陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

五月の薔薇

2015年05月15日 | slow culture

大阪は靭公園の薔薇が咲き揃ってきた。
ここには薔薇アーチが左右の小径にある。
そこを過ぎて噴水まで数種類の薔薇が
楽しめる。中之島公園の薔薇より
美しいのではないだろうか。

薔薇アーチ君は王妃のごとくゆく
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花の景 小手毬

2015年05月13日 | slow culture

小手毬(こでまり)の花。
別名は鈴懸け(スズカケ)。
歳時記では“小粉団の花”とある。
これを“こでまり”と読むのは難しい。
群がっている感じで咲く花だ。

小手毬の揺れて誘ふ屋敷町
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花の景 シラン

2015年05月10日 | slow culture

シランが軒先や庭先といった
其処此処で咲き満ちている。

まだ小学校にも上がらない幼少の頃
花の図鑑を指さして、花の名前を当てる
というゲームをしていた。誰としたかは
記憶には残っていない。その子の家の二階で
遊んでいた記憶はある。そしてその子が、
図鑑の「シラン」を指さして「この花は?」と尋ねた。
私が、そんな花知らなかったので「知らん。」
と答えたら、なんとこれが大当たりして
二人で大笑いした記憶が残っている。だから
このシランという花は、とても印象深いのだ。
小さい頃の記憶というのは、どうでもいいような
くだらないことを不思議と覚えているものである。

さりげなく高貴な彩をして紫蘭
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十年目のマイライフ・アンソロジー

2015年05月09日 | cocoro

“陽だまりの旅路イスキア”も
今月今年で、十年を迎えることになりました。

このブログの始まりは、子供の下宿先を
訪ねた時に歩いた玉川上水からでした。
当時大学生だったその子も、今では社会人として
第一線を任されて頑張っています。

十年ひと昔といいますが、それだけ歳月が経った
ということなのでしょう。それでもその歳月に
正直十年という長さの実感はあまりありません。
きっとそれは、このブログを使命感からではなく
個人日記のように綴ってきたからだろうと思います。
ときどきはちょっと無理したこともありましたが。
おおむね自然体でやってまいりました。
私の好きな言葉に「継続は力なり」があります。
この格言を愚直に守ってきたのも良かったのでしょう。

このブログを見続けてくれている数少ない皆さま…
この場を借りて厚く御礼申し上げます。

私は自分はアナログ人間でいいと思っています。
人間の遺伝子が真にデジタルに対応できるには
まだ気の遠くなるような歳月が必要でしょう。
現代の肥満が、人類の飢餓時代の経験を
遺伝子がまだ残しているゆえの結果だと
本で読みました。それと同じだと思います。

アナログ人間である私は時間の経過の中で生きます。
そしてその存在をそこに見出しているような人間です。
だから些末なことですが時計は針がないとだめです。

約束の時間に遅れるから、メールや携帯一本で済ます
それで安心して放念するより、どうしようと焦りながら
相手のために対応を考える人間でありたい。
待ち合わせの場所に、時間に、できることならば
普通電車に乗って行き、早く着けばその辺を散歩して
その気づいたこと話してあげるような人でありたい。
美味しいものを食べにゆくのは、内装にお金をかけてる
店よりも、その分を食べ物にかけてくれる店の方がいい。
また、温かい心で、おいしいものをお客さんに
食べさせてあげよう。美味しいもので驚かしてやろう。
そう思ってくれるような主人のいる店がいい。

自然体を心掛けているので、その分じっくりと
書き込むことも少なくなりましたが、これからも
健康と時間が続く限り、サスティナブル(持続可能)
に続けて行くつもりです。そう 何事も人生
「継続は力なり」を実践してゆくためにも…です。

“マイライフ・アンソロジー”は
次の十年へと航海を続けてまいります。
そして変わらずシンプルに、人生の物語を
私たちが生かされている森羅万象である自然を
畏敬の念をもって、花鳥諷詠の心で綴ってまいります。

“今だけ、ここだけ、あなただけ”

このブログを貫く主題はこれからも変わりなく
このブログの本流であり続けます。

ひとすぢと決めて涼しき日となりぬ

感謝を込めて。店主敬白
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花の景 黒臘梅

2015年05月08日 | slow culture

須磨の播水旧居に咲いていた黒臘梅。
正確には黒花蝋梅(クロバナロウバイ)。
庭先に植えられることが多いと言う。
また茶花として活けられることが多い。
臘梅だけあってやはり良い香りがするのだ。

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夏来る

2015年05月06日 | slow life

今日から夏に入る。立夏である。
むくむくと木々の緑が眩しい。
葉桜が揺れ、松の芯が凛と立つ。

ばっさりと髪切る少女夏に入る


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快晴の端午

2015年05月05日 | slow life

今日は端午の日。快晴となる。
それにしても家から見渡す限り
背の高い鯉幟はめっきり
見かけなくなってしまった。
屋根より高い建物が増えたせいで
あまり目立たなくなってしまった
のかもしれない。少子化も影響
しているのかな?

憧憬といふ大空へ鯉のぼり
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五月の季題 花水木

2015年05月04日 | slow culture

花水木が満開となった。
句会の兼題、花水木を探していたら、
マンションの植え込みによく植えられていた。
大方が白だが、中には紅を溶いたような色も。
この花水木、元々はアメリカの木だ。
日本の山法師が花水木に近い。だから
花水木はアメリカヤマボウシという。
みな空を向いて咲くから、横から見たら
平べったく見える。白い花水木が
風に揺れると、まるで蝶が羽撃きながら
止まっているように見えた。

さゆらげば羽撃くごとき花水木
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住吉川のカルガモⅡ

2015年05月03日 | slow life

人だかりのしている地点に着くと
いました!いました!カルガモの親子。

ひい・ふう・みい…なんと十羽。
皆ママにくっついて泳いでいる。
ところが、ママがひょいと堰を飛び越えて
上の段に行ってしまった。そしてそこで
親はじっとしている。子どもたちは
そこまで登ろうとするが、堰を越えられない。
登れないのだ。それがこの写真。きっと、
親は子供たちに試練を与えているのだ。

しかし、この軽鳧(カル)の子たち。
いったい何羽が生き残るのかな?
ここには子たちを狙う鳶も鴉もいる。
人間にとっては都会のオアシスのような川でも
自然は自然。厳しい生存競争が待っているのだ。
がんばれ!軽鳧の子たち。
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住吉川のカルガモⅠ

2015年05月02日 | slow life

好晴がつづく。
久しぶりに住吉川をウォーキング。

川の瀬音を聞きながら歩いていたら
カルガモの番(つがい)を発見。
しばし眺めていても人を恐れる様子は
あまり無さそうだ。通りがかった女性が
持っていたパンやお菓子をちぎって与えると
突如、ぎゃあぎゃあと鳴きながら
カルガモたちの動きがにわかに活発に。
勢い余って上の散歩道まで上がってきた。
これは餌のおねだりだ。

餌を与える人が多いのだろう。だから
もう人に慣れているのだ。しかし
一時の可愛さで餌を与えてしまうことは
いけないことだ。生態系にも良くない。
つい与えたおばちゃんも、「いけないよね?」
なんて言いながら与えていたのだが…。
恐らくこういうお方が大半だろう。
可愛さにほだされて、ついうっかりと
そういう行動に出てしまうのだ。

さらに下流へ行くと、子供たちを中心に
人だかりが…。
どうやらカルガモの親子がいるらしい。
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