今回の九州の地震を見て、
改めて自然の力を思い知らされた。
今回も専門家から
「予期せぬこと」 「記憶にない現象」
といった言葉が聞かれた。
科学的に究明し続けて欲しい。
ただ、科学を過信してはいけない。
天災は、予期せぬ形で現れるものと思うべきだ。
だからこそ、日本のような天災の多いところで
原発の再稼働はあり得ないのだ。
福島を回っていて、
除染が済んだといって人が少しずつ戻ってきている地区でも
元の生活には遥かに遠い現実を目の当たりにしてきた。
未来に、どういう郷土を残すのか問われているのだ。
意地を張っていてもしようがあるまい。
今日、東京は強風が吹き荒れた。
目の前のネズミモチノキは、枝が折れるのではないかと思えるほど
激しく揺れた。
でも折れなかった。
そして国東半島の両子寺の境内に生えていた木々、
岩をわしづかみするように根を張った木が何本もあった。
柔と剛、
人は、そこまでは及ばない。
だけど考えることはできる。
考えよう。
改めて自然の力を思い知らされた。
今回も専門家から
「予期せぬこと」 「記憶にない現象」
といった言葉が聞かれた。
科学的に究明し続けて欲しい。
ただ、科学を過信してはいけない。
天災は、予期せぬ形で現れるものと思うべきだ。
だからこそ、日本のような天災の多いところで
原発の再稼働はあり得ないのだ。
福島を回っていて、
除染が済んだといって人が少しずつ戻ってきている地区でも
元の生活には遥かに遠い現実を目の当たりにしてきた。
未来に、どういう郷土を残すのか問われているのだ。
意地を張っていてもしようがあるまい。
今日、東京は強風が吹き荒れた。
目の前のネズミモチノキは、枝が折れるのではないかと思えるほど
激しく揺れた。
でも折れなかった。
そして国東半島の両子寺の境内に生えていた木々、
岩をわしづかみするように根を張った木が何本もあった。
柔と剛、
人は、そこまでは及ばない。
だけど考えることはできる。
考えよう。