陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

一月の空 塀の上の雲

2010年01月31日 | slow life

吉島を自転車で散歩した。

細い道を抜けていたら
突然長い塀に遭遇した。
塀の向かいは民家が続く
普通の住宅地。

塀の上には青い空と高い雲。
この日、空は限りなく碧かった。
どこまでも、いつまでも…。

この塀の中と外であっても
その上に広がる空は変わらない。

向かいの民家から女の子が出てきた。
後からお母さんが見送る。

「気をつけていくんよ。」

お母さんは女の子の後姿を
いつまでも見送っていた。

写真は広島刑務所の塀 
広島市中区吉島町にある。
収容定員1800名。
1945年(昭和20年)8月の原爆投下で
多くの職員や受刑者が被爆、死亡した。
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くいしん忘備録 板魚

2010年01月30日 | slow gourmet

久しぶりに山口での仕事。
新山口駅までのぞみに乗る。
新山口駅というところは
西の要所で郷愁のある駅だが
名前を変更したのは気にいらぬ。
やはりこの駅は小郡と言う名がいい。
そこで、在来線に乗り換えて
山口駅まで向かった。目指すは県庁だ。
県庁所在地の山口市は
四方を山に囲まれた盆地の中にある。
駅から商店の並ぶ道をまっすぐ
県庁はのどかな緑の中にたたずむ。
中四国の県庁の中でも、私には
わりとお気に入りのロケーションだ。

県庁では、必ず2階の売店へ寄る。
ここで酒とかまぼこを買うのだ。
山口はかまぼこの名産が有名だ。
ここで求める板魚がわたしのお目当て。
駅前の土産店では、なかなか
売ってるのを見たことがないので
ここで何故かこれを買ってしまうのだ。

本場萩特産の焼抜蒲鉾である。

“萩の焼き抜き蒲鉾とは
萩沖のエソという地魚を使って
蒸すのではなく遠火で焼き上げた
張りのある独特の蒲鉾のことを言い
遠火でじっくり時間を掛けて焼くことにより
焼き抜き蒲鉾独特のプリプリとした弾力と
つややかできれいな肌が生まれる”
とある。(萩市HP 萩の特産品より引用)

若干、塩味を感じるが
自然な旨味のかまぼこである。
江戸時代に、この蒲鉾を
長州名物として献上したところ
当時の将軍綱吉公がいたく
賞美されたという。伝統の逸品だ。

この焼き抜き蒲鉾。今宵は勿論
あわせて買った地酒
“山頭火”で一献といきましょう。

■萩特産 本場やきぬき蒲鉾 板魚
 有限会社 大草章弘商店
 山口県萩市浜崎新町180
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また日は昇る

2010年01月24日 | cocoro

1月の朝焼け。
この日の
日の出時刻は午前7時6分。
眩しくなる前に撮る。
すでに湾岸にある工場からは
煙がたなびいていた。
風はないのかまっすぐに。

日はまた昇り
そして、工場は動く。
日々の営みはこうして
ろうろうと変わりなく続く
というのに
はて。我々の暮らし
一向に上向く気配は未だ見えず。

煙がいっぱいにたなびく日々は
もはや夢か、はたまた幻か。
まことに小さな国の夜明けは
かように美しいのでござるが
坂の上の雲は遥かに高し…。
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わたしの酒呑録 白鶴 荒駒

2010年01月23日 | eau de vie

全国区の灘の酒の中でも
白鶴は好きな銘柄です。

日本酒通には、小さな酒蔵の
地産地消的生産の酒を良しとする
そんな傾向があるのは事実ですが
白鶴のような全国区の生産をする
酒造メーカーも、やはり
大きな価値があるものだと思う。
生産技術を向上させ、皆に味わって
もらうための不断の努力のおかげで
日本全国に灘の酒を知らしめたのだから。

白鶴の酒の
優しい口当たりも好きなのだが
何よりこの会社の印象がいい。
以前、灘の酒造メーカーを数軒
仕事で訪ね歩いたことがあった。
新規訪問である。
その時の白鶴酒造さんの
対応がとても紳士的だった。
ちゃんと話しを聞いてくれて
あとで返事すると言う。
飛び込み訪問にも拘わらずだ。
セールスマンも仕事を離れれば
一生活者であり一消費者だ。
こういう企業イメージは大切である。
白鶴さんは灘の酒でも
やはり老舗の一流会社の矜持がある。
ちなみに灘中学校を創立した
酒造会社の一つでもある。

今回は知人にもらった、この酒
白鶴 荒駒、純米生原酒。
フルーティな香りで軽そうだが
しっかりと味わいを感じる酒だった。

■白鶴 純米生原酒 荒駒
 平成二十一年産の五百万石
 百%使用の新米新酒。
 720ml 1400円
 
<味わい方>
製造年月日から約1ヶ月間は
「荒々しいしぼりたての
新酒の味わいがお楽しみいただけます。」
またその後約2ヶ月間は
「純米原酒の濃厚でまろやかな
味わいをお楽しみいただけます。」
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今年の誓い おいあくま 

2010年01月20日 | slow life

毎朝、鏡を見て

「おいあくま」

と言って邪気を払う。
今年の誓いにしよう。

実は、この“おいあくま”
ある雑誌の対談で、作家の
藤本義一氏が語った言葉である。
表具職人だった藤本氏のじいさんが
毎朝顔を洗うと、鏡に向かって
「おいあくま」と三回叫んでいた
と言う。それを義一氏は
子どもの頃に毎日見てたから
自分の意識の中に、この言葉が
今でも残っているのだそうだ。

それを拝借。
今年の私の標語として、まさに
この厳しい時代を生き抜くための
戒めの言葉にしようと思う。

“おいあくま”…とは

お … 怒るな
い … 威張るな
あ … 焦るな
く … 腐るな
ま … 負けるな

来年の初春には
このお地蔵さんみたいな
柔和な顔をしているかな?
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十五年目の鎮魂 私のあの日

2010年01月17日 | cocoro

2010年1月17日 日曜 快晴。
震災十五年を迎えた朝は
まぶしいほど晴れた。
見上げればひとひらの雲。
今日はやけに暖かい1.17だ。

あの日は寒かった。
三連休の最後の日だった前日。
少年野球で最年長になった上の子の
最初の試合が篠原公園で行われた。
新チームのレギュラーとして
これからの1年を戦う
その最初の練習試合だった。
忘れもしない。その夜は
家族みんなでその試合を振り返った。
翌朝にその指揮を執った松永監督が
倒れた柱の下敷きになって
亡くなるなんて夢にも思わなかった。
どこか泰然自若とした思慮深い
少年野球の指導者にしては
珍しく品のある素敵な監督だった。

五時四十六分。
下から突き上げるような激震。
気づいたら家の中が
ぐちゃぐちゃになっていた。
真っ暗な中、全員に安否を確かめた。
砕けたガラス片で足の裏を切った。
痛いとは思わなかった。やがて
眼下の公園の向こう岸の木造家屋に
ちろちろとした火が燃えるのを見た。
やげてその火は大きく燃え拡がっていった。
どうすることもできなかった。
そこでも数名の人が亡くなった。

子どもの同級生が亡くなった。
やがてその家族は神戸を離れた。
数年が過ぎ、意を決して家族は
再びその地へ戻ってこられた。
奥さんはなかなか戻れなかったのだ。
戻ってやらないとあの子が可哀想だと
解っていても戻れなかった。
悲しみに再び向き合うことなしに
人は生き続けることは難しいのか。

私の上の子はなんとか箪笥の下敷きに
ならずに助かり、その同級生は死んだ。
その違いをいくら考え詰めても
答えは永遠に見つからない。ただ人の
生き死には表裏一体なんだという思いは
ある輪郭を描いて強くなっていった。
この震災体験で、私の死生観は
どこか厭世的になったのかもしれない。

それまでゴルフに麻雀、酒飲みに
明け暮れていた会社人生が変わった。
ゴルフも麻雀も止めた。
酒は止められなかったが、ただ
新地遊びはほとんどしなくなった。
そういう会社人生一体の価値観が
なぜか虚しいように思えた。

震災の現場で一生懸命、人のために
頑張ってる人たちを見た。
会社で上に立って管理指導している
人たちのリーダーシップとは
全く別物だった。
その正義感から来る迫力と眼差し。
人間力とは学歴や職歴、肩書とは
全く無縁なのであると知った。

激震地であった私の家の前で
行き交う多くの消防車や警察官の人たち。
東北のナンバープレートを見た。
そんな遠くから駆けつけてくれている。
人間の心に誰でもある正義が
人を献身へと動かしている!
私はそのことにとても感動し
その光景が私にある動機付けをした。

4月に入り、いただいた義援金や
お見舞金を原資に、私は毎週末
新幹線に乗って東京まで通い
メンタルケアの講座に通った。
そして、その資格に晴れて合格。
それからの私は主宰する協会に提案し
その年の暮れから、仮設住宅への
訪問ボランティアを資格仲間と始めた。
私も悲しみに向き合わなければ…。
1年間活動を続けた。私には
ただ被災者としてだけ施しを受けながら
生きていくことに抵抗があったのだ。
この活動は、その後、老人ホームでの
痴呆高齢者の対話活動へと発展していった。
だが、老人ホームでも、いくつかの
死と向き合うことになったのだが
もう私は、死というものに対して
ただうろたえるということはなかった。

震災で多くの人が亡くなり、そして
もっと多くの人たちが、死の悲しみを
背負いながら生きている。わが街神戸。

今、私は広島に住む。
広島の八月六日と神戸の一月十七日。
二つの鎮魂の日は
生きていることと生きる意味を
私に気づかせ続けてくれる。
そう。私は、今、ここに
こうして、ただ生きていることで
多くの事に巡りあっているのだ。
死んだ人の歳を数えながら…
感謝の念をいだきつつ。

鎮魂は 平和にありて 思うもの 拙私有

合掌。
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駅前遊学 大衆酒場の名品

2010年01月16日 | slow gourmet

広島、呉、東広島から始まり
山口県は柳井市、光市、翌日は
松山へ入り、また次の日は岡山へ
さらに今週から高松を巡り徳島。
年始の挨拶回りを兼ねた営業行脚。
寒いから体調維持に気を遣いつつ…。

高松で仕事を終え、夕刻
特急うずしおで徳島へ入った。
この日は泊りである。
便利な駅前のホテルへ投宿し
荷物をともあれ放り出して
さて。いざ。徳島の夜に出陣!
と言うほど大げさではないが。

駅前の大衆居酒屋へ向かった。
なんせ翌朝も早い。ここは
駅前留学ならぬ駅前遊学だ。
徳島の幸を遊んで学ぶ…
と屁理屈こねて大衆割烹へ進入。

この店、歴史はありそうだった。
カウンターは長い。鰻の寝床。
その後ろにはテーブル席が並ぶ。
カウンター席には、常連だろう。
ひとり客のおっちゃんたちが
それぞれ思い思いに飲んでいた。

おばちゃんが聞きに来てくれた。
このタイミングも、いい間合い。
こういうのがギクシャクすると
酒がまずくなるのだ。とかく
酒飲みはうるさいのだ。特に
中年期以降には、悲しいかな
そのサガがより顕著に表れる。
さてと。優しそうな
ちょっと品ある顔立ちの
愛想のいいおばちゃん…(*^_^*)
熟女の深情けを感じるなあ。
最初にこういう女(ひと)に出逢うと
当地の印象は格段によくなるのだ。
男って単純である。

「刺身は何あるの?」
「今日は、はまち、ヨコ、イカ…。」

ヨコとはよこわのことだ。
値段は1300円とあった。
阿波尾鶏の鍋が1200円なのに
この値はこの店では超高い部類。
これはいいに違いない!
迷わず注文する。

「それとぉ…。」

小さい声で、隣のおっちゃんが
食べてるものは何かと聞いてみた。

「ああ、あれはきも焼ィ~。」
「じゃあ、それも…とりあえず。」

隣のおっちゃんが食べてるもの
それは鶏のきも焼だった。(写真)

ビールはアサヒのドライ
大瓶一本630円也哉。

さて、このヨコの刺身。
分厚い身が七切れ。
これがやわくて絶品!うまかっ!

で、さすが徳島。
刺身のつまのワカメ。
これが脇役とは言え秀逸もの。
おまけに量もある。感じるなあ。
徳島の矜持というか心意気を。
鳴門わかめの産地の徳島で
わかめがまずくて何が徳島か!
と言っているようで気持ちいい。
大根のケンもおざなりではない。
しゃきっとしたケンで歯ごたえもいい。

隣のおっちゃんが食べてた鶏のきも焼。
醤油だれで焼いた“きも”のなんと
柔らかくコクまろでふくよかなこと。
まるでフォアグラの阿波踊りじゃあ~
なんちゃって。ひこまろ的旨さ!?。
茹でキャベツとの相性もいい。
お腹いっぱいになるほど入って
お代はこれでなんと370円也哉!
へへ…嬉し。

他にも頼みたい品書きが
たくさん掲げられていたが、そう言えば
まだ徳島名物阿波尾鶏を食べていない。
そこで地鶏(阿波尾鶏)の串焼きを
注文して、お酒に切り替える。
熱燗を注文すると

「コップでいいですか?」
と聞く。
「もちろん。」
と私。望むところだ。

先にガラスのコップが出されから
ややあって、おばちゃんが
アルミのタンポから注いでくれた。
表面張力のぎりぎりまで。
いいなあ。こういうの。

焼き鳥は普通と“やわらか”があって
そのやわらかが結構人気みたいで
来る客は結構それを注文していた。

昼からでも飲める大衆酒場。
そこには大衆酒場ならではの
エスプリとペーソスが溢れている。
まるで黒田三郎のような詩人になれる。
一度、鳩さんもみゆたんも
かような処で飲んでみては如何だろう。
と思うわたしなのでした。

阿波尾鶏 串持つ心は 阿波踊り
              拙私有

■大衆割烹 安兵衛
 徳島県徳島市一番町3丁目22
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くいしん忘備録 まほろばクリームパン

2010年01月11日 | slow gourmet

御影クラッセのオアシスで
週末販売している
まほろばのクリームパン。

これはなかなかの逸品。
オアシスで買えるのは嬉し。
カスタードクリームが、本当に
たっぷり入ってまろやかな甘み。
甘さは人を幸せにする。美味し。
小腹が空いたときにうれしいパン。
今は棚に十分あるが、そのうち
すぐ完売してしまうのだろうな。

そのオアシスで、もうひとつ
友人がいたくお薦めの
こんがり小岩井の焼けるチーズを買う。
これはなかなかいけてるらしい。
ワインが何杯も飲めてしまうのだとか。
さっそく賞味してみよう。

いつものスーパーマーケットで
隠れたベストセラーを見つけると
ささやかな嬉しさを
感じてしまうことってない?

■まほろばのクリームパン
社会福祉法人まほろば
三木市別所町小林118
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くいしん忘備録 にんにくポン酢

2010年01月10日 | slow gourmet

“愛媛産には、愛がある。”

愛媛ブランドの農林水産物
統一キャッチフレーズである。
しかして、愛は燦燦とも言う。
そう。愛媛には燦燦と降り注ぐ
太陽の恵みに育まれた品々があるのだ。
だから愛媛に行った時にはついつい
そんな農林水産物を買ってしまう。

私の愛媛でのお気に入りは
佐田岬の水産物、特にひじきと
レモンやみかんなどの柑橘類である。
写真のレモンは、松山の道の駅
「風早の郷 風和里」で買う。
なんと四個で百円の驚き。
もちろん愛媛産の純粋な国産品だ。
やはりレモンは国産がいい。
何よりポストハーベストの心配がない。
安心と安全のブランドである。

中でも我が家でのお気に入りは
このにんにくポン酢。
これがかなりいけてるのだ。
鍋好きの私は
ポン酢をいろいろ当地で買ったり
通販で産地に注文したりしては
自分の口に合ううまいポン酢はないかと
機会を見つけては追求しているのだが
最近はこのにんにくポン酢がマイベスト。
我が家でも評価を勝ち取った逸品である。

酸っぱくもないコクと旨味。
にんにくの匂いはそう気にならずに
だがしっかりと
にんにくの風味と旨味が効いている。

松山に行った折は、伊予高島屋
デパチカで必ず買ってしまうのだ。
当分持つよう二本買ってしまった。
うしし…(*^_^*)

■にんにくポン酢
製造 高田商店
愛媛県北宇和郡鬼北町奈良4121
販売 JA全農えひめ
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わたしの酒呑録 大黒正宗

2010年01月05日 | eau de vie

地元、灘の酒である。
この酒、通好みの酒である。
灘の酒と言えば、灘の生一本
白鶴や菊正宗、剣菱など
全国的に有名な銘柄が多いのだが
その地元の灘で好む人が多いのが
この大黒正宗である。
小さな酒蔵で少量生産の酒だ。
ちなみにこの酒蔵安福又四郎商店は
私の家からもっとも近い酒蔵である。

今回は大黒正宗 生酒 原酒を一本。
しっかりと日本酒の味わいがのる酒。
今の時期は、12月に発売された
しぼりたて原酒が人気のようだ。

■大黒正宗 生酒 原酒 720ml 1,208円
 安福又四郎商店
 兵庫県神戸市東灘区御影塚町1-5-10

※「しぼりたて」を
低温で半年間寝かせた
やはり火入れを行わないお酒です。
生きたままの酵素が
ゆっくりと熟成をすすめ
フレッシュさが残るなかに
しっかり味ののったお酒です。(HPより)
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