goo blog サービス終了のお知らせ 

陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

六甲の冠雪に思う

2025年01月09日 | cocoro

北の国での豪雪を知らせるニュースを連日のようにマスコミが伝えています。

高齢者が雪掻きに追われている姿を見るにつけ心が痛みます。その歳でそんな重労働を連日のように強いられるのは、自分事に当て嵌めるだけで想像がつきます。屋根の雪下ろし作業中に落下して亡くなられた方もいらっしゃいます。専門の作業員の方でも事故に遭ってます。雪を下ろさないと家が潰れてしまうし、若い人に頼みたいけれどそんな人も見つからない。少子高齢化の現実をこういう場面で思い知らされます。

翻って、わが街、神戸。瀬戸内の温暖な気候のせいで雪はほとんど降りません。寒波の影響で今朝は摩耶・六甲の頂きあたりはうっすらと雪化粧でした。記憶の限りでは今冬、二回目の冠雪です。それでもうっすらですから午後には消えてしまうかもしれません。

住んでいれば当たり前だと思う気候でも、こうして豪雪の報道で知ると、瀬戸内の温暖な気候というのは恵まれてるのだなと実感します。次の句会の兼題は「雪」。雪と言う季題で俳句を詠むとしても、北の地方の俳人とこちらの俳人では詠み口が全然違うでしょう。それでも経験の有無は別として、そんな北の国のことを慮って詠むことも大事です。何より俳句は共感の文芸なのです。そう思った今日の六甲冠雪でありました。

コメント

新年お祝い申し上げます

2025年01月05日 | cocoro

明けまして おめでとうございます。

年末年始は長い休暇だったところも多かったようです。皆さまは寛いだ新年をお迎えになられましたでしょうか?

明日から勤務が始まるという方もいらっしゃると思います。最初の一週間は挨拶廻りで終わるのが恒例でした。それが済んだらまた三連休になり、その明けから松過ぎとなってようやく通常通りとなる。そんな感じでしょうか。

本当はmy blogもこの元旦に更新してご挨拶するつもりでしたが、何とgooさんがサイバー攻撃を受けて、しばらくはブログが閲覧できない状態になっておりました。昨年の日本航空へのサイバー攻撃などこのところ頻発しています。DDoS攻撃と言われる手法だったようです。

それはさておき、正月のテレビ番組を見ていたら、運勢占いがあり、それによると私の場合は「ステップアップする年」なのだとか。何をステップアップするのかよう解りませんが、人生は階段を上る如しなら、常にステップアップを目指すのは言うまでもないことです。

常に成長してゆきたいと思ってます。独りでは少し寂しいしくじけそうにもなるので、できれば志を同じくする仲間と共に成長していきたいですね。そしてその過程で新しき仲間と出会うことも又楽しみのひとつ。

笑う門には福来る。今年も楽しく成長して参りましょう。

コメント

2024年11月7日 冬に入る

2024年11月07日 | cocoro

夜中に結構強風が吹きました。木枯一号だったかな?

そうして今日、11月7日、冬を迎えました。秋がほぼないまま冬を迎えるのですね。今日の空は立冬らしい景です。

このところ、じっといしていれば肌寒を感じるほどの気温です。ただ湿度が50%を切ってます。夕べは30%台まで落ちてました。これが実は厄介。やはり乾燥すると皮膚が敏感に反応します。

加齢と共に湿度が影響するようになって参りました。温度は着るもので調整できますが、湿度での乾燥は色々とケアが必要になります。これがちょっと面倒くさいというか煩わしい。リップクリーム、ベビーワセリン、ハンドクリームそしてヒルロイド。これらは冬の必需品です。人間の体も歳を取ると冬は枯木のように水分がなくなってくるのでしょうね。

メンタルケアで学んだことに高齢者の心の危機があります。人はそれぞれのライフステージで色んな喪失感に遭遇します。高齢になると一番は配偶者の死。これが最大のストレスです。肉親や友の死なども喪失感に繋がります。それに続くのが健康の喪失です。そして社会的地位の喪失(肩書などが無くなる)、経済的地位(収入が減る、無くなる)の喪失なども大きく影響します。そららに比べれば些末なことのように思われるでしょうが、湿度による体の乾燥なんかもひとつの喪失感には違いありません。

おっと。いけん、いけん。なんか少し暗い話になって参りました。ここで私の好きな言葉をひとつ添えておきましょう。

「歳を重ねただけで人は老いない。理想を失うときはじめて老いる。」(サミュエル・ウルマン)

喪失感は数えたら結構あるけれど、まだまだ理想は追ってます。皆さんもどうぞ理想は失わず、日日それに向かって過ごしましょう。

さて今日からは初冬の景を探しに参ります。冬になれば冬を詠む。自然に優劣はないのです。あるがまま自然と共に生きる。それが風雅の道です。

コメント

季題 終戦の日

2024年08月15日 | cocoro

今日、八月十五日は79回目の終戦の日である。

私の父は海軍であった。終戦は長崎で迎えたと聞いた。私は生の戦争の話を親から聞いたほぼ最後の方の世代ではないだろうか?勿論親の年齢によって多少の前後はあるだろうが。父の一番上の兄は空母に乗っていて戦死したという。九州の本家の墓にはその長兄の遺骨はない。永遠にどこかの海の底に眠ったままである。

話は変わるが、昨日のニュースで卓球の早田ひなさんが行きたい処を訪ねられて、そのひとつに鹿児島の特攻資料館を上げられていた。知覧の特攻平和会館のことである。アスリートの発言にしては異色であった。それ故インパクトが強かったと思う。私もこんな感性を持ったアスリートもいるのだと正直感動した。

第二次世界大戦での日本の犠牲者は軍人・軍属230万人、民間人80万人、合計310万人とある。これだけの尊い御霊が戦争によって天に召されたのだ。この事実を私たちは永久に忘れてはいけない。そういう意味でも早田ひなさんの発言は大きな意味をもったと思う。

戦没者の皆さまへ哀悼の誠を捧げ、謹んでご冥福をここにお祈りいたします。合掌。

遺骨無き七十九年終戦日

(写真)呉・大和ミュージアムにて

コメント

七十九年目の原爆忌

2024年08月06日 | cocoro

2024年8月6日、79年目の原爆忌を迎えた。

会社員時代、初めて広島に赴任した日。その街並みにどこか親近感を覚えたのを記憶している。知らない町に来た時の違和感がなかった。どこか心が落ち着いた。それは神戸と東西南北が同じだったからだろうと思う。つまり山があるのが北で海の方角が南。広島は神戸と同じく山と海と川に囲まれた街なのである。

路面電車が走り海風も山風も吹く。夕方になると凪となるところも神戸と似ていた。(神戸にはもう路面電車は走っていないが)

そんな広島が79年前、原爆に遭い悉く焼き尽くされ破壊された。それだけでは済まず放射線の災禍に長いこと苦しむこととなった。

この重く悲しい事実を忘れてはいけない。忘れずに平和の大切さを語り継ぐこと。発信し続けること。僭越ではあるが、それが数年とは言えど広島に住んだ者としての、私の小さいながらもひとつのミッションだと思っている。大好きな町、広島への思いは今も変わらない。

79年目の原爆忌を迎えるにあたり、改めて犠牲になられた方々を悼み、心よりご冥福をお祈りいたします。

原爆忌空に重たき半旗かな

コメント

六月の訃

2024年06月15日 | cocoro

西洋紫陽花があちこちで豊かな毬(まり)をつけています。でもまだ梅雨入りの報せはありません。紫陽花が雨を乞うているのかどうかは不明ですが、やはり紫陽花も雨を待っているのでしょうか。

今週は立て続けに訃報が三つ入ってきました。高校時代の恩師の訃がふたつ。お一人は英語の先生でした。当時はその(今思えばデジタルな)指導方法に反発を覚えた先生でありました。しかし後年、教えられた内容を一番よく覚えているのがその先生の教えでした。その先生は母校からその後有名な進学校に移られたと聞きましたが、確かにその指導方法は簡潔で、しっかり要点を押さえていたと今更ながら痛感してます。そういう意味ではさっぱりとした指導の先生で、今でもその指導方法を思い出しては参考にすることがあります。

もうおひと方の先生は担任の先生でした。穏やかな口調のどこか飄々とした感じのする先生でした。引退されてからは、丹波の実家のお寺の住職をお続けになられていたようです。享年八八歳ということなので、当時は三十代後半の先生だったのだなと改めて感じ入りました。

そしてもうおひと方も奇しくも前職は教師だったお方です。こちらは俳句界の大先輩です。私の所属する俳句団体の要職を務めておられました。体調を崩されて入退院を繰り返されていると風の便りには聞いておりましたが突然の訃報でした。俳句のこと等でコミュニケーションのあったお方なのでとても寂しい気持ちでいっぱいです。まだ春浅き頃、その方のご依頼でひとつ引き受けた件があるのですが、今はその意を継いでしっかり頑張らないといけないと思うばかりです。

こうして毎年、紫陽花は変わらずに美しい毬をつけてくれますが歳月は確実に流れていきます。紫陽花は咲けども去年とはやはり違うのだなと思うと、ふっと感じる寂寥の中に無常観を感じます。正に“ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず”です。

今はただ先生方のご冥福をお祈りするばかりです。

露の世は露の世ながらさりながら 一茶

コメント

阪神忌 29年の祈り

2024年01月17日 | cocoro

毎年、1月17日には神戸三宮の東遊園地に行きます。今年はあの阪神・淡路大震災からまる29年となりました。元旦に能登半島を襲った大地震。その発生時刻の午後4時6分には、ここ東遊園地でも犠牲者の方を悼み皆で黙祷を捧げました。

あの元旦の揺れは神戸でも感じました。意外と長い揺れに1月ということもあって、神戸の人間はほとんどの人が、記憶がフラッシュバックしたのではないでしょうか?私もどきどきして心拍数が上がっていました。

能登の被災地では神戸市役所や兵庫県庁関係の方もボランティアに駆けつけておられる報道を拝見しました。いろいろ十分な活動が行えずもどかしいこともあることでしょうが、現状できることを精一杯行って頂いているようです。神戸の地からは今はただ祈るばかりです。石川県は私の母一族の地でもあり、何回か親戚を訪れたことがあります。能登の方ではありませんが、私のとってもゆかりの地なので、時機が来たら私としてもできることを考えたいと思ってます。

今年は阪神忌を修し終えるとルミナリエが始まるようです。東遊園地や元町にかけての通りにはもうルミナリエの設えが整っておりました。このルミナリエ、以前は12月に開催されてましたが会場近隣の商店のかき入れ時と重なって商売に影響があったことや、企業の寄付金が細ったこともあり休止となっておりました。それが再開となったことは喜ばしいです。

阪神忌の後に開催する方が本来の意味での鎮魂のイルミネーションらしく、追悼の気持ちがより深まっていいと思います。勿論資金捻出という大きな課題があるので、有料の観覧もあるというのは仕方ないことでしょうが、あまり商業主義に走らるのは感心しません。私は追悼の心をもって、静かにこのルミナリエを訪れるつもりです。

黙とうの朝の静けさ阪神忌

コメント

大晦 ご愛顧を謝して

2023年12月31日 | cocoro

昨年の大晦日も穏やかな日和でした。今年も穏やかです。雨もさっと降ったかと思えば止んだり。そしてまた降ったり。それでも温かい大晦(おおつごもり)となりました。

12月15日に貰った風邪もやっと鼻水も、喉のこそばゆい、いがいが感もだいぶと収まって参りました。それにつれて胃腸の動きもやっと快復してきました。そこまで戻るのに何と二週間もかかったことになります。今年の風邪はひつこい。完璧に戻るのはあと1週間はかかるかもしれません。風邪は万病のもと。幸い年末年始はゆっくりできるので、この期間を利用してしっかりと治しておきます。

さて前口上が長くなってしまいましたが、この駄blogを訪ねて下さった数少ないファンの皆さま、今年もお訪ね下さり、ご愛顧のほど誠にありがとうございました。

Myblogは「いいね」を求めたりするような性格のブログではありません。サイレントだけれどどこかであなたと静かに繋がっている。そんな絆を私は大切にしたいと思ってます。でもときどきリアルでその題材について声を掛けてくれる方もおられます。そんなときは正直ちょっと嬉しいです。

それでは皆さま。くれぐれもお風邪に、またコロナにも用心されてご自愛のほど切に…。そして皆さまにとって来年も良い年でありますように願っております。

わたくしはそろそろ年越し蕎麦を頂くことといたします。今年は鴨なんばんです。左上にちょっと見えている酒瓶は奈良は御所の銘酒、風の森です。少しだけ頂きました。

去年今年貫く棒の如きもの 虚子

コメント

穏やかな晦に思う

2023年12月30日 | cocoro

令和五年(2024年)の晦(つごもり)を迎えました。今年の年末は温かい日和です。大阪湾岸の辺りは冬霞がかかっているほどです。

さて、今年一年、皆さまはどんな年でしたでしょうか?「えっ!あなたはどうでしたか?」って。

私は大きな後悔もなく、どちらかと言うと小さな喜びを重ねることができました。老活ではないですが整理したいことはある程度整理できました。治さねばならないことは家や車や体も含めて修理しました。オファーがあった仕事は誠意をもって取り組みました。まあこれは他人が評価することなので成果は解りませんが、次のオファーに繋がれば良かったと思うことにしています。

人生、喜びもあれば悲しみもある。楽しいこともあればしんどいこともある。それはどの人間でも同じです。そしてそれを平均して良かった、悪かったなどと思うことは全くナンセンス。かつて寺山修司は競馬で儲かってますかと問われてこう答えたそうです。「勝つこともあれば負けることもあるそれが競馬であり人生だ。それを平均して一体どんな意味があるんだ?」まあ若干の強がりはあるとはいえ正鵠を射た発言です。私はこの言が大好きです。(私は寺山修司の競馬予想というかエッセイの大ファンでした)

穏やかな晦を過ごせることを諾いたいと思います。あまり無理をせず、自分の出来る範囲で、それでも常に何か新しいことにも挑戦することを忘れず。

穏やかに晴れて迎ふる年の暮

(写真)宮津にて

コメント

父の忌日

2023年09月07日 | cocoro

父の命日でした。父は1985年9月に亡くなりました。  38年目の忌日です。

父の忌は何回忌になるかは世間がいつも教えてくれます。そう、父の亡くなった年はあの日航機の御巣鷹山墜落事故と同じ年なのです。存命であれば今年は99歳になっています。生きていれば白寿のお祝いをしたことでしょう。

比較的早くに親を亡くした子はあまり長寿の見通しを持たないものです。私もずっとそう思ってきましたが、もはや父の年齢を越えています。まあ親の生存年齢を越えるということは、ひとつ親孝行を果たしたといえるかも。

父も父よりは長生きした母も、いわゆる介護をいうものを子に与えずに亡くなりました。そういう意味では子に苦労を掛けずに亡くなったと言えます。でももっと長生きをしていれば、どこか私の心も安らかだったかなと思うことはあります。一抹の寂しさがあったことは事実です。

父がもっと長生きしていれば、もっといろいろな相談や聞いてもらえたことがあったかもしれません。反面、いやいや、案外親が生きていればそんな相談はしないものだよという声もあります。生きているうちは親を大事にしろと言ってもなかなか実感できないものかもしれません。

さて、私の人生は競馬で言えば、もう向こう正面ではありません。第四コーナーから最後の直線?いやもうホームストレッチのゴール前?神のみぞ知る。こればかりは天に任せるしかありません。

そんなことをふと思った忌日でした。

亡き父の齢を超へし墓参かな

(写真)銀河鉄道の夜 プリオシン海岸

コメント