江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

三番叟

2016-04-08 00:35:47 | 人形について
三番叟の踊りは、様々な形で全国に残っている。
もちろん師匠が遣った三番叟は、今も頭にしっかり残っているし
文楽のも、歌舞伎の様々な種類のも、式三番も見ているが、
これと言ってわくわくするような踊りに出会っていない。

ところが江戸時代後期には、
糸あやつり人形の三番叟のおもちゃがもてはやされた。
糸あやつり人形の錦絵は無くても、
このおもちゃの絵はかなりあるのだ。
だからこの時代、三番叟の踊りは面白かったのだろう。
じゃあ、どんな踊りだったのだろう。
自分が創るとしたらどんな踊りを参考にすればよいのだろうか。
そもそも三番叟とは、なんなのだろう。

いろいろ文献を漁っていたら、
たまたま九州への出発前に、宇野小四郎さんの論文を目にした。

九州には、烏帽子をかぶり真っ赤な顔をしてからくりになっている
三番叟の人形のかしらが、お土産で売られている。
なんで赤い顔をしているのかを解き明かすのに、
なんと宇佐神宮が出てきた。

もともと宇佐八幡神は、荒ぶる鬼であった。
それが住吉さんに導かれて良い鬼になり、
隼人の平定に尽力したと言う。
その鬼が三番叟の元になり、
荒ぶる姿が赤い顔になっていると宇野さんは言う。

そしてその様子が、国東半島のいくつかの寺に残っている
修正鬼会(しゅじょうおにえ)にあるというのだ。
毎年旧暦の正月7日頃に行われているので
実際に見るのは無理だったが、
もともと天念寺には行こうと思っていたので、
旅の後半は、国東半島の修正鬼会を追っかけることにした。
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