江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

櫛来社

2016-04-16 01:34:59 | 日本の文化について
国東半島の北の端に近いところに、櫛来社という神社がある。
そこにケべス祭りという奇祭がある。
それを知ったのも”日本の祭り”というテレビ番組だったが、
鬼に扮して松明を振り回す感じだったので、
もしかしたら修正鬼会の流れをくむものかもしれない。
近くの道の駅で食事をとったので、
立ち寄ってみた。





海のすぐそばの平らなところにあるので、
それまでの寺とは全く環境が違っていたが、
人気無く、静まり返っていて、ちょっと不気味な雰囲気だ。
祭りの資料が無いのが、残念だった。

車を止めたところに戻ると、
長靴をはいた女性が二人、
挨拶をして、ケべス祭りについて聞こうとしたら、
「今仕事が終わったので、これからアサリとマテ貝を取りに行く」
という。
盆地育ちの私は、恥ずかしながら、潮干狩りをしたことが無い。
つい様子見たさに、後を付いて行った。
なかなか獲れないらしく、ちょっと掘っては移動していって
ついに私の靴では追い付けなくなってしまい、
”収穫”した姿を見ぬまま、帰路に着くことにした。

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岩戸寺

2016-04-14 00:13:06 | 日本の文化について


岩戸寺は、宇野小四郎氏の論文で知った。
勤行を務めている途中で鬼役の人が抜けて、岩穴で鬼になる、とあった。
その穴が見たかった。
天照大神も穴に”お隠れに”なる。
穴には何か霊力を与えるようなものがあるのだろうか。

仁王様に迎えられ、それから続く参道は、両脇に桃の木が植えられている。
きっと今頃満開だろう。
本堂に行くが、民家をどうにかした感じだった。
山の上の方から太鼓の音が聞こえてくる。
階段をずっと登っていくと
講堂が見えてきた。
音はそこから聞こえていた。

中から人が出てきたので、何をしているか尋ねたら、
護摩を焚いている、という。
覗いてみてもよいか聞くと、
みんな前を見ているからいいんじゃないの、との返事。
護摩を焚いている様子を実際に見るのは、初めての経験。
厳粛な雰囲気だったが、ビデオカメラが何台かあって、
ちょっと、あれっ、と思ったが、
カメラを向けると、ビデオを撮っていた人が横に開いて
前を開けてくれた。

新商品の発売を記念して、ヒット祈願の法要に
マスコミを呼んでいたとのこと。

そこから少し登ったところに薬師堂があって、
その脇に「穴」が見えた。
中に入ってみる。
もちろん何か感じることもなかったが、
そこから講堂を見下ろすと、
躍り出た鬼が一気に駆け降りるその迫力を
想像することはできた。
そこから一段上がったところにある堂の前庭は全面苔むしていて、
この寺が積み重ねてきた歴史が感じられた。

三番叟の原点を求め、
それが鬼にあることと知り、
鬼とはなにか
鬼になるとはどんな感覚かその場に立って見て
なにかモヤッとした小さな塊を感じているのだが
言葉にできない。



また一つ、私にテーマができた。



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成仏寺

2016-04-12 00:41:59 | 日本の文化について
本当は「成佛寺」と書くのだそうだが、
当寺のパンフレットから表題のようになっている。

ここの修正鬼会は、岩戸寺と交互に、隔年で行われている。
岩戸寺は、この次に紹介するけれども、いかにも鬼会のありそうな
雰囲気があるのだが、
ここは、言っては申し訳ないけれども
建物は普通の民家のようでもあり、
後で見たら1枚も写真に撮っていなかった。

門をくぐったけれども、
どこで手を合わせ、どこを見たらよいかわからない。
脇に墓地があって、
その間から大根をぶら下げた初老の男性がやって来た。
やって来た旨を話し、お参りさせて欲しいと申し出ると
縁側の硝子戸をあけるから、
中に入ってお参りしていきなさいと
快く中に入れてくれた。
その方はご住職だった。

時はちょうど正午を回ったところ、
一人ずつ手を合わせ始めたところでご住職が入ってきて、
東京から来たのか、と尋ねる。
昔何年か東京にいたことがある
という話から始まって、修正鬼会についていろいろ尋ねることができた。

ここはもっと広い境内を持っていたそうだ。
道路の拡幅工事で削り取られたのかと思ったら、
もともとはもう少し離れたところにあったらしい。
僧堂も10ばかりあったそうで、
昔は農家の二男三男で頭のよいものが僧になったから
修正鬼会もこの寺だけで賄えたが、
今は周りの寺々から住職が集まって何とかやり遂げているとのこと。

「人手は沢山いるし、ともかくお金がかかるのだ」

ところがこの寺を支える集落は、戸数は38ほど、
人口も70人に減ってしまったそうだ。
「大学生の子供を持つ親が一人もいないのだ」
つまりは、みなさん60歳以上になるということらしい。

奥さんがお茶を入れて下さった。

「こういうところだけれども、祭りは残したいし、
何とか講堂を新しくしたい!」とご住職。
確かに講堂は、一見して物置にしか見えなかった。
「そのために何をしていると思います?」と奥さん。

宝くじ!

ご住職は毎回宝くじを買い求めているのだそうだ。
すかさず私は、「神頼みですね」と言ったのだが、
誰一人笑わなかった・・・

修正鬼会は勤行が午後3時から始まり、6時間続く。
ご住職はただお経を読むだけと仰っていたが、
15ものプログラムがあり、
その中に食事や清め、結縁の盃の儀、大松明へに火入れなどがあり
読経だけでも相当な迫力だと思われる。

その勤行が終わると、それまで敷いてあった畳が取り除かれ、
板の間に変わり、
午後10時半から僧侶が下駄を踏み鳴らしながら踊り、
午後11時半から3人の僧侶が荒鬼に扮して、
いよいよクライマックスになり、よっぴいて祭りは続く。

今自分の立っているところは、とても生活臭のするところだけれども、
畳が取り払われると、雰囲気は一変するのだろう。
60年代、演劇界は「異化効果」ということがよく言われたが、
ここはもっと昔から自然と「異化効果」を実践していたのだろうか。

これは実際に見て、その様子を目に焼き付けなければと強く思った。

1時間ほどもお邪魔して辞するとき、
門の脇に子供を抱いた大きなお地蔵さんが立っているのに気付いた。
「子安大師さんですよ」
大師というと、弘法大師をさす。
思わず「ここは天台宗ですよね」というと
「地元の人にすると、安産祈願は大師さんになるのですね」
弘法大師は真言宗の開祖だ。
しかも天台宗の最澄とはライバル同士。

八幡信仰といい、ここに日本の宗教観の縮図を見た思いがした。

それにしても、と思う。
何とか祭りを残したい。
宝くじが当たりますように!!!
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天念寺

2016-04-10 23:20:16 | 日本の文化について




この寺は、豊後高田市の東のはずれにある。
宇野小四郎氏の文献には載っていなかったが、
「日本の祭り」というテレビ番組で、修正鬼会があることを知っていた。
ここのそれは、毎年旧暦の正月7日に行われているそうだ。
豊後高田市からその日の宿泊地・あかねの郷に向かう街道沿いにあって
一見何の変哲もない建物に見える。
もっとおどろおどろしたところかと想像していたので、
ちょっと拍子抜けしてしまった。
しかも無住寺だった。
(長安寺の住職が兼任しているそうだ)

何か鬼会につながる岩穴か何かを期待して、
鳥居の脇の階段を上っていくと
岩をくりぬいて作った祠があった。
岩山が境内に少しかぶるようにせり出している。

講堂に入ると、松明が3本置いてあった。
その手前が舞台になっていて、
鬼は下駄を踏み鳴らしながら、踊るのだそうだ。
その手前に、松明に火をつけるかまどのような場所があった。

その場に佇み、建物に染み込んだ修正鬼会の喧騒やにおいを感じようとしたが、
凡人の私には無理だった。

寺の隣に、歴史資料館がある。
遅かったのか既に閉まっていたので
東京に帰る前にもう一度訪ねる。

それが良かった。
ビデオが見られただけでなく
自称隣町のただの農家という年配の男性の案内で、
ここが山岳信仰の場であることを、遠くに確認することができた。
岩山の稜線の左の方に、小さな橋が架かっているのがわかるだろうか。
そして右の一番高い頂の上に、お堂が立っているのが。
修験僧は、橋を渡ってお堂まで行くと、
その下のむき出しになっている岩を、鎖を頼りに上り下りするのだそうだ。

その先に修正鬼絵があるのだろうか。

これは、本番を見ないといけない、と強く思った。



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三番叟

2016-04-08 00:35:47 | 人形について
三番叟の踊りは、様々な形で全国に残っている。
もちろん師匠が遣った三番叟は、今も頭にしっかり残っているし
文楽のも、歌舞伎の様々な種類のも、式三番も見ているが、
これと言ってわくわくするような踊りに出会っていない。

ところが江戸時代後期には、
糸あやつり人形の三番叟のおもちゃがもてはやされた。
糸あやつり人形の錦絵は無くても、
このおもちゃの絵はかなりあるのだ。
だからこの時代、三番叟の踊りは面白かったのだろう。
じゃあ、どんな踊りだったのだろう。
自分が創るとしたらどんな踊りを参考にすればよいのだろうか。
そもそも三番叟とは、なんなのだろう。

いろいろ文献を漁っていたら、
たまたま九州への出発前に、宇野小四郎さんの論文を目にした。

九州には、烏帽子をかぶり真っ赤な顔をしてからくりになっている
三番叟の人形のかしらが、お土産で売られている。
なんで赤い顔をしているのかを解き明かすのに、
なんと宇佐神宮が出てきた。

もともと宇佐八幡神は、荒ぶる鬼であった。
それが住吉さんに導かれて良い鬼になり、
隼人の平定に尽力したと言う。
その鬼が三番叟の元になり、
荒ぶる姿が赤い顔になっていると宇野さんは言う。

そしてその様子が、国東半島のいくつかの寺に残っている
修正鬼会(しゅじょうおにえ)にあるというのだ。
毎年旧暦の正月7日頃に行われているので
実際に見るのは無理だったが、
もともと天念寺には行こうと思っていたので、
旅の後半は、国東半島の修正鬼会を追っかけることにした。
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