江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

2010年という年

2010-12-11 23:34:18 | 日記
年々時間の経つのが早く感ずる、というのは人間の宿命のようだ。
今年もあっという間に過ぎてゆく。
ふと振り返ってみると、今年はいろんなことがあった。
幸いなことに、その全てが人形に関すること。
少しでも振り返ってみたので、そのことを書いてみよう。

今年は長唄舞踊「都鳥」から始まった。
これは私にとって大きな財産になった。
演目が増えたという事だけではない。
女の踊り・動きに変化が生まれた、そしてそれは男の踊り・動きにも影響している。
最も顕著に影響したのは、地唄舞の「黒髪」だ。
人形を遣うときの私自身の体の遣い方が、楽になったのだ。
なにをいまさら、と思われるかもしれないが、そうなのだから仕様がない。

2月の公演が終わるや否や、義太夫の太夫と三味線弾きの人形を作り出す。
今田人形座との共演。
実際の太夫と三味線弾きの間にそっくり人形を置くというもの。
それだけで何の意味も無い。
ただそれをきっかけに、何か新しいものが生まれればと思っただけだった。
ところが、受けた。
ビデオを見たが、自分のビデオを見て面白いと思ったことは余り無いが
これは面白いと思った。
何で面白いのか分からない。
多分、何の意味も無い、他愛も無いものだからだろう。
今という時代、やたらと意味をつけたがる。
とりわけマスコミは、意味が無いと取り上げない。

9月はドイツ公演。
舞台に掛ける保険には参ったが、これも勉強だし、
公演自体はとてもよいものだった。

そして島根県益田市の糸あやつり人形との出会い。
正直言って最初に行くとき不安だった。
足場の上から長い糸で人形を遣うのは、20年ぶりだったから。
でも何の問題もなかった。
長い糸を体が覚えていたというより、基本が身についていたからだと思っている。
基本はどこで身に付いたか、それは大道芸だと、私は思う。
しかも井の頭公園を初めとする、土の上での大道芸。
いま益田の保持者会の人々は熱い。
私から貪欲に教わろうとしている。
私もそれに応えようとする。
だから帰ってくると、ほとんど抜け殻のようにヘロヘロになっている。
教えるには、体力が必要だとわかった。

今年は不景気の底になるだろうと予測して、新年を迎えた。
ともかく暇になるだろう、だから今まで暖めてきた事をやろうと
始めたのは良いけれど、今も来年の2月公演のための人形作りに追われている。
今年は1年中人形を作っていた。
来年は、
今年以上に悪くなると聞いたりすると


まだ幾つか暖めているものがある・・・・
コメント
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