陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

咲き揃ふ紫陽花

2021年05月31日 | slow life

紫陽花があちこちでかなり咲き揃ってきた。
咲いてみて結構植えられていることに気づく。
紫陽花ってそんな花である。街で見かけるのは
西洋紫陽花と額あじさいと半々くらいかな?

早々と梅雨入りしたが、ここ数日は
すがすがしいほどの五月晴。
湿度も低くて過ごしやすい気候がつづく。

日曜は俳句の大会が無事終了した。
予想を超える参加者を得てほっと安堵。
俳句に限らずイベントというものを
仕事でも長年携わってやってきたが
いつも気を揉むのが動員である。
イベントが終わって収支を計算し
後援関係者に報告書を書いたりしないといけない。
それが終わってやっと一段落である。
と思ったら来年の仕込みもしないといけない。
因果な商売みたいなものだね。

さてさて好天もそろそろ終わって
やがて梅雨らしい雨模様に戻るのだろう。
いよいよ6月。紫陽花の季節である。

ほんたうはお日様が好き額の花
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続 軽鳧の子たち

2021年05月26日 | slow life

住吉川の軽鳧の子たち。この日は梅雨で
水嵩の増した川の真ん中の石に
三羽が身を寄せ合うように固まっていた。
母を待っているのだろうか?
前回見たときは四羽だったが、この日は三羽。
一羽減っていた。
これで六羽から半減したことになる。

上流までウォーキングしてまた戻ってみると
親鳥が戻っていた。親は水の流れの中で
首を後ろに突っ込んで眠っていた。
もう日が沈んでしまったので、今夜はここで
親子ともども寝るのであろうか?

この三羽が無事に巣立ってくれればいいが
それでも無事に成長して一人前になるのは
この中の一羽かもしれない。
あと何日で巣立ちとなるのだろう。
自然界は厳しい世界だが祈るばかりである。
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季題 十薬

2021年05月24日 | nonoka

ウォーキングしていると街角のあちこちで
十薬を見かけるようになった。ドクダミである。

住宅地の民家と民家の間に一画の空き地があった。
家は取り壊されたのだろう。基礎の石組と
水道とガス管がむき出しになっていた。
その空き地に、隣家の影になっている処を中心に
十薬がおびただしく茂り白い十字の花を咲かせていた。

かつてここには家族の暮しが確かに存在していた。
しかし子たちも育って独立し、夫婦二人の
静かな年金暮しとなる。やれやれと思った矢先
伴侶に先立たれる。夫婦ふたりでゆっくり老後を
旅行に行ったり楽しむつもりであったが
人間万事塞翁が馬。老い一人の暮らしとなった。
月日が流れ、一人残された者も寄る年波には勝てず
子に迷惑はかけられないと施設に入居。
それから静かに人生に終焉を迎えた。
起伏は色々あったが、概ね幸せな生涯であった。
遺された家は空き家のまましばらく放置されていたが
相続者によって処分が決定しやがて取り壊された。
しばし佇む私に、十薬はこんなストーリーを
語ってくれた。正に十薬の真骨頂だ。

十薬はこのような空き地でなくとも
大方は溝とか庭の日翳に好んで咲く。
十薬には何となくじめっとした感じや
やや薄暗さを伴うイメージがどうしてもついてまわる。
向日葵のイメージとは全く真逆の花である。
ひまわり娘は聞いたことがあるが、十薬娘
という言葉は、ついぞ聞いたためしはない。

しかし我ら人間にとっては、十薬は疎まれつつも
とても重宝されている草なのだ。
十薬の葉で傷口を覆ったり、ドクダミ茶にして
愛用している人は多いだろう。貴重な薬草なんて
どこか辺境とか険しい崖とかに行かないと
手に入れることができない。そんなイメージがあるが
十薬はどこでも手に入る。そう言う意味では
その薬効という価値に比べて低く見られているようで
何とも割りに合わない可哀想な草花である。
やはりあの匂いが疎まれているのだろうか。

でもこの花、俳人は意外と好きなようである。

十薬の香を重くする雨催ひ
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街の面白看板 蔦のラーメン屋

2021年05月23日 | slow culture

六甲界隈を散歩。
だいたいウォーキングしていると
一万歩の距離感が摑めてくる。
このコースなら7000歩あのコースなら一万歩と。

今日はいつものコースのひとつである阪急六甲
六甲登山口の交差点から西へ下る道を選択。
少し南下すると阪急の線路の北側にラーメン屋がある。
蔦の絡まるラーメン屋さんなのである。
しかし何ともきれいに蔦に覆われているのだ。
蔦の絡まるといえば図書館かレトロなお店
ちょっと雰囲気のある喫茶店といったイメージだが
ここはラーメン屋なのだ。この落差が面白くて
とてもいいじゃ~あ~りませんか。(そう書いてふと
チャーリー浜さんが亡くなったのは、とても寂しいな
と思ってしまった。)

このラーメン屋さん、実は入ったことがないのだが。
神戸のラーメン店では有名なのだそう。
たしか南の灘埠頭の近くにも店があった。
トマトラーメンが有名らしい。
今度は一度食べてみようと思っている。

■ラーメンたろう 阪急六甲店
神戸市灘区篠原中町4-6-14
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うまいもの選 G線の洋菓子

2021年05月19日 | slow gourmet

神戸っ子にとってG線は懐かしい店である。
「ジーセン」と読む。創業は1952年。
昭和27年だから私はまだ生まれていない。
神戸の中山手で育った母にとっては
馴染みの店であったと思う。

ホームページによると「"G 線" の名前の由来は
バッハの組曲を編曲した『G 線上のアリア』から。
またバイオリンの一番太い弦は『G』でそこにもちなみ
『最低線の味を守る菓子屋でありたい。』
そんな思いも込められています。」とある。

G線は私らの世代では喫茶店が有名であった。
おそらく誰でも一度は行った喫茶店だろう。
センター街のG線は神戸の象徴でもあった。
早川良雄さんというアートディレクターを
起用していたところがすごいと思う。
デザインに対する造詣と理解が経営者にあったのだ。
今では当たり前のことだがその先進性に驚いてしまう。

話は逸れるが、今楽しみに読んでいる連載に
月刊「神戸っ子」の横尾忠則さんの
「神戸に始まって神戸で終る」がある。
横尾さんのバイオグラフィーなのだが
これを読んでいても神戸のデザインの先進性を
感じるのである。

さて、久しぶりに生田川近くの本店を訪ねた。
サブレとワッフルを買い求めた。
神戸らしいお菓子なので時々お土産に利用する。
G線は私のセンチメンタル・バリューなのである。

■G線
神戸洋菓子・ジーセンコンフェクト株式会社
神戸市中央区神若通7-2-7
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2021年梅雨入(ついり)

2021年05月17日 | tete a tete

5月16日、近畿地方梅雨入り報が流れた。
平年より21日早く、1951年の統計開始以来
最も早い梅雨入りであるという。
今日は雨雲が低く垂れこめて梅雨らしい
一と日であった。こんな日はただぼーっと
窓の外を眺めているのが好きである。

さて雨の日は何故かゆっくり新聞を読む。
今日の日経新聞の一面記事。
「K字経済」という言葉が出現した。
格差の二極化を示す言葉である。
アメリカでは3月の宝石販売が前年同月比で
約二倍に拡大。反面、3月の家賃滞納者は
約一千万世帯と借り手の約2割だと言う。
富裕層は株高で恩恵を受け、低所得者層は
コロナで失業、家賃も払えないという風に
二極化が顕著になっているのだ。

日本でも非正規社員の比率が高い飲食や
サービス業で雇用調整が進んでいる。
その非正規の3分の2が女性で、平均給与は
正社員の3分の1だと言う。日経のトップ記事
その見出しは「富の偏在 回復に危うさー
格差固定で持続に影」である。
経済格差が教育格差となっている現実。
最近テレビではクイズ番組などで、やたら東大生が
もてはやされている。その東大生の親の所得は
とっくに年収1千万円を超えている。

昭和の時代はみんな貧しくて、それなりにみんな
幸せだったように思う。今のこんな世の中
誰もがいい訳がないと思ってるのではないか?
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初夏・花の風景 立葵

2021年05月16日 | nonoka

葵がもう咲いていた。葵は種類が多いが
普通、葵といえば立葵を言うとあった。

葵は旧仮名遣いでは「あふひ」と記す。
伝統俳句の世界では文語、旧仮名遣いが
基本である。若い人は苦手かもしれない。
これが伝統俳句の敷居を高くしている
という説もあるが、あながち間違いでは
ないかもしれない。しかし文語表現は
短詩型では結構使い勝手の良い重宝する措辞である。
口語だとどたどたとまどろっこしい表現になることも
端的な美しい文字列ですっと表現できることがある。

でも年配の人でも中々旧仮名遣いは難しいのか
苦手な人もいて、又結構間違った表現が散見される。
その最たる例が「香」だろう。
「香」は文語旧仮名では「かをり」と表現する。
しかしほとんどの人は「かほり」と書く。
これは明らかに、小椋佳のあの名曲
「シクラメンのかほり」の影響だろうと思う。

ただ、文語旧仮名は普段は理屈ではなく、おそらく
俳人たちは感覚でほとんど使っていると思う。
つまり文語表現を理屈ではなく体で覚えていて
感覚でぱっと使っているのが実情ではないか。
覚えるより慣れろ。これは数をこなすしかない。

立葵からえらい話が逸れてしまったが
いつも思うのであるが、いったい立葵は
そんなに背を伸ばして何を見つめているのだろう?
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軽鳧の子たち

2021年05月15日 | slow life

軽鳧(かる)の子は夏の季題。
ホトトギス新歳時記では6月の候に載っています。
カルガモの赤ちゃんです。

その軽鳧の子、住吉川で人気を集めています。
その親子が居る辺りはいつも人だかり。
みんなスマホやカメラを持ってその姿を撮っている。

1週間見ない内に軽鳧の子も随分大きくなってました。
でも前回見たときは確か6匹でしたが、この日には
4匹しか見当たりませんでした。
カラスなどの天敵に襲われたり、また病気や餌が
取れなかったりで亡くなってしまう子がいます。
自然界は発達した今の世でも厳しいのです。

人間界も江戸や明治の時代では、兄弟たち全員が
生き残るのは難しかったのですが、自然界は今も
そんな世界を生き抜いているのです。そう考えると
人間界は自然を征服したと奢っていたのかもしれません。
今のコロナの世がそれを証明しているように思えます。

話が少しシリアスになってしまいましたが、やはり
軽鳧の子たちは可愛いですね。見ていて飽きません。
無事に育って欲しいと願っています。

軽鳧の子の列散らばつて集まつて
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食いしん忘備録 豚まん

2021年05月14日 | slow gourmet

昔はちょくちょく買いに行ったことがあるが
ずっとご無沙汰であった。ところが
ハローワークの近くにあったと思い出し
ふと行ってみたらまだ販売していた。というのも
この店売切れると営業終了となるのである。

豚まん六個を買う。1個90円。
小ぶりだが良心的な値段だと思う。

豚まんとは関西圏の呼び名らしい。関東では
肉まんというのだと聞いたことがある。
関西は肉まんとは言わない。関西で肉と言ば
牛肉である。関西で今日はお肉と言えば即ち
それは牛肉ということなのだ。

ここの豚まんは優しい手作りの味である。
何と言っても側が柔らかくて美味しい。
どこかのウィッグのCMではないが
ふわふわというより“ふわっふわっ”の皮。

ごちそうさまでした。

■ぶたまんや
神戸市灘区岸地通1-10-1F
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ハローワーク徒然

2021年05月13日 | tete a tete

ハローワークに生まれて初めて行った。
自宅から歩けば、往復でおおよそ一万歩圏内。
急ぐ時間も無いのでとことこと歩いて行った。

着いたら何と密状態と言えるほど人で溢れていた。
漠然とハローワークという所は、職を探す
中高年たちが多い世界と思い込んでいた。
しかし目にした光景は若い女性たちが多かった。
ニュースで言われている今のコロナ禍の社会の縮図を
見た思いがした。若い女性たちは飲食関係や
アパレル関係が多いと聞く。

そう言えば昨日の日経夕刊の記事で
ビッグイシュー日本代表の方のインタビュー記事が
載っていた。ホームレスの自立を支援する雑誌だ。
その記事で最近は若い女性の販売希望者が出てきた
とあった。ビッグイシューを17年間やってきて
こんなことは初めてと言う。それほどコロナで
単身者や母子家庭の人が困窮しているのではないかと
その代表は語っていた。
この発言とハローワークで見た光景が一致する。
ハローワークでは皆無言だ。ぼーっと立っているか
坐っている人はほとんどがスマホをいじっていた。
職員は超多忙だ。手際良く処理しないと到底
この人数を捌けないだろう。
事務的にならざるを得ないのではないかと思う。
私の番の担当の女性も極めて手際が良かった。
「手際いいですね。」と言ったら、本音のように
「そうしないとこれだけの人ですから。」と言った。

コロナで全てが変わってしまった。
あの阪神淡路大震災の時もそうだったが
今はそれに匹敵するくらいの危機的時世である。

女性進出の時代と巷間言われているが
このハローワークの光景を見ていると
そのようなトレンドを享受している女性は
まだまだほんと一握りではないかと思った。
私もハローワークに来て気づいたのだから
偉そうに言っていても、社会の現実を
知っているようで知らなかったのである。

レールの敷かれた社会からはみ出して気づくこと。
社会的弱者となって気づくことがある。
病気になることも社会的弱者になることである。

ハローワーク徒然。
あるがままを見つめていると気づくことがある。
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