陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

初めての手術

2006年03月28日 | slow life

生まれて初めて手術を受ける。
当日は朝からなんか落ち着かない。
「もし神経傷つけたら顔面麻痺が残りますね。」
なんて主治医の形成外科医が
何気なく言ったもんだから、それも
随分気になってきて怖気づいてしまった。
「ええ年して我ながら情けない…。」
と思いながら電車を降りて病院へ入る。

まず若いがてきぱきとした看護婦さんの問診。
それから血圧を測り、5階の手術室へ案内される。
悪いこともした訳でもないのに、
何故か看守の後にしょぼんとついて歩く
囚人のような感覚を覚える。
ロッカールームで手術着に着替え、帽子をかぶる。
いよいよ手術台へ。

殺風景な広い無機質な空間。真ん中に
ぽつんとある手術台が目に入った。
「これが手術室か?」
昔見たベン・ケーシーのドラマと同じだ。
台の上には目がいくつもあるライトが迫る。
台の上に寝かされて、点滴を手首の上に刺される。
親の入院で何回もみた点滴だが、自分がされると
なんか液体を体内に注入されるようでいやな気分…。
心電図と血圧のセンサーもセットされた。

「それでは麻酔をしますね。少しチクっとしますよ。」
優しい風貌と物言いの外科医は言った。
やっぱり形成外科医の先生は繊細なんだと変に納得。
麻酔は太い大きな注射でブスっと深く刺され
とても痛いものと思い込んでいたのだが…。
心の中で「ふーっ。」ひと安心…。

患部だけ穴の空いたカバーで顔面を覆われる。
視界がなくなった。
これで完全にまな板のマグロだ!?

「それでは始めますね。」
「あ~、いよいよ来たか?痛いかな?」と独白。
ジ~っとメスが入る。
「む!ちょっと痛いな。」
麻酔は効いているの?不安がかすめる。
「お酒飲んだらね、麻酔効かへんよ。」
と夕べ食事時に少しワインを飲もうとしたら
妻が面白く脅したことを思い出す。
「やなやつ…。」休肝日にした。

しばらくして痛みは全然感じなくなった。
ときどき先生が独り言を呟きながら切っていく。
「ん~、ちょっと深いな。」とか…。
先生の独り言に敏感に反応するわが脳。

「まだかな?」と何度も思う。
なんか手間取っている感じ。
「やだなあ。神経切ってないだろうなあ?」
「たけしみたいな顔になったどうしよう?」
とかいろいろ、あれこれを考えながら
「まだかなあ~。」

「フックをください。」
「それと白のまるまる番と黒の…。」
時々解らないことを看護婦さんに指示している。
「案外丁寧な物言いで指示するんだなあ。先生は。」
「きっといい先生なんだ。」
「ここで手術してよかったな。」
なんて物腰と手術の腕の因果関係は何もないのに
期待値でそう思ってしまう。弱い人間心理…。

「それでは縫いますね。」
「やった。やっと終わった。ふ~っ!」
と心の中で叫ぶ。とたん緊張が緩んだ。
安堵感が体を初めて弛緩させたようだ。
「もうこれで大丈夫と思います。」
先生のこの一言で確定的に安心する。

「ありがとうございました。」
とお礼を言って手術室を後にする。

診察室へ戻り看護婦さんに
切り取った患部を見せてもらった。
ホルマリンに入った脂肪腫は案外大きかった。
「一応病理検査に出しておきますね。」
「はい。」

父母が受けた大手術に比べると、
全くたいしたことのない手術なのに
自分事となるとこういう心理になるのだなぁ、
この程度でも…。

これで少しは人の痛みが解るようになるのだろう。
ひとつ壁を越えて向うが見えたかな?

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春の風景Ⅰ

2006年03月27日 | slow life

家々の植え込みには春の花たちが
続々とお目見えしてきた。
フローリストの軒先は春爛漫のオンパレードだが
ふと通り過ぎる街角の植え込みにも、
きっとそこの住人が思いを込めて植えたであろう
市井の花たちがわが世の春を
自己主張するように精一杯咲いている。

「あ、ここの方はこういう花が好きなんだなぁ。」

何気ない街角の風景にも、そっと心を寄せて観れば
人の思いが息づいているのを感じる。

「春なんだなあ。」

しかし菜の花は結構派手だ。
庶民の町の明るい小娘といった感じかな。
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梅林散策 春うらら

2006年03月26日 | slow life

大阪城公園の梅林へ行く。
多くの人で賑わっていた。
梅林の入り口では南米系の外人が
ハープを奏でていた。
梅林にアンデス系の音楽が流れる。
グローバル化の昨今
こういう取り合わせも時代なんだろう。

いつものように梅林内を散策した。
ここで一番好きな品種は「朱鷺の舞」という梅。
この木は蕾が最高に美しいのである。
その蕾はまるで白地にピンクの蛍光ペンを
ちょこっと塗ったようで
鮮やかでとても愛らしいのだ。
しかし蕾の時期は過ぎてすでに満開
ちょっと残念であった。
満開の朱鷺の舞は普通の梅なのである。

この日はうららかな日和で、
中国人の観光客がたくさん目に付いた。
またお年寄りも車椅子を降りて記念撮影。
ハープ弾き以外は今年もいつもの梅林の光景でした。
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旬魚で楽しむ春の宴

2006年03月24日 | slow gourmet

久しぶりの接待である。
お相手が堂島界隈なので北新地のお店を選定した。
「旬魚菜彩」と銘打っている小バコの割烹である。
少し奥まった店構え。
小径を抜け玄関前には狸の置き物。
植え込みがあって、格子戸の脇には塩が持ってある。
一見も見過ごしてしまいそうな店であるが、
格子戸を空けて中に入ると石の手水鉢なんかが
さりげなくあって、凛としたたたずまい。

今日は若い担当レベルの打ち合わせ接待なので、
ちょっと予算を低めに設定し5000円のコースを。
さすがに「旬魚菜彩」だけに魚はうまい。
穴子の薄造りに鰹、あこう、さばと造りの盛り合わせ。
穴子はポン酢でいただく。美味しかったなぁ。
喉ぐろの煮付けが椀で出る。これも嬉しや淡白で美味。
お酒も今宵は最後にプレミアム焼酎、村尾を注文。
1杯1100円也。プレミアムがつく酒というのは
酒飲みの常道にあらずと思っているので、私は
原則飲まないが、今日は接待である。こういう酔狂も
許されるだろうと思い若いお相手にも勧めた。

いろいろ今後の仕事の話も進んで、
この会社とのコラボレーションもうまくいきそうな予感。
なかなか実りのある一夜となった。

このお店。
今度はプライベートでも行ってみようかと思わせる。
北新地の隠れ家的割烹と言った処である。

  ■旬魚菜彩 海心
   大阪市北区曽根崎新地1-11-4 一らくビル1階
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雨の墓参り

2006年03月19日 | slow life

止みそうかなと思っていたが
意外とずっと振り続け本降りになった。
菜種梅雨には早いが春告げ雨なのだろう。

その雨の中、老いた母を乗せて鵯墓園に行く。
山あいなので雨足はまた酷くなったようである。
鉄塔と送電線が雨に煙っていた。

この雨で墓園は空いていた。
車を近くまで乗り入れて、桶に水をくべる。
まずいつものように雑草むしりから始める。
苦手なナメクジが石の隙間にへばりついていた。
慎重に枯れ枝に乗せて背後の茂みへ投げ捨てる。
素手で作業していたら植え込みの枝でだろうか
気づかないうちに手を傷つけてしまっていた。
血が滲んできた。「ああ、難儀やなぁ。」…。

しかし例年なら可愛い土筆が
数本にょっきりと顔を出しているのだが
今年は遅いのか全然見当たらなかった。
梅といい土筆といい今年は全てが遅いようだ。
だとすると、「桜もそうなのだろうか?」
なんて考えながらの雑草取りは
傘をさしての作業だから思うように捗らない。
やっと終えて今度は墓石の掃除に移る。
すでに雨に濡れているというのに
墓石の頭から水をかけてはブラシでゴシゴシ。
彫ってあるところも、水受けも丁寧に擦る。

いつもより長く小一時間は費やしただろうか。
掃除を終え、寒いので車の中で待機させていた
母を墓前に連れ来て、紙パックのお酒を供え
蜀台にろうそくを灯し線香を立てる。
雨脚で消えそうな線香に少し気を取られながら合掌。

墓前に報告することよりお願いごとの方が多い。
神様ではないというのに亡父故についそうしてしまう。

母は何を亡夫に語りかけているのだろうか?
永年住んでいた弟の下を故あって去り
この歳になってまたひとり暮らしを始めた母…。

「玉砂利が結構下にこぼれているね。」と言いながら
母は白い石を摘んでは墓前に戻していた。



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春の匂い

2006年03月18日 | slow life

「これは春だね。」
「ええ、春の匂いです。」
歓迎会の会場へ赴く道中でふと感じた春の匂い。
今夜の歓迎会の主役である副本部長はそう言った。

3月17日の夕刻。
五感がたしかに春を感じた日であった。

春らしい会席料理が出た。
たけのこをあしらった料理に春野菜の天ぷら、
それぞれにちょっと梅の小枝をあしらったり
盛り付けも視覚で春を感じられて美しい。
今宵の宴はなかなかの出来映えだったかな。
久々の幹事役も無事終えてひとり帰路に着く。

さてと。神戸に帰って
これからいつものbarにでも寄るか。

地下鉄に乗ろうとしたら携帯が鳴った。
やな予感…。
やれやれと思いながら、来た道をまた戻り
北浜にあるスナックへと向かった。
「やっぱり幹事はエスケープはできないなぁ。」
とひとりごちる。
店内はカラオケの喧騒で盛り上がっていた。
ここは一足早くもう春爛漫といった感じ。
また、やれやれ…。

ふとこの窓から対岸の中ノ島公園を見やると
ベンチに腰掛けるアベックのシルエット。
真面目に楽しそうに話しているように見える二人。
ときどき女性の肩が揺れている。いい雰囲気。
「そろそろかな?」
なんてスナックの窓から囃している我々。
酒の肴にされているとはつゆ知らず微笑ましい。
愛を囁き合う関係ではなかったのだろうか
アベックはいつの間にかベンチから消えていた。
今宵のこの中ノ島の風景はきっと
この年の春の記憶として
僕の脳裏に強く印象に残るだろう。

「もうすぐ桜だなぁ。」と心でつぶやく。
さて、今年は桜をどこで愛でようか。
「やはり京都にしようかな」
なんてぼんやり考えながら店を出た。
別れ際、「新地に行こうや」と
皆を誘っている支店長を振り切って
地下鉄へと続く階段を下りた。
今度は間違いなく電車に乗れそうだ。




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癒しのBarで今宵も

2006年03月15日 | slow life

人は誰でも生きている限り
いろんなことでちょっとしたささくれが生じたり
知らず知らずのうちに
心にほこりが溜まってくるものだ。
このほこり…案外自分で掃除するのは難しい。
でも放っておくとストレスの滓となって固まってしまう。

そういう時にそのささくれを痛くないように
やさしく削ってくれたり、心に溜まったほこりに
さりげなくブラシをかけてくれる処があればいい。

国道2号線沿いのダディはそんな店。
ひとりでふらっと訪ねるmy healing barだ。
昼は喫茶店なので外から中が窺える。
店内は一見Bar「魔の巣」のように暗い。
ぼんやりした灯りが照らすカウンター
ゆえにフリの客はめったに訪れない。
私のような変わり者か好奇心の強い人が
たまに訪れて居つくこともあると言う。

今宵は二人の客が止まり木にやって来た。
それぞれみんな飲む酒は決まっている。
A氏はフォアローゼズのソーダ割、そして
旦那さんが寝た後眠れずにやってきたという
N女史はタンカレーのジンリッキー。

話は最近できた近くのカフェバーに、深夜
ストーカーに追いかけれたという女が息を切らして
飛び込んできて、フロアにぺたんと座り込んだまま
過呼吸症状になってしまった騒動話から始まった。
それから話題はうまいもんや談義になっていった。
「三宮のラウンドワンの近くのあの店は魚がうまい」
「住吉駅のあの寿司屋の生げそはいける。」
とか…エトセトラ。

一通り話を紡いで、その間何杯かお代わりをした後、
それぞれの時間の頃合いで帰っていく客たち。

なかなかほこりが払えなかった私は、
帰るタイミングを逸していた。
次の客が来ると帰り仕度をするという
暗黙の一抜けの法則に乗りそびれた。
時刻は午前零時をかなり廻った頃
どうやら次の客は来そうにない。
やれやれ最後まで居残りになりそうである。

このところマスターはうきうきしているのが解る。
いつ来てもカーペンターズがかかっているからだ。
腰をすえて今度はマスターの恋の話でも聞こうかな。
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或る日のある光景から

2006年03月12日 | cocoro

雨が降っていた或る日のこと。
淀屋橋から北浜へ通じる地下道を歩いていた。
ここは雨の日などはホームレスおじさんたちの
仮眠所となる地下道で有名なところ。

淀屋橋駅からやや行ったところで
ちょうど前を歩いていた中年の男性が、その時
隣を並行して歩いていた高校生に道を尋ねた。

「地下鉄の堺筋線はどっち?」

パイナップルのような髪型をし、
ややだらしなく制服を着こなした?その若者は
ipodを熱心に聴いていたようだが
面倒そうにヘッドホンを外しながら、
「あっちです。」とふにゃっと指を差し示した。

スーツを着ていたが、この界隈では
あまり見かけるイデタチではない中年男性は
その高校生の仕草に特段不愉快な素振りも見せず、
あたりを見回しながら同じ方向に歩いていた。

ちょっと感情がささくれたのは、
当事者でない私の方であったのかもしれない。

いよいよ堺筋線の乗り場が近づいてきた。
この男性は解るだろうか?まだ売店を見たりしながら
悠長に歩いている様が人ごとながら気になった。
と、そのポイントに差し掛かった時、
男性の前を歩いていたその高校生がふと振り向き様に、
その男に「こっちです。」と指を差した。

男性は頭を前に少し傾け
軽くうなずいただけで曲がって行った。そして
その高校生も何事もなかったようにipodを聴きながら
定期券をバンとセンサー部に密着させてから
別の電車の改札口の中へと消えていった。

たったこれだけの出来事だったが、
後ろを歩く私にいくつもの感情や価値観が
去来したことが私自身とても興味深かった。

人はとりとめもないような出来事や
取るに足らない風景といったものに、時に
何故か執着してしまうことがあるものなんだなと…。

そうしてまたこう戒めた。
「人をイデタチや見かけだけで、
すべてを自分勝手に判断してはいけない。」…と。

地下道を出るともう雨は上がっていた。


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パリの回廊 ユトリロ展

2006年03月11日 | slow culture

“酔い、惑い、描き、祈った。”

なかなか私的には好きな言葉が並んでいる。
そんなキャッチコピーに誘われてなんば高島屋へ
「没後50年 モーリス・ユトリロ展」を観に行く。

ユトリロも好きな画家のひとりである。
グランドホールに設えた展覧会場は
ユトリロの描くパリ一色であった。
まさにパリの回廊を巡っているような感覚。
やっぱりパリは憧れの街だ。確か8年前だったか
撮影で出かけたフランス旅行を想い出した。

グルノーブルのシャトーホテルでの撮影。
プチでも中庭が美しい由緒あるホテルだ。
リヨンからレンタカーで一路国道を北へ走り抜け
向かった先はブルゴーニュワインの中心地ボーヌ。
そしてそこから村々を訪ね巡った。あの
ロマネコンティのブドウ畑に感動した。
たったこれだけの作付面積なのか…と。
レンタカーを返すのにとまどり
リヨン駅を発車ぎりぎりで乗り込んだTGVは
延々と続く田園地帯を高速で走り続けた。
珍しかった牧歌的なフランスの田園風景も
しばらくするともうその単調さにあきてしまった。
しかし改めて狭い国土を高速で走リ抜ける
日本の新幹線の優秀さを思い知った。
やがてTGVはパリリオン駅へ滑り込む。

パリでは先人たちのいろんな面影の場所を訪ね歩く。
ユトリロ、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド…
アブサンにゴロワーズ、パリの食堂…。ワインの日々。

いいなぁ。壊れているものは美しい。きっと
パリもユトリロも私の憧憬で在り続けるのだろう。
つい心が回廊してしまったユトリロ展であった。


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東京 春の展示会行脚

2006年03月08日 | slow works

おとなの春一番が公式に?吹いた。
温かい春らしい日和が続くようになったが
どうやら今年は梅の開花が遅れているらしいとか。
毎年鑑賞に訪れる大阪城公園の梅林も
満開の見ごろはもう少し先なのかな?
霞立つ春空には大阪城の威風堂々。
香り漂う梅。そして蜜をつつく目白たちの群れ。
楽しみだな。旬を逃さぬように
天満橋界隈にうまく用事を創って行かなくては。

東京ビッグサイトへ出張する。恒例の
春の複合大展示会が開催されている。
私の担当するクライアントが出展しているので
陣中見舞いを兼ねて視察に伺う。

あるクライアントのブースで
学校のセキュリティシステムを出展していた。
この会社が提案しているのは
大手のような大規模なシステムではなく
パソコンとインターネット環境、そしてカードかICタグで
インフラを構築できるのがメリットらしい。
公立の学校への導入促進を図っているという。
登下校のチェックやメーリングリストの活用で
学校から保護者、PTAなどへの連絡も行えるらしい。
「何時に学校を出ました。」と学校からメール。
「何時に着きました。」と返信メール。
子どもが家に帰宅するまでが学校の責任になるので
そういう活用も出来るとか。

学校を出た後の道草がとても楽しくて、それが
子どもの情操教育にもなると思っているのだけれど
これでは、そういうこともますます叶わなくなるなぁ。
なんてことを頭の片隅で思いながら説明を聞いていた。

帰りはゆりかもめの最後部で後ろ向きの一人席に鎮座。
過ぎ去るお台場の景色をぼーっと眺め続けていた。
ゆりかもめを降りた私は、一路新橋から銀座へ。
颯爽と歩く鮮やかな洋服の女性たちの表情は、
都会の春を告げているようであった。

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