陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

季題 終戦の日

2024年08月15日 | cocoro

今日、八月十五日は79回目の終戦の日である。

私の父は海軍であった。終戦は長崎で迎えたと聞いた。私は生の戦争の話を親から聞いたほぼ最後の方の世代ではないだろうか?勿論親の年齢によって多少の前後はあるだろうが。父の一番上の兄は空母に乗っていて戦死したという。九州の本家の墓にはその長兄の遺骨はない。永遠にどこかの海の底に眠ったままである。

話は変わるが、昨日のニュースで卓球の早田ひなさんが行きたい処を訪ねられて、そのひとつに鹿児島の特攻資料館を上げられていた。知覧の特攻平和会館のことである。アスリートの発言にしては異色であった。それ故インパクトが強かったと思う。私もこんな感性を持ったアスリートもいるのだと正直感動した。

第二次世界大戦での日本の犠牲者は軍人・軍属230万人、民間人80万人、合計310万人とある。これだけの尊い御霊が戦争によって天に召されたのだ。この事実を私たちは永久に忘れてはいけない。そういう意味でも早田ひなさんの発言は大きな意味をもったと思う。

戦没者の皆さまへ哀悼の誠を捧げ、謹んでご冥福をここにお祈りいたします。合掌。

遺骨無き七十九年終戦日

(写真)呉・大和ミュージアムにて

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七十九年目の原爆忌

2024年08月06日 | cocoro

2024年8月6日、79年目の原爆忌を迎えた。

会社員時代、初めて広島に赴任した日。その街並みにどこか親近感を覚えたのを記憶している。知らない町に来た時の違和感がなかった。どこか心が落ち着いた。それは神戸と東西南北が同じだったからだろうと思う。つまり山があるのが北で海の方角が南。広島は神戸と同じく山と海と川に囲まれた街なのである。

路面電車が走り海風も山風も吹く。夕方になると凪となるところも神戸と似ていた。(神戸にはもう路面電車は走っていないが)

そんな広島が79年前、原爆に遭い悉く焼き尽くされ破壊された。それだけでは済まず放射線の災禍に長いこと苦しむこととなった。

この重く悲しい事実を忘れてはいけない。忘れずに平和の大切さを語り継ぐこと。発信し続けること。僭越ではあるが、それが数年とは言えど広島に住んだ者としての、私の小さいながらもひとつのミッションだと思っている。大好きな町、広島への思いは今も変わらない。

79年目の原爆忌を迎えるにあたり、改めて犠牲になられた方々を悼み、心よりご冥福をお祈りいたします。

原爆忌空に重たき半旗かな

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六月の訃

2024年06月15日 | cocoro

西洋紫陽花があちこちで豊かな毬(まり)をつけています。でもまだ梅雨入りの報せはありません。紫陽花が雨を乞うているのかどうかは不明ですが、やはり紫陽花も雨を待っているのでしょうか。

今週は立て続けに訃報が三つ入ってきました。高校時代の恩師の訃がふたつ。お一人は英語の先生でした。当時はその(今思えばデジタルな)指導方法に反発を覚えた先生でありました。しかし後年、教えられた内容を一番よく覚えているのがその先生の教えでした。その先生は母校からその後有名な進学校に移られたと聞きましたが、確かにその指導方法は簡潔で、しっかり要点を押さえていたと今更ながら痛感してます。そういう意味ではさっぱりとした指導の先生で、今でもその指導方法を思い出しては参考にすることがあります。

もうおひと方の先生は担任の先生でした。穏やかな口調のどこか飄々とした感じのする先生でした。引退されてからは、丹波の実家のお寺の住職をお続けになられていたようです。享年八八歳ということなので、当時は三十代後半の先生だったのだなと改めて感じ入りました。

そしてもうおひと方も奇しくも前職は教師だったお方です。こちらは俳句界の大先輩です。私の所属する俳句団体の要職を務めておられました。体調を崩されて入退院を繰り返されていると風の便りには聞いておりましたが突然の訃報でした。俳句のこと等でコミュニケーションのあったお方なのでとても寂しい気持ちでいっぱいです。まだ春浅き頃、その方のご依頼でひとつ引き受けた件があるのですが、今はその意を継いでしっかり頑張らないといけないと思うばかりです。

こうして毎年、紫陽花は変わらずに美しい毬をつけてくれますが歳月は確実に流れていきます。紫陽花は咲けども去年とはやはり違うのだなと思うと、ふっと感じる寂寥の中に無常観を感じます。正に“ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず”です。

今はただ先生方のご冥福をお祈りするばかりです。

露の世は露の世ながらさりながら 一茶

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阪神忌 29年の祈り

2024年01月17日 | cocoro

毎年、1月17日には神戸三宮の東遊園地に行きます。今年はあの阪神・淡路大震災からまる29年となりました。元旦に能登半島を襲った大地震。その発生時刻の午後4時6分には、ここ東遊園地でも犠牲者の方を悼み皆で黙祷を捧げました。

あの元旦の揺れは神戸でも感じました。意外と長い揺れに1月ということもあって、神戸の人間はほとんどの人が、記憶がフラッシュバックしたのではないでしょうか?私もどきどきして心拍数が上がっていました。

能登の被災地では神戸市役所や兵庫県庁関係の方もボランティアに駆けつけておられる報道を拝見しました。いろいろ十分な活動が行えずもどかしいこともあることでしょうが、現状できることを精一杯行って頂いているようです。神戸の地からは今はただ祈るばかりです。石川県は私の母一族の地でもあり、何回か親戚を訪れたことがあります。能登の方ではありませんが、私のとってもゆかりの地なので、時機が来たら私としてもできることを考えたいと思ってます。

今年は阪神忌を修し終えるとルミナリエが始まるようです。東遊園地や元町にかけての通りにはもうルミナリエの設えが整っておりました。このルミナリエ、以前は12月に開催されてましたが会場近隣の商店のかき入れ時と重なって商売に影響があったことや、企業の寄付金が細ったこともあり休止となっておりました。それが再開となったことは喜ばしいです。

阪神忌の後に開催する方が本来の意味での鎮魂のイルミネーションらしく、追悼の気持ちがより深まっていいと思います。勿論資金捻出という大きな課題があるので、有料の観覧もあるというのは仕方ないことでしょうが、あまり商業主義に走らるのは感心しません。私は追悼の心をもって、静かにこのルミナリエを訪れるつもりです。

黙とうの朝の静けさ阪神忌

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大晦 ご愛顧を謝して

2023年12月31日 | cocoro

昨年の大晦日も穏やかな日和でした。今年も穏やかです。雨もさっと降ったかと思えば止んだり。そしてまた降ったり。それでも温かい大晦(おおつごもり)となりました。

12月15日に貰った風邪もやっと鼻水も、喉のこそばゆい、いがいが感もだいぶと収まって参りました。それにつれて胃腸の動きもやっと快復してきました。そこまで戻るのに何と二週間もかかったことになります。今年の風邪はひつこい。完璧に戻るのはあと1週間はかかるかもしれません。風邪は万病のもと。幸い年末年始はゆっくりできるので、この期間を利用してしっかりと治しておきます。

さて前口上が長くなってしまいましたが、この駄blogを訪ねて下さった数少ないファンの皆さま、今年もお訪ね下さり、ご愛顧のほど誠にありがとうございました。

Myblogは「いいね」を求めたりするような性格のブログではありません。サイレントだけれどどこかであなたと静かに繋がっている。そんな絆を私は大切にしたいと思ってます。でもときどきリアルでその題材について声を掛けてくれる方もおられます。そんなときは正直ちょっと嬉しいです。

それでは皆さま。くれぐれもお風邪に、またコロナにも用心されてご自愛のほど切に…。そして皆さまにとって来年も良い年でありますように願っております。

わたくしはそろそろ年越し蕎麦を頂くことといたします。今年は鴨なんばんです。左上にちょっと見えている酒瓶は奈良は御所の銘酒、風の森です。少しだけ頂きました。

去年今年貫く棒の如きもの 虚子

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穏やかな晦に思う

2023年12月30日 | cocoro

令和五年(2024年)の晦(つごもり)を迎えました。今年の年末は温かい日和です。大阪湾岸の辺りは冬霞がかかっているほどです。

さて、今年一年、皆さまはどんな年でしたでしょうか?「えっ!あなたはどうでしたか?」って。

私は大きな後悔もなく、どちらかと言うと小さな喜びを重ねることができました。老活ではないですが整理したいことはある程度整理できました。治さねばならないことは家や車や体も含めて修理しました。オファーがあった仕事は誠意をもって取り組みました。まあこれは他人が評価することなので成果は解りませんが、次のオファーに繋がれば良かったと思うことにしています。

人生、喜びもあれば悲しみもある。楽しいこともあればしんどいこともある。それはどの人間でも同じです。そしてそれを平均して良かった、悪かったなどと思うことは全くナンセンス。かつて寺山修司は競馬で儲かってますかと問われてこう答えたそうです。「勝つこともあれば負けることもあるそれが競馬であり人生だ。それを平均して一体どんな意味があるんだ?」まあ若干の強がりはあるとはいえ正鵠を射た発言です。私はこの言が大好きです。(私は寺山修司の競馬予想というかエッセイの大ファンでした)

穏やかな晦を過ごせることを諾いたいと思います。あまり無理をせず、自分の出来る範囲で、それでも常に何か新しいことにも挑戦することを忘れず。

穏やかに晴れて迎ふる年の暮

(写真)宮津にて

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父の忌日

2023年09月07日 | cocoro

父の命日でした。父は1985年9月に亡くなりました。  38年目の忌日です。

父の忌は何回忌になるかは世間がいつも教えてくれます。そう、父の亡くなった年はあの日航機の御巣鷹山墜落事故と同じ年なのです。存命であれば今年は99歳になっています。生きていれば白寿のお祝いをしたことでしょう。

比較的早くに親を亡くした子はあまり長寿の見通しを持たないものです。私もずっとそう思ってきましたが、もはや父の年齢を越えています。まあ親の生存年齢を越えるということは、ひとつ親孝行を果たしたといえるかも。

父も父よりは長生きした母も、いわゆる介護をいうものを子に与えずに亡くなりました。そういう意味では子に苦労を掛けずに亡くなったと言えます。でももっと長生きをしていれば、どこか私の心も安らかだったかなと思うことはあります。一抹の寂しさがあったことは事実です。

父がもっと長生きしていれば、もっといろいろな相談や聞いてもらえたことがあったかもしれません。反面、いやいや、案外親が生きていればそんな相談はしないものだよという声もあります。生きているうちは親を大事にしろと言ってもなかなか実感できないものかもしれません。

さて、私の人生は競馬で言えば、もう向こう正面ではありません。第四コーナーから最後の直線?いやもうホームストレッチのゴール前?神のみぞ知る。こればかりは天に任せるしかありません。

そんなことをふと思った忌日でした。

亡き父の齢を超へし墓参かな

(写真)銀河鉄道の夜 プリオシン海岸

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季題 星祭

2023年08月22日 | cocoro

八月二十二日は旧暦では七月七日。そう七夕です。よって歳時記では七夕は秋の季題となっています。

「星祭」も七夕のもうひとつの季題です。ホトトギス新歳時記によると「七夕の夜、牽牛、織女の二星を祭る行事」とあります。傍題はたくさんあります。「星迎」「星合」「二つ星」「夫婦星」「彦星」「織姫」「星の契(ちぎり)」「星の別(わかれ)」「星今宵」「星の夜」「星の手向」「鵲(かささぎ)の橋」など…どれもみんなロマンチックな季題ですね。

“ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭の隅の木のところに集まっていました。それはこんやの星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜(からすうり)を取りに行く相談らしかったのです。けれどもジョバンニは手を大きくってどしどし学校の門を出て来ました。すると町の家々ではこんやの銀河の祭りにいちいの葉の玉をつるしたりひのきのにあかりをつけたりいろいろ仕度をしているのでした。“ (銀河鉄道の夜 宮沢賢治より)

今宵の空はどうでしょうか?晴れていても都会の夜空に天の川を見ることは叶わないでしょうが、心を銀河鉄道に乗せて、今宵皆さん、さあ星合の空の旅と参りましょうぞ。

星合の空へ夜汽車の遠汽笛

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七十八年目の原爆忌

2023年08月06日 | cocoro

2023年8月6日、78年目の原爆忌を迎えた。被爆者の平均年齢は85歳を超えたと言う。

今日付の朝日新聞の投書欄に「平和記念公園を歩いてわかった」と題して、愛知県の19歳の女学生の投書が掲載されていた。「はじめは何げなく友達とおしゃべりしながら歩いたが、ガイドさんから『今、皆さんは戦争で亡くなった人の骨の上を歩いています』と聞いて一気に空気が変わった。」と述べている。又、「事前学習で戦争について色々と学んでいて、怖さを理解していたつもりだったが、いざ広島に行って公園の前を流れる川を見ると、体に燃え移った火に苦しみながら水を求める人々の姿が目に浮かんできた。ガイドさんに戦争体験を話してくれた被爆者の思いを受け継ぎ、次は私が戦争を知らない世代に語り継いでいきたと思っている。」と記されていた。

実は私も同じ思いを共有しているのである。私は会社員時代、広島に4年ほど住んでいた。。平和記念公園の近くに単身赴任していた。よって平和記念公園の春夏秋冬の姿を全部実際に見てきた。公園を毎日掃除するおばちゃんたち、熱心に原爆や戦争の悲惨さを語る語り部たち、円座になって真顔で耳を傾けてる修学旅行や野外学習の生徒たち。そして夏になると広島はヒロシマになって一変する。それらの姿を見て、平和を守るということがいかに多くの熱意と労力を有するかを実際に見たのである。その体験こそが、私に平和の尊さを教えたのである。

教科書やテレビを見ただけでは、平和の尊さは決して実感できない。実際に見て、感じることが大切だ、資料館の展示が実相を伝えることをコンセプトにしたのは正解だと思う。情に訴えるより実相展示にこそ伝わるものがある。

まづ水を御霊に捧げ原爆忌

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季題 晩夏

2023年08月03日 | cocoro

八月初旬は歳時記的にはもう晩夏だ。今年の立秋は8月8日。夏ももう後六日ちょっとなのである。とは言えど酷暑の日日。盛夏はまだまだ続く…。

それでも晩夏だなあと感じるのはやはり雲の姿だ。まだまだ入道雲が威を張っているが、空の高さには筋雲が。上空何万メートルの世界はもう秋である。注意深く五感をリラックスさせていると、こうして季節の移ろいを確と感じることができる。そういうとき、嗚呼、自分は今生きているんだなあと感じるのである。

人は生きていると実感するのはどういうときだろう?いろいろあるけれど、季節の移ろいもそのひとつだと思う。

病室の窓に煌めく夏の果

この句はとあるホスピス病棟に見舞ったときの一句。六甲の端山の高台にある病室。眼下にはきらきらと輝く茅渟の海。生と死の無常を感じた晩夏でございました。

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