉だ。
青雲の志なんて言葉あったなあ…
昔の卒業文集での常套句だった。
今は見たこともない言葉になってしまった。

この日の屋島…。
霞がかって、まさに瀬戸の島々は
青雲に浮いているように見えた。

私の晩夏の屋島である。
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広島・もうひとつの八月

2007年08月21日 | slow works

夏の甲子園は宴たけなわ。
広陵高校が準決勝を勝ち上がった。
にわかに広島が盛り上がってきた。

地元新聞社よりFAXが届く。
“広陵高校 夏の甲子園優勝(準優勝)
おめでとう企画”と銘打たれていた。
広陵高校自身、
準優勝した昭和42年以来の決勝進出。
実に40年ぶりとか。
優勝となればもちろん初だ。
決勝の翌日の地元紙にはずらっと
満艦飾のお祝い広告が並ぶだろう。
こうなれば優勝してもらいたい。
私が広島に赴任した年に優勝なんて
とても印象深いし、時が経てば
忘れられない思い出になるだろう。
何より広島が盛り上がって欲しいのだ。

明日の決勝が楽しみ。
なんとか我が社も貢献しなくては…。

■写真はイメージです。
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初秋の摩耶山

2007年08月20日 | slow life

まだまだ残暑厳しい日曜日。
下界を避けて山へ登ろうというわけで
夕方になって摩耶山へ出かけた。
熱中症を避けて夕方四時過ぎに立つ。

阪急六甲まで日陰を選びながら歩き
そこからバスと摩耶ケーブルカー
そしてロープウエイを乗り継いで
一気に頂上の掬星台まで上がった。

ケーブルカーが発車すると、すぐに
天然のひんやりした涼風を肌に感じる。
しかし頂上に登ってみて更にびっくり!
摩耶山頂はすでにもう秋であった。
はっきりと秋を実感した初日となる。
人気のあるホテルあたりまで散策。
何組かのカップルや家族連れ…
みんなそれぞれ
ひと足早い山頂の秋を楽しんでいた。

久々に天上寺まで脚を伸ばしてみた。
お寺は立派で昔の記憶とは違っていた。
ここは高校時代、そう今から30数年前に
冬の陸トレで麓から駆け上がって
走った最終ゴール地点だった。
一気に登りつめたあの頃の若さ
今なら確実に倒れているだろう。
そんな懐かしさに浸りつつ
わき道の自然道を散策しながら
森の清冽な空気を一杯吸い込みつつ
しばしの頂上散歩を楽しんだ。

掬星台に戻り着き
眼下に広がる大阪湾のパノラマを眺める。
ここからの眺めは
日本三大夜景のひとつに数えられている。
数人のアマチュアカメラマンたちが
日没を待っているようだった。

下界では雲行きが怪しくなっていた。
雲間がときどき光り雷鳴が遠くで轟く。
しばらくして樹々が揺れ出した。風だ!
風が谷から吹き上がってきたのだ。
そのウェーブのように登ってくる
樹々のざわめきを見ていると
ぞくっとした。山の神だ!
自然の畏怖を感じ鳥肌が立った。

「風が強くなると
ロープウェイは止まるかもしれません。」

駅の係員が言った。
日没のここからの夜景も観たかったが
後ろ髪を引かれる思いで
この頂上の「星の駅」を後にした。
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夕日頃・盛り場微行

2007年08月19日 | slow life

夏休み。
久しぶりに大阪キタの都心へ出る。
梅新あたりの夕景。
結構ビルのクレーンが目に付いた。
やはり景気は好転しているのだろうか。

梅新から北新地へ入る。
長いこと顔出していないなじみのスナックへ。
ママは盆明けから暇だと言う。そして
冷房も新しく変えたのに、お客がいないと
体もかなり冷えてダブルでキツイと苦笑していた。
新しいゆえ確かによく冷える冷房だった。
暑がりの私には嬉しかったが…。

「唄ってね。忘年会用に新しい曲でも練習する?
このカラオケも月極め契約だから
唄っても唄わなくてもお金はかかるのよ。
だから遠慮なくどんどん唄ってちょうだいね。」

「ほんとやね。忘年会なんてあっという間やね。」
「そうよ、お盆過ぎたらあっという間よねえ。」

ママ。昭和二十四年生まれ…。

お言葉に甘えて久しぶりに数曲唄う。
なんのことはない。唄いたいから来たのだ…。
ママも解っているのに、そういう気遣いの
せりふが心にジンと響く。いい店だなあ。

しばし楽しんでからお連れと二軒目に向かう。
とっておきのBarだ。ビルの最上階
ペントハウスのようなバー。やはり新地も
今日は客足が少ないのだろうか。
先客はカウンター隅に一人だけだった。

「あれ?こちらに来ていたんですか?」

三十代女マスターの親しげな第一声。
何故か戻ったようでほっとする。
さっきの店でウィスキーを飲んだから
ペルノの炭酸割りにした。
割るとレモンイエローになる酒だ。
度数もそこそこ。何より薬草が気に入っている。
体にいい酒を少しでも飲みたいという
矛盾した酒飲みのスケベ根性か?

「今日は勝ってます。」

今日のタイガースは定番の話題だ。
そこからどう話しが流れたのか
定かではないが、トイレの話になった。
公衆トイレで洋式に躊躇なく座れて
ウォシュレットできる?
みたいなことを皆で語る。
あとで思えばなんか
馬鹿馬鹿しい話題のような気がしないでもない。

お互い元気で生きている?ことを確認して
とりとめもなく、差し障りもない事を語らい飲む。
知っている人の最近の様子なんかも知る。

「みんなそれぞれ元気で過ごしているのだな。」
きっと私の様子も伝えてくれるだろう。

年に数回ながらも、こうして顔を出し
細くても繋がっている関係を紡ぎ直す。
大事にしなければならないことだと思う私。
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