陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

癒しの水族館 寝てます

2020年03月31日 | slow value

癒しの水族館、おおとりは
イタチのようなカワウソのような。
何の動物か名は忘れました。

結構素早く動くものもいましたが
この子はただいま眠っております。

不要不急の外出は避けて、こういう時は
ゆっくり自宅で過ごしましょう。
体力を温存しておくこともも大切です。

さて、癒しの水族館シリーズは
これでお仕舞です。
外出が解禁になったら皆さん是非
水族館や動物園へ行ってみましょう。
癒しになること間違いなしです。
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初花 オオシマザクラ

2020年03月30日 | nonoka

石屋川公園の桜が全体的には
四分咲き位にはなってきたか。
中には八分咲きの樹もあるが。
気の早い人達がもうシートを敷いて
花見をしていた。人出がない内に
花見をしてしまおうということかな?
それもいいアイデアだと思うけれど
花見は自粛してほしいと国は言っているので
やはり自粛しないといけない。ただし
レストランでの花見ならいいらしい。

この公園の桜はソメイヨシノなのだが
葉をつける桜が知っている限り一樹ある。
オオシマザクラだ。
これがほとんど満開であった。
わたしはこのオオシマザクラや山桜
のように葉をつける桜の方が好きである。

話は変るが、新型コロナウィルスの
感染が収束するのは、おそらく
あと数か月はかかるのではないかと思う。
東京があれほどならばそのうちに
関西も同じ状態になってくるだろう。

四月の吟行句会の中止が決定した。
句会はおそらく四月も全滅ではないか?
会社からは業務に支障が出ないようにと
週末の外出自粛要請が出ている。
これが解除されないと参加は難しい。
もし句会が原因で感染や濃厚接触者
にでもなったら会社が閉鎖になる。
だから責任重大なのである。
楽観的に見ても始動できるのも早くて
GW明けというところかもしれない。
句会がないのは寂しいが、この自粛期間を
じっくり充電する時間にあてるというのも
案外いいかもしれない。
整理したい資料も沢山たまっている。
これも片付けてしまいたいと思っている。
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わたしの酒呑録 奥丹波春霞み

2020年03月29日 | eau de vie

吾が子からお土産に貰った丹波の酒。
これは花見用の酒だろうか?
ラベルは丹波の里山の風景をあしらった
版画の絵。桜が満開に咲き、蒲公英に
土筆、菜の花が描かれている。
音符付の鳥が描かれている。これは雲雀だ。
川には魚が泳いでいる。畑には耕人の姿も。
おっと蝶も、これは初蝶かな。丁寧に
蜜蜂も飛んでいるではないか。
さてこの酒、蔵元は丹波の山名酒造。
なんと創業は江戸享保元年とあった。

「奥丹波 春霞み」と銘打たれた酒。
生酒、純米吟醸である。
ラベルや瓶の色からして私好みかな。

ちょっと蘊蓄。
俳人として一言言わせてもらうと
銘の「春霞み」は少しいただけない。
「霞」は春の季題であるから、わざわざ
「春霞」と「春」はつけないのが常道だ。
まあ、短い短刀というのと同じなのである。
ちなみに「春うらら」とも言わない。
「うらら」も同じく春の季題である。
「夏霞」とか「秋霞」とかは言ってもよい。
同様に「冬うらら」と言う使い方もする。

“雪解け水のようにさらさらとした
のど越しが楽しめます。春特有の
苦みのある野菜(菜の花、フキノトウ、筍)
淡泊な鰆や春鰹などの魚、ちらし寿司などに
合わせるとピッタリ。原料米は地元
「ひょうたん農場」の酒米。
五百万石を100%使用しました。”(HPより)

今年は雪もほとんど見なかったので
雪解けといってもピンとこないが
正に清冽な丹波の雪解けを感じさせる酒。

おいしゅうございました。ごちそうさま。

しかしこの所の巣籠りの生活で
決意したソーバーキュリアス生活も挫折。
すべては新型コロナの所為である。
なんちゃって。

■山名酒造
兵庫県丹波市島町上田211
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2020年 初花に思うこと

2020年03月28日 | tete a tete

大阪・本町の御霊神社の境内
桜が一輪、二輪と開花し始めていた。
初花だ。初桜ともいう。勿論季題。
東京はもう満開であるが、桜前線は
南から北上して行くのに、何故いつも
東京だけ早いのだろうか?やはり桜も
首都だけに気を遣っているのかな?

いつもの年なら花見の準備に
いそいそする人も多いと言うのに
例の新型コロナの影響で今年は静か。
こんな静かな桜シーズンは、あの
阪神・淡路大震災以来のことではないか?

閑話休題。
ところで幹事をしているとある句会がある。
四月は桜を目当てに芦屋界隈の吟行句会を
予定していたのだが、しかし例のコロナの
爆発的感染の懸念で、押さえていた会場が
延長閉鎖となってしまった。さてどうする?
中止するか?いつもの例会に変更するか?

意見を求められたが、やはり中止すべきだろう。
句会はどうしてもやらねばならぬものでもないし
何より、万が一の感染や濃厚接触者になってしまう
という事態でもなったら説明責任が問われる。
特に俳句界は高齢者が多いのでなおさらだ。
クルーズ船のような不運を出してはならない。

窓から眺める桜やひとり散策をしながら
花を愛でつつ、俳句に親しもうと思う。
あるがまま、それも花鳥諷詠だと
わが先生は常々おっしゃられている。
今こそ、その言葉を思い起こすときだ。
自然と共存すること。それはときに
厳しいこともある。
あえて言うならコロナも万象である。
故の花鳥諷詠であることを肝に銘ずべし。

初花や恙なきこと願ひつつ
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花韮の野

2020年03月27日 | nonoka

この時期、花韮(はなにら)が
あちこちの野や庭で咲いている。
葉を傷つけると韮のようなに匂いが
するのでそう呼ばれるのだ。

花韮を摘み来し指のなほ匂ふ 稲畑汀子
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銀狐の尻尾 雪柳

2020年03月26日 | nonoka

あちこちで雪柳が噴き上がっている。
風に揺れる様はさながら銀狐の尻尾のよう。
夜の銀狐ならぬ白昼の銀狐である。
別名、小米花とも言う。

雪柳風の在処を報せけり
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辛夷咲く

2020年03月25日 | nonoka

辛夷(こぶし)が其処此処で満開に。
この辛夷はJR六甲道駅北側の広場で
見つけた。花が開いて初めて
この木が辛夷だったことを知る。

辛夷が咲く北国の春はもっと遅いけれど
ここ神戸ではもう満開というかすでに
散り始めていた。

辛夷と木蓮はよく似ているが
木蓮はどこか洋風な感じなのに対して
辛夷は和の感じがする花だと思う。
この日は曇り空だったので
あまり白が目立たなかったけれど。
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わたしの酒呑録 一品 樽生酒 本杉樽貯蔵

2020年03月24日 | eau de vie

酒の量販店の冷蔵庫に入っていた酒。
ラベルの裏を見ると水戸の酒であった。
水戸の酒とはどんなだろうか?

ラベルには
“しぼりたての生原酒を杉樽に貯蔵熟成しました。
一切火入れをしていない本生酒です。
ノスタルジックな味わいが楽しめる
風味豊かな樽生酒です。”と。

この生酒、辛口ですが口当たりもよく
すっと呑みやすい。
ふと水戸は行ったことがない地。
いつか行ってみたいなと思う。そう思うと
不思議なことにいつか機会が訪れるもの。
その時はひとつだけまだ行き残している
日本三大名園の水戸の偕楽園に行ってみたい。

■吉久保酒造株式会社
水戸市本町三丁目九番五号
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癒しの水族館 イソギンチャク

2020年03月23日 | slow value

イソギンチャクは
色彩が豊かで美しいものが多い。
この種はどんな名が付いていたが
見忘れてしまったが
薄桃色の触手がなんともいえぬ。
幻想的でまるで烏瓜の花のようだ。

私がまだ小さかった頃、毎年神戸駅から
寝台急行の“彗星”に乗って九州へ行き
岬にある父の郷里で夏休みを過ごした。

そしてその浦曲で育った従妹たちと
毎日のように磯や沖へ出ては、岩場の探索
そして素潜りや舟釣りをして遊んでいた。
小舟に乗って浅瀬の底を箱眼鏡で見つつ
栄螺や海胆、魚などをモリで突いた。
箱眼鏡で見る海底にはイソギンチャクや
ウミウシ、ヒトデ、ウニや魚などの色が美しくて
いつまでも見飽きることがなかった。

今となってみると、あの時の体験が
創造力を養ってくれていたのかもしれない。
子ども時代に野や山、海や川に出て
如何に遊ぶか。それが大切だと思う。
少年少女よ!外に出でて大いに遊べ!

鞦韆は漕ぐべし海は潜るべし
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春宵の出会い

2020年03月22日 | slow life

巣籠りの週末を過ごしていたら
高校の同級生からメールが。
有志がうちの店に集まるから来ないかと。
巣籠りばかりでちょっと倦んでいたので
誘いに乗って出かけることに。
ウォーキングを兼ねて小一時間。
道すがらワインとたこ焼きを買って
店に伺う。

すでに数人が集まっていた。
クラスが違えば全然知らない者もいる。
たが同じ三年間を過ごした仲間である。
やはりどこか連帯感があるのだろう。
すぐに打ち解けた。
ひとりの身内が作っているという
鈴鹿の酒を頂きながらのよもやま話。

同じクラスでよく一緒に遊んだ
愛称“ツチコ”としばし話込む。
ヨーガセラピストだという。なんでも
インドでのヨガの何とか資格では
芸能人で元ボクサーのあの御人より
格上の資格を持っているのだそうだ。
「へえ、すごいやん!見えへんけど。」
なんてため口を言えるのも同級生ならでは。

それではとこちらも俳句の話をしたら
「え~っ!うっそぉ~!」だと。
どうも俳句というのは高尚な教養人が
やるものといったニュアンス。
「俺、そんなにちゃら男やったか?」

実はお母さんも俳句をやっていたという。
後藤夜半先生に習い、老人会でも
俳句の指導していたとか。この間歳時記とか
母の俳句の資料を片付けたばかりやわとか。
「嗚呼!もったいな。」

試しに俳句をやらないかと誘ったら
まんざらでもなさそうだった。
親の背中を見ていて、俳句には
悪い印象はないような感じにみえた。
四月の句会に来ると言う。
「毎回はいけないと思うけどいい?」
「いいよいいよ。来れるときだけでも。」
「五句作っておいで。」
「えっ~!五句もよう創らんわ。」
「創れる創れる。何でもええねん。」
ちゃんと指導するからと納得させる。
同級生とのこういう新たな出会いもまた楽しみ。
過去を振り返ってばかりの会ではつまらない。

帰路は彼女に車で送ってもらった。
春宵の街角、沈丁が咲いていた。
まだ辺りにあの香を漂わせるという
ほどではなかったが。春が一気に
膨らんできた感じがした。コロナ禍が
もたらしたいい日、いい出会いであった。

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