たかはしじゅんいちという写真家がいる。
ニューヨークで十数年活動して、昨年帰国した。
彼のホームページを見ると、ちょっと日本人離れした感性を感ずる。
日本に帰ってどうなのだろうかと思っていたら、
やはり彼にしたら物足りないらしい。
今は日本人としてのアイデンティティをしっかりしたものにしたいと
学んだり試みたりしている。
その試みが、先日の個展に現れた。
和紙を印画紙にしての写真。
窓枠に人形を坐らせている白黒の写真。
その元になったカラーの写真は以前見ていた。
外の明るさの対して部屋の中の暗さ。
一見するとそれだけなのだが、
親父の絵の影響なのだろう、影をじっと見る。
すると、黒一色に見えていたところに、障子がボーと浮かび上がってくる。
窓枠の上の梁も浮かんで来る。
窓の外が眩しい。
海岸の岩場に人形を置いた白黒の写真がある。
この岩場が、色の変化の富んでいて、量感や質感を感じさせるものだった。
面白い。
絵画的だと思う。
和紙を印画紙に使う写真家は他にも結構いるらしい。
やはり同様に絵画的になっているのだろうか。
将来に可能性を秘めた、面白い企画だった。
ニューヨークで十数年活動して、昨年帰国した。
彼のホームページを見ると、ちょっと日本人離れした感性を感ずる。
日本に帰ってどうなのだろうかと思っていたら、
やはり彼にしたら物足りないらしい。
今は日本人としてのアイデンティティをしっかりしたものにしたいと
学んだり試みたりしている。
その試みが、先日の個展に現れた。
和紙を印画紙にしての写真。
窓枠に人形を坐らせている白黒の写真。
その元になったカラーの写真は以前見ていた。
外の明るさの対して部屋の中の暗さ。
一見するとそれだけなのだが、
親父の絵の影響なのだろう、影をじっと見る。
すると、黒一色に見えていたところに、障子がボーと浮かび上がってくる。
窓枠の上の梁も浮かんで来る。
窓の外が眩しい。
海岸の岩場に人形を置いた白黒の写真がある。
この岩場が、色の変化の富んでいて、量感や質感を感じさせるものだった。
面白い。
絵画的だと思う。
和紙を印画紙に使う写真家は他にも結構いるらしい。
やはり同様に絵画的になっているのだろうか。
将来に可能性を秘めた、面白い企画だった。