マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「大江戸鳥瞰図」展を観る

2016年09月08日 | 映画・美術・芝居・落語

 829日の東京新聞朝刊に次の様な記事が載った。
 「都市図画家や鳥瞰図絵師として活躍し、今年3月に82歳で亡くなった立川博章さんの回顧展が、日建設計東京ビル1階ギャラリーで開かれている。東京スカイツリーや浅草、上野一帯を描いた絵図や、江戸時代の町並みを再現した「大江戸鳥瞰図」など、緻密で迫力ある作品が並ぶ」



     (パネルに映し出された鳥瞰図)

 
江戸の鳥瞰図には取り分け興味があった。会場も我が家から近距離にあり、95日(月)に妻と出掛けてきた。会場へは三田線利用で水道橋駅下車が簡明。白山通りを進み、JR水道橋を過ぎて間もなく右折すると、首都高の向こうに“日建設計”の看板が目に入って来た。真っすぐ進むと日本橋川。「あいあい橋」を渡ると日建設計の裏側だった。東京スカイツリーを設計しただけのことはあると思わせる設計会社の、堂々としたのビルの1階に展示会場はあった。大型液晶テレビや側面パネル・平面パネルなどを用いて多数の作品が展示されていた。(写真:日本橋川に架かるあいあい橋)



 この展示で初めて知った立川氏は1933年生まれ。現武蔵野美大卒業後映画会社で美術を担当。独立後の1980年代以降は、日建建設との再開発事業などのプロジェクトで完成予想図を多く作成した。
 「鳥瞰図の数々は独自の三点透視図法を用い、正確性と緻密性で他を圧倒」と説明されていたが、残念ながらこの三点透視図法が私には理解出来なかった。ともあれ、その図法を用いるだけでなく、自らの足で写真を撮りながら各地を回って、文献や資料を参考に鳥瞰図を仕上げたそうな。
(写真:立川博章氏)



 晩年力を注いだ「大江戸鳥瞰図」は1862年の江戸を中心に現在の横浜、秩父、千葉までを一望出来る壮大な作品。最初の作成範囲では町奉行所の及ぶ範囲、すなわち、現代の千代田区・中央区・江東区・新宿区・港区・目黒区など「江戸」と呼ばれる区域だったが、描かれる範囲は拡がっていった。時代を1862(文久2)年に限定したのは、翌年に江戸城が火災で本丸が消滅し、以降再建されなかったからと説明されていた。この図はあくまで私の「想像図」ですとの断りも書かれていた。(鳥瞰図より:江戸城から東へ隅田川まで)




 大型場面に現れる大江戸鳥瞰図は迫力満点。江戸時代の画面に対して現代の想像図が対応して映し出される点が特に面白い。東京スカイツリーの設計図も迫力があった。パネル図には江戸時代の歌舞伎小屋の図も。間近で平面パネルをよく見ると、細かく武士屋敷地が描かれており、膨大な尽力が偲ばれた。(写真:右は東京スカイツリーの図。下は河原崎座の図)



   
       (隅田川図)              (1階正面のスカイツリー図)
 

 帰路は都バス「飯64」で九段下から江戸川橋を経由して関口パン店で昼食。初めて乗る都バス路線であったが、都心移動時の都バスの便利さを改めて実感した。彼の作品集は『大江戸鳥瞰図』として出版されていて、直ぐに図書館へオンライン予約。


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