この本の内容を上手くまとめられないで、ここに書くことを何度か躊躇っていたのだが・・・。
著者青山さんが到達した、日航123便墜落の結論。それをここでは仮説と呼ぶことにしよう。その仮説は驚くべきものだった。著作冒頭にその仮説を書いしまったのでは、彼女の説もまた“謀略説”と捉えられかねないことを危惧したのだろうか、彼女は具体的な目撃情報・証言を積み重ねた上で、言わば演繹的に、最後に仮説を記述したのだった。
しかし、気楽な立場にあるブロガーの私は、いきなり青山仮説から書いてしまおう。著者は「墜落は事故ではなく事件である。墜落原因は米軍の訓練用ミサイルのジャンボ機への誤射・衝突」と結輪付けた。「米軍のミサイル誤射が墜落原因」との結論!
その推論の柱は次の5つから成り立っているように見える。
①墜落したジャンボ機を自衛隊ファントム2機が追跡していた、との目撃情報が多数ある
②その日のうちに墜落地点を特定できたにも係わらず、自衛隊は墜落現場を特定せず、即時の人命救助活動をしなかった
③ジャンボ機の腹の部分は円筒形で真っ赤だったとの目撃情報がある
④完全炭化した遺体から推して、自衛隊は現場でガソリンとタールを混ぜたゲル化液体を使用した可能性がある
⑤米国の航空便墜落事故の元調査員6名の発言に「米国のトランスワールド航空800便の墜落原因は米軍のミサイルによる誤射の可能性が高い」とある
①と②と④から、自衛隊は何かを隠そうとしていると判断し、その何かとは③と⑤から「米軍のミサイル誤射が墜落原因」との結論に至ったのだ。
ここでは①と③に関して詳細に記す。
① についての重要な目撃証言として挙げられたのが『小さな目は見た』との上野村小学校の文集と上野村立上野中学の文集『かんな川5』だった。
ジャンボ機墜落後、上野村立上野小学校では148名の児童による文集「日航機事故について」を作成していた。それによれば、当日、日航機を目撃した児童が75名もいた。その中に、例えば次の様な文が見られる。
「8月12日の夕方、6時45分頃、南の空の方からジェット機2機ともう一機大きい飛行機が飛んできたから・・・」。多くの児童とその家族が「大きな飛行機と小さいジェット機の追いかけっこ状態」を目撃していた。
彼女は文集をしっかり読み込んだ結果から、上記以外の目撃内容を次の様に整理した。
○真っ赤な飛行機が飛んでいた
○墜落前後、稲光の様な閃光と大きな音を見聞きした
○墜落場所は上野村と特定でき、報告したにもかかわらず、テレビやラジオでは場所は不明又は他の地名を放送し続けた
○墜落後、多数のヘリコプター、自衛隊の飛行機、自衛隊や機動隊の車などを目撃した
○ヘリコプターは墜落場所をサーチライトの様な強い明かりで照らしながら、多数行き来していた
文集からの目撃情報以外に自衛隊員の目撃情報がある。以下次回のブログに。