陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

紅葉が終わる頃

2009年11月30日 | cocoro

紅葉もそろそろ終わり。
明日からはもう師走だ。
円高、株安にデフレ…。
それでも年は
加速度を増して過ぎ行くが
景気は年を越せるかな?

紅葉もそろそろ落葉して
次の年に備えて準備をする。
山の季節のように
私たちの経済も回るのだろうか?

不安なひとりごとが
この頃やけに多いような…。
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買いもんとすき焼き 京都日記

2009年11月26日 | slow life

秋の雨そぼ降る京都。
祇園から清水へと歩く。

“今宵会う人みな美しき”
歌人与謝野晶子はこう詠ったが
昨今の京都は
中国人の観光客がやけに多い。
高度成長の国の勢いは違うなあ。

帰路、三条大橋から寺町通りへ。
鳩居堂で葉書と匂い袋を買う。

それからとり市老舗へ。
ここ、秋にはいつも松茸が並ぶ。
店頭を見るのが楽しみだった。
店頭のかごに並ぶ松茸は何せ
うん万円の値札がつく代物なのだ。
その値札にまず驚嘆してしまう。

しかし、今の季節は
もう松茸は終わり、代わりに
千枚漬が並んでいた。私は
千枚漬は村上重のが好みなのだが
お連れは村上重のダシの効いた
ねばねばがどうも苦手らしい。
試食して気に入ったようで
とり市老舗の千枚漬を買う。

それから三嶋亭でお肉を買って
年に一度のすき焼きを食いに
寺町四条のキムラへ向かった。

二階の座敷で食らうすき焼きは
昭和の雰囲気が漂っていい。
昔の牛鍋屋さんのような感じ。
このレトロさは京都ならではだ。
ここのすき焼きは庶民派だが
何故かうまい。三千円の
ロースのコースがおすすめ。
ご飯が二百円。ビール大瓶七百円。
とても明朗会計なすき焼屋である。

きれいなもん見て好きなもん買うて
美味しいもん食べて。
阪急電車乗って。神戸に帰りました。
はなまるな一日でした。おわり。
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雨中の紅葉 京都日記

2009年11月23日 | slow life

六甲駅から阪急電車に乗った。
ぽつぽつと降り出した雨も
河原町に着いた頃には、雨は
本降りになっていた。祇園へ続く
四条通りは、いろんな色の傘の列が
絶え間なく八坂さんまで続いていた。

紅葉を見ようと京都へ来たのだ。
昨年も、ちょうどこの時期に来た。
冷たい雨の中を、傘の列を迂回して
南座から団栗通りへと南下。
大学で四年、会社に入って四年
勝手知ったる京都の土地である。
建仁寺から安井を抜けて清水寺を目指す。
やはり連休のこの時期は
京都はどこも人、人、人である。
産寧坂から清水寺参道に入ると
渋滞の傘の列は動けなくなっていた。
止まっては進みを何度となく繰り返し
やっとのことで清水寺まで辿り着く。

今年の紅葉は、やはりこの雨に
やられたせいもあるのだろうが
あまり良くないように見えた。
ぐっと気温が下がって色づく時期の
雨や雪はどうも色づきを悪くする。
そしてこれも気になったことだが
参道の土産物屋さんは、心なしか
やはり人の入りが悪いように見えた。
やはりこの不景気でかなり売上げが
落ちているのではないだろうか。

帰路はまた産寧坂を下り、高台寺
ねねの道から石塀小路に入ってみた。
石塀小路にはかつて行った店があるはず。
デュランに和田はそのままであった。
デュランは、かつて某新聞社の
支社長がとてもお気に入りだったバー。
喫茶店営業もしているようだった。
和田は確か画廊を併設した料理屋。
まだ景気が良かった京都勤務時代の
あの頃が懐かしく思い出された。

風情溢れる石塀小路を歩き、今度は
八坂神社から祇園新橋へと向かった。
かなり混雑する四条通りを避けて
スナックひしめく呑み屋街を抜ける。
ひしめくテナントビルには
ぎっしり店名のサインが点っていた。
こんなにお店はあるけれど、正直
皆やっていけてるんだろうか?
わたくしごときが余計なお世話だな。

「この路地の奥にね。安参(やっさん)
といううまい生肉をコースで喰わせる
珍しい肉料理屋があるんだよ。」

その店は衝撃的だった。生肉の刺身を
中心とするコース料理は初体験だった。
今まで喰わず嫌いだったが一変した。
来てる客はがっしりした体躯の人が
かなり多かったように思う。
プロレスラーなんかもよく来るらしい。
ここのテール煮込みも忘れられん。
また是非食べてみたい代物である。
精力つきすぎて困るかもしれないが…。

さて、冷たい秋の雨の中
祇園新橋通りを辰巳神社を横目に
そぼ降る雨の石畳を相合傘で川端へと歩く。
川沿いの料亭に点る灯りは温かそうだ。
川端から賀茂川沿いの道を北上。
三条大橋を渡り寺町商店街へと向かう。
かなり歩いた気がする。これからは
京都での買い物と食事である。
これも京都での楽しみのひとつだ。
嗚呼、かなりお腹が空いてきたね。

京都日記、つづく…。
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紅葉の季節 恋人たちへ

2009年11月22日 | cocoro

紅葉のじゅうたんの上で
お弁当を広げる恋人たち。

在りし日のいつしか
こんな日が確かにあった。
その時の光景は今でも美しい。

恋人も順調に育てば夫婦になる。
今日はいい夫婦の日。
いい夫婦っていったいどんな夫婦?
仲むつまじい夫婦?
仲良く手をつなぐ夫婦?
しかし、それらは所詮、いずれも
外見イメージからの連想に過ぎない。

外から見たいい夫婦ではなくて
夫婦自らが感じるいい夫婦とは
何だろう?

いい夫婦になるために言えることは
ありきたりな言葉だが
わたし的には、ただふたつ…
努力すること。そして諦めないこと。
コミュニケーションも努力
許すことも努力
価値観を認めることも努力
努力は水面下の白鳥の水かき
そして水上の優美な姿はその証。
世の中には、悲しいかな
諦めた夫婦が何と多いことだろう。
最も身近な人が空気になっている。

かく言うわたしも、いかんせん
まだまだ努力が足らん。
しかし、諦めてはおらぬぞよ。

恋人たちよ。強い絆を紡げ!
恋心だけで紡ぐ糸は弱い。
恋だけの糸は数年しか持たぬぞよ。
毎年諦めず、コツコツと努力で紡げ!
互いの絆を。

紅葉も 枯れるからこそ 美しい 拙私有

お粗末です…。

(写真)三段峡 出合橋辺りにて
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徳島・市井の中華そば

2009年11月21日 | slow gourmet

久々の徳島だ。天候は晴れ。
今日は神戸から高速バスで向かう。
四国の中でも徳島は関西寄りだ。
神戸からだと三ノ宮ターミナルから
1時間50分で徳島駅まで着いてしまう。
二時間以内ならバスも楽だ。

津田海岸町のとある木材会社へ行く。
打ち合わせを終えたのが1時前。
さて、ここからどうして戻ろうか
と思案していたら(地方では交通がね)
運よくバス停があり申したではないか。
ラッキー!
さらに幸運にもバスが待機していた。
1時間に二本の運行だった。これは僥倖。
どうやらここが始発だったようだ。

「昼飯どうする?」

車内で部下とどこで食べるか相談する。
ふとひらめいて部下に発車まで待機中の
バスの運転手に聞いて来いと命じた。
運転手さんはしばし考えていたが、やがて
うどん屋とラーメン屋を紹介してくれた。

昭和町七丁目の停留所でバスを降りる。

「あそこ。」

うどん屋を指差して
降り際に運転手さんが親切に言った。
しかしやっぱり徳島ラーメンだな。
徳島ラーメンは案外病み付きになる。

バス停近くの交差点を曲がると
くだんのラーメン屋が見えた。
叱られそうだが、プレハブのような
粗末な造りのラーメン屋だ。
これは、何かわくわく。
わたくし、店の外観が看板等で
派手な店は好みではないのだ。

“巧言令色、少なし仁”

的を得た表現ではく、かなり誤用だが
わたし的グルメ版格言なのだ。
ニュアンスはお判りいただけると思う。
孔子さん、ごめんなさい…。

この店はいい店っぽい…。
“中華そば 久豊”と暖簾にあった。
引き戸を開けて中に入ると、どうやら
この店はおばちゃんが切り盛りの店だ。
もう昼時をかなり過ぎていたので
客は近くらしい会社員の二人連れと
初老の漁師風のおじさんだけだった。

品書きはいたってシンプル。
中華そばに、中華そば肉入り。
そして特製味付け玉子入り。
最後に肉と味付け玉子入りが
それぞれ大、小あるだけだった。
ご飯も大、小とある。

私も部下も、中華そばの
肉、味付け玉子入りの大720円也と
ご飯の小100円を注文した。
これなら腹持ちがいいぞ。
午後、精力的に訪問をこなし
私は神戸までの帰路、部下は広島まで
の帰路に十分耐えうるカロリーだ。
なんちゃって^_^;

味付け玉子は食べやすいように
竹串に刺してあった。なるほど。
この濃厚な色合いのスープ。
これが徳島ラーメンである。
チャーシューは薄いが色が濃い。
スープは中華そばの懐かしい味わい。
そして、ご飯がまたとても美味かった。

徳島ラーメンとしては
昔ながらの市井の店かもしれない。
そこがまたドメスティックでいいな。

しかし徳島は阿波うどんも有名である。
今度はうどんにしようかな?
と思うのだが、またまたしばらくすると
あの徳島ラーメンの味が忘れられなくなって
徳島に来たときには、そのラーメン願望が
またピークになっているかもしれないのだ。
性悪オンナに引っかかったような…(^_^;)
罪深い徳島ラーメンなのであった。
それでも殺されはしまい。

■中華そば 久豊
 徳島県徳島市昭和町7丁目20
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同窓生の野菜市にて

2009年11月18日 | slow life

年に一度、この時期
小学校の同窓生が母校に集まる。

地域と学校のふれあいイベント。
さまざまな模擬店が並ぶ。
我が年次は野菜市だ。

この時期だけ集う同窓たち。
大声で呼び込みしながら野菜を売る。
合間に差入れのビールを飲んだり
誰かが買ってきたたこ焼きや
せんべいをつまんだりして
とりとめもないいろんな話をする。

商売じゃあないから野菜は安い。
それでも今年は売れ行きがかなり悪い。
やはりこの不景気を反映しているのだ。
皆、お祭りだからと言っても
必要最小限の要るものしか買わない。
子どもたちもお金を持っていない。
アイスクリームも野菜の隣で売るのだが
これも今までで最低の売れ行きだった。

皆で景気の悪さを心配しながら
自分たちの行く末の話になった。
やれやれ。いろいろあるよなあ。
でも、秋の日曜のひと時。
こうして毎回母校に集まれるのは
幸せな方かもしれない。
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そして仕事が終わり夕陽は沈む

2009年11月14日 | cocoro

今日も一日大過なく仕事を終える。
そろそろ帰ろう。
広島行きの船に乗った。

高速船は
速度を増しながら瀬戸内海を滑る。
疲れた体に心地よい揺れを感じながら
船窓に拡がる内海をぼーっと眺める。
何を思うでもなく何を考えるでもなく。
ただ、精神を弛緩させる時間だ。

やがて船窓の向こうには
さながら墨絵のような島影に
見事に沈んでいく夕陽が見えた。
美しい夕景は、私の疲れた体と
自立神経を沈静化させてくれる。
カタルシス…?
心身がリセットする感覚だ。

仕事が終わり日が暮れる。
そういうシーンを見ることは
今、こうして地球上の自然の中の
小さな小さなひと隅で、確かに
自分が存在し、生きていることを
くっきりと実感させてくれるのだ。
今日もよく仕事をしたねという安堵感と
労働がもたらす人生への肯定感を
確かに肌で感じさせてくれるのだ。

あっ!これって、つまり
自然のリズムなのかな。
自然現象を五感で感ずることは
生きとし生ける人間にとっては
案外、大事なことなんだなあと
最近また、つくづくと
思ってしまった私なのであった。

人は毎日
自然の息吹に触れることによって
自らのホメオタシスを
一日単位でリセットしていると思う。

■広島行き高速船スーパージェット
から眺める瀬戸内海の夕陽(写真)
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安芸の旅人 三段峡をゆく

2009年11月09日 | slow journey

11月の週末、天候は晴れ。
午前8時18分広島バスセンター発
三段峡行き高速バスに乗り込む。
この日のバスはピーク時のため
1台で収容し切れず2台となった。

ぎっくり腰の身で安静療養中だが
三段峡ハイクを決行することに。
何しろ紅葉は待ってくれないのだ。
コルセットを巻いての小さな旅。
気ままな日帰りひとり旅だ。

バスは広島県を北上。
中国道戸河内インターから
午前9時半過ぎ三段峡入口に着く。
地元三段峡交通のお兄さんが
マイクロバスの呼び込みをしていた。
出合橋まで30分でいけると言う。
そこから三段峡の名所、猿飛や
二段滝、三段滝まで歩くから
それまでの時間を短縮できるのだ。

「このバスに乗れば
2時間かかる所を30分で行けますよ。」

との口上。しかし
案内板を見ると出合橋までは
黒淵経由で100分と書いてある。
んん…?
兄ちゃん20分程さば読んでないか?
まあ、三段峡は広いから
一日で全部見るのは時間的に困難。
今日は要所だけ見ることにして
このバスに乗ることにした。
片道700円!
ちょっとボッとらんか…?

マイクロバスの運転手のおじさんが
声がこもる安もんマイクで道中
所々ガイドをしてくれたのだが
声がこもるから聞き辛い。

「あちらが広島一高い恐羅漢山。」

恐羅漢と書いて“おそらかん”
と読む。最初はそう読めんかった。
この山は広島スキーのメッカだ。

「こちらが深入山です。」

これも“しんにゅうざん”
と読む。最初はこれを私は
“ふかいりやま”と読んだ。

「深入山の向こうに臥龍山。」

がりゅうざん?あえてか
運転手は何も補足しなかったが
皆知っていた。昨日
島根県の不明学生の遺体が
見つかった山の名だ。
なんとむごいことを!
やりきれない思いでその方向を見た。

三段峡の紅葉の見頃は
もう過ぎたらしい。先日の
寒波と雪で紅葉はかなり痛んだとか。
それでもまだ紅葉の趣きは楽しめた。

出合橋からいよいよ散策スタート。
峡谷の流れにそって山道を歩く、歩く。
峡谷沿いをへばりつく小径。
かなり狭いところもあった。
ふらつけば崖下の川へドボンだ。
昔、三段峡と言えば
自殺の名所だったとか。
また、中には足を踏み外して
落ちて死ぬ人もいたんだとか。
昨夜の居酒屋で
「明日、三段峡に行く。」
と言ったら、居酒屋の大将が
そう言ったのだ。大丈夫かな?
何しろ腰の状態が悪い。

なんとか無事に歩くと
30分ほどして名所の猿飛に着く。
ここから二段滝まで渡舟に乗る。
高千穂峡の小型みたいな所だ。
エメラルドグリーンの水の色。
そそりたつ岸壁が迫る。(写真)
二段滝は崩落で一段になっているらしい。
秘境と言えなくもないが…。
また渡舟で戻り、今度は三段滝へ向かう。
これも30分ほど渓谷沿いを
アップダウンしながら歩く。
三段滝はなかなか風光明媚だった。
まあ、神戸の私から言えば
布引の滝か箕面を滝のような感じかな。
ただそれらに比べれば、山深いので
そこは深山幽谷の趣きだ。
真っ赤な紅葉が滝に華を添えていた。

帰りは渓谷の河原でしばし休憩。
お弁当やおにぎりをつまむ
家族連れやカップルが
大きな石に腰かけて、それぞれ
思い思いに寛いでいた。

出合橋からまたマイクロバスで戻る。
今度は
三段峡正面口から半時間ほど歩き
女夫淵まで行ってみた。本当は
中国桂林のような風景が楽しめる
黒淵という名所まで行きたかった。
だが、それでは広島行きの
高速バスの時間には間に合わない。
残念だが、これは来年の楽しみ。
次回の機会に訪れることにしよう。

約4時間の散策であった。
少し疲れてしまったのか
帰りのバスでは
かなり舟を漕いでしまった。

安芸の旅人。帝釈峡に続き
三段峡を制覇。次は匹見峡だ。
しかし、五十を過ぎると
季節の移り変わりが
ことのほか恋しくなるのは
何故なんだろうか?

三段峡 猿飛渡舟より(写真)
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秋の読書 夏がくれば思い出す

2009年11月06日 | slow culture

読書の秋。
私の読書法は、至極単純である。
新聞や雑誌や書籍広告で
興味の湧いた本を読むだけである。

夏がくれば思い出すー評伝中田喜直

20世紀を代表する作曲家中田喜直氏。
“夏の思い出”
“ちいさい秋みつけた”
“雪の降る街を”

いずれも昭和を代表する名曲。
シンプルで美しいメロディメーカーだが
中田喜直氏自身は信念をもった
いわば激烈の人である。戦時中は
陸軍飛行学校を卒業したパイロット。
運命のいたずらで特攻隊から外れた。
また嫌煙家としてもかなり有名だった。
街中にBGMが溢れていることも憤慨し、
電車や飛行機内でのBGMを抗議して
止めさせたエピソードも。まったく
気骨の人らしくて興味深い。また
前衛音楽も認めなかった人とある。

何より、中田喜直氏の音楽には
無意味な音がないのだと言う。

“いわゆる鳴らない音という個所がない。
彼の作品の最もすぐれた特徴は
このところである。いわゆる
空虚な音を一音符も書かない作曲家なのだ。
するどい感性が彼の曲にはみなぎり
美しい叙情を紡いでいく”
(土肥みゆき「20世紀の作曲家たち」)

親友の畑中良輔氏の言葉が紹介されている。
美しいものの裏にはやはり
徹底的な努力と妥協を許さない信念が
しっかりと流れているのだなあ。
美しさとは厳しさと表裏一体なのだ。

中田氏は合唱曲も沢山創っているし
依頼されて作曲した校歌も
全国津々浦々数多くあるのは驚きだ。
総作品数は三千曲を超えると言う。

中田氏の命日は水芭蕉忌として
毎年コンサートが開かれている。

夏の思い出…いつか
私も合唱曲で歌ってみたい。

■夏がくれば思い出す 評伝 中田喜直
 牛山剛著 新潮社
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わたしの酒呑録 土佐鶴 本醸辛口

2009年11月03日 | eau de vie

11月に入り、日本列島で
木枯らし一番が吹いた。

寒い(-_-;)
そのせいか?初めて
ギックリ腰を発症してしまう。
夕べ、寒風の中。
はしご酒が応えたか?
予兆は確かにあった。
高をくくっていたら
次の日起き上がれなくなった。

きっと気温低下のせいだろう。
なら、体を温めればいいか?
という訳で
今宵は熱燗に湯豆腐。
熱燗と言えば土佐鶴にしよう。

この酒、日常酒としてはいい。
何しろ呑み易い。
くどくない。
すっきり辛口。

好きな酒である。

■土佐鶴 本醸辛口 1800ml
 土佐鶴酒造株式会社
 高知県安田町1586

クリーンな味わいに抜群な喉越し。
香りスッキリと新感覚です。
淡麗辛口の旨さが活きる辛口の酒。
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